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化かしあい  作者: しげ吉
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7/22

朝露

赤い花が、目に焼きついて離れない。


あれはいつの頃だっただろう。


まだ、和永が寺にいたときだ。


珍しく早朝に訪ねると、和永は寺の庭先で花を眺めていた。


朝露に濡れた赤い花と、それを眺める和永の横顔がきれいだと思った。


和永は武秀に気がつくと、何を思ったか、赤い花を一輪手折って武秀の黒髪に飾った。


「よく似合っている」


そう言われて、武秀は嬉しかった。


あの頃はまだ、男の姿をしていても、どこかに娘心が残っていたと思う。


きれいなもの。可愛いものが好きだった。


それでも虚勢を張るように、武秀は「俺は男だ。似合わない」と言った。


城に帰ってから、武秀は一人、自室で手鏡を取り出した。


男の姿のまま、和永がくれた赤い花を自分の髪に挿して、飽くことなく眺めた。


武秀にしては、気を抜いていたのだと思う。


不意に母が部屋に入ってきた。


咄嗟に手鏡をしまったが、赤い花を隠すのは間に合わなかった。


武秀の黒髪に飾られた赤い花を見て、母・千代の美しい顔が歪んだ。


とたん、千代は武秀の頭から無造作に花を抜き取ると、それをぐしゃりと握りつぶした。


「男子にこのような花、似合いませぬ」


般若のような顔だった。


このときは、ただただ母が恐ろしかった。


「申し訳ございません」


武秀は深く頭を下げた。


その目線の先に、赤い花びらが散る。


千代の足が、それを踏みつけた。


千代は何事もなかったかのように、いつもの冷たい笑顔に戻ると、武秀に言った。


「剣術の先生が来ておりますよ。励みなさい」


千代が部屋を出ていく。


武秀は茫然として、踏みつけられてぐちゃぐちゃになった赤い花を見つめた。


母を喜ばせたくて、男に化けた。


認められたくて、武芸に励み、学問も修めた。


誰よりも強く、誰よりも賢く。


血の滲むような努力を重ねた。


認められれば、愛されると思った。


しかし、そのままの自分が愛されることはないのだと、あの日、思い知った。


赤い花が、嫌いになった。


*


はっと、武秀は目を覚ました。


見慣れた天井。


隣には、慣れぬぬくもりがあった。


武秀は慌てて目尻をぬぐった。


隣から穏やかな寝息が聞こえる。


「そういえば、俺、結婚したんだっけ……」


どこか他人事のように、武秀は呟いた。


吉乃を起こさぬよう、そっと身を寄せて寝顔を覗き込む。


きれいな顔だと思った。


作り物のような、きれいな顔だと。


慣れない人のぬくもりに触れて、嫌な夢を見てしまった。


武秀は今まで、深い眠りにつくとき、そばに人を置いたことがなかった。


最初は、無意識のうちに万が一にも術が解けることを恐れていた。


小さい頃は、何度か眠っている間に元の姿に戻ってしまったことがある。


しかし今は、無意識のうちに姿が戻ることはないという自信があった。


そもそも、女に戻る方法すら忘れてしまっている自分がいる。


それでも、置かれた立場ゆえの警戒心から、寝所に人を近づけることはできなかった。


昨日、宴の席で和永が何事かを告げようとしていたことを思い出す。


また、和永に向けられた吉乃の一瞬の鋭い視線や、寝所で刀を見たときの吉乃の警戒した様子も思い出した。


武秀は、この花嫁には何かあるのだろうなと、ぼんやり考えた。


「……っ」


吉乃がわずかに身じろぎし、武秀はどきりとした。


外はまだ暗い。


自分が吉乃を起こしてしまったのではないかと、おそるおそる顔を覗き込んだが、吉乃は眠っているようだった。


武秀は吉乃に少し身を寄せ、あったかいなあ、と思った。


目には冷たさがあるのに、身体はあたたかい。


そのぬくもりに、また眠りに引き込まれそうになった。


しかし、武秀は起き上がり、静かに部屋を出ていった。


戸が静かに閉まり、忍ぶような足音が遠くに消える。


それを待っていたかのように、吉乃は目を開けた。


武秀が寝ていた場所は、まだほんのりと温かかった。


吉乃は、武秀の寝言で目が覚めていた。


何を言っていたかまでは聞き取れなかった。


武秀は泣いているようだったが、涙までは見ていない。


吉乃はゆっくりと起き上がると、自分の手を見た。


ほっそりとした女の手である。


吉乃は、ほっと息を吐いた。


昨日は思いがけず深く眠ってしまった。


そのため、術が解けていないか気がかりだったのだ。


しかし、特に何かが変わった様子はない。


吉乃は、自分がそのような失態を犯すはずはないのだと、自分を励ました。


白々と夜が明け、侍女が部屋に入ってくる。


特に乱れたところのない吉乃を見て、綾女は「おやまあ」と言った。


「初夜に何もなかったのですか」


その言葉に、吉乃はひどく自尊心を傷つけられたような気がした。


「殿のお気に召しませんでしたか」


綾女の嫌味に、吉乃は冷たく返した。


「殿はお疲れだとおっしゃった」


侍女が夜着を脱がせ、吉乃の肌を拭き清める。


何の情事の痕もない白い肌を晒すことが、吉乃はかえって恥ずかしかった。


「おわかりのこととは思いますが……」


吉乃の柔らかな髪を少し乱暴にすきながら、綾女は言った。


「あなたは狸の懐深くに入り込むためにも、殿に気に入られなければなりません」


「そんなこと、言われずともわかっている」


「姿形ばかり美しくとも、生まれの卑しさが、狸の嫡男たる方にはお気に召さないのかもしれませんね」


「……私は、大白家の姫。没落貴族のお前に蔑まれるいわれはない」


その言葉に、綾女は答えることなく、髪をすき続けた。


ときどき柔らかい髪が絡まっても、綾女は気にせず櫛を通す。


何本かの髪が切れ、吉乃は痛みを感じた。


だが、それ以上、吉乃も綾女に言葉をかけることはなかった。


いつ、どこで、誰が聞いているかわからない。


吉乃はただ黙って、綾女にされるがままになっていた。


*


「起きろ」


ゆさゆさと乱暴に揺り起こされ、和永は目を覚ました。


「起きろってば!」


太助の大声が頭に響いて、痛い。


「太助……うるさい……」


「酒が弱いくせに飲みすぎたお前が悪い」


太助は口ではそう言いながらも、和永に水を渡した。


昨日、したたかに酔った和永は、太助に背負われ、城下にある太助の屋敷に運び込まれていた。


和永は重い身体を起こし、水を受け取った。


その水を口に含んだとたん。


「なんだ、二日酔いか」


思いがけない声に、和永は激しくむせ返った。


目の前には、呆れ顔の武秀が立っていた。

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