1.魔法学校の片隅
のんびり気ままに更新します。
鶏のけたたましい雄叫びが耳元で響き、朝陽は目覚めた。
寝返りを打って枕元へ視線を向ければ、鶏のケイが首を小刻みに揺らして朝陽を覗き込んでいた。もし二度寝でもしようものなら、再び天に向かって叫びに近い鳴き声を響かせようと目を光らせているのが分かる。
耳鳴りを起こすほどの雄叫びを何度も繰り返されるのはたまったものではないと、朝陽はゆっくりと起き上がり、身支度を始めた。
「もう朝かぁ」
大きな欠伸をしながらベッドフレームに引っ掛けてあった制服に腕を通し、寝ぐせだらけの髪に無理やり櫛を通して一本の三つ編みに結う。
ベッドの上で朝陽の監視をしていたケイは、彼女がブーツを履きエプロンを手に取った辺りでベッドから飛び降り、足取り軽く部屋を出ていった。
体内時計がどんな生物よりも正確なケイは、パキラ魔法学校の校庭の隅に広がる牧場の従業員を一人ずつ時間になったら起こす使命を与えられている。その腕前はたしかで、ケイが任務に就いてから寝坊で遅刻してくる従業員は一人もいないと言われていた。もちろん、体調不良などの例外はあるものの、ケイの正確な仕事ぶりには魔法学校の長――ターロイシン校長も手放しに褒めたたえるほどだ。
次の仕事場へ意気揚々と向かっていったケイの美しい尾羽を見送り、朝陽は小さな姿見の前に立った。
わずかに歪んでいる鏡には、黒字のワンピースにいかにも作業用と言わんばかりの茶色のブーツを履いた少女が映り込む。陽光にあたると青っぽく艶の出る黒髪は編んでいても腰よりも長く、朝陽の動きに合わせてゆらりゆらりと揺れる。
鏡の前で一回転してワンピースに異常がないか確認し、ゴトゴトと足音を立てて姿見の近くに寄る。
靴底と足先に鉄板が仕込まれたブーツは、重たいうえに物々しい音を響かせるが、安全には変えられない。
跳ねる前髪を梳かしてそれっぽく流し、朝陽は腕に掛けてあったエプロンを身に着けた。
大きなポケットが一つ、胸ポケットを含む小さなポケットが三つついているエプロンは、魔法学校の構内や寮で働くメイドたちのリネンのエプロンとは違い、分厚いキャンバス生地で仕立てられている。
ポケットに机に並べられていた(というよりも、昨晩ポケットから取り出してそのまま放置された状態の)小道具を定位置へ入れていき、朝陽の準備は完了だ。
最後にもう一度欠伸を零し、朝陽は小さな自室を出た。
広大な敷地を誇るパキラ魔法学校では、北側に校舎や実習室、実験室、温室や飼育小屋など主要な施設が集中し、学生寮は敷地の西側と南側に、農場や牧場は南東に広がっている。
校舎の整備を担う用務員やメイド達、厨房係などは校舎のすぐ横にある社員寮を使うが、朝陽のように校舎から離れたエリアで働く労働者たちは、学生寮の南棟から少し離れた農地の片隅に立つ、古い木造の社員寮で生活していた。
朝陽が廊下に出ると、彼女と同じようにそれぞれの労働先の制服を身にまとった従業員たちが数人階段へふらふらと歩いているところだった。
「おはよう~」
いつもと変わらない顔ぶれに挨拶をすれば、それぞれからいつもと変わらない返事が返ってくる。
そしてとくに会話をするでもなく一階の食堂で朝食を済ませ、一人、また一人と席を立った。
朝陽も手早く食事を済ませると、早足で寮を出た。
「じゃ、いってくるね」
寮の入口には鶏のケイの小屋があり、朝の一仕事を終えたケイが小屋の屋根で続々出勤していく従業員たちを見送っていた。
そんなケイに手を振り、朝陽は寮の前で停車している馬車に飛び乗る。毎日の面子が揃えば馬車は出発し、それぞれの職場に乗客を降ろしていく。その中で一番最後に馬車を降りるのが、朝陽である。
「それじゃ、今日もがんばれよ」
馬車の御者をつとめる老齢の男に手を振って応え、朝陽は目の前に続く道を歩き出した。
この頃には遠くの山々の向こうから日が顔を出し、朝露に濡れた森や畑や草原を照らしている。光を浴びてキラキラと輝く下草でブーツを濡らしながら、朝陽が向かう先には巨大な畜舎が聳え立っていた。
鉄骨と木を合わせて建てられたこの頑丈な畜舎は、パキラ魔法学校の中でも特に大きな施設の一つといえる。一号舎と呼ばれるこの畜舎のほかにも、決められた人しか立ち入れない畜舎が西の森の奥地や、北の山奥などにもある。
朝陽は畜舎の脇にある作業場に陳列された作業用ベルトを一つ取り、腰に巻いて意気揚々と畜舎に顔を出した。
「おはよう、みんな。今日も元気に掃除していくよー」
入口からすぐは広く空間がとられ、一角には新鮮な干し草が文字通り山積みになっている。
少し入れば個室が並び、扉のほとんどは完全に閉じられていた。中には扉の上部――ハーフドアが開け放たれ、個室の中が覗けるようになっていたが、そういう部屋は空であることが多い。
一番手前のハーフドアを開けば、朝日が差し込んでも薄暗い部屋の奥からゆらりと影が動く。
「ルーツおはよう。今日は寝れたかな?」
開かれた扉から顔を出したのは、全長十メートルはくだらない竜だった。この品種特有の凹凸の少ないつるりとした顔に眠気を浮かべ、朝陽の問いにへ、と吐息を返す。美しい空色の鱗は、寝起きだからか薄墨のように黒く変色しているが、しばらくすれば元の色に戻るのだから、不思議だ。
「ゆっくりでいいよ、皆を起こしてから、掃除始めるからね」
そう言って、朝陽は次の部屋の扉を開ける。
「さあ朝だよー」
朝陽が勤務するのは、竜舎と呼ばれる竜の畜舎だ。その名の通り竜を飼育する施設で、竜舎の管理と竜のお世話をする「竜舎係」が朝陽の仕事だ。
朝陽は次々と扉を開けて個室――竜房を覗き込んでそれぞれの顔を確認し、声を掛けていく。
牧場で飼育される家畜や魔法生物の中でも特に危険性の高い生物に分類される竜なので、この仕事について間もないころは、この中のどれかに頭から食べられてこの生を終えてしまうだろうと覚悟したものだ。しかし、蓋を開けてみれば一号竜舎にいる竜の多くは長い年月の中で飼い慣らされ人慣れし、ここで誕生した竜も少なくなく、ほとんど事故が起こることはない。あるとしても機嫌の悪い竜に叩かれるか、炎や氷で火傷したり凍傷を負うか、竜の棘や鱗で手を切ったりするくらいだ。
それでも運が悪ければ全治数か月の重傷を負うこともあるため、細心の注意は必要だ。なんなら、この職に就く際、朝陽は問答無用で死亡保険に加入させられた。
幸い、今日まで大きな怪我もなく過ごしているが、寮で顔を合わせる面々には心配ばかりされている。
すべての竜房のハーフドアを開き、顔色を見る限り具合の悪そうな竜がいないことを確認した朝陽は、夜間は閉じられている大きな扉をゆっくりと開き、竜たちに向かって「いいよー」と声を掛けた。
すると各竜房から大小様々、色とりどり、形も色々な竜がゆっくりと外へ出て、校長によって結界を張り巡らされた竜専用の放牧地へ飛んでいった。
外へ出かけていった竜を見送り、竜舎の隅にあるロッカーから掃除用具を取り出して地面に立てると、箒や塵取りが勝手に動き出して通路にこぼれた藁や餌の残りをきれいに掃除し始める。
その間に朝陽は手前の竜房に入り、房の奥に設置された魔法陣の前でしゃがみ込む。
竜舎の片隅や各竜房の床に刻まれているのは、転送魔法の魔法陣だ。陣の上に汚れた藁や糞などを集めると、学校の敷地内にある廃棄場へ転送される仕組みになっている。
手のひらサイズの魔法陣の上に収まる分しか転送されないため、人や竜が転送されることは早々ないが、それでも魔法陣の誤作動を防ぐため、使わないときは魔力を消す竜石でできた格子がかけられているので、朝陽は鍵を使って格子を外して魔法陣を起動させた。
「さ、片づけますか」
そうして魔法陣と掃除用具を使い分け、朝陽は意気揚々と竜房を掃除し始めた。




