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化かしあい  作者: しげ吉
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11/25

犬姫

和永は、一人、太助の屋敷の客間に座していた。


先日の非礼を詫びようと、菓子を持参して太助のもとを訪ねたのだ。


二日酔いとはいえ、人の家で粗相をしたことを、和永は深く恥じていた。


太助は少し出かけているが、すぐに戻るのでここで待つよう、家人から言われた。


和永がぼんやりと掛け軸などを眺めていると、すらりと戸が開いた。


見れば、太助ではなく、女が立っている。


「犬姫様」


和永は頭を下げた。


太助の母で、犬の一族から同盟の証として嫁いできた姫である。


太くきりっとした眉と鋭い眼光は、その意志の強さを表していた。


太助から、父と母が喧嘩をすると、最終的には父が折れると聞いたことがあった。


いつもは武将然とした強面の叔父に限って、妻に頭を下げることなどあるまいと思っていた。


だが、なるほど、犬姫には有無を言わせぬ強さが感じられた。


「先日は、誠に失礼をいたしました」


義理の叔母とはいえ、和永は女が苦手である。


特に、犬姫のようなタイプとは、あまり関わり合いたくなかった。


「太助から、和永は常々、固すぎると聞いていましたが。昨日の様子、むしろ微笑ましく思いましたよ」


和永は、言われてわずかに赤面した。


自分のした粗相が、いっそう悔やまれる。


「誠に、その節は……」


「義理とはいえ、叔母と甥の仲で、そのようにかしこまる必要はあるまい。なに、私も少し、そなたと話がしたいと思っておったのじゃ」


犬姫は、和永と向かい合うように座った。


「賢そうな顔をしておる。また、誠に美しい青年じゃ。女どもが放っておくまい」


「そのような」


「いやいや、正信殿も、和永殿のことをよく褒めておいでですよ」


「叔父上には、寺におりました頃から目をかけていただき、ありがたく思っております」


和永は、早く太助に帰ってきてほしいと思った。


和永は世間話が苦手である。


特に、女を相手にした世間話は。


「ときに、和永殿。最近の情勢を、どのようにお思いか」


「情勢、と申しますと」


思いがけず犬姫から政の話を振られ、和永は身構えた。


「狐の一族との和議・婚礼にて、ひとまずは落ち着いているかと思います」


「正信殿は、そのようには思っておりません」


切り込むように、犬姫が言った。


「現当主の武信殿は、病にかかっているのではないかと、正信殿は見ておる」


それは、和永も疑っていたところであった。


最近は、武信に代わって武秀が政の場に出ることが多い。


武信を見かけても、どこか面やつれしているように見えた。


「もし、武信殿に何かあったら……」


犬姫は、そこで言葉を切った。


「どうなると思います?」


犬姫の強い目が、しかと和永を見据える。


「……何も」


「何も?」


「武秀様がおられます」


「だが、まだ十五じゃ」


犬姫の言葉に、和永は口をつぐんだ。


十五。


確かに、当主となるには少し若すぎる。


「叔父上は、武秀様を案じておられるのでしょうか」


「そなたには、どう見える?」


問い返され、和永は考えた。


正信は、武秀の若さを口にすることがある。


武信が病に伏していると知れば、なおさら心配するだろう。


だが、その心配は、単に武秀を支えたいという意味なのか。


それとも――。


和永の脳裏に、父・和信の姿が浮かんだ。


過去のお家騒動で、正信は兄である和信に味方したという。


和信は、今は出家し、都から離れた寺にいる。


もし武信が倒れれば、正信が和信を還俗させようと考えても、不思議ではない。


そして、父である和信が当主となれば。


その後を継ぐのは、自分だ。


和永は、そこで思考を止めた。


「……私には、わかりません」


和永は、犬姫の強い視線から逃れるように顔を背けた。


「本当に?」


「はい」


「そなた自身が、いずれ当主になるかもしれない、とは考えぬか」


その言葉に、和永は顔を上げた。


「私は、そのようなことを望んでおりません」


和永は、はっきりと答えた。


「武秀様は、文武に秀でておられます。若いとはいえ、ご立派な当主となられましょう」


「では、そなたは?」


「私は、武秀様を支えたいと思い、城に上がりました」


和永の言葉に迷いはない。


「それは、今も変わりません」


犬姫は、しばらく何も言わなかった。


やがて、ふっと目を細める。


「そうですか」


それだけだった。


だが、和永には、その短い言葉の奥で、何かを探られたような気がした。


「犬姫様は、何をお考えなのでしょうか」


和永は尋ねた。


犬姫は、口元を袖で隠した。


「何も。ただ、家中で何かが起きたとき、誰が何を思うのか。それを知っておきたかったのじゃ」


犬姫の意図はどこにあるのだろうと、和永は思った。


裏表がなく、竹を割ったような性格の、あの太助の母にしては、何やら不気味な印象を受ける。


「太助は、どのように?」


「太助は、馬鹿なところが可愛いのじゃ」


噂をすれば、入口の方から、どたばたと大きな音が聞こえてきた。


大きな声も聞こえる。


太助が帰ってきたらしかった。


「待たせたな、和永」


がらりと大きな音を立てて、太助が入ってきた。


室内がぱっと明るくなったようだった。


「あれ、母上もこちらでしたか」


「少し、和永殿と話がしたくて参ったのじゃ」


「どのような話ですか?」


「難しいお話です」


それを聞いて、太助は、うげっ、と嫌そうな顔をした。


その顔に、犬姫はくすりと笑った。


先ほどまでとは違う、優しげな母の顔である。


「では、私はこれで」


軽く頭を下げると、犬姫は部屋を出ていった。


「珍しいな。母上が顔を出すなんて」


太助は不思議そうな顔をした。


が、目線の先に和永の持ってきた菓子折りを見つけると、ぱっと顔を輝かせた。


「それ、俺の好きな塩饅頭じゃないか!」


「ああ、先日は、その、悪かった」


「気にすんなって!」


太助は、和永が差し出すより早く、菓子折りをびりびりと開け始めた。


和永は、そんな太助の様子をいつものことと思いながらも、先ほどの犬姫との話が気にかかった。


「やっぱこれ、美味しいなあ」


太助は、さっそく両手に菓子を持って頬張っている。


「武秀も好きなんだよな。食わせてやりたいな」


その言葉に、和永は安堵した。


太助は変わらない。そう思った。


「俺がこの前言ってやったから、今頃はさすがに嫁とよろしくやっているだろう」


しばらくは会えないかもな、と太助は言った。


しばらくとは、どれくらいだろうかと和永は思った。


自分はまだ、何をどう伝えるべきか考えあぐねている。


その間にも、何か悪いことが起きるのではないか。


和永は、先ほどの犬姫との会話を不吉に思った。


*


その日は政務も少なく、武秀は早々に部屋に下がった。


吉乃のところへ行こうとも思ったが、昨晩のことがあり、少し行くのをためらわれた。


そこへ、侍女がやってくる。


「吉乃様が、殿にお渡ししたいものがあるそうです」


断るのも悪いだろうと思い、武秀は吉乃のもとへ向かった。


吉乃は、特に変わった様子もなかった。


昨晩のことに触れることもない。


ありがたいと、武秀は思った。


「渡したいものって何?」


「珍しい菓子など、ご賞味いただこうかと思いまして。殿は甘いものがお好きとうかがったので」


そう言うと、吉乃は朱塗りの器を差し出した。


中には、さまざまな動物の形をした小さな飴細工が入っていた。


「へえ、可愛いね」


「狐の一族には、飴細工を作る腕の良い職人がおります。今日は特別に取り寄せました」


「そっか」


昨日、自分が弱っていたのを気遣っての差し入れであろうか。


だが、武秀は素直にそれを受け取ることができない。


「毒なんか、入っていたりして」


武秀は、吉乃の方をちらりと見た。


しかし、吉乃は「まさか」と笑っただけだった。


そして、飴細工の一つを取ると、自ら口に入れてみせた。


かちり、と口の中で飴細工の割れる音がする。


その様子をしばらく見てから、武秀も飴細工を口に入れた。


飴は、思ったよりも甘く、美味しかった。


「美味しい」


「そうでございましょう」


吉乃は嬉しそうに言った。


「私も、この飴細工が昔から好きでした」


「そうなんだ」


武秀は、口の中で割れた飴細工を転がしながら言った。


「そういう話、もっと聞きたいな」


「そういう、とは……」


「吉乃の昔話。もっと、吉乃のことが知りたい」


武秀は、ころんと吉乃の心の中に転がり込んでくる。


吉乃は身構えた。


引きずり込まれることなく手懐けるのは、なかなか骨が折れそうだと思った。


吉乃は、自らの膝をぽんぽんと叩いた。


武秀は、その意味がわかると、嬉しそうにその膝に頭を乗せて横になった。


「私も、殿のお話が聞きとうございます」


吉乃は、上からのぞき込むようにして武秀に言った。


武秀は、光を受けて輝く吉乃の白銀色の髪がきれいだと思った。


その髪の先を自分の指に絡ませながら、武秀は尋ねた。


「吉乃はさ、小さい頃、どんな子だったの」


吉乃は一瞬黙ってから、言った。


「屋敷の奥深くにおりましたので。これといって楽しいお話はございません」

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