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化かしあい  作者: しげ吉
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17/24

吉乃

ずっと暗闇のなかを生きてきた。


狐の一族のなかでも、最下層の者が住まう場所。


そのなかでも、馬鹿にされるような存在だった。


「私の父は大白様だ」


そう怒鳴れば、子どもたちは一斉に石を投げ、嘲笑った。


「こんなところに大白様の子がいるものか」


「嘘つき吉次」


片足を引きずり、夕暮れの村を歩く。


帰る場所などなかった。


人家や畑から食べ物を盗んでは、捕まり、手痛く打たれた。


なにも食べるものがないときは、草の根を食み、川の水を飲んだ。


――『吉次』。ずっと忘れていた、私の本当の名前。


母は、大白家の下女だった。


清史の手がつき、吉次を身ごもった。


そのことが正妻の怒りにふれ、身重のまま、屋敷から放りだされた。


親切な老夫婦に拾われ、子を産んだ。


老夫婦が死に、その親族から家を出るよう言われると、その後は、身体を売って僅かな金を稼いだ。


そして、病になり、吉次を残して死んだ。


生前、母は何度も吉次に言った。


お前は、大白清史の子であると。


大白家は、能力のあるものを尊ぶ。


化ける能力さえ磨けば、いつかきっと父がお前を迎えにきてくれるはずだと。


吉次は、いじめられながらも、日々、化ける修行をし続けた。


悔しくて、悔しくて、気が狂いそうになる日ほど、一層厳しい修行をした。


次第に、周りは、吉次の化ける能力を恐れるようになり、いじめられることもなくなっていった。


吉次が十二歳になった頃である。


大白家から呼び出しがあった。


吉次は、天にも昇る心地であった。


やはり自分は大白家の子であるのだと。


父は、自分の能力を認めてくれたのだと。


はじめて父に対面したとき、吉次は頭をあげられなかった。


父は、吉次に何も語りかけなかった。


ただ、「化けてみせよ」とのみ言った。


「……は」


「化けの上手ときいて召し出したのだ。娘に化けてみよ」


吉次は、父との冷たい対面に落胆しつつも、ふっと娘に化けた。


金色の瞳に、白い肌。輝くような白銀の髪。


父はそれをみて、一瞬驚いたような顔をした。


大白家の女の特徴を、あまりにもよく模倣していたからだ。


「大白家の屋敷に、住むがよい」


父の言葉に、吉次は、自分の長年の苦労が報われたように思った。


術を解こうとすると、それを父は止めた。


「娘のままでいよ」


「しかし……」


「家中の者にも、男であることを明かしてはならぬ。一生、娘のままでいろと言ったのだ」


そう言うと、父は、とんと扇子の先を吉次の首にあてた。


「男とばれれば、その命、ないと思え」


以来、吉乃という名を与えられ、屋敷の奥深くに隠されるように育った。


父は、初対面のとき以来、吉乃を訪ねることはなかった。


ただ、毎日、毎日、さまざまなことを学ばされた。


書、舞、琴、薬や毒の知識まで。


その内容は多岐にわたった。


外にいるときより、一層この屋敷は孤独だと吉乃は思った。


そんなとき、太陽が顔を出した。


「こんにちは」


急に現れた青年に、吉乃は怯えた。


「……誰?」


「大白長松、きみの兄だ」


「……兄上」


輝くような白銀の髪が同じである。


面差しも、自分に似ている。


しかし、いつも陰鬱とした自分の表情とは違い、兄は明るくいかにも利発そうな顔をしていた。


「まったく、父上も人が悪い。自分にこのような可愛い妹がいると教えてくれないなんて」


「……」


なぜだか、吉乃は急に泣きたくなった。


人前で泣いたことなど、ずっとなかったのに。


吉乃の目が潤んでいるのをみて、兄は、少し戸惑ってから、よしよしと頭を撫でてくれた。


それから、「寂しかったね」と言って抱きしめてくれた。


吉乃は泣いた。


それが、あまりに温かかったから。


兄は、それから父の目を盗んでは、吉乃のところへ顔を出してくれるようになった。


あるときは本を。


あるときは、飴細工を持ってきてくれた。


「…可愛い」


初めてみる、きらきらと光る飴細工に吉乃は目を輝かした。


「食べるのがもったいないです」


そういう吉乃に兄はくすくす笑って、「食べないともったいないんだよ」と言って、それを口に入れた。


吉乃も、兄を真似て、飴を口に入れる。


「……美味しいです」


また、涙が出そうになる。


「吉乃は泣き虫だなあ」


兄は、また頭を撫でてくれた。


兄に会えることだけが、吉乃の楽しみになった。


兄には、なんでも話した。


出自のこと、日々の稽古のこと、そして自分の性別の秘密までも。


兄が来ることだけを楽しみに、吉乃は稽古や勉学に励んだ。


吉乃が十六歳になったとき。


しばらく兄が来なくなった。


狸の一族と、いくつかの大きな戦があったときく。


兄は、会えば明るく温かかったが、ふとしたときに、大白家の長男としての覚悟からか、ひどく怖い顔をすることがあった。


外の兄は、どんな様子であろうかと吉乃は、兄を思った。


そんなとき、夜中にすっと戸が開いた。


「……誰?」


返事はない。


とたん、強い力で口を押さえつけられた。


見慣れぬ男だった。


わけもわからぬうちに、娘の姿のまま犯された。


男に戻ろうとしたが、何らかの方法で術を封じられたのか、元の姿に戻ることができなかった。


嗅ぎなれない香。


口に入れられた、何かの薬。


朝がきて、そこここに残る痕をみた。


胸をかきむしりたくなるほどの不快感が全身を襲う。


死にたい、と思った。


悪夢は、それで終わらなかった。


男はその後も、度々やってきた。


ときには複数人のこともあった。


なぜ自分がこんな目にあうのかわからなかった。


後になって思えば、自分は、仕込まれていたのだ。


男を籠絡する術を。


兄には、会わせる顔がないと思った。


元々は下賤の生まれ。


表で生きる兄に、自分はそもそも会ってはいけない人間なのだ。


一年程経ったであろうか。


兄が久しぶりに訪ねてきた。


吉乃は、自分でも驚くほどよそよそしく兄を迎えた。


兄は、自分のことをどれだけ知っているのだろうか。


恥ずかしい、と思った。


「吉乃……」


兄は何も言わずに吉乃を抱きしめた。


そのとき、吉乃は、兄の片腕がないことに気がついた。


「どうなされたのです!?」


吉乃は、驚いて兄に尋ねた。


先の狸の一族との戦で、片腕を失ったという。


「しばらく、うちは不利になるだろうね」


兄は言った。


「戦は好きじゃない」


「……兄上は、きっと戦場では勇猛果敢に戦われることでしょう」


私も、男として、兄の横で一緒に刀を振るえたらどんなによかっただろうか。


女のまま生きるように言われ、汚され、自分の行き先にどのような希望があろうか。


「戦うのは、当たり前だよ。僕は、大白家の長男だから」


兄はどこかあきらめたように言った。


「でも、思うときがあるんだ。こんな戦乱の世の中、おかしいって。仲良くなれれば、それが一番いいのにって」


それからまたしばらくたった頃、急に、父が吉乃のもとへ来た。


そして、「お前の嫁入り先が決まった」と告げた。


吉乃は、一瞬かたまった。


それから、ようやく「……私は、男です」と言った。


父は吉乃の言葉など意にかいさぬふうであった。


「わが一族は今までになく不利な情勢にある。狸の一族と和議を結び、その証として、お前を、嫁がせる」


「……」


「時間を稼げればそれでよい。狸の若造を誑かしてこい」


「……それで、その後は……」


「殺せ」


吉乃はぐっと唇をかんだ。


父は、捨て駒として使うために、自分を拾ったのだ。


誑かせと、父は言った。


自分を犯した男たちは、おそらく父の命により動いていたのだ。


激しい怒りがわきあがる。


今すぐ、この男を、殺してやりたいと思った。


しかし、狐の一族には、兄がいる。


ただ一人、自分に優しくしてくれた兄・長松が。


いつか兄が言っていた。


仲良くなれれば、それが一番よいと。


いま、狐の一族は不利だという。


兄は戦で片腕を失った。


自分が狸の根城に入り込めば、兄の助けになるのだろうか。


いつか、兄の隣で一緒に戦いたいと思った。


「……承知……いたしました……」


吉乃は、頭を下げた。


自分は化ける能力を買われて拾われた。


そして、利用された。


血のにじむような努力をして、手に入れたかったものは、いったいなんだったのであろうか。


兄から離れて、狸の土地へきて、武秀に会って。


明るい笑顔と、世継ぎとしての自覚が、兄に似ていると思った。


甘やかしながら、癒されていた。


化ける能力がなければ、出会わなかった。


そして、化ける能力があったゆえに、手に入らなかった。


寝屋にはもう来なくてよいと言われた。


自分は、すべてにおいて敗北したのだ。

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