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化かしあい  作者: しげ吉
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12/22

琴の音

多くの人に囲まれて育ったであろう武秀と、自分の育った環境はあまりにも違っていた。


「屋敷の奥深く?」


「はい。女は不便なものでございますね」


「化けるのが上手なんだから、鳥にでも化けて遊びに出ればよかったのに」


武秀は、自分が幼い頃、いかに城が窮屈であったか、何度、鳥に化けて城を抜け出したかを吉乃に話した。


「鳥に化けて外へ出ようなどと、考えたこともございませんでした」


吉乃は、遠い日に自分が過ごした暗い部屋を思い出した。


そこには決して鍵などかかっていなかった。


それでも、吉乃が自らそこを出ることはなかった。


「じゃあさ、今度、鳥に化けて、一緒に城を抜け出してみようよ」


あまりに無邪気な武秀の申し出に、吉乃はくすりと笑った。


「私は、外はあまり好きではないのです」


「女だから?」


「……そうかもしれません」


花嫁道中で見た荒れた田畑も、豊かに実った田畑も、いずれも吉乃の心を動かすものではなかった。


むしろ、自分の暗い過去を思い出させるようで、外の景色は嫌いだと思った。


「吉乃と行きたいところが、たくさんあったんだけどな……」


武秀が口を尖らせると、吉乃はその唇をちょんと指でつついた。


「では、いつか……」


その言葉を聞いて、武秀は嬉しそうに小指を差し出してきた。


「約束だよ」


吉乃は一瞬ぽかんとしてから、顔をほころばせた。


「はい」


差し出された小指に、自らの小指を絡める。


この男は、案外子どもっぽいところがある。


それなのに、武秀が時折見せる油断ならざる様子は、世継ぎとして厳しく育てられてきたからだろうか。


幼い頃から、上に立つ者として自分を律するよう周囲に求められ続けた。


その反動で、城から抜け出したり、吉乃に甘えたりするのかもしれない。


思えば、自分は十八歳。


武秀より三つ上の姉さん女房である。


であれば、寝屋で落とすのは後にして、今はただただ甘やかせてやればよい。


吉乃はそう思い、絡めた小指をほどくと、手を握り直した。


武秀は、自分の指に絡まる吉乃の指を見つめた。


自分の指には、長年弓を引き、剣を握ってきたため、たこの潰れた跡や無数の傷があった。


吉乃の指は白く柔らかで、傷一つない。


「女の人の指って、きれいだね……」


武秀は、ぽつりと呟いた。


昨晩も、武秀は女心がわからないと言っていた。


今日も、女だから外に出たくないのかと聞いてきた。


武秀は、女というものがよほど物珍しいのだろうか。


たくさんの人に囲まれて育ち、その中には女もいただろうに、異なことだと吉乃は思った。


「あ。でも、指の先だけ少し硬いね」


物珍しそうに吉乃の手を触っていた武秀が言った。


「それは、郷におりました折、手慰みに琴を弾いていたからでしょう」


「吉乃は琴を弾くの?」


「はい。拙いものですが……」


「じゃあさ、合奏しようよ。俺、笛吹くからさ」


吉乃の膝枕で仰向けに寝ていた武秀は、寝返りを打つと、甘えるように吉乃の腰に手を回し、顔を見上げた。


演技であっても、このように甘えられて断れる者がいるだろうか。


「では、琴を運ばせましょう」


「じゃあ、俺、笛取ってくる」


言うが早いか、武秀はうきうきとした様子で部屋を出て行った。


侍女に琴を運ばせている間、綾女は吉乃の顔をちらりと見た。


「楽しそうなお顔ですね」


吉乃は、はっとした。


「私の演技も大したものだろう」


吉乃は綾女に向かい、不敵に笑ってみせた。


綾女はその顔をまじまじと見つめてから、


「まったくです」


と答えた。


吉乃は、先ほどまで武秀とつないでいた手を、袖の中でぎゅっと握りしめた。


ほどなくして、武秀が戻ってきた。


吉乃は、武秀の笛の音を聞きながら、それに合わせて調弦をする。


「では、秋の野辺を……」


ぴいっと、澄んだ武秀の笛の音が響く。


その導入に合わせて、吉乃は琴をつま弾いた。


秋の野辺。

夏の終わりを告げる秋風。

野辺の花をば、かすかに揺する。

親の情けの撫子に、

露をいのちの夕顔の花。

過ぎ去りし夏懐かしむ。

実りの秋の、野辺やかなしき。


吉乃の声が、琴と笛の旋律に乗り、朗々と響く。


良い声だと武秀は思った。


二人の奏でる音は美しく交わり、遠く、部屋を抜け、城を抜け、空までも響くようであった。


その音は深く、心に沁みる。


どこか悲しげで、涙を誘う音であった。


「武秀が、笛を吹いておるのか」


城の一室で、武信が顔を上げた。


隣にいた千代も、風の中にかすかに混ざるその音を聞いた。


「そのようですね」


「よい音じゃ」


武信は、わずかに目を潤ませ、目尻を押さえた。


「琴は、吉乃が弾いておるのか」


「あの声は、そうかと思われますが……」


「仲良う、夫婦仲良う、してほしいものじゃ。それが、武秀を助けることにもなろう」


そう言って涙をこらえる夫を、千代は頼りなく思った。


よく言えば心優しく、悪く言えば気弱な夫であった。


最近では、いっそう弱々しくなった武信の様子に、千代は焦りを覚えた。


―なんとかせねばならぬ。殿の命あるうちに。


千代は、常より煩わしく思っていた正信の顔を思い出した。


「おっ、武秀が吹いてるぞ」


和永と肩を並べて登城した太助が、耳をぴくぴくと動かした。


犬との混血である太助は、耳がよい。


言われて、和永も耳を澄ませた。


確かに、武秀の吹く笛の音だった。


それに混ざって聞こえる琴の音。


宴の席で見た、あの狐の奏でる音であろうか。


宴の席で、花嫁に化けて武秀の隣に座っていた男。


思い出せば憎々しく思う。


それなのに、琴の音は、あのときの男とは印象が違い、どこか悲しげだった。


和永は意外に思った。

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