婚礼の日 後編
言わなければ、と和永は思った。
和議のための花嫁が、男であっていいはずがない。
必ず、何かしらの陰謀がある。
武秀が危ないと、和永は思った。
だが、焦りはそれだけではなかった。
武秀が、今宵、男と同衾する。
そう思うと、激しく心をかき乱される。
その理由が、和永にはわからなかった。
和永は、武秀の方をちらりと見た。
武秀は多くの祝い客に囲まれ、次々と祝いの酌を受けている。
「その花嫁は偽物だ」などと、この場で伝える術はないように思えた。
どうすればよいのだろうかと一人焦る和永に、太助は気軽に声をかけた。
「よし、和永。酒を持って武秀を冷やかしにいこうぜ」
太助は銚子を掴んで立ち上がった。
まだ気持ちの整理がつかないままの和永を引っ張り、武秀の前に進み出る。
そして、太助にしては珍しく威儀を正し、深々と武秀に頭を下げた。
「この度は、誠におめでとうございます」
そう言ってから、にやりといたずらな顔で武秀を見上げる。
武秀も、ふっと笑って「ありがとう」と答え、太助からの酌を受けた。
「どうだ。私の嫁は、美人だろう」
武秀が隣に座る花嫁に話を向ける。
「ああ、羨ましいな、この!」
太助は武秀の軽口に乗るように、茶化した。
やりとりを楽しんでいる二人の横で、和永の顔はなおもこわばったままだった。
それに武秀が気づく。
「和永は、慣れない酒の席で疲れたか」
武秀に声をかけられ、和永ははっとして顔を上げた。
立派な花婿の衣装に身を包んだ武秀が、にこやかに和永を見ている。
和永は、意を決したように膝を進めた。
酌をするふりをして、さっと武秀に近づくと、耳元で小さくつぶやいた。
「気をつけてください。花嫁は……」
大きな楽の音と笑い声に遮られ、武秀には聞き取れなかった。
武秀は一瞬、不審そうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻り、差された酒を一気に飲み干した。
「酔いすぎて今宵しくじるなよ」
太助がからかうように言うと、「おう」と武秀は答えた。
和永はなおも何かを武秀に言おうと、再び近づいた。
とたん、鋭い視線を感じ、動きを止めた。
視線の主は、見なくてもわかった。
武秀の隣にいる花嫁が、和永を見据えていた。
和永は何も言うことができず、ただ固まった。
「おい、若い者同士で終わらすな。俺たちにも酌をさせろ」
後ろから大人たちに声をかけられ、太助と和永は次に譲らざるを得なくなり、その場を去った。
元の席に戻ってから、太助もさすがに和永の様子がおかしいことに気づき、尋ねた。
「お前、武秀に何を言おうとしたんだ」
和永は、簡単には答えられなかった。
自分は、何を言おうとしたのだろう。
自分は、何を言うべきだったのだろう。
和永はただ、慣れぬ酒を喉に流し込んだ。
*
婚礼の宴は大いに盛り上がり、花婿と花嫁が退場してもなお、夜を徹して続いた。
宴の音を遠くに聞きながら、吉乃は花嫁衣裳を脱ぎ、身を清めていた。
身を清め終えると夜着に着替え、夜の化粧を施す。
吉乃には、祝いの席での和永の様子が少し気にかかっていた。
鏡に映る自分は、美しい花嫁でしかない。
「御寝所に参らせませ」
侍女から声がかかり、吉乃はすっと立ち上がった。
先導する侍女の持つ手燭のわずかな明かりを頼りに、暗く冷たい廊下を行く。
部屋に入ると、侍女は何も言わず退出した。
御簾の奥には、白い夜具が二組敷かれている。
吉乃はそれを見て、わずかに緊張した。
同じ男とはいえ、男と同衾するのに緊張した自分に、吉乃は一人失笑した。
遠くから宴の音が聞こえる。
虫の音も聞こえた。
室内はとても静かだった。
しばらくして、足音がした。
すらりと戸が開き、武秀が入ってくる。
吉乃は緊張した面持ちで頭を下げた。
「顔をあげて」
武秀が言った。
顔を上げて初めて、吉乃は夫となる男を真正面から見た。
狐の一族でいうところの美形ではないが、愛嬌のある、憎めない顔の男だと思った。
武秀は吉乃に、にっこりと笑いかけた。
その笑顔は無邪気で、幼ささえ感じられる。
なのに、ぱっちりとした黒目がちな瞳の奥には、なぜか油断ならないものが感じられた。
「改めて、はじめまして、でいいかな。武秀だ」
「吉乃にございます」
丁寧に頭を下げた吉乃の頭上で、くすくすという武秀の笑い声が聞こえた。
「あの……何か」
吉乃は困惑して顔を上げた。
「なんでそんなに警戒しているの」
笑いながら言う武秀に、吉乃はどきりとした。
緊張や恥じらいではなく、確かにこの男は「警戒」と言った。
「いえ、そのような……」
吉乃は、自分が少し慌てていることに気づいた。
それを一層面白がるように武秀は笑うと、「さて、寝ようか」と言った。
「警戒なんて、おかしな言い方をして悪かったね。でも、安心して。まわりには俺の他に誰もいない」
言われてみれば、部屋の中にも外にも、人の気配がまったくない。
和議による婚礼とはいえ、長く敵対関係にあった狐の花嫁と二人きりになるなど、あまりに不用心ではないかと吉乃は思った。
武器になりそうなものも、枕元に置かれた刀一本のみである。
――よほど間の抜けた男か。それとも、自信があるのか……。
刀に向けられた一瞬の吉乃の視線を、武秀は見逃さなかった。
「ふうん」
武秀は内心思うところがあったが、それを気取らせず、さっさと先に布団に入ると、「おいでよ」と吉乃を呼んだ。
また少し、吉乃の身体に緊張が走る。
房中術は狐の間者の得意とするところだが、吉乃は生娘を装ううちに、初心な娘のような心持ちになっていた。
吉乃はおずおずと御簾をくぐると、武秀から少し離れて床に入った。
自分から先に仕掛けることもできず、吉乃は気まずそうに武秀から目を逸らした。
しかし、武秀はしげしげと吉乃の顔を眺めているようだった。
そして、ぽつりと「似ているなぁ」と言った。
吉乃には、それが誰のことを言っているのかわからなかった。
武秀は、吉乃を和永に似ていると思った。
狐の血筋だからか。
それとも、どこか人と距離を置いているようなところが似ているのか。
武秀は、吉乃を好きになれると思った。
布団の中で、吉乃を抱き寄せた。
次にはその手が吉乃の肌を滑るのかと思ったが、武秀はその後もただ抱きしめるばかりで、何もしてこない。
そのまま、どのくらいの時間が経っただろうか。
吉乃には、ずいぶん長い時間に思われた。
ふっと武秀は腕の力を抜いた。
そして、吉乃に柔らかく笑いかけると、身体を離して言った。
「長旅に、宴に。疲れたでしょう」
「……」
「俺も、疲れた」
そう言って、武秀は大きなあくびをした。
「今日は、もう、ゆっくり、休もう……」
言い終わるが早いか、武秀はぐうと音を立てて眠りについた。
あまりの寝つきのよさに、吉乃は狸寝入りかと疑った。
しかし、武秀は確かに眠っていた。
無防備に開けられた口から、ゆったりとした寝息が漏れる。
「なんなんだ、こいつは……」
拍子抜けした吉乃は、張りつめていたものがふっと抜けるのを感じた。
強い眠気に襲われる。
疲れていたのだと思う。
吉乃はそのまま引きずられるように、深い眠りへと落ちていった。




