まどろみ
紅葉の散り敷く庭を、武秀と吉乃が歩く。
吉乃が少し躓くと、武秀はさっとその手を取った。
吉乃は気まずそうに手を引こうとしたが、武秀は離さなかった。
そして、にっこりと吉乃に笑いかける。
「まったく、見ているこちらが恥ずかしくなるようですな」
「ああ。これで御子が生まれれば、お家も安泰じゃ」
家臣たちは、目を細めて二人の様子を見ている。
その後ろで、和永は、なんともいえない違和感を感じていた。
以前見たときよりも、むしろ演技がかって見える。
「どのようにご覧になりますか」
不意に後ろから声をかけられ、和永は心底嫌そうな顔をして振り返った。
いつからいたのか、綾女が立っていた。
「どのようにとは」
「あのお二人のことですよ」
「仲がよろしいようで、結構かと」
関わりあいたくないというように、和永はその場を立ち去ろうとした。
その袖を綾女がつかむ。
「また変な噂を立てられたいのか」
和永は忌々しげに、綾女の手を振り払った。
それでも、綾女は引き下がらない。
「あの二人、何もないんですよ」
言われて、和永は綾女を見た。
「奥のことを、そのようにあけすけに話すものではない」
「いいえ、お家のことでございましょう」
綾女の吊り上がった目が、ぎらりと和永を見る。
やはりこの女は苦手だと、和永は思った。
「殿は、妻と同衾しながら、何もなさらない。なぜです?」
女だから、とは言えない。
和永が黙っていると、綾女はずかずかと踏み込んできた。
「殿には、何か問題がおありなのでは。女を抱けないような」
「憚りながら……問題があるのは姫君では。侍女頭として、ご存じではないのですか」
あえて丁寧な口調で、和永は返した。
吉乃が男であることを、侍女頭である綾女だけは、事前に知らされていた。
何かのときに、対処出来るようにするためである。
「しかし、あなたの目にはともかく、他の誰の目から見ても、魅力的な姫君だとは思われませんか」
なおも綾女は食い下がる。
和永は嘆息した。
「案外、武秀様はもうご存じなのかもしれませんね。姫君の正体を。ご存じの上で、庇われているのは狐方ではありませんか」
「……」
「先日の件で懲りたであろう。下手に動けば、苦しくなるのは狐方ですよ」
綾女は、やはりこの男は嫌いだと思った。
和永も、この女には関わりたくないと思った。
二人の間に火花が散る。
そんな空気を察することなく、「和永~」と太助が声をかけてきた。
綾女は、自分から話しかけてきたにもかかわらず、黙ったまま、ふいとどこかへ行ってしまった。
「綾女と何を話していたんだ」
「別に……」
不機嫌そうな和永を見て、太助はにやにやした。
「……なんだ?」
「俺には、お似合いに見えたぞ」
和永は、太助を叩いてやろうかと思った。
そのとき、ふと視線を感じた。
見れば、武秀がこちらを見ている。
そして、太助と同じように、にやりと一瞬笑ってみせた。
和永は、もう二度と綾女と話すまいと思った。
ただ、奥の事情については、自分にもわからないところがある。
先ほど綾女に話したように、武秀は、すでに吉乃の正体に気がついているのではないかと思った。
武秀に直接聞こうにも、最近、政のこと以外では、ほぼ吉乃のもとにいる武秀と話す機会がなかった。
*
「奥の庭の紅葉も見事だが、表の庭の紅葉もきれいだっただろう」
部屋に戻ると、武秀は満足そうに言った。
「そうですね……」
武秀は、共犯者として嘘を楽しむのも一興と言っていた。
その場限りの冗談かと思えば、案外本気でそれを楽しんでいるようだった。
吉乃は、何やら自分が児戯に付き合わされているようで、むかむかしてきた。
「吉乃、眉間にしわが寄っている。美人が台無しじゃないか」
そう言って、武秀はけらけらと笑う。
「誰のせいだと思っているんですか」
「吉乃のせいかな」
こちらは嘘に付き合ってやっているのだと言わんばかりの態度である。
吉乃は、一層胸のむかつきを覚えた。
だが、自分は庇われている身である。
何も言い返せないと知っていて、なおこの男は自分をからかってくる。
実家にも戻れない。
元の姿にも戻れない。
その弱さを武秀に弄ばれているようで、吉乃は不快だった。
昼間は何かと吉乃を構うくせに、夜になると、武秀はわざわざ布団を離して寝る。
そのくせ、朝起きると、いつの間にか武秀に抱きつかれていて、身動きが取れなくなっている。
口を開けて無防備に眠る武秀の鼻を、何度つまんでやろうと思ったかしれない。
今夜も、ぴったりとくっつけて敷かれた布団の片方を、武秀はずるずると引きずって離す。
「それ、必要ですか」
「だって、お前は男だろう」
「でも……」
気がつくとあなたは私を抱き枕にしているでしょう、というのは、何となく気恥ずかしくて言えなかった。
武秀も、意識のあるうちは、寝所でどこかぎこちない。
「殿は、男も女も、抱いたことはないのですか」
いそいそと布団を離す武秀に、吉乃が声をかける。
「ない」
「そうですか」
自分が本当に女だとしたら、この男はどうするつもりだったのだろうかと、吉乃は思う。
自分がたとえ女として送り込まれていたとしても、この男の相手をするのは骨が折れたであろう。
吉乃はふと、いつもの仕返しのつもりで、離された武秀の布団に入ってみた。
武秀は、ばっと布団から出ると、使っていない吉乃の布団に移動する。
吉乃は、思わず笑ってしまった。
男の感触に、昔の忌まわしい記憶がよみがえり、全身が粟立つことがある。
それでも、眠る武秀に抱きつかれ、無防備なその寝顔を見ていると、昔、身体に染みついた男への恐怖が薄れていく。
武秀を可愛い、と思う。
守ってやりたいとさえ、思う。
女のふりをしているうちに、とうとう自分には母性が芽生えてしまったのか。
自分はこれからどうなっていくのだろうかと、吉乃は天井を見つめた。
「吉乃」
眠そうな声で、武秀が言う。
「昼間、綾女と和永が何か話していたな」
「ええ」
その様子は、吉乃も見ていた。
「綾女は、まだ何かを探っているのか」
「私は、動かぬように釘を刺しましたが」
「そう」
そういえば、と吉乃は思い出す。
先日、自分の正体が暴かれたために、うやむやになっていたことがある。
「義母上のご実家でのこと、なぜ事故死が相次いだのか、その理由を聞いておりませんでした」
「単なる偶然だよ」
「そうでしょうか」
自分だけが暴かれるのは不公平だと、吉乃は思った。
「義母上は、何を隠したかったのでしょうか」
そこに、武秀の悲しみの元もあるような気がした。
「俺は知らない。小さい頃のことだから」
そう言われれば、これ以上、武秀に聞くこともできない。
吉乃は納得がいかないものの、引き下がるしかなかった。
寝返りを打ち、武秀に背を向ける。
その背に、武秀が声をかけた。
「ねえ、吉乃。前に俺が聞いたこと、覚えている?」
「なんでしょうか」
吉乃は背を向けたまま答えた。
「俺のこと、好きになれそうかって。……夫じゃなくても」
吉乃は答えない。
「妻は夫を恋い慕うものだと、吉乃は言っていただろう」
「……」
今更、何を言い出すのかと吉乃は思った。
以前は、すぐに好きだと答えることができた。
妻を演じていたからだ。
―では、今は?
吉乃は答えることができない。
沈黙する吉乃の背に、武秀がぐりぐりと頭をこすりつけてきた。
自分が答えられないことを、武秀は喜んでいるのだと、吉乃は思った。
振り返って、口づけを交わすことはしない。
ただ、吉乃は武秀に背を向けたまま、腰に回された武秀の腕に、自分の手を添えた。
ふふっと、武秀が笑う。
吉乃も、笑った。
穏やかな時間だと思った。
温かくて、胸が少し痛む。
穏やかで、優しい時間。
しかし、男だと知られた自分が、いつまでも嫁としてこの場所にいることはできまいと、吉乃は思った。




