↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
化かしあい  作者: しげ吉
PR
2/23

幼き日々

武秀は、しばらく和永を見つめていた。


やがて、小さく息を吐く。


「……狐と狸のあいの子に、稀に現れるっていう、化けた者の姿を見破る目か」


和永は答えなかった。


「噂くらいは聞いたことがある。でも、本当にいるとは思わなかった」


武秀は困ったように笑った。


「お前は、その目を持っているんだな」


和永は、なおも黙っていた。


それを肯定と受け取った武秀は、和永の前に腰を下ろした。


「俺は武秀。狸の一族の次期当主、紫門武秀」


「……」


「それ以上のことは、言えない」


和永は不審そうに眉を寄せた。


「女ではないのか」


「俺は男だ」


武秀は、今度は迷いなく言った。


「少なくとも、俺はそう生きてきた」


和永は、少し憐れむような目をした。


武秀は気づかないふりをして、明るく言った。


「だから、お前もそう思ってくれ」


「……分かった」


和永の返事に、武秀は満足そうに頷いた。


「それから、その目のことは誰にも言うなよ」


武秀の声から、子供らしい明るさが消えた。


「化けた者の姿を見破れる奴なんて、狐にも狸にも厄介な存在だ。知られたら、お前がどうなるか分からない」


和永は、黙って武秀を見つめていた。


「ただでさえ、お前は狐と狸のあいの子だ。厄介者として、ここに隠されている」


「……」


「俺のことも、誰にも言うな。お前のためでもある」


武秀は、和永に手を差し出した。


「約束だぞ、和永」


和永は差し出された手を見た。


しばらく考えてから、その手を握った。


「分かった」


それが、二人の秘密の始まりだった。


*


それから武秀は、家中の者たちの目を盗んでは、何度も山奥の寺を訪れるようになった。


最初のうち、和永は迷惑そうだった。


本を読んでいるところへ突然やって来ては、「外へ行こう!」などと言い出す。


「嫌だ」


「じゃあ、馬に乗ろう」


「嫌だと言っている」


「野生馬を捕まえよう」


「なぜそうなる」


和永が断っても、武秀は引かない。


結局、和永は武秀に引きずられるようにして、外へ連れ出された。


もちろん、調教されていない馬を簡単に乗りこなせるはずもない。


馬を捕まえようとしては逃げられ、ようやく近づけたと思えば蹴られそうになり、挙げ句の果てには派手に転んだ。


武秀は腹を抱えて笑った。


「笑うな」


「だって、和永がそんな顔するの、初めて見た」


「誰のせいだと思っている」


「俺!」


悪びれもせずに答える武秀を、和永は恨めしそうに睨んだ。


そんなやり取りが、いつの間にか二人の日常になっていた。


またあるときは、武秀が文机を覗き込んだ。


「何を読んでいる?」


「史書だ」


「面白い?」


「面白い」


「じゃあ、教えて」


武秀は和永の腕にまとわりついた。


和永は本から顔を上げ、困ったように武秀を見た。


「……お前は城で教育を受けている。たいていのことは知っているはずだ」


「お前に教えてほしい」


武秀は、きらきらと目を輝かせた。


和永は、こういう武秀に弱かった。


結局、ため息をつきながらも、本に書かれていることを一つずつ教えてやる。


和永の知識は、武秀の想像以上だった。


必修とされる書物はすでに読み終えているらしく、内容もよく理解していた。


知識をひけらかすこともなく、尋ねれば何でも答えてくれる。


城では「秀才」と褒められる武秀だったが、和永の前では知らないことばかりだった。


それが、不思議と悔しくはなかった。


むしろ、和永の賢さが好ましかった。


城では、武秀が和永に劣るなど、あってはならないことだった。


武秀は狸の一族の次期当主であり、和永はその座から遠ざけられた少年なのだから。


周囲が二人を比べれば、武秀が優れていることを求められるだろう。


けれど、世間を知らず、城の事情にも疎い和永は、そんなことを気にしていなかった。


武秀が知らないことを知っていれば、ただ教えてくれる。


武秀が失敗すれば、呆れながらも付き合ってくれる。


そこには、次期当主としての評価も、誰かの期待もなかった。


和永のそばでは、武秀はただの武秀でいられた。


それが、何よりも嬉しかった。


「和永」


武秀は、甘えるように呼びかけた。


「何だ?」


「俺、ここ好きだな」


和永は手元の本から顔を上げた。


「……そうか」


しばらくして、本を閉じる。


「私も、お前がいると退屈しない」


むしろ楽しい、と言いかけて、和永は口をつぐんだ。


そんな和永を見て、武秀は嬉しそうに笑った。


「ずっと、こうしていられたらいいんだけどな」


武秀は、ごろりと床に転がった。


和永はその傍らに座り、武秀の頭を優しく撫でた。


武秀は目を細め、嬉しそうに和永を見上げた。


自分に兄がいたら、こんな感じだったのだろうか。


ふと、そんなことを思った。


「ここにいるときくらい、元の姿に戻ったらどうだ。疲れるだろう」


和永が、何気なく言った。


武秀は一瞬、その言葉の意味が分からなかった。


やがて、意味を理解すると、そっと目を閉じた。


「……これが元の姿だ」


女の姿に戻る方法など、とうの昔に忘れてしまった。


自分はずっと男として生きてきた。


そして、これからもそれは変わらない。


だから、和永にもそう思ってほしかった。


けれど、和永には武秀の本当の姿が見えている。


嫌なことを思い出させないでほしい。


そう思いながら、武秀は何も言わなかった。


自然体でいられる。


ここでは、何も偽らずにいられる。


そう思っていた場所でさえ、自分は姿を偽っている。


男として生きることは、自分で選んだことだ。


けれど、女として生まれた自分を、完全に捨て去ることはできない。


自分は、生まれながらの大嘘つきだ。


武秀は、自嘲気味に笑った。


*


武秀が人目を忍んで和永のもとへ通うようになってから、しばらく経った頃。


いつものように烏の姿で寺を訪れた武秀は、門前の様子がいつもと違うことに気がついた。


馬が数頭、門前につながれている。


こんな山奥の寺を訪れる者など、そう多くはない。


しかも、今日は和永のもとに客が来ているらしい。


――誰だろう。


武秀の好奇心が、むくりと頭をもたげた。


武秀はヤモリに姿を変えると、壁を伝って、そっと寺の中へ忍び込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。