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化かしあい  作者: しげ吉
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20/24

父と子

夕暮れ時、武秀は父に呼び出され、病床へ向かった。


武秀が部屋に入ると、父は人払いを命じた。


部屋のなかは薄暗かった。


死期の近い者が伏す病床とは、このように暗いものなのかと、武秀は思った。


「武秀、近う」


手招かれ、武秀は父・武信の枕辺に座った。


「吉乃とは、仲良くしておるか」


「え……あ、はい」


父に改めて尋ねられると、なにゆえか恥ずかしさが込み上げる。


武秀の顔を見て、武信はふっと笑った。


「お前は昔から、人の心をつかむのが上手かった……誠、当主の器であるの」


武秀の胸が、微かに痛んだ。


「わしには似ず、闊達で、賢く……世継ぎとして申し分のない資質を持っているのに……惜しいことじゃ」


父の目は、どこか遠くを見ているようだった。


惜しい、とは、年若いことを言っているのであろうか。


父の言葉の意図が、武秀にはわからなかった。


「武秀……先のないものの戯言として、聞いて欲しい」


父は天井を見つめたまま言った。


「はい」


父の声は、か細く掠れている。


聞き逃すまいと、武秀は父の口元に耳を寄せた。


「正信は、狐と和議を結んだことを弱腰であると、わしをなじっておった。だが、正信が深く敬愛する兄上こそ、和議を望んでおったのだ。それも、ずっと昔から……」


「……伯父上が」


武秀の伯父であり、和永の父である和信は、狐の間者と恋に落ちたゆえに家を捨てたと聞いている。


それは事実と異なる、と父は言いたいのだろうか。


「兄上こそ、両族が仲良くなることを望んで、動いていた……それなのに、母の、福富家の陰謀に嵌まり、出家させられたのだと、わしは思う」


福富家は、武信の母・お妙の生家で、狸の一族きっての豪商である。


「母は元は側室で、正室の松の方を憎んでおった。松の方は名門久慈家の姫であることを誇り、金ばかりで家格の低い母を、何かと見下していたからの」


「父上を当主とするために、福富家とお妙様が手を組んで……伯父上を失脚させたと申されるか」


父の想像に過ぎないのであろうか。


だが、あり得ぬ話ではないと思う。


しかし、聡明で人望も厚かったと聞く伯父が、そう簡単に陰謀に嵌まるであろうか。


「狐の一族は、長く藤白家が実権を握っていた。しかし、事件のあと、藤白家は没落し、本来は神事のみを司っていたはずの大白家が実権を握った」


「……まさか、狐方に協力者がいた、と」


「協力していたかはわからぬ。ただ、双方の思惑が一致したとは考えられる」


そうだとすれば、伯父は和議を望みながら、狸の一族と狐の一族、その両方から罠にはめられたというのか。


「なにゆえ……今まで口を閉ざしておられたのです」


父を責めるのは筋違いだと思いながらも、武秀は言わずにはいられなかった。


「想像のことじゃ。証拠がない」


「……」


「それに……わしは、母に頭が上がらなかった。母を問いただすことができなかった」


気弱な父は、実母への疑いを抱きながらも、身動きが取れなかったということか。


それは、母に反発心を持ちながらも、逆らうことのできない自分と似ている、と武秀は思った。


「母には意見できず、妻の言いなりでもあり、わしは愚かな当主であった」


「そんなことはございません」


武秀は父の手を握った。


「伯父上にも成せなかった和議を、父上は成立させたではありませぬか」


「時勢が違っただけじゃ。兄のときとは、時勢が違った」


「いいえ、父上だからこそ成せたことです」


父の手を握る手に力がこもる。


父は、武秀の手を握り返す力さえ、もはや残っていないようだった。


「和議……か。千代はこの先、どうするつもりであろうか」


「どうする……とは?」


「そなたと吉乃がいかに仲睦まじい夫婦であろうとも、子はできぬものを……」


どくん、と武秀の心臓が跳ねた。


父は、吉乃が男であると知っているのであろうか。


それとも、まさか、自分のことを―。


「千代は、昔から気が強く、わがままな女であった。だが、気弱なわしには、それがちょうどよかった」


「……父上は、母上を愛しておられたのか」


父は答えなかった。


ただ、僅かに口元を緩めただけだった。


「わしは、千代の嘘を信じた」


武秀の心音が速まる。


「よいか、武秀。嘘をついたら、つき通さねばならぬ。信じたならば、信じきらねばならぬ」


「……」


「それが、化けるものの一族のなかで生きるということじゃ」


武秀の手から力が抜け、握っていた父の手が、するりと滑り落ちた。


「お前には、辛い思いをさせるの……」


武秀は、何も言うことができなかった。


父はまた、深い眠りへと落ちていく。


まるで、死に引きずられるように。


ここのところ、武信は眠っている時間が長くなった。


布団のなかにいてもわかるほど、父の身体は薄くなっていた。


力なく落ちた腕は、枯れ枝のように細い。


「……父上っ」


武秀は一人、肩を震わせた。


*


寝所に入ってきた武秀の暗い顔を見て、吉乃は驚いたように駆け寄った。


「いかがなさいましたか」


武秀は力なく、その場に座り込んだ。


ゆっくりと吉乃を見上げる。


―父は、いつから自分のことを知っていたのか。


武秀の目に映る吉乃の顔が、歪んだ。


吉乃は、父から命じられて十歳の頃より女の姿をしていると言っていた。


自分とは置かれた状況が違う。


それでも武秀は、ふと、本当の吉乃を知りたいと思った。


「吉乃……」


「はい……」


「お前、本当の名はなんという」


吉乃は、急に何を言い出すのかと、武秀の顔を見た。


いつもの明るい瞳とは違う。


暗く沈んだ目をしていた。


その様子に戸惑いながらも、吉乃は答えた。


「吉次……と、申しました……」


自分でも、久しく忘れていた名前だった。


それは、暗い記憶とともにある。


母がつけ、父に奪われた、本当の名前。


「吉次……か。吉乃には、男として生きていた時が、確かにあったのだな」


武秀には、女としての名がない。


女として生きたこともない。


「その姿に、疲れることはないか」


吉乃には、なぜ急に武秀がそのようなことを言い出したのか、わからなかった。


「ないとは言えませんが……」


ずっと化け続けることは、心身に強い負荷がかかる。


同時に、化ける時間が長くなるほど、感覚は麻痺していく。


自分が無理をしているということすら、忘れてしまうのだ。


「吉次の姿を、一度、見てみたい」


自分は、戻り方を忘れた。


吉乃は、戻ることができるのであろうか。


武秀の申し出に、吉乃はますます困惑した。


もう何年も晒したことのない本当の姿を、なぜ今更見たいというのか。


「俺は……少し、嘘に疲れた……」


武秀は言った。


父の言葉を思い出す。


嘘をつき通せ、とは。


言われずとも、そのつもりであった。


それなのに、何かが自分のなかで揺らいでいく。


「吉次の本当の顔を見たい」


まるで哀願するように言われる。


いつにない武秀の様子に、吉乃は断りがたいと思った。


吉乃は戸惑いながらも、静かに術を解いた。


涼やかな切れ長の目。


すっとした鼻も、薄い唇も、目の色も、女であった時と変わらない。


ただ、形のよいきりりとした眉や、とがった喉仏が、いかにも男らしかった。


筋肉の少ないすらりとした体躯で、上背が高い。


「夜着が、つんつるてんではないか」


武秀は吉乃の手元と足元を見て、思わず笑った。


笑って、笑って、最後に泣いた。


「なかなか良い男だったのだな、お前は」


吉乃は、褒められているのか、貶されているのかわからないと思った。


なぜ武秀が泣いたのかも、わからない。


「お笑いになるのでは戻りますよ」


そう言って化けようとしたとき、急に武秀が抱きついてきた。


肩が震えている。


どうやら、先ほどより一層泣いているようだった。


吉乃はわけがわからず、男の姿のまま、そっと武秀を抱きしめた。


武秀は、戻れるものであれば、今ここで自分も術を解いてしまいたいと思った。


しかし、父の言葉がそれを阻む。


父は、母の嘘を知っていた。


死の間際になるまで、そのことを明かさなかった。


言えずにいたのなら、最後まで言わないで欲しかった。


父の言葉は、呪いのようだと思った。


吉乃は術を解けても、自分には術を解くことができない。


それでも。


なぜ、こんなにも。


吉乃の前で、女に戻れたらよかったのに、と思うのだろうか。


「武秀様」


戸の向こうから声がかかった。


吉乃は即座に女の姿に戻った。


武秀も、涙を悟られぬように拭う。


和永の声だった。


「今日の宿直番はお前だったのか」


武秀は、いつもと変わらぬ声で言った。


その声には、ほんの僅かな震えさえない。


和永が夜半に、このような奥まで自ら呼びに来る。


そのように急を要することとは―。


「武信様が、ご危篤とのことです」


「わかった。すぐに行く」


武秀が部屋を出て行こうとした、そのとき。


吉乃は、はっと息をのんだ。


一瞬、武秀の背が小さく見えた。


細い肩。


やわらかな曲線を描く後ろ姿。


それはまるで。


「……女?」


いや、そんなはずはない、と吉乃は思った。


あわただしく、武秀と和永が廊下を行く音がする。


「まさか……見間違えだ」


父の死が近いために、武秀は弱っていたのだろう。


だから、小さく見えたのだ。


吉乃は、先ほどまで自分に抱きついていた武秀のぬくもりが、急激に冷めていくのを感じた。

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