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化かしあい  作者: しげ吉
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15/26

紅葉

ざわざわと人が引けていく。


太助は、まだぼうっとしていた。


その頭を、正信がぴしゃりと叩く。


「用心せぬか。この馬鹿者」


父親に怒られ、太助は小さくなった。


正信は吉乃に一礼すると、まだ説教が足りぬというように、太助を引っ張っていった。


その場には、武秀、吉乃、和永が残された。


和永は、なぜ助けられたのかわからず、吉乃を疑いの目で見た。


「これで、貸しがひとつできましたね」


吉乃はにっこりと笑って言った。


助けてやったのだから、何かに気づいていたとしても、余計なことは言うな。


そういう意味だった。


武秀は、ただ「よかった」とだけ言った。


和永は一礼し、その場を去った。


処分こそ免れたものの、人の口に戸は立てられない。


噂には尾ひれがつき、「和永が綾女と逢瀬を重ねており、それを主君から咎められた」という話になって広まった。


「まあ、よかったじゃないか、和永」


太助に肩を叩かれ、和永は、何がよいものかと思った。


綾女が書庫に忍び込んでいたことは忘れ去られ、こともあろうに、自分と綾女が恋仲だという噂が広まっている。


武秀に、吉乃のことも伝えられていない。


何より、目の前で武秀が吉乃を抱きしめた光景が、和永にはつらかった。


だが、借りは借りだ。


こんなもの、さっさと返してしまいたい。


和永はそう思った。


*


「どういうおつもりですか」


綾女は、痛めた腹をかばうようにして布団に横たわっていた。


その枕元には、吉乃がいる。


「お前を助けたのだ。下手に動くなと言ってあっただろう。反省しろ」


吉乃は男言葉で綾女を叱りつけた。


「私のためではなく、狸男の友だちのための行動に見えましたが」


吉乃は答えなかった。


「書庫で何を探っていた」


逆に、吉乃が綾女に問うた。


綾女は周囲を見渡し、自分と吉乃のほかに誰もいないことを確かめた。


それから、声を落として言った。


「死んでいるんですよ」


「死んでいる?」


「武秀が生まれてから数年のうちに、あの男の母親の実家で、大勢の人が死んでいます」


吉乃は眉をひそめた。


「いずれも事故死ですが、数年の間に、侍女や家人がすっかり入れ替わるなど、偶然でありえましょうか。死人に口なしと申します」


「……口封じか。しかし、何のために」


「さあ」


綾女は、まだ痛む腹を押さえた。


「私はしばらく動けませぬゆえ、ご自分でお確かめになればよろしいでしょう」


綾女は、今回の吉乃の振る舞いに納得がいかないようだった。


自分は狐の一族のために動いていた。


それなのに、単なる恋に走った侍女として噂を流されたことが、気に入らない。


あの女もそうだった、と綾女は思った。


和永の母は狐の一族の間者でありながら、狸の男と恋に落ち、一族を裏切ったと聞く。


そのせいで、かつては狐の一族の筆頭家であった名門藤白家は没落し、大白家にその座を奪われた。


綾女は、本来ならば主筋であるにもかかわらず、意に添わぬまま、偽りの花嫁の侍女頭にされたのだ。


ならば、家の汚名を返上しようと動いていた矢先に、こともあろうに、憎い女の息子と恋仲だと噂されることになろうとは。


「お前が、和永に呼び出されたなどと言い訳をしたのが、事の発端であろう」


恨まれる筋合いはないと、吉乃は思った。


「他に、あの場でどのような言い訳ができたというのです」


綾女は不満げに頬を膨らませた。


面倒な女が侍女頭になったものだ、と吉乃は思う。


そもそも吉乃は、女のなりをしていても、女が嫌いだった。


勝手に行動して捕まり、挙げ句に適当な言い訳をした綾女を、吉乃は苦々しく思った。


自分の周りにいる、噂好きな女たちにも嫌気がさしている。


思えば、自分には狸男を誑かすくらいの役割がちょうどよいのではないか。


吉乃はそう思った。


あれ以来、自分の評判は上がったはずだ。


少なくとも、和議のために嫁いできた者としての役割は果たしている。


二人の本当の距離がどうあれ、衆目の前で武秀に抱きしめられたことを思い出した。


ーー綾女を助け、こちらが怪しまれぬように動いたにすぎぬ。


武秀は、太助と和永が問題を起こしたのを見て、ひどく慌てていた。


従兄弟であり、幼馴染であり、従者であり……政敵にもなりうる。


だが、武秀にとって太助と和永は、何よりも大切な存在なのだろう。


以前、武秀は太助と和永のことを楽しそうに話していた。


自分が守りたかったものは、いったい何だったのだろう。


吉乃は、赤く染まった紅葉が、風に吹かれてはらはらと散っていくのを眺めていた。


「吉乃は、紅葉が好きなの」


飽かず紅葉を眺めている吉乃に、武秀が声をかけた。


「狐にとって、赤は特別な色です」


吉乃は紅葉を見たまま答えた。


「特別……?」


「そうですね。大事な人への贈り物ですとか、祝い事に用いたりですとか。そういうとき、狐は赤いものを選びます」


武秀は、幼い頃、和永が自分の髪に赤い花を挿してくれたことを思い出した。


母に奪われ、ぐちゃぐちゃに踏みつけられた赤い花。


「赤い花には、何か特別な意味があったりするの……?」


「愛する人への贈り物です」


吉乃は、ただ知識としてそのことを話した。


自分は、赤い花など特に好きではない。


ただ、燃えるように赤い紅葉には、強く心を惹かれた。


風に吹かれて頼りなく散りゆくさまに、もののあわれを感じる。


「愛する人……」


武秀は、今回の事件で、和永に流れる血の半分が狐のものであることを、改めて思い知らされた。


綾女が和永に呼び出されたと証言したとき、和永に限ってそんなことはないと、武秀は強く否定した。


それは、和永が幼い頃から、狐との混血という中傷を受けぬよう、執拗なまでに狐を嫌い、用心していたことを知っているからだ。


そう。武秀が知っているのは、それだけだった。


「……朴念仁のあいつが、そんなの知っていたわけない……か」


「あいつ、とは?」


吉乃はふと、武秀は昔、赤い花を贈られたことがあるのではないかと思った。


しかし、狸が赤を好むという話は聞いたことがない。


もし、武秀の身近な者が赤い花を贈ったのだとすれば―。


「和永殿……ですか」


「そう、和永」


武秀はあっさりと認め、遠くを見やった。


和永の名を口にするとき、武秀はときおり、懐かしく、もう手に入らないものを追うかのように、遠くを見ることがある。


そこにどのような想いがあるのか、吉乃には知る由もない。


「いいやつなんだ。真面目で、正直で……」


寺にいた頃、兄弟のように遊んだ。


兄がいれば、このようなものかと思った。


外へ出たくないという和永を城へ来るよう誘ったのは、幼い自分のわがままだった。


「大事な方なのですね」


吉乃は、少し胸がざわつくのを覚えた。


主従の情。


男同士のこと。


そう思うのに、何かが心につかえる。


「あのとき、吉乃が和永と太助を庇ってくれたこと。本当に嬉しかった」


そう言われると、まるで、自分が武秀のために表へ出たかのようだった。


違う。そうではない。


吉乃は心の内で強く否定した。


私は、侍女頭の綾女を庇ったのだ。


自分の立場が危うくならぬように。


「ねえ、吉乃……」


「はい」


風に舞い散る紅葉の一枚が、吉乃の髪を飾った。


武秀はその紅葉に手を伸ばし、言った。


「和永は、俺に、嘘をつかない」


吉乃の髪から紅葉を取り、武秀はそれをぐしゃりと握りしめた。


「ねえ、吉乃……綾女はあの書庫で、何を見つけたの」

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