婚礼の日 前編
秋の野辺を、花嫁行列が行く。
輿に揺られながら、吉乃は御簾のわずかな隙間から外を見た。
長く続いた戦と、此度の飢饉。
稲を刈り入れる季節であるにもかかわらず、田は荒廃し、美々しい花嫁行列を見る農民たちの目は虚ろだった。
夜盗の襲撃を恐れ、花嫁行列は物々しい警護に囲まれながら進んだ。
やがて歩みが止まり、国境の山城に入る。
かつて狐と狸の合戦のために建てられた山城に、狸へ嫁ぐ花嫁として狐の自分が入るのは、おかしなことに思えた。
そこでの引き渡しの際、少しの悶着があった。
狐側の共連れが多すぎると、狸が難癖をつけたらしかった。
しかし、先の戦で敗れた狐は、狸よりも立場が弱い。
話し合いの末、吉乃は限られた共連れのみを許され、狸側に引き渡された。
特に心細いとは思わなかった。
吉乃は誰も信用していない。
側近としてつけられた侍女など、頼りにならぬと吉乃は思っていた。
吉乃は自分の力だけを信じていた。
自分の化ける能力に勝るものはいないと自負している。
その自信が、吉乃を支えていた。
*
狸の領に入ると、見える景色は一変した。
戦の痛手はそこここに残るものの、こちらの田には稲穂が下がり、刈り入れにいそしむ農民たちは、顔を上げて物珍しそうに花嫁行列を見ていた。
吉乃は、此度の狐側の敗因を見たような気がした。
そこでふと、疑問に思う。
狸側はなぜ、形勢が有利でありながら、あれ以上の進軍をせず、この度の和議を受け入れたのであろうか。
その理由を探ることも、吉乃の役目である。
狐側は、今年の飢饉に耐えたうえで形勢を立て直し、相手の弱点を突いて巻き返しを図りたいのだ。
和議など、時間稼ぎに過ぎぬ。
来るべき日のために、自分は狸の城奥深くへ入り込む。
決して夫を愛さぬよう、一族を裏切ることのないよう、自分が選ばれた。
「全く、いつからこのような策を考えていたのか」
吉乃は、父であり、狐の一族をまとめる大白家当主・清史のことを思い出し、くっと笑った。
自分の花嫁姿は美しい。
そのように化けた。
狸の若造など、簡単に誑し込める自信があった。
*
長旅の疲れも癒えぬまま、吉乃は婚礼の日を迎えた。
侍女頭の綾女は、吉乃のまわりでまめまめしく立ち働いていたが、吉乃に対してはどこか冷たかった。
綾女が侍女頭になったのは、吉乃の兄・長松の推挙によるものだった。
「没落したとはいえ、藤白家の娘を侍女頭に据えれば、吉乃にも箔がつくでしょう」
長松は微笑みながら、そう言ったという。
それを聞いた清史は、「我が息子ながら、面白いことをいう」と笑い、綾女を吉乃の侍女頭にした。
藤白家の娘を、大白家の姫の侍女頭にする。
藤白家が大白家より下にあることを示すには、都合がよかった。
綾女にとって、それは屈辱以外の何ものでもなかった。
綾女は、人目のないところでは吉乃をぞんざいに扱った。
それに対して、吉乃は特に文句を言うことはなかった。
ただ、愚かな女だと思った。
こちらの正体が知れれば、不利になるのは自分たちの方であろうに。
気位の高い綾女は、それがよくわかっていないようだった。
ただただ、吉乃の侍女頭という立場が、綾女には気に入らないようであった。
*
城の広間は常より一層美しく設えられ、立派な祝いの膳が並んだ。
一族の主だった者が集まり、そのなかには和永と太助もいた。
楽が流れ、前座の舞などが披露される。
宴の席では、花嫁花婿以外の者たちが先に席につき、主役の登場を待った。
花嫁の席のすぐ近くには、すでに綾女が座している。
つんと高い鼻には気位の高さが現れていて、不躾な狸の男どもの視線など歯牙にもかけぬというふうであった。
「なんだか、冷たそうな女だな」
太助が隣にいる和永を肘でつついた。
思案に耽っていた和永は、急に現実に引き戻され、「ああ」と気のない返事をした。
「でも、なかなかの美人じゃないか。狐の血のせいかわからんが、お前の綺麗な顔に似ているな」
太助の軽口を、和永は聞き流した。
どのような花嫁だろうか。
和永はそればかりが気になっていた。
居並ぶ狸と狐の侍女たちを見ようともしない和永に、太助はあきれたように言った。
「女に興味なし、か。これだから寺育ちは」
何を言われても、和永には響かないようであった。
和永は居心地悪そうに、その場にいた。
和永の父・和信は、僧形の者は祝いの席にふさわしくないと言って、宴に出ていない。
自分も父と同じように頭を丸めて、こんな場所からは離れていたいものだと思った。
そんな和永の気持ちを知らず、太助はまた、おいおいと和永に声をかけた。
「あの女がお前の方を見ているぞ」
言われて和永が顔を上げると、侍女頭の綾女とかいう女と目が合った。
綾女の目には、どこか和永への敵意が浮かんでいた。
見も知らぬ女から敵意を向けられる理由が、和永にはわからない。
嫌な女だ、と和永は思った。
太助は「お前、きれいな顔しているから、目ぇつけられたんじゃないか」と茶化してくるが、「そんなんじゃない」と和永は言った。
ふいと、綾女が視線を逸らす。
祝いの音楽が、ますます大きくなった。
花婿と花嫁が入ってくるらしかった。
一同が頭を下げる。
しゅるしゅるという衣擦れの音から、花嫁が上等の絹の衣装を着ているであろうことがわかる。
――どんな女だろうか。
花婿と花嫁が席に着くと、一同は顔を上げた。
和永は、まわりに少し遅れて顔を上げた。
とたん、和永は目を見開いた。
花嫁の美しさに、わっと場が盛り上がる。
口々に祝いの言葉が飛び交った。
その言葉が、和永の耳には入ってこない。
花嫁は美しかった。
狸の一族にはいない、色素の薄い黄色い瞳。それを縁取る長いまつ毛。
少し吊り上がった目尻を染める赤が、輝くような白い肌によく映える。
純白の綿帽子からわずかに覗く髪は白銀色で、絹糸のような艶と輝きがあった。
鼻筋はすっと通り、薄い唇にさした紅が、いかにも奥ゆかしい美しさを感じさせる。
大勢の前にありながら、少し恥じらいつつ、ちらりと花婿に視線を向ける。
その視線に応えるように武秀が笑いかけると、花嫁は恥ずかしそうに頭を下げた。
初々しくも、美しい花嫁。
しかし、和永の目には、違う姿が映っていた。
――花嫁だと!?違う。あいつは……。
初めて武秀に会ったときの違和感を、はるかに上回る衝撃が和永を襲った。
和永は、自分の目の能力を呪った。
――あれは、男ではないか。
和永の目には、それがはっきりとわかった。
祝いの舞も、祝いの酒も、何も入ってこない。
和永はただ唇を噛み、強く拳を握りしめた。




