2.天竜、翼竜、応竜
すべての竜房の掃除が終わるころには、太陽は真上に上り、爽やかな風が竜舎を通り抜け、朝の散歩から帰ってきた竜たちが朝陽の合図を待っていた。
干し草を乗せていた手押し車を定位置に戻し、催促の声に返事をしながら朝陽は素早く各竜に合わせたメニューの餌を補充していく。
パキラ魔法学校の竜舎では主に肉、魚、野菜をそれぞれの竜に与えているが、大抵の竜は太陽光や空中を漂う魔力、大地からのエネルギーを吸収して活動できるため、餌は最低限の栄養補給と食事という楽しみのために用意されていた。
食事を楽しむタイプの竜たちは朝陽の準備が終わるのを今か今かと待ち構えているが、食への興味が薄い竜たちはいまも放牧地でのんびりと日向ぼっこをしていたり、湖で泳いでいたりしている。
「いいよー」
最後の竜房に肉の塊をセットした朝陽が声を掛ければ、竜舎の前で待機していた竜たちがそれぞれの竜房へ飛び込んでいった。それぞれの豪快な咀嚼の音が響き、人によっては恐ろしいうめき声も聞こえてくるが、すっかり慣れてしまった朝陽は嵌めていた手袋を外し意気揚々と放牧地へ移動した。
「アーバーン!」
腹の底から声を張ると、そう遠くない場所に積み上げられた牧草の影から小さな竜が現れ、朝陽の肩へ軽やかに着地する。
蛇のように長い体に、小さな翼が三対もある不思議な見た目の竜は、五年ほど前に竜舎で生まれたウロボロウルスと呼ばれる竜だ。
竜の分類はその危険性ゆえ明確に解明されているわけではないが、大雑把に翼をもたない無翼属と翼をもつ有翼属の大きく二つに分けられる。
無翼属の竜は蛇を彷彿とさせる細長い体に、細い肢、胴体から続く長い尻尾が特徴で、長いヒゲを持つ種族が多い。生物としての「竜」と「無翼属の竜」を区別するために、無翼属の竜は総じて「天竜」と呼ばれている。
一方有翼属の竜は、その名の通り翼があることが最大の特徴といってもいい。翼を使うために発達した体は筋肉質かつ肉厚で、骨と皮と揶揄される無翼属に対して手足が発達している種族が多い。天竜と同じように、竜の中でも「翼竜」と呼ばれているのが有翼属の竜だ。
そんな中、天竜と翼竜の特徴を併せ持つ珍しい竜もいる。
朝陽が特に可愛がっているウロボロウルスのアーバンは、天竜の姿に翼竜の翼をもつ不思議な竜だ。
有翼属に属するものの、翼竜のような頑強な肉体は持たず、しかし天竜の多くが持つヒゲもない。翼も一般的な皮膜がむき出しの状態ではなく、柔らかい羽根に覆われている。
世界的にも珍しいこの竜は、「応竜」と呼ばれていた。
三対の肢と翼をもつアーバンは、等間隔で生える肢と翼を畳んで体に張り付け、朝陽の肩の上で器用にとぐろを巻いている。そんなアーバンの顔を撫でて、朝陽は竜舎のすぐ近くにある畑へ向かった。
ハロウィーン用のカボチャの苗が植えられた畑では、魔法をかけられたカカシが水やりや雑草処理などの畑作業を黙々とこなしている。畑で動く複数の人影の中に、いびつに腰の曲がった背中を見つけ、朝陽は苗を踏まないように注意しつつ畑の中を進んだ。
「給餌まで終わったよ」
カカシに紛れて畑仕事に精を出しているのは、朝陽の上司である日暮だ。
十三歳の時からパキラ魔法学校の牧場で働き始め、十五の時から竜舎係を勤めて五十余年の大ベテランで、腰は曲がっているものの、これは加齢によるものではなく二十代の時の事故で負った怪我の後遺症だという。
日暮よりも長く竜舎に勤める同僚がいないため真相は分からないが、腰を曲げた大けが以外にも、日暮の体には頭からつま先まで様々な傷跡が残っているという。
アーバンと戯れながらやってくる朝陽に目を細め、日暮は「またそうやって甘やかす。竜に愛着をもつなと言っているだろう」と苦言を呈す。
「だって、アーバンの親みたいなものだし」
「はぁ。竜の刷り込みは面倒だな」
やれやれと頭を振りながら、日暮はエプロンのポケットから折りたたまれたメモを取り出した。
「午後は七年生の魔法生物学で樹木竜を観察するそうだ」
渡されたメモには、授業内容の変更の旨が記載されていた。
「火炎竜じゃなくて?」
樹木竜も火炎竜も、竜の正式名称ではない。ただ大きな特性でくくった時にそう呼ばれる。
樹木にまつわる魔法を使ったり、樹木自体を体表から伸ばしたりする竜は樹木竜。苛烈な炎を吐き、全身に炎を纏うような竜は火炎竜。ざっくりだがその性質を十分に表現している。
火炎竜は獰猛な種類が多く、牧場関連の仕事の中でも特に過酷だと呼ばれる「竜使い」の死亡事故を最も起こしている種でもある。
ちなみに、朝陽は竜使いと同じ危険生物管理部に所属するが、竜使いのように竜を調教したり騎乗したり暴れる竜を制圧したりといった、竜と直接やり取りするような仕事はしない。竜舎係はあくまで竜舎の管理を任されただけの下っ端だ。それも、気性の穏やかな竜だけを収容した一号舎の担当だ。
当然、一号舎には火炎竜がいないため、七年生の実習では西の森の奥にある二号舎から火炎竜が連れ出される予定だったはずだ。
急な予定の変更に小首を傾げていると、日暮が腰を叩きながら顔を上げる。
「生物学の教師が体調不良で欠席なんだとさ。だが、竜を間近で見るこの実習を延期するほどスケジュールに余裕がないらしい」
「樹木竜と火炎竜じゃ、全然性質が違うと思うけど」
「そう伝えたが、生徒の強い要望もあって、とにかく竜を見せてくれってことだ」
「そう。じゃあ、ビノとか連れていくの?」
生徒の前に竜を連れていくのであれば、放牧中の竜を呼び戻さなければならない。樹木竜の中でも特に社交的かつおとなしい竜の名前を挙げれば、すでに竜は決まっていると日暮が首を振る。
「向こうはハイペリオニスを希望している」
「え? ワグナーを?」
出てきた竜種に、朝陽は顔をしかめる。
樹木竜は草木にまつわる力を持つためか巨大な種類が多い。その中でも最大クラスの巨体を誇るのが、ハイペリオニスと呼ばれる樹木竜だ。記録されている中で世界最大のハイペリオニスは、百年ほど前にキザザー山脈で確認された二七十メートル強の個体だという。
巨大だが温厚で、知能も高く、長く生きた竜ならば人語も操る。
危険魔法生物を専門に扱い、竜使いでもある教師がいない中で、安全とインパクトの両方を兼ね備えるハイペリオニスが選ばれるのは納得できる。
しかし学校側は一つ重大な事実を忘れているのだ。
ハイペリオニスは賢いゆえに、飼育下では精神的に弱ってしまう傾向が強い。
一号舎にいるハイペリオニスのワグナーことワグナネルは、近くの森で瀕死だったところを前代の校長に保護され、以来パキラ魔法学校の竜舎で暮らしている。危険生物管理部の中では偏屈な爺、と呼ばれている通り、非常に気難しく気分屋で扱いずらい竜なのだ。
生徒を傷つけるようなことは決してしないが、見た目も性格(というか精神)も全盛期の見る影もない状態なので、竜にまつわる実習という貴重な機会に胸を躍らせる生徒を落胆にさせることが目に見える。
朝陽の胸の内を察してか日暮も肩を落とすが、学校側の要望ならば断わることはできないと、了承したという。
「じゃあ、ルコンを呼んでくるね」
「いや、ハイペリオニスはお前が連れていけ」
「ええ?」
「ルコンは先日負傷したサラマンダーの治療で手が空かない」
「じゃあ、ドロシー先輩は?」
「彼女は長期休暇中だ」
「いやいや。だって私、竜使いじゃないからね。ただの竜舎係だから」
一号舎の竜を担当する竜使いの面々が呼べないからといって、お世話係でしかない竜舎係に竜を連れて歩くという大役は危険すぎる。
「アーバンを連れまわして何を言う?」
「アーバンは特別でしょ。たまたま私の手の中で孵化しちゃって、私の顔が刷り込まれちゃったんだから」
怪訝な表情を見せる日暮に、あれは事故だったのだ、と朝陽は弁明する。
幼鳥のように、生まれて最初に見た顔を親と認識する刷り込みは、竜の中でも多くみられる。ウロボロウルスがそのタイプだったことはアーバンの件で発覚した新事実だったが、一度刷り込まれてしまった顔を、竜が忘れることはない。
五年前、朝陽がまだ竜舎係に配属される前のことだ。人事部の人に連れられ、同期たちと各現場の見学をしていた最中、一号舎で保護されていた卵が巣から落ちそうになったところを朝陽が受け止めた瞬間に孵化してしまったのだ。生まれてきたアーバンは巣の傍でうたた寝をしていた親代わりの竜の顔を見る前に、朝陽の顔をしっかりと見てしまい、すっかり懐いてしまった。その結果、所属先の希望を確認されることすらなく、強制的に竜舎係へ配属されたのだった。
「ここで働くことにいまさら不満はないけど。でも生徒の前に竜を連れていくとか、そういうのは無理!」
竜使いの代わりになど到底なれない。そう主張する朝陽を前に、日暮は組んだ腕の上で指をトントンと揺らした。
「まぁ、そう言うだろうと思って、授業は俺がやる。お前は補佐としてついてこい」




