↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
化かしあい  作者: しげ吉
PR
4/24

夏の終わり

和永と太助が武秀に仕えるようになってから、数年の歳月が過ぎた。


はじめ、周囲の和永への視線は冷たかった。


しかし、正信や武秀の擁護があり、何よりも和永の賢さや忠義心の厚さから、次第に周囲の見る目は変わっていった。


情勢も、その間に変わった。


長い戦に疲弊した狸と狐の一族が、和議を結ぶことになったのだ。


その和議の証として、十五歳になったばかりの武秀のもとに、狐の花嫁を迎えることになった。


戦を終わらせるために、自分が狐の姫を娶る。


次期当主として、それが必要なことだと武秀はよくわかっている。


それでも、婚礼の日が近づくにつれ、武秀の心は重くなっていった。


武秀は暗い顔で、一人、天守閣から城下町を見下ろしていた。


城下町はいつになく賑わっている。


長く続いた戦乱の世が終わる。


人々の足取りは軽く、その表情は明るかった。


「花嫁を迎える花婿の顔ではありませんね」


「母上」


いつから来ていたのか、侍女も連れず、武秀の母、千代が立っていた。


「まあ、わからずともない。何を考えているかわからぬ狐のこと。この度の和議も婚礼も、どのような腹積もりでいるのやら、わかったものではありませぬ」


「心配事はそれだけですか」


武秀は振り向きもせずに言った。


「私は子を成せません。その理由は、母上が一番よくご存じでしょう。狐の陰謀とやらを心配するより先に、事が露見してご自分の首が飛ぶことこそ、心配すべきではないですか」


千代はすっと武秀に歩み寄ると、その背に優しく手を添えて言った。


「この母の首がどうなるかは、あなた次第。こんなにも立派な男子に成長したあなたを、母は誇りに思いますよ」


ああ、嫌だ。


武秀の母への嫌悪が募る。


その昔、長く子に恵まれず、ようやく産まれた子が女とわかると、千代は男が生まれたと偽りの報告をした。


自らの地位を失うことを恐れてついた浅はかな嘘など、すぐにばれるはずだった。


しかし、言葉を話すよりも早く化けることを覚えた武秀の卓越した才能が、母の嘘を本当にしてしまった。


慣例に従い、三歳まで母の実家で育てられ、四歳で登城したときには、すでに武秀は立派な男児となっていた。


武秀の秘密を知る者は、侍医を除いて、みな不慮の事故により死亡した。


それが単なる事故ではないことを、武秀は知っている。


はじめは、母が喜ぶのが嬉しくて化けた。


今はもう、戻れないところまで来てしまった。


「失礼。この後、和永と太助と遠乗りに行く約束がありますので」


「花嫁が来るのです。いつまでも、そのような……」


母の言葉を振り切るように、武秀は足早にその場を去った。


*


草原を馬が駆ける。


先頭を武秀が、少し遅れて太助と和永が馬を走らせていた。


「飛ばしすぎだ!」


太助に怒鳴られても、武秀は振り返らない。


何かを振り払うかのように、ますます馬足を速める。


武秀は川のほとりまで来て、ようやく馬を止めた。


川幅は三、四メートルほどの小川である。


小さい頃、三人は城を抜け出しては、よくこの川で遊んだ。


「あまり遠くへ行っては叱られるぞ、武秀」


武秀の横に馬を並べ、太助が言った。


「もう、叱られるような年じゃないさ」


武秀は川を眺めながら、この川で遊んだ日々を遠い昔のことのように思った。


「少し、気晴らしをしたかったのでしょう」


遅れてきた和永が、気遣うように言った。


和永の目には、可憐な少女へと成長した武秀の姿が映っている。


女の身で、妻を娶ることになるとは。


その複雑な心境を和永は思いやったが、太助はそのことを知らない。


「一番若いお前が、一番早く嫁をもらうことになるなんてな」


太助はさっぱりとした性格で、武秀に対しても主人に仕えるというより、弟に接するように振る舞う。


武秀は、それが好ましいようだった。


「羨ましいだろう、太助」


冷やかすように武秀が言った。


「ああ、羨ましいとも! 俺も早く可愛い嫁が欲しい」


武秀は、あははと笑った。


武秀と太助は、常に武芸を競い、馬の速さを競っている。


嫁を迎える早さも、太助にとってはそれと変わらないようであった。


夏の日差しが強い。


馬を止めると、噴き出した汗が粒になり、幾筋も肌の上を流れていった。


こんな日に川で泳げたら、どんなに気持ちがいいだろう。


しかし武秀には、昔のように裸になって川で泳ぐことに、少しばかり躊躇いがあった。


川の水を手ですくい、顔を洗う。


川の水は冷たく、とても気持ちよかった。


水に濡れた武秀の横顔を、和永は眩しいものを見るような目で見つめた。


太助は気にすることなく川に入っていった。


頭まで川に潜り、浮き上がってきてぶるぶると水を払う。


その姿が大きな犬のようで、武秀は笑った。


「穏やかで、いい日だ。戦など、ないにこしたことはない」


武秀は、ごろりと草の上に寝転んだ。


白い雲が形を変えながら、ゆっくりと青い空を流れていく。


「どんな花嫁かな。楽しみだ」


武秀は流れる雲を眺めながら言った。


「俺がどれだけ花嫁を幸せにできるかわからないけれど、仲良くしたいな」


武秀は、男として生きることを決められている。


ただ、その犠牲となる花嫁を憐れんでいるようであった。


「一時的な和議なんかじゃなく、絆を本物にしたいんだ」


それは、次期当主としての覚悟でもあった。


和永は何も言うことができず、武秀の横に腰を下ろした。


昔は、寝転がった武秀の頭を撫でてやったことがある。


今は、武秀に触れることができない。


それは、主従関係からくる遠慮か。


それとも――。


「心優しい、良い姫君だとよいですね」


和永は武秀に言った。


その言葉に嘘はない。


花嫁が、たとえ政略結婚によって嫁いでくる者だとしても、武秀の一番近くにいて、支えてくれるような女人であってほしいと、和永は願った。


武秀は「そうだな」とだけ答えた。


その後は、何も喋ることなく、ただ空を眺めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。