余話 魁国史后妃伝
父帝の弑逆と内乱の最中に幼くして即位した赫太子は、長じて南伐を成功させた。昊の領土を得て中原を統一した大帝国の名を、彼は泰と革めた。その大いなる功績をもって、彼は武帝の諡号を贈られた。実のところ、彼の統治は武に偏るものではなく、内政や法の整備にも注力していたのだが。
平和と安寧を願ったであろう国号は、少なくとも武帝とその異母弟が手を携えて統治に当たった間は実現した。彼らの子孫は、代を経るにつれて争い対立し、帝国は徐々に分裂していく。
泰から分かれた国は、様々な由来を主張して様々な国号を名乗ったが、その中に魁という名の国はなかった。また、魁に独特であった皇太子の生母に死を賜る法を継承した国も、ない。
その理由は、主にふたつ考えられる。
泰という大帝国の栄光があまりに輝かしく鮮烈であったため、後世の支配者たちはもっぱらその威光を借りようとしたのだろう、というのがひとつ。
そしてもうひとつは、たったひとりの女によって滅亡に瀕した魁に倣うのは、あまりに不吉だと思われたからだろう、というものだ。
たったひとりの女──隠帝が国を傾けてまで愛した、壊后薛氏。
魁国史の后妃伝はこう語る。
壊后薛氏、名を翠薇。夭折した皇太子丹の生母の薛貴人の妹。太子煌を産む。
容色艶麗にして婉媚、しかしてその性は奸にして邪。大いに隠帝の寵幸を得る。
姉の賜死を恨んで後宮を乱し数多の妃嬪を陥れ魁を滅ぼさんとす。
隠帝の南伐に際しては監国太子を傀儡とし、ついに慕容家に叛かれ隠帝と共に弑される。
生母殺しの祖法について言及したこと、女性の心情を、それも嫉妬や愛慕以外のそれを記述したこと、いずれも魁の国史においては極めて異例のことである。
これについては、武帝が祖法を廃止したいがためにその弊害を誇張させたのだろう、という解釈がある。自身もこの奇習によって母を殺された帝王は、二度とその轍を踏ませぬために父の寵妃に悪評を押し付けたのだ、と。
事実、武帝の後継者の生母は天寿を全うしたし、薛氏の子であり腹違いの弟にあたる煌を生涯に渡って重用したのは罪の意識の表れではないかとも言われる。
とはいえ、父帝が弑された時の武帝はわずか十歳ていどの少年だった。国史以外の書簡に見える彼女の悪評からしても、後宮を乱したという薛氏の逸話は事実であった可能性が高い。ならばその動機も事実と想定するのもさほど飛躍してはいないだろう。
武帝は魁の皇帝として即位したが、一般には泰の初代皇帝として想起される。ということは、隠帝こそが魁の最後の皇帝であり、薛氏は最後の皇后であったとも言える。
恨みを糧に、美貌を頼りに皇帝の寵愛をつかみ取り、宿願を果たして燃え尽きた──史書に奸邪と断じられたその女の生涯は、まことに数奇なものであったと言えるだろう。
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