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9 伯爵家と長い一日

 金獅子の皆がいる。今は対人戦闘中だ。俺はいつも通り麻酔弾で援護射撃をする。だが睡眠耐性のタリスマンでも持っているのかそのうちの一人が皆に向かって駆けていく。

 俺は風の如く駆けた。手にはいつもの銃槍。それを振り被る。音もなく、首を刎ねる。

 どすんと思った以上に重い音を立てて落ちる首。その首が俺を見て言う。

「お前が殺した!」

「お前が殺した!」

「お前が殺した!」

 俺は体を背ける。ぬるりとした手の感触に違和感を覚える。

 いつの間にかパワードスーツは脱げている。両手には、べっとりと付いた赤い血。

 俺が……、殺した…………?

「…………っ⁉」

 俺はベッドから飛び起きる。まだ朝日が昇るには早い時間だ。魔道具があるので軽めに精神安定をかけて俺は立ち上がる。

 場所は自宅の自室。一階に降りてキッチンの水道栓を開け、なんとなく手を洗う。

 冷たい。

 自室前のゲートはカーマンベルグの宿に繋がっている。その先には今日の宿番であるリューグが寝ているはずだ。

 今日は領主のアーベルヌ辺境伯と会う予定になっている。もともとラッシュさんだけで向かう予定だったが、昨日ギルド伝手に辺境伯邸に先触を出したところ、金獅子のメンバー全員で是非にとの御達しが来た。なので気は進まないが、俺も準備をしなければならない。

 とりあえずあの日以降、夜は眠れず昼に眠くなる事態が続いているので、不眠の魔術をかけて夜まで耐える所存である。

 二階に戻ると、ラッシュさんが部屋から出てくるところだった。

「おはよう。やはり眠れてないのか」

「寝てますよ。トイレに起きただけです」

 そう言って俺は自室の扉を開ける。何か言いたげなラッシュさんを無視して俺は後ろ手に扉を閉めた。再びベッドに潜り込み、シーツを深くかぶって丸まる。

 そのまま朝が来るのを待って、素知らぬ顔で朝食の席に顔を出す。今日のメニューは黒パンとミルクスープ。アーベルヌ辺境伯領は酪農が盛んなだけあってこの辺一帯の街では新鮮なミルクが手に入るため、ミルクスープはこのあたりの街の名物だ。

「伯爵家にはいつ頃行くの?」

「あと一時間後くらいだ。伯爵様が迎えを寄こしてくれるんだと」

 黒パンを齧りながらラッシュさんが時計を見る。見た目は普通の懐中時計だが、魔道具である。細かいところは気にしないが依頼人との待ち合わせ時間など仕事に関することはきっちりと気にするタイプのラッシュさんが「金も溜まってきたことだし」と王都で購入したものである。完全に魔術だけの魔道具なら俺が作るところなのだが、この世界の時計は半機械半魔道具であるため俺には再現不可能である。

歯車の組み合わせとか内部構造とか無理。分かんない。

ちなみに時計は全て職人の手作りになり、素敵なお値段がする。その辺の魔道具よりも高い。持ち運び可能な小型のものともなれば猶更。

懐中時計を見たガラの悪そうな冒険者らしき連中が剣呑な目をするが、ラッシュさんに鋭く一瞬だけ視線を返されて委縮したようにそっぽを向いた。

ラッシュさんはこの世界基準で考えて相当に強い。普段は優しく頼れる兄貴分だが、その視線から放たれる殺気はそれ相応のものである。簡単に言えば、そこら辺の冒険者じゃ太刀打ちできないのだ。なお実力が測れない愚か者はラッシュさんの不沈艦の如き耐久力と防御に特化した体捌き、おまけに状態異常系への防衛魔術を付与した俺作の魔道具の前に複数人で囲んでも勝つことができず、体力切れで無傷のまま街の警邏隊に捕縛される。その後は罰金と強制労働のオマケつき。前科があれば下手すれば奴隷落ちだ。

既に王都で時計を購入してから十数名が牢屋送りである。そんな状況になっても時計の普段使いをしているラッシュさんもラッシュさんだが、そこは流石細かいことは気にしない男と言ったところ。なお俺たちパーティーメンバーを襲っても無駄である。ラッシュさんと行動を共にしている時点で理由は言わずもがな。

また牢屋送りが増える流れかなと思ったが、今日は様子が違うようである。

俺の視界にはこの安めの宿屋には合わない格好をした人物がいる。その人物は宿屋のカウンターで二言三言話すと、こちらに視線を向けた。その佇まいや格好はなんとなくセバスチャンと呼びたくなる。

その人物が足音もなくラッシュさんの後ろに立つ。

「金獅子の皆さまですね。お迎えに上がりました」

 その言葉に後ろを向いていたラッシュさんが肩を跳ねさせる。殺気や害意がないとはいえ、ラッシュさんを驚かせるとはたいした人だ。ちなみにラッシュさんの時計を見て目をぎらつかせていた不良はこの人物を見て完全に委縮している。

「申し遅れました。私、アルベーヌ伯爵家で執事をさせていただいております、アンドレと申します。以後お見知りおきを」

 アンドレと名乗ったこの人物の見た目は三十代後半といったところ。執事と言っているが改めて見た彼のイメージは戦闘者のそれだ。俺たちのような相手の窓口と言ったところか。

「お迎えありがとうございます。私が冒険者パーティー金獅子のリーダー、ラッシュです」

 ラッシュさんは立ち上がり、礼をとる。

「はは、私に丁寧な言葉遣いは不要ですよ。さ、馬車の用意が出来ております故」

 アンドレさんに促されて俺たちは宿を出る。宿の前にはそこそこ豪華な馬車が二台止まっていた。

「乗せて頂けるのですか?」とイリスさんがわくわくしている。

「ええ。皆様のために用意いたしましたので」

 再度アンドレさんに促され、馬車に乗る。割り当ては男女にしたいところだったが、生憎と男女比は二対一。馬車はゆったりサイズなので四人でも乗れるが、ラッシュさんとアンドレさんの体格が良いのでちょっと狭い。アンドレさんが自分は御者席に回ると言ったがラッシュさんが二三確認したいことがあるそうなので同乗の運びとなる。その結果どうなるかと言うと、最近調子が悪い扱いされている俺が医療担当のイリスさんと同乗と言うことになった。なので一台目にアンドレさん、ラッシュさん、リューグ。二台目に俺、イリスさん、ミアとなる。

 お屋敷までは馬車で二十分くらいらしい。石畳を走る馬車はどうも魔道具らしく、振動と騒音を抑える仕組みが搭載されているようで、想像していた馬車よりはかなり快適である。イリスさんはやはり魔術や魔道具に目がないらしく俺の体調を二割ほど気にしながら八割馬車への興味が勝っている。ミアはミアで慣れない馬車。獣人の鋭敏な感覚が微かな振動を拾って若干ビクビクしている。

 そんな二人を見ながら、俺は流れていく景色を楽しんでいた。今まで街で景観を楽しむという発想がなかったため気づかなかったが、見慣れたロアの街と比べて屋根の傾斜がついていて面白い。多分雪が降るのだろう。またどの家屋にも煙突がついており、この地方の冬の寒さの厳しさが想像できる。王都などで見た空調の魔道具では性能が足りないのかもしれない。

 そんなことを考えながら馬車に揺られていると、不意に眠気が襲ってくる。俺は欠伸を噛み殺しながら魔術をかけようとする。だがそれは正面のイリスさんと、いつの間にか隣に移動していたミアに止められる。

「シグルド、今、何をしようとしてました?」

「無茶、駄目。絶対」

「ウェイクアップの魔術をかけようとしただけですよ。あとミア、しゃべり方がリューグみたいになってます」

「魔術の使用はリーダーに止められてますよね?」

「でも貴族の方に合うのに寝ぼけた顔では駄目でしょう。まして欠伸でもしたら……」

「でもここ数日夜中に飛び起きてるよね?」

「何で知って……ちょっと待ってください。いやほんとに何で知ってるんですか。いつもちゃんと寝てたはずですよね? え、イリスさんもですか?」

 半年も冒険者をやっていれば扉の向こうの人間が活動状態にあるかどうかくらいは分かる。俺が起きるとき、基本的にみんな寝ていたはずだ。それを指摘するとミアは「女の勘」と言ってのけた。ついでに言うとイリスさんはチームの医療担当としてラッシュさんから相談を受けていたそうだ。ラッシュさんは早起きなこともあって何回か見られているからさもありなんである。

 俺はどうしたものかと張り付けた笑顔を引きつらせる。そんな俺の様子を見たイリスさんはそれはもう深いため息をつくと、「魔術は私がかけます」と言った。

「スリープ」

 え、ちょっ。それ睡眠の魔術!

 何するんですかと文句を言おうとして気づく。馬車が横倒しになっている。いや、俺が横倒しになっている。頬にはなぜかもう慣れてしまったミアの腿の感触。どうやら俺はミアの膝枕の上で強制的に眠りにつかされたらしい。そして俺が自分自身で使おうとしていたウェイクアップで起こされたようだ。

 体を起こして窓の外を見ると、立派な門をくぐってきれいな庭を進んでいるところだった。

 ゆっくりと馬車が止まる。窓の外には聳え立つお屋敷の玄関。勝手に馬車のドアが開く。どうすればいいのか迷っていると開けた扉の側から兎耳を生やしたメイドさんらしき人が正面に立ってぺこりとお辞儀をし、今度は反対側に立って俺たちに見えるようにどうぞと手で示す。

 豪邸は王都でも見たが、あっちは貴族の王都滞在用の仮住まい。こちらは普段住んでいる領主の家と言うこともあって規模が違う。さらに言えばこんなに近くで見るのも初めてだ。俺が圧倒されていると、アンドレさんから声がかかる。その後ろにはラッシュさんとリューグの姿。

 アンドレさんを先頭にお屋敷の扉をくぐり、エントランスホールを抜けて階段を上り、絨毯の敷かれた廊下を進んで行く。着いた部屋は二階のとある位置。アンドレさんは客間に案内すると言っていたからここがそうなのだろう。案外とシンプルな構造になっているようでこの辺りまでなら迷いはし無さそうだ。

 ちなみにここに来た目的である手紙とお届け物、あとギルドの依頼書はメイドさんに既に渡してある。ラッシュさん曰く貴族相手に俺たちが直接ものを渡すことは無いようだ。防犯の事を考えれば当たり前のことである。

「こちらで少々お待ちください。何かあればこの者が部屋に降ります故、何なりとお申し付け下さい」

 アンドレさんがそう言うと、扉の横で気配を消していたメイドさんが一歩出てお辞儀をする。

「それでは、私は失礼いたします」

 アンドレさんが部屋を出ていく。部屋には三人掛けのソファが二つと一人がけのソファが一つ。軽く火の入った暖炉を向いて、テーブルを中心にコの字型になるように配置されている。どこに座ったものか、そもそも座っていいのかと皆で逡巡していると、ラッシュさんが俺たちは一応招待客に当たるから、下座にあたる一人がけソファを除いて座ればどこでもいいと言いながらその下座から見て一番右奥の最も扉から遠い位置に座る。

「ちなみにここが上座だ。一応俺がリーダーをやってるから座らせてもらうぞ」

 メイドさんが何も言わないから合っているのだろう。流石ラッシュさん。博識である。

 一般的にはそうでもないが、社交の上でのマナーは同格ならば男性上位、年功序列になるようなのでラッシュさんの隣に俺、その隣にリューグ。ラッシュさんの対面にイリスさん、その隣にミアが座る。だが年齢の話と席順が結びついた時にイリスさんの頬がピクッたのを俺は見逃してない。やはり歳の話は禁句か。

 メイドさんがお茶を用意してくれたが基本的に家主が来るまで暇なので部屋の中を観察する。客間と言うだけあって調度品は立派なものだ。だが屋敷の豪華さに対して少し簡素なような、質素なような気がするのは気のせいだろうか。それとなく博識なラッシュさんに聞くと、そう見えるだけで玄人向けの調度品が集まっているだけらしい。要するに試す用の部屋かと思ったが、それも違うようだ。ラッシュさんから言わせるとある作家のとある時期の作品をメインにしたそういうコンセプトの通好みな部屋と言うことだった。

 まぁ俺たち全員あまり華美なものは好まないので見た目質素な方が落ち着くと言えば落ち着くのだが。多分ラッシュさんはあたりを付けてくれるだろうが、価値は怖くて聞いていない。

 そうこうしていると部屋の扉が開いて一人のイケオジが年配の執事さんや荷物を持ったメイドさんを伴って入ってきた。年は四十代半ばくらいか。プラチナブロンドの短髪をオールバックに撫でつけているその顔はラッシュさんと同じかそれ以上に彫が深い。身体の方は細身だが痩せているという印象は与えず、引き締まった機能美の筋肉を想像させる。

 おそらく彼がアルベーヌ辺境伯なのだろう。ラッシュさんが腰を浮かせたのが気配で分かったが、アルベーヌ辺境伯はその様子を見てその顔に笑みを浮かべると手で制した。

「構わない。君たちは貴族ではないのだから、貴族の礼など知らなくて当然。楽にしてほしい」

 アルベーヌ辺境伯は下座の一人がけソファにゆったりと腰掛けると、俺たちを見回した。

「私がカーマンベルグ伯、カスパル・アルベーヌだ。金獅子の諸君、よろしく頼む」

「初めてまして伯爵閣下。金獅子のリーダー、ラッシュと申します。我らが名を覚えて頂いているとは光栄です」

 立ち上がったラッシュさんが左手を胸に当てて礼をする。

「構わないと言った。堅っ苦しいのは昔から嫌いでな。貴族相手じゃない時くらい忘れさせてくれ」

 そう言って面倒くさそうに、本当に面倒くさそうにカスパル卿は脱力しながら手をひらひらと振った。

「旦那様、お客人の前ですぞ」

 後ろに控えた執事さんが御当主を嗜める。気安い関係のようだ。

「爺……。別に構わんだろう。彼らは私が見栄を張るべき相手ではないのだから」

「貴族としていつも見栄は張っていただきたい、と言うのは聞いていただけないのは存じております。しかし私めもアレシュ様の頃よりお仕えしている身。家臣として申し上げさせていただかなければいけないこともございます故」

「爺の言うことも理解はしている。だから貴族や領民の前ではちゃんとしているだろう。客人の前と言うならその客人の前でお説教は勘弁してくれ」

「失礼いたしました。この方が旦那様の事をよく理解していただけると思いましたので」

 爺と呼ばれた執事さんは子供を見るような柔和な笑みを浮かべる。自らの主人をいじるとは本当に気やすい関係らしい。

この執事さんのおかげでカスパル卿の人柄もよく分かったし、なかなかやり手のようだ。

「すまない。この者はフォーグ。うちの執事長だ。君たちを迎えに行かせたアンドレの父でもある」

「フォーグにございます。老い先短い老骨ですが、どうぞお見知りおきを」

「何が老い先短いだ。まだ六つになったばかりのエミリーの子を見るまでは死ねないと言っていたのはどの口だ、まったく。……っと、本当にすまない。本題に入ろうか」

「その前に皆様のお名前を聞いておかなくてよろしいので?」

「……そうだった。名前を聞かせてくれるだろうか」

 先ほど名乗ったラッシュさんが紹介するという形で俺たちは順番に名前を言う。

「よろしく頼む。そうか、君が噂の五人目か」

 自己紹介を終え、一人一人の顔と名前を覚えたらしいカスパル卿が俺を見て言う。

「噂、ですか?」

「金獅子はもともと国の反対側のこの地でも有名でね。特にリーダーのラッシュ殿は冒険者の中でも人格者で博識だと有名なのだよ」

 殿づけされたラッシュさんが「我々に敬称は不要ですよ、伯爵閣下」と言う。それにカスパル卿は両手を上げて「せめて君付けはさせてくれ。なんとなく呼びづらい」と言いつつ話を続ける。

「そんな君たちに新たな一員が加わった。しかも珍しい銃士で、半年で金ランクになったと言う。それが噂にならないわけがないだろう。それに何があったかは知らないが皆が君を気にかけている様子が伺える。シグルド君は金獅子の皆にとって良い仲間のようだ」

「そうであれば嬉しいです」

「旦那様、そろそろ本題に」

 フォーグさんが咳ばらいをして話を促す。

今のが本題じゃなかったのか。良かった。

「まずはあれを渡しておこう。爺」

「はい。こちらに」

 フォーグさんの指示でメイドさんがトレイに乗せた一枚の紙をテーブルに置く。それは俺たちが持ってきた冒険者ギルドの依頼書であり、依頼完了のサインが既になされている。

「大伯父上からの依頼、ご苦労だった。あのブローチは大伯母上の形見でもあってね。それで大伯父上に預けていたのだが、手紙には家に返す時が来たと書かれていたよ」

「大伯父様、ですか? ですがあの方はキンバリーと名乗っておられましたが……?」

 ラッシュさんは首をひねる。だがその口でかのご老人の名を転がす。

「もしかして、あの方はハルマーク卿なのですか? 先々代辺境伯の」

「おや、大伯父上を知っているのか?」

「知ってるも何も、その武勇は国民の語り草ではないですか! 吟遊詩人が詩にしていますし、私も子供の頃に聞いたことがあります」

「キンバリーはダルニシア貴族時代の、ハルマークはアルベーヌ家に婿入りされる前の騎士爵時代のアレシュ様の家名にございます。お懐かしゅうございます」

 フォーグさんの補足が入る。皆一様に驚いたような顔をしていることを見るに、あの店主は有名人な上に詩になるほどすごい人だったらしい。

「まぁ、大伯父上の話はいいじゃないか。それよりも実務的な話だ。君たちはここより北の国境線、ムーベル山脈の調査に赴くのだろう? 大伯父上の手紙に協力してやってくれと書いてあったし、冒険者ギルドからも聞いている」

 そこから話したのは、北の山脈、リフリス帝国との国境線にもなるムーベル山脈から降りてくる魔物の話だった。現状は冒険者ギルドと協力し、アルベーヌ領の兵士で街の防衛線を張っているらしい。アルベーヌ領の兵士は国境線を任されていることもあり屈強でなんとか魔物の討伐を行えているが、いくつかの取りこぼしが南に流れたようだ。そして共通しているのは、その多くの個体が何らかの特殊な能力を持っていること。通常の同種個体と比べて強力なことが挙げられる。

 兵士は街の防衛と国境線の警戒で動けない。冒険者は基本自由なため既に多くが南に流出し、通常の依頼も滞りがちな実情だという。なので俺たちが討伐を進めつつ調査を行うしかないらしい。

そういう話が、昼前まで続けられた。

「調査結果に関してはまた私にも直接報告してほしい。人伝では分からないことも多いからな」

「分かりました」とラッシュさんはその話を承諾する。

「よし。では仕事の話は終わりだ。ここからはプライベートの話をしよう」

 張り詰めた雰囲気をやわらげたカスパル卿がそんなことを言った。その言葉に俺たちは首をひねる。

「そろそろ昼時だ。一緒に昼食でもどうかね?」

「よろしいのですか?」

「一番下の娘がお転婆でね。寝物語に大伯父上の話を聞かせていたせいか兵や冒険者の話などを聞きたがるのだよ。よければゴブリン討伐の話でも聞かせてやってはくれまいか」

 そういうカスパル卿の言でともに昼食の運びとなる。先ほどと同じように礼儀作法など気にせず楽しんでくれと言われて一同安心しつつ喜んでいたが、ラッシュさんだけは少し浮かない顔。

「どうかしたんですか?」

「ん? いや、なんでもない」

 いつもと違って何でもないようには見えないのだが。

 食堂には既にカスパル卿の家族、おそらく奥さんと、二人の娘さんが座っていた。

「妻のエリザと、三女のエミリエ、末娘で四女のエミリーだ」

 エリザさんは貴族の奥方らしく微笑を湛えている。エミリエさんは成人したてくらいの年齢だろうか。だが凛として父親似の顔だちから、そのショートヘアも相まって若干ボーイッシュなイメージだ。四女のエミリーちゃんはさっきの話だと六歳。冒険話に興味があるらしく、年相応に俺たちにキラキラとした目を向けている。

 それとなく席順をラッシュさんに尋ねてから席に着く。俺たちが席に着いて自己紹介を終わらせると、すぐに食事が運ばれてくる。メニューは昼なので軽め。肉と葉野菜を乗せたパンと、豆のポタージュ。ちなみにパンは黒パンではなく白パンだった。パンを手で取ろうとして停止。こういう場合のテーブルマナーってどうなってるんだろうか。ナイフとフォークを探すが、スープを飲む用のスプーンしか見当たらない。六歳のエミリーちゃんは大口を開けて、三女のエミリエさんは小さな口で手で持ったパンを食べているので、普通に手で食べて問題なさそうだ。

「エミリー、このラッシュ君たちはさっき彼が言っていた通り冒険者だ。聞きたいことがあるならお願いしなさい」

「お父様! いいのですか⁉」

 エミリーちゃん。スプーンを片手にキラキラのお目目である。可愛らしい。

「金獅子のみなさま、よろしければ私に普段どんな冒険をしてらっしゃるのか教えて頂けませんか?」

 軽く目配せした俺たちはラッシュさんに一任する。

「では僭越ながら私が」

「まあ! ラッシュ様がお話してくださるのですね!」

「アルベーヌ家のご令嬢に様付けされるとは少々面映ゆいですね」

 そう言いながらラッシュさんは語る。子供の夢を壊さないように、生々しい部分は上手に省きながら。俺たちの活躍が語られる度にエミリーちゃんの視線が刺さる。

 彼女にとっては聞かされるおとぎ話の実物がいるようなもの、無理もない。

 ラッシュさんが話を締めるために最近にあった大きな戦い、ゴブリン討伐の話をする。基本はラッシュさんの主観だが、報告が上がっていることに関しては重要なことや子供には聞かせないほうがいいことはぼかして話を盛り立てていく。

 というかラッシュさん、話上手いな。エミリーちゃんのお目目がキラキラからキラッキラに変わっている。だがその視線が、徐々に俺の方へシフトしているような?

「と言う訳で、我々はゴブリンを討伐するに至った訳です」

 全員既に食事は終えている。カスパル卿は何かがツボに入ったのか肩を震わせている。

「ラッシュ君、ありがとう。ほら、エミリーもお礼を言いなさい」

「ラッシュ様、ありがとうございます!」

「恐縮です」

「しかしあれだな、君は吟遊詩人の才もあるのではないか? 流石は口先の交渉術を得意としたケストールの家系だ」

 鋭くなった目を向けるカスパル卿と苦虫を大量に噛み潰したようなラッシュさんの視線が交差する。

「ケストールの名は、祖父の代で捨てた名です」

 え、何。ラッシュさんって貴族家系だったの?

 驚愕の事実にフリーズする俺たちを余所に話は進んで行く。

「それにしては君は貴族教育が行き届いている」

「それは父が私に施したものです。私の意思ではありません」

「ならば何故、それを使う? 君の中に戻りたい想いは本当にないのかね」

 カスパル卿は身を乗り出してテーブルに肘をつき、手を顔の前で組む。

「率直に言う。私はね、ラッシュ君。君が欲しいのだよ。教養があり、博識で、人格者で、貴族の前に出してもなんら問題ない。先ほどの客室の価値もよく分かっているようだしね。また口もよく回り頭も切れる。金ランクの冒険者として名が売れるだけの武勇もある。これだけの人材を欲しいと思わない奴がどこにいる?」

「私は一介の冒険者です。それ以上でもそれ以下でもありません」

「君なら縁戚関係を結んでもいいと思っている。上の二人は既に夫がいるが、三女のエミリエなどどうかね?」

「父上!」と今まで口を開かなかったエミリエさんがガタンと音を立てて立ち上がって吠える。その顔立ちに合ったハスキーボイスだった。あとエミリエさんの声に隠れていたが、ギリッと歯ぎしりの音が聞こえたのを俺の常時発動している聞き耳は逃していない。

 あ、イリスさんのこめかみに血管が浮いてる。

 表情はそのままに淹れ直してもらったお茶を飲んでいるが、力が入ったカップを持つその手が震えていた。

 あまり事情が分かっていなさそうなエミリーちゃんは「姉上結婚するんですか?」と首を傾げている。その皆の様子を見たカスパル卿は肩を震わせてくつくつと笑うと、しばらくして呵呵大笑した。

「いや、すまんすまん。エミリエが男勝りでな。嫁の貰い手が無くなると思って吹っ掛けてみたんだが、いやそうか。君たちはそういう感じか」

「ち・ち・う・え!」

 またもや吠えるエミリエさんと呆けた顔のラッシュさん。フォーグさんは柔和な笑みを浮かべているし、エリザ夫人はなんとなく呆れた顔をしている。

 主人をイジる執事長といい、娘をダシにする父親といい、主従揃ってお茶目な人たちである。

 そんなカスパル卿の裾を引っ張る小さな影。

「ん? どうしたエミリー」

 なにやらこそこそと父親に耳打ちする末娘。そしてきらきらしたその目はテーブルの向こうから俺に向けられる。

 え、何?

「してほしいことがあるなら自分でお願いしなさい」

 そう言われたエミリーちゃんは俺の方にとてとてとやってくると、俺の隣にちょこんと立った。

「シグルド様、先ほどのラッシュ様の話にあった銃捌き。見せて頂くことはできませんか?」

 困った俺はラッシュさんを見る。その顔が縦に振られたので俺は「構いませんよ」と答えた。


 場所は変わってカーマンベルグの兵士駐屯地、同訓練場。多数の兵士が見物する中、俺は訓練場の端に立つ。見物人はラッシュさん、リューグ、カスパル卿、エミリーちゃん、執事さんとメイドさん複数。ちなみに奥様とエミリエさんはミアとイリスを引っ張ってお屋敷の奥に消えた。対面するはカスパル卿のお願いの元、協力してくれる兵士十名。兵士たちはそれぞれ番号を書いた木の板を持っている。

 エミリーちゃんに見せる芸は、兵士の持つ木板を書いてある数字の順番通りに撃ち抜くというもの。もちろん木板を持つ兵士は走り回る。

「始めてくれ」

 カスパル卿のハンドサインにより兵士がランダムに走る。生身用の銃は見た目が近未来的で注目されても困るので、ちょっと無理してパワードスーツ用のライフルを構える。

 狙いは十。多重認識とオートエイムがその狙いを外さず、強化された視覚と脳の処理能力が正確に木板の番号を読み取って優先順位を付ける。

 一発、二発、と順番に砕けていく木板。だが俺は真剣な顔を張り付けているものの内心超手抜きである。

 五発、六発。俺の実情を知らない観客が沸く。

 九発、……殺気⁉

 俺はその場で跳ぶと、宙返りをしながら狙いをつけて俺の後ろに忍び寄っていた一人の兵士の頭に麻酔弾を撃ち込み、そのまま十枚目の木板を打ち抜く。

 近づいていたのは分かっていたが殺気を放たれるとは思わなかったのでいきなり害意感知に反応して思わず撃ってしまった。ちなみに宙返りしながらの射撃などができるのはひとえに身体強化のおかげである。

 一応刺客の可能性も考えて睡眠を撃ち込んだ兵士の首筋に銃槍を当てる。もちろん銃剣の超速振動は切った状態で。

「で? 殺気向けられましたけど。殺した方がいいですか、この人」

「待て待て! 悪かった。私の指示だ」

 カスパル卿の言葉に俺は長くて手に持っているには大変な銃槍を肩に担いでため息をつく。

 話の真偽を見るために状況対応力を確かめようとして、後ろから襲わせようとしたってところか。はた迷惑な。

「こういう予定にない余興は止めて頂けると……」

 つい、で殺しますよ? と視線で訴えておく。みなまで言わないのは一応貴族様の手前だからだ。

 だが必要ならば殺しに躊躇いが無くなってるのは不味い。自重せねば。

 睡眠状態を解除するためにウェイクアップをかけて兵士の睡眠を解く。だが起きない。一瞬殺したかな? とも思ったが、そういえば咄嗟に鎧の無い頭を狙ったことを思い出す。単純に睡眠を付与したゴム弾本来の威力で気絶しているだけだったのでヒールをかけて回復しておく。ちなみにウェイクアップは気絶には効果がない。気絶状態は脳へのダメージのため、ヒールで回復させるのだ。

 立ち上がった兵士は人の良い人なのか「いや~、すごいなお前!」と俺の肩をバシバシと叩く。

 というかヒールをかけたとはいえ脳震盪の直後に動くのは良くないのだが。まぁ気にする事でもないか。

 そんなことを考える俺から欠伸が漏れそうになるのを噛み殺す。急いでウェイクアップを強めにかけ直すと、俺は意図せず的になった兵士とともにギャラリーしていたカスパル卿とその傍らにいるエミリーちゃんのもとに戻る。エミリーちゃんの目の輝きが強い。

「すごいです! シグルド様!」

「大したものだ。先ほどの詫びはしよう。それで、私としてはもう一つの装備の方も見てみたいのだが……」

 カスパル卿はそういうが、視線はラッシュさんに向いている。

 その視線にため息をつきそうな顔をしたラッシュさんは俺に「鎧も見せて差し上げろ」と言った。

「いいんですか? 見せないほうがいいのかと思ってました」

「もうあの姿で活動してるだろうが。貴族の方々が存じ上げてないはずないだろう」

 それもそうかと少し離れた俺は一度銃槍を地面に突き刺す。そしていつも通りにレヴィテイションを発動させると背後にアイテムボックスを展開してパワードスーツを呼び出した。訓練場に、途端に呼び出される鈍色の巨躯。俺は地面に突き立った銃槍を引っこ抜いて懸架パーツに取り付ける。

 エミリーちゃんの目の輝きが強くなった。

「これは……。すぐ着れる鎧か。槍もいけるのだろう? うちのと模擬戦でもどうだ?」

「勘弁してください。俺、銃がメインで槍は素人に毛が生えた程度ですよ?」

 俺の槍は勢いに任せて突くか、薙ぐかするだけだ。一応槍捌きはミアに教わっているが、職業軍人に通用するものではない。そもそも俺の戦い方は麻酔弾や衰弱弾で自由を奪ってから銃剣でとどめを刺すというもの。槍だけで戦うことは本来しないのである。

 あとパワードスーツとしての性能はできるだけ見せるなってラッシュさんに言われてるし。

 ちらりとラッシュさんを見ると素早くハンドサインでNOと言われた。

「そうか。ならばそういうことにしておこう」

 信用されていないようだ。まあ、貴族など腹の探り合いが常。信じる方がおかしいというものか。

 だが、信用とかそういうのを飛び越えて期待を寄せる目がひとつ。

「シグルド様、その鎧は魔道具ですよね? 何か特別なことはできませんか?」

 キラキラとしたお目目。純粋無垢に何かあることを確信している目だ。

 ラッシュさんに視線で助けを求めるが、ハンドサインで任せると言われる。

 見捨てられた……だと……⁉

 感情の起伏が少なくなっているはずの俺に動揺が走る。

 何か見せて大丈夫そうな機能……。……やるか。

「何か的を用意していただけませんか?」

 そう言うとすぐさま用意される試し切り用の藁人形が五つ。俺は銃槍を下段に構え、それとわかるようにゆっくりと飛翔した。ところどころで「おぉ」と感嘆の声が上がっている。

 俺はエミリーちゃんが分かる程度の速さでしばらく飛行し、最後に大きくバレルロールをしながら藁人形を打ち抜く。完全に一種のパフォーマンスだった。

 俺は懸架パーツに銃槍をマウントすると、ぱちぱちと手を叩いて喜んでいるエミリーちゃんの元へふわりと降り立った。

「すごいです! シグルド様は魔術も使えるのですか?」

「いいえ、お嬢様。この鎧はお嬢様が言われた通り魔道具です。レヴィテイションとフライがかけられています。私は銃士ですので、射線を通すために飛べた方が便利なんですよ」

「しゃせん?」

「あー、銃の弾の通る道筋です。実際一緒に飛んで見せられたら早いんですけどね」

 まあまず許可が下りないだろうとそんなことを口にする。だが常識をぶち壊すのが子供の特権。

「お父様! シグルド様と飛んでみたいです!」

「え゛っ」と言う声が俺とカスパル卿から漏れた。

「だめですか?」

 出た。乙女の必殺、上目遣い。あれに対抗できる父親はそういるまいて。いやそんなことを思っている場合じゃない。止めねば。

「お嬢様、さすがにそれは……」

「だめ、ですか……?」

 カスパル卿同様上目遣いが被弾した俺は「うっ」と言葉に詰まる。

 純粋な子供の期待を無下にするのはどうにも気が引ける。うるうるの目をしたエミリーちゃんの隣では非常に渋い顔をしたカスパル卿。そのカスパル卿が、非常に渋い顔のまま俺に言った。

「シグルド君、娘の願いを聞いてやってはくれまいか」

「許可していいんですか?」

「やむを得ん。だが安全には注意してくれ? 頼むぞ。絶対だぞ。絶対だからな?」

 そう言われて俺はカスパル卿の前にしゃがむ。

「責任持てないんでやろうとしてることを御自分で確認してください」

 イケメンとはいえおっさんを抱き上げる趣味は無いが仕方がない。

 胸前に出した右腕にカスパル卿を座らせ、左腕でホールドする。そして立ち上がってほんのちょっと浮く。

「お、おう……。意外と安定してるものだな……。もうちょっと高く飛べないか?」

「旦那様……」

「お父様ずるーい!」

 配下と娘の非難の声を聞いてカスパル卿が俺から降りる。安全性の確認もできたので次はエミリーちゃんの番だ。

「では射線の話もしておきましょうか」

「はーい」

 俺はエミリーちゃんを伴って訓練場の中へ進む。的にした藁人形の前には程よい距離で兵士の皆さんに立ってもらった。

「今ここから藁人形が見えますか?」

「見えないです」

 俺の腕の上に座るエミリーちゃんからは屈強な兵士の体が邪魔で藁人形が見えない。まずはそれを確認させる。俺はエミリーちゃんのおなかの辺りを支えながらふんわりと浮き上がる。三メートルも上がれば十分だ。

 眼下には俺たちを見上げる兵士と、その後ろに的の藁人形がしっかりと見えている。

「さっきの位置と今の位置。絶対に当たる、どこまでも真っすぐ飛ぶ弓があるとして、どっちの方が当てやすいですか?」

「今の方です! ここの方が藁人形さんが見やすいです!」

「これが射線を通すということです。味方に当てる訳にはいきませんからね。じゃあ降りましょうか」

「えー!」

「えー、って何ですか。えー、って」

「さっきの早く飛んだりくるくる回ったりするのをしてほしいです!」

 今度は俺が「えー」と言う番だった。

「お嬢様が駄々こねだしたんですけど……」

「あー、無視してかまわん。降りてきてくれ」

 バタバタと暴れるエミリーちゃんを軽く押さえながら地面に降り立ち、駄々っ子を父親に預ける。俺もパワードスーツを格納して、カスパル卿に俺の空飛ぶ鎧を強請っているエミリーちゃんの姿に苦笑いを向けた。

「ラッシュ君、シグルド君。その鎧はどこで手に入れたものか差し支えなければ教えてもらえないだろうか。あと必要な費用も。簡易なものを弓兵に使わせたい」

 自作なので言えません。原価も魔石以外は土塊なのでゼロです。ごめんなさい。

「伯爵、シグルドの鎧は制作者を明かさない約束で譲っていただいたものです。約束を違えれば縁が切れてしまう故に勘弁して頂けると。値段も制作者が偏屈者でしたので相場とはかけ離れており、とても参考にはならないかと思います」

 困った時のラッシュさんである。特にアイコンタクトもしていないのに的確なインターセプトとは流石と言う他ない。

ありもしない作り話をよくもまあ咄嗟に思いつくものだ。まぁ、それで助けられているのは主に俺だが。

「まあ、そういうことにしておこう」

 ラッシュさんの言葉をあまり信用していないカスパル卿が笑う。前に聞いた話では冒険者が秘匿している情報への干渉は貴族でもタブーらしい。おそらくそうではない貴族のほうが多いのだろうが、カスパル卿はその辺を守る人のようだ。

 その目で見たものを再現しようと試みるのは止められないだろうが。

 まぁ、飛ぶ魔道具を作るだけなら難しくないので頑張ってください。

 ちなみに飛行の魔道具が流行らないのは、制御が使用者本人の技量によるところが大きいからである。重力魔術のレヴィテイションは浮くだけなのでバランス感覚さえあればいいのだが、風魔術のフライで飛ぶのはなかなか技術がいる。つまるところ風魔術の適性がある人が適宜調整しないと飛べたものではないのである。ちなみに俺のパワードスーツはブラストの噴射でその辺をクリアしている。だがその制御は結局俺の脳頼みなので結局技術は必要になるのである。ただ脳への強化もパワードスーツ本体に組み込んではいるので、結局俺が作ったパワードスーツは誰が使っても簡単に飛べるのだが。ただしその他諸々の機能があるため慣れない者への脳への負荷は考えないものとする。

 俺ですか? 最初からいろいろドーピングしてましたが何か。ロボに乗るのに先天的な適性とかそれを補うための薬物漬けとか基本だし。やりすぎると「魔術回路から、光が逆流する! ギャアアアアアアアッ!」とセリフを吐くことになるだろうが。ちなみに俺は一般的な地球人なので適性は無い。……何も言ってくれるな。必要なことだったんだ。大丈夫。マージンは守っている。魔術で脳拡張した上でのマージンだが。

 なんとなくパワードスーツ開発と並行して行っていた特にきつくもない自己改造と言う名の強化魔術開発の日々を思い出していると、何やらカスパル卿に耳打ちする執事さんの姿が見えた。

 俺たちはこの後、このままカスパル卿一行とここで分かれる予定だ。カスパル卿も辺境伯。最近の情勢を考慮しなくとも忙しい身である。何か予定の変更でもあったのかと思ったが、当のカスパル卿は俺たちに対して済まなさそうな顔。特に俺に対して。

 ……何事?

「ラッシュ君、シグルド君、リューグ君。すまんが一緒に屋敷に戻ってくれ」

 ホントに何事ですか。

 乗ってきた馬車は馬の休憩も兼ねて全車待機させてあったので、全員乗車して来た道を戻る。俺が乗った馬車の中は、俺とラッシュさんとリューグだけだ。

「何なんでしょうね、一体」

「予定が狂った?」

「おそらく屋敷の方で何かあったんだろう。さっき伝令が来ていたみたいだしな。で、俺たちを呼び戻したってことは多分イリスかミア絡みだ」

 その言葉にリューグが方眉を上げる。

「安心しろ、馬車の速度は出ていない。と言うことは危険性は無いはずだ。それにそういう事態なら伯爵閣下はちゃんと言って下さるだろう」

 そんなことを話しているうちに伯爵邸に戻る。伯爵邸の玄関には、何故かエリザ夫人とエミリエさんが待っていて俺たちを出迎えていた。そのエリザさんが、俺たちが帰った途端に開口一番言う。

「あなた。金獅子の皆さま。ちょっとシグルド様をお借りします」

 ぱちんとエリザ夫人がフィンガースナップを鳴らした途端、数人のメイドさんが俺の脇を固めた。

「え、ちょっと……。何を……?」

 あっ。このメイドさん、身体強化しても振りほどけない。戦闘もできるタイプのメイドさんだ!

 エリザ夫人の行動に男衆が呆然としている中、俺は戦闘メイドさんに両側を固められながら連行される。エリザ夫人、エミリエさんとともに通された客室らしき部屋には、ミアとイリスさんがいた。二人とも心なしかげっそりしているような気がする。

「……何があったんです?」

「シグルド、ごめんなさい」

「ごめん。守れなかった」

「ほんとに一体何が……?」

 俺はメイドさんにソファに座らさせられる。メイドさんが退出し、俺の前にはお茶と茶菓子が用意され、パタンと扉が閉まる音。なぜか背中がひりつく感覚。

 俺の体が、本能的に危険信号を発していた。

「シグルド様」

「あ、様とか付けなくていいですよ」

「では、シグルドさん。私の事もエリザと名でお呼びください」

「私の事もエミリエと」

「はあ……」

 俺に哀れな目を向けるミアとイリスさんをほったらかしにして、エリザ夫人とエミリエさんが俺に向かってぐいぐい来る。物理的にも精神的にも。

「先ほどイリスさんとミアさんのお二人とお話しさせていただきました。お二人の髪、綺麗ですよね。ふんわりとラモンの香りもして」

 そのエリザ夫人の言葉で俺は大体を察した。

 奥様、お嬢様。あなた達もですか。ほんと女性ってこういうことによく気付くよね。

 多分、ミアとイリスさんはエリザ夫人とエミリエさんの圧に負けてクエン酸リンスの存在とその出所が俺だというのを吐いたのだろう。だがそれを責めはしない。現在進行形で詰められている俺もこの気迫は怖いのだ。

 まぁ、怖いと感じるだけで平常心なのだが。

「そうですね。二人とも手入れはしっかりしてるようですから」

 俺はあくまでシラを切る。多分情報は漏れているが、まだ確定じゃないので素知らぬ顔を崩さないようにする。

「そう言えば、シグルドさんは女性の髪のお手入れがどんなものかご存知ですか?」

「さあ。私は女性ではないので」

「櫛をしっかり通して油を塗るんです」

 この様に、とエミリエさんが俺の前で自分の髪を見せる。艶やかに見えるが、その輝きは髪本来の輝きではなく油のテカリだ。一方でミアとイリスさんはツヤツヤサラサラの髪。風呂の一件以後お手入れ用の油は使ってない様だし、油のテカリやベタ付き感は微塵もない女性の髪本来の美しさ。長風呂のデトックス効果もあるのか肌艶も良く、エリザ夫人やエミリエさんは二人と対比すると着飾っていることもありいっそ哀れだった。

「お二人、油を使ってらっしゃるように見えます?」

「見えませんね」

「何が言いたいか、もうお分かりですね?」

 話は既に上がっていますとばかりにエリザ夫人が詰めてくる。

 そろそろ潮時だろうか。掘った穴に湯を溜めるくらいならいざ知らず、風呂を造るのは現実的ではないので洗髪台でも作ろうかと画策する俺。だが、それに待ったがかかる。

「おふろ、というもの。私たち、興味があります」

 俺はエリザ夫人とエミリエさんの肩越しにミアとイリスさんを見る。二人して顔の前で手を合わせ、ゴメンのジェスチャー。

 駄目だ、コレ。絶対全部ゲロってる。貴族相手には最終防衛ラインのラッシュさんがいないとダメか。

「あなた方拠点に繋がる魔道具、あるのでしょう?」

 それまで喋ったのか。いや、喋らされたのか。あれに使われているゲートの魔術は外に出すと大ごとだとラッシュさんとキール支部長から言われているというのに。

 特にカスパル卿に知られると不味い。何故かというと、簡単な話である。遠方に人を送れるということは、軍隊の即時展開が可能であるということに他ならない。それを辺境伯たるカスパル卿が放っておく訳がない。一応、知られた時のバックアッププランもあるから問題ないと言えばないのだが。

「……あの魔道具は秘匿情報なのですが。とりあえずうちのリーダー呼んでもらっていいですか。あとリューグも」

 しばらくしてラッシュさんとリューグが案内されて来る。当然、家主のカスパル卿も来る。

 かくかくしかじか。事情を小声でラッシュさんに説明し、指示を仰ぐ。ラッシュさんは深いため息をつくと、ミアとイリスさんを睨んだ。

 あ、ラッシュさんが珍しく怒ってる。まぁ流石にゲートの情報を外に流すのは不味い。抜作の俺でも分かる。でも女性の怖さと言うのをもうちょっと考慮してあげてください。多分、同性だと遠慮が無くなるから。いや、考慮した上だから睨むだけなのか。機密レベルでいえば人目を憚らないでお説教コース確定だろうし。

「伯爵、ご家族以外人払い……ってそうか。ここの人たちはもう話を聞いているのか。伯爵、ご家族は別としてもこの方々、口の堅さは?」

「教育は行き届いているよ。私も我が家名に誓って口外しないことを誓おう。家族にも徹底させるし、家臣から漏洩した時にはそれ相応の罰を与えることを約束する。皆、良いな?」

 一同から同意が得られる。部屋にいるのは金獅子のメンバーを除くとカスパル卿、エリザ夫人、エミリエさん、もともと部屋にいたメイドさんが二人の計五人だ。

「あ、エミリーも呼んで構いませんか? あの子、仲間外れにされたと思ったら泣いてしまいますし」

「致し方ありませんね」

 ラッシュさんも子供には弱いようである。だが一つ、条件が出た。それを伯爵一家は承諾する。子供の無邪気さ加減は責められないのと同時に制御不能だ。

 メイドさんに連れられてエミリーちゃんもやってくる。その表情はなんだかよくわかっていない感じだ。エミリーちゃんを連れてきたメイドさんの手には長めの布が握られており、エリザ夫人に手渡される。ちなみにアンドレさんもやってきたが、扉の前で誰も入れないようにカスパル卿に命じられて来たようだ。

「エミリー、今からいいところに連れて行ってもらえるわよ」

「いいところですか? お母様」

「ええ、そうよ。でもそのかわり、目を閉じてこれをしましょうね」

 そう言ってエリザ夫人はエミリーちゃんに目隠しをする。「何も見えないですー」というエミリーちゃんの手はエミリエさんがとっている。

「皆さま、これから見る物は全て他言無用に願います。シグルド」

 ラッシュさんの命により俺はゲートの魔道具を取り出し、部屋の隅に展開する。光の門とその向こうに見える景色、流れ込む暖気に一同が唖然とするが、周りの様子が分からないエミリーちゃんだけが「みんなどうしたのー」と呑気な声を上げている。

「ラッシュ君……これは……」

 油の切れたロボットのような動きをしたカスパル卿の言葉を、視線を向けられたラッシュさんが唇に指をあてるジェスチャーで黙らせる。

 先導するミアとイリスさんに続いてまずメイドさん二人が安全確認。続いてエリザ夫人、エミリエさんと手を引かれるエミリーちゃんがゲートをくぐる。

 こういう時の女性陣は強い。美しさの前に転移魔法を使う恐怖を克服していらっしゃる。それに対してカスパル卿は……。

 必死で抵抗している。無言だが、それはもう必死で抵抗している。まるであの時のキール支部長を見ているようだ。それをラッシュさんが「私たちは何十回と使って事故もありませんから大丈夫です」と宥めてゲートをくぐらせる。

 さすが辺境伯。キール支部長よりも肝が据わっている。

 とりあえず全員を改装で壁をぶち抜いて広くなったダイニングに押し込む。椅子はもちろん足りないので、伯爵一家を座らせてから余った椅子に腰かけた。ちなみにゲートの魔道具は一旦消し、エミリーちゃんの目隠しは取ってある。

 俺はエリザ夫人の対面に座ると、二つのものを取り出した。

「石鹸ですね。こちらの瓶は……ポーションですか?」

「この二つがうちの二人の美しさの秘密です」

 俺がそういった瞬間、エリザ夫人とエミリエさんの目が鋭くなる。ついでにメイドさんの目も鋭くなる。

「では風呂場のお披露目といきましょうか」

 全員を促して風呂場へ。我が家では毛色の違う感じの木張りの浴室に、伯爵家御一行は瞠目した。

 どうせ入る流れになると思ったので、俺は浴室内に引っ張ってきたボイラーの操作盤を弄っておく。今日は二日目で追い焚きするだけなので、十分もあれば入れるだろう。その間にカランの使い方や入浴の仕方、クエン酸リンスの使い方と量、入浴後のドライヤーのやり方を説明していく。最後にメイドさんが一から確認の為に聞いてきたが、全部一発で記憶できていた。この二人もおそらく戦闘系だが、流石メイドを職にしているだけはある。

 そうこうしていると突然ハンドベルの様な音が鳴った。これは一番風呂が待ちきれないイリスさんに言われて作った水の温度と量が一定以上になったらベルが鳴るという仕掛けの魔道具である。要は給湯器の音声ガイドの異世界版。

 俺は湯かき棒で浴槽をかき回し、指を入れて温度を確かめるとソワソワしているエリザ夫人以下三名と初めて見る風呂に目を輝かせているエミリーちゃんをミアとイリスさんに任せ、クエン酸リンスはパッチテストが必要ですぐには使えないことと髪を綺麗にしたいなら石鹸を髪には使わずによくお湯で流すようにする事を厳命した上で男性陣を連れてダイニングに戻る。

 もちろんエリザ夫人とエミリエさんから不満が出たが、安全のためなので文句はまるっと無視だ。ドライヤーだけでも随分マシになるのでとりあえず勘弁してほしい。ちなみに我が家の風呂場は石鹼とリンスは各々持ち込むスタイルでやっているのでとりあえずストックしてあった分を出した。基本は石鹸は商人からパーティーの共有費で買って俺が保管し、クエン酸リンスは製造元が俺なのでまとめて俺から買う流れである。なお石鹸は一個銀貨二枚とお高いが、リンスはそれほどでもない。ほぼ原価だけなので銅貨一枚と鉄貨二枚だ。最初に作った時に使った保湿液が石鹸と同じ値段でそれから二十本ほど生産できるのでこの価格設定になっている。また最初の一本は保湿液をくれたイリスさんにあげた。無くなっても俺のアイテムボックスにはまだまだストックがあるので問題は無い。

 全員椅子に着いたところで俺は解けたプレッシャーに耐えきれず、カスパル卿の前ではあるがその身をテーブルの上に倒した。

「お疲れさん、シグルド」

「うちの者が本当にすまない。君には借りが増えて行くな。で、すまないついでに聞きたいのだが……」

「魔道具の事でしたらラッシュさんにお願いします……」

 先手を打った上に丸投げである。ラッシュさんの事だから悪い様にはするまい。

 俺の言葉により目の前ででラッシュさんとカスパル卿の舌戦が始まったが気にしない。ラッシュさんの言っていることはもともと決めていたカバーストーリ―をちゃんとなぞっている。カバーストーリー自体ラッシュさんが考えたものだから当たり前だが。

 ゲートの魔道具がばれた時のバックアッププラン、もとい、カバーストーリーは、ダンジョンから見つかった魔道具であると主張するというもの。最初はどうかと思ったが、実際に再現不可能な魔道具がダンジョンから産出されることもあるらしい。そうしたものはその多くが希少性から高値がつくため売りに出されるが、一部の有用なものは発見者が懐に仕舞い込むことも多いのだという。俺の造ったゲートの魔道具も、そういうものにしてしまった方がいいのだそうだ。ゲートの魔術自体を見ていたならまだしも、そうでないならばダンジョン産の魔道具と言う方が信憑性は高いらしい。

 ちなみにゲートの魔術自体を見られたら教えろと言われること必至なので俺もイリスさんも使用は控えてちゃんと魔道具化した方を使っている。そもそも家に風呂に浸かりに帰ること以外に使い道は今のところないので問題は無い。

 正確には利用価値はあるのだが、その情報が洩れる危険性と天秤にかけると使うのを躊躇わざるを得ないのが実情だったりする。

 俺がテーブルの上でダレていると目の前に木のコップが置かれた。リューグが水を入れてきてくれたらしい。中には氷が入れられていて程よく冷やされているおかげで精神的に疲れた体に染み渡る。ちなみに氷はちゃんと氷魔法で凍らせた井戸水をアイテムボックスを付与した食糧庫に保管している。氷魔法で出した氷は食べられることは食べられるが、どうにも味気ないのだ。

 俺が水を飲み干したタイミングでミアとイリスがダイニングに入ってくる。

「そっちはもういいんですか?」

「メイドさんが全部覚えてるし、体を拭くのももともとメイドさん任せなんだってー」

 だからやることなくて戻ってきたとミアは言う。その隣ではラッシュさんとカスパル卿の勝負に決着がつきそうであった。何を言っても立て板に水で暖簾に腕押し状態ななラッシュさんが優勢。カスパル卿が「金貨千、いや一万枚まで出す!」とか言い出しているが気のせいだろう。

 エリザ夫人たちが入浴を始めてから一時間ほど経った頃だろうか。にわかに風呂場の方が騒がしくなり、エリザ夫人たちがダイニングに入ってくる。湯上りのエリザ夫人、エミリエさん、エミリーちゃんに対し、さすがに主人と一緒に入ったりはしないのかメイドさんはロングスカートの裾を少し濡らしている。

「ありがとうございました。お風呂というのは気持ちのいいものですね。夏場の水浴びもいいものですが、熱い湯に浸かるというのはまたそれとは違った趣が……」

 滔々と語りだすエリザ夫人と隣で頷いているエミリエさん。エミリーちゃんには冷えた果実水を渡したので今はそれを飲んで静かにしている。そんな三人と、一応メイドさんにも俺はパッチテストを実施した。カスパル卿は忙しそうなので後だ。

「これで一日待って、かぶれや赤みが出なければよろしいのですね?」

「まぁ、一応。」

「父上、父上! ……はぁ、母上」

 エミリエさんが何かをエリザ夫人にお願いする。するとエリザ夫人はため息をついて未だラッシュさんに縋っているカスパル卿の胸倉をひっつかみ容赦ない連続平手打ちをかました。

 金獅子一同、ドン引きであった。だが伯爵家ご一行はいつもの事なのか誰も動じていない。メイドさんは止める素振りすらない。

「何するんだ、エリザ」

「あなたがみっともない姿をさらして、エミリエの呼びかけを無視するからです」

「む? すまんすまん。どうした、エミリエ」

「父上、家にお風呂を作ってくださいまし。あれは私たちに必要なものです」

「お風呂って……さっきの水が溜まってた部屋か? 使ってない部屋もあるから場所はあるが……、どうやって作るんだ? 家にも腕のいい職人はいるが、構造も分からないものを造れる奴はいないぞ?」

「こちらの職人を招聘できませんか?」

「それもそうか。ラッシュ君、あの設備を造った職人を紹介してはくれないか?」

「造ったのはシグルドですよ」

 素直に喋るラッシュさん。そういえば風呂の事とその設備を造るための魔術や技術諸々はただの配管工事とボイラーの設置、建材の防腐処理だけだったから御咎めなしだったのを忘れていた。

 これは面倒ごとが舞い込む流れだ! 嗚呼、奥様とご令嬢の目が怖い。あとエミリーちゃん、風呂上がりの冷たい果実水が気に入ったのは分かるけど、冷たいの飲みすぎるとおなか壊すよ?

「シグルドさん」とエリザ夫人が俺の側に寄ってくる。

「造りませんよ? ムーベル山脈の調査もありますし、そんな暇なんてないはずです。というかそっちの方がアルベーヌ領にとっても急務でしょう?」

 俺の言葉に「くっ」と詰まるエリザ夫人だが、それでは止まらないのがまだ子供が抜けきっていないエミリエさん。

「そうですわ! シグルドさんには我が家でお風呂を造って頂いて、その間に皆さんで調査を進めるというのは……」

「エミリエ」

 先ほどラッシュさんに縋っていた姿とは打って変わって威厳のある声でカスパル卿がエミリエさんを嗜める。

「シグルド君、金獅子の皆。本当に済まない。妻や娘の無理な願いを快く聞いてくれたにもかかわらず君たちの本分を否定するような言い様。改めて謝罪する」

 そう言ってカスパル卿は頭を下げた。この世界基準でいえば謝罪とはいえ貴族が平民に頭を下げることはまずない。なので俺の前で起こったことは異常事態だった。何事にも動じることは無いと思われたメイドさんがその反応を遅らせるほどには。

「正直な話をしよう。私は君たちの中でラッシュ君にしか価値を見出していなかった。だが蓋を開けてみればどうだ。シグルド君も得難い人材ではないか。そうなれば君たち全員の価値を考え直さなければならない。……私は、せっかくできた君たちとの縁を切りたくはないのだ」

 頭を下げたままのカスパル卿の横にエリザ夫人、エミリエさん、空気を読んだエミリーちゃんが並んで揃って頭を下げる。メイドさんも同じくだ。

「伯爵、頭をお上げください」

「ラッシュ君」

「我々は冒険者です。これからもそうであり続けたいと考えております。それを忘れずにいただければ結構です。あと奥様やお嬢様の願いはシグルドにしかどうにもできません。交渉は御自分でしていただければと思います。伯爵ご自身の願いは、どうにもなりませんが」

 カスパル卿はラッシュさんの言葉に分かっていると返す。やはりラッシュさんとの交渉劇は冗談だったか。

 この人、さては本来の気性である冗談を言い合うような気やすい関係に飢えているな?

 カスパル卿が差し出した手を取るラッシュさんの隣で、俺は御婦人方に改めて頭を下げられる。

「シグルドさん、申し訳ありません」

「先ほどは失礼なことを言ってしまい申し訳ありませんでした」

 ついでにエミリーちゃんも流れに乗って頭を下げる。

 俺はとりあえず謝罪を受け取って頭を上げさせると、目線を下げて湯上りの火照りも冷めたエミリーちゃんに目線を合わせる。

「エミリーお嬢様」

「はい? なんですか、シグルド様?」

「お風呂はどうでしたか?」

「とてもきもちよかったです!」

 その言葉を聞いて俺の心は決まった。紙とペンとインクをアイテムボックスから取り出して必要事項を書いていく。出来上がった紙束を、俺はエリザ夫人に差し出す。

「風呂の仕様と、ドライヤーとリンスの作り方です。腕の良い職人さんがいるのでしょう? それで作ってもらってください。リンスのほうも、伯爵家なら薬師の一人や二人抱えているでしょう?」

「……よろしいのですか? リンスとやらは門外不出の秘薬かと」

「ラモンの果汁と保湿液を混ぜて水で薄めただけですよ? 石鹸づくりの過程でできる保湿液が高いので一般受けはしませんけど。まぁ、保湿液なくても作れるんですけどね。効果重視でうちは入れてます」

 とりあえず俺が働かなくていいならヨシ。自分の趣味以外で風呂を造るなんて面倒なことはしたくない。自分の趣味でも二度とやりたくはない。とても疲れるから。必要になればきっとまたやるのだろうが。

 俺から紙束を受け取ろうとしたエリザ夫人だったが、そこにリューグから待ったがかかった。

「シグルド、先に商業ギルドで製品登録しておくべき。簡単な設計図もあるし、これくらいの仕様書があればすぐにやってくれる。じゃないと渡し損。貴族でも横取りは許されない」

「とゆこと?」と聞いてみると、この世界にも特許と特許使用料の仕組みがあるらしい。要するにリューグは情報を渡す前に特許申請して資金源になるようにしておけと言っているのだ。

 ほんと現実的だね、君は。それに貴族の前でそれを言える胆力がすごいよ、全く。

「それは確かにそうですね。そろそろ年末の社交シーズン。お風呂とリンスは他の貴族の奥方や令嬢から目を付けられるでしょうし、その利益は莫大になるはず。それを他者から取り上げるなど、貴族の名折れです」

 早速商業ギルドに行きましょうと家を出ようとする一行に今度は俺が待ったをかける。

「とりあえずカーマンベルグのお屋敷に戻りませんか? 多分アンドレさんも待ちくたびれているでしょうし、無人の部屋を守り続けてもらうのもちょっと……」

 その言葉に一同賛同する。エミリーちゃんは再び目隠しをされてみんなでゲートをくぐり、元の客室に戻る。

 その足で俺は商業ギルドに向かおうとしたが、どうやら伯爵家が馬車を貸してくれるらしい。と言うか、ついてくる気満々のようだ。

 一同揃って商業ギルドへ。馬車を使う距離ではないのだが、伯爵家がいるのでその辺は様式美。到着して商業ギルドの中に揃って入ると、伯爵一行の来訪にギルド内がにわかにざわつく。

「は、伯爵閣下。本日はどのようなご用向きで?」

 奥から少し立派な服を着た男がやってきて前にいる俺たち金獅子を無視してカスパル卿に揉み手をしながら寄ってくる。

「私はただの付き添いだ。本命はこちらのシグルド君でね。本業は冒険者だ」

「こちらの青年がですか……?」

 俺に対して訝しげな眼を向ける男。

 伯爵家が連れてきた冒険者風の若い奴。商業ギルドの人間からしたら怪しいことこの上ないだろう。だが客に対してその汚いものを見るような目を向けるのは人として如何なものか。冒険者を下に見る商人もいるという話だが、この男もそのタイプなのだろうか。

「伯爵様、この方は?」

「このギルドの支部長補佐の一人だ」

「よろしくお願いします」

 俺がそういうと、また値踏みするような目。なんとなくよろしくしたくは無い。

 カスパル卿一行は二階の貴賓室に向かう。そこで待つようだ。そんな俺に、先ほどの男が俺の側に寄ってくる。

「用があるなら早く受付へ行きたまえ。冒険者風情がこの商業ギルドで何をするのか見ものだがね」

 貴族が居なくなった途端にこの高圧的な態度。やはりこの男、冒険者嫌いか。

「お名前をお伺いしても?」

「私の名前を聞いてどうする気か知らないが、問われた以上名乗ろうか。私はデルメル。ああ、覚えてくれなくて結構。君たちのような貴族に阿るような輩とは付き合いたくないのでね」

 俺は面倒になったので自分で聞いたことの回答をおざなりに聞き流し、受付へと向かった。

「商業ギルドへようこそ。うちの支部長補佐がすいません」

 よかった。受付嬢は良い人そうだ。

「それで、今日はどのようなご用件ですか?」

「これの製品登録を」

「製品登録には商業ギルドへの登録が必要になります。ギルド証はお持ちですか?」

「いえ、ありません」

「では登録からですね。登録料は銅貨二枚、年会費は商いの種類と店舗数によります」

 特に商人がしたいわけではないので、俺は製品登録がしたいだけだという旨を伝える。その場合は一番規模の小さい行商レベルでの登録となるらしい。その場合は年会費銅貨二枚を払えば登録した商品や技術の保証がされるようだ。保障と言うのは、設計図などは有料で公開されるがそれを利用した利益の一部が登録者に支払われるようになり、無断での商業利用が取り締まられるというもの。まんま仕組みは特許である。加えてライセンス契約のように利用できる相手を登録者が選ぶことも可能であり、誰も使えないようにすることもできれば、誰でも自由に使えるようにすることもできる。

 必要書類に記入し、銅貨四枚を支払う。ついでに各商業ギルドで一日の限度額はあるがいつでも引き出せる銀行口座があるらしく、ついでにそれも登録し、製品登録の使用料がその口座に入るようにしてもらう。ちなみに商業ギルドのギルドカードは残高を書き写した割符と合わせてキャッシュカードも兼ねていた。ただ暗証番号などは無いので失くしたらことである。ちなみに年会費を払い忘れると翌年から一旦口座が差し止められる。ちゃんと払えばまた利用できるが注意だ。

 エリザ夫人の話では、俺の製品は伯爵家お抱えの職人と薬師が委託販売をしてくれるそうなので、四か月もすれば利益が見込めるとのこと。俺としては儲けるつもりはないのだが、貰えるものは貰っておく。

 俺は登録する製品であるリンスと風呂のボイラーと除菌システム通称、風呂用循環型加熱装置と名付けたものの仕様書と簡単な設計図を受付嬢に渡し、皆が待つ二階の貴賓室へ向かう。

「終わったのかね?」

「はい。手続きは終わったと思います」

「あとは同じものがないかどうかの確認だが、それもすぐ終わるだろう」

 カスパル卿が言うには図書館などにある蔵書管理システムを利用して製品登録の管理をしているらしい。初期型に比べて改良が加えられており精度も高く、ものの十分もあれば精査は終わるそうだ。

「そういえば商人に冒険者嫌いがいるって本当なんですね」

「ギルドの職員に何か言われたのか?」とカスパル卿が眉尻をぴくりと上げる。

「デルメルと言うさっき真っ先にきた人が。だいぶ見下した態度を取られました。まぁ、主観ですけど」

 カスパル卿は「あいつか……」と名前と顔を一致させているような表情をする。

 あ。これ、あの人カスパル卿に目を付けられたな。まぁ自業自得か。

「仕事はできるらしいんだがな。苦情を入れておこうか?」

 カスパル卿がだいぶ親身に言ってくれる。お願いを聞いていくたびに、どうにも気にかけてくれている感がするのは気のせいだろうか。

「いえ、いいですよ。どうせああいうタイプの人は自滅しますし。というか、今まさに俺が生殺与奪権握っていたようなもんですし」

 そういうとカスパル卿は「それもそうだな。君の一言で私は動くところだったからな」と呵呵大笑した。やはり国から独立しているとはいえ一ギルド職員程度、貴族に睨まれたらどうにもならないらしい。

 それから十分後、貴賓室のドアがノックされてさっきの男、デルメルが入ってくる。

「製品登録が終わりました。風呂と言うもの自体はトメーキア王国で既に温泉とともに実用例がありますので登録は不可ですが、システム自体は製品登録として可能でした。リンスとドライヤーの方は問題なく終わっております」

 俺に向かってではなくカスパル卿に向かって言葉を紡ぐデルメル。それを見てカスパル卿は「なるほど」と言った。

「つきましては商業ギルドでの製品販売の権利を頂きたく思います」

「ご苦労。だが貴公、話す相手を間違えてはいないか? 登録者は私ではなくこのシグルド君だ。私が彼らを懇意にしているだけで、この場で私は部外者に過ぎないのだが?」

 デルメルは言葉に詰まると、渋々と言った感じで俺の方に向き直る。

「シグルド君、商業ギルドで君の製品、特にリンスの販売を代行したいと思うのだがどうだろうか。君は製品登録のためだけにギルド登録をしたそうじゃないか。ぜひ我々に販売を……」

「お断りします」

 そう言った時のデルメルの顔は傑作だった。販路がない俺に断られるとは微塵にも思っていなかったのだろう。きっとデルメルはリンスの価値を分かっている。だから俺は畳みかけた。

「リンスの販売権はアルベーヌ伯爵家のみに許可します。ドライヤーと風呂のシステムは使用料さえしっかり取ってもらえれば自由にしてもらって構いませんが、商業ギルドがその権利を利用することは拒否させてもらいます」

「な……。そ、そんな横暴が許されるか!」

 デルメルが吠える。基本的に製品登録のシステムを利用したものが商業ギルドの販売委託を拒否することはまずない。販路やノウハウが充実しているからだ。だが俺には関係ないのでしっかりと拒否する。

「製品登録の権利は権利者に利用権限の指定が許されているはずだ。何か問題があるのかね?」

 ここでカスパル卿からの援護射撃。有難い。

「り、理由を、理由を聞かせてもらいたい!」

「この街の商業ギルドで最初に会ったあなたの印象が最悪だったので商業ギルドを信用できません」

 ロアの街の建物取引の仲介人などいい人がいるのも知っているし商業ギルドを信用できないというのは嘘だが、カーマンベルグのギルドが噛むとなるとこの人のせいで信用がないのは事実である。なんとなく何か不利益になることをされそうな感じがしてならない。

 こういう不信感は一度抱くと簡単には拭えないものだ。

「おのれ、我らを侮辱するか!」

 先に喧嘩を吹っ掛けてきたのはどっちだという話だ。気の弱そうな若造に見えたのだろうが、今の俺は感情が薄い分こういう時に冷徹になる。だからわざわざカスパル卿の前で不機嫌ですアピールをしているのだ。すべては自分を守るためである。

 それにしてもなんだかとても疲れた。ウェイクアップの魔術も切れかかっているのか俺の口から欠伸が勝手に出る。だがそれがさらにデルメルの逆鱗に触れた。

「舐めた態度をとりよって……。この冒険者風情が!」

 あーあ。言っちゃったよこの人。それもさっき俺たちに冒険者の矜持を害したことを詫びたカスパル卿の前で。自滅、意外と早かったな。

「もうよい」

 カスパル卿の重く厳かな声が静かに部屋に響いた。

「先ほどのリンスの販売を我が家の専売とすることと風呂用循環型加熱装置、及びドライヤー。これらシグルド君の発明に商業ギルドは一切手出しを禁じることを記した書面を我が屋敷に届けさせろ。写しで構わん。後日、同じものがちゃんと商業ギルドで管理されているかを確認する。シグルド君は貴公も知っての通り冒険者だ。連絡がつかないこともあるため、私が一時代理人となる。シグルド君、それでも構わないかね?」

「はい。よろしくお願いします」

 商業ギルドに対しては命令であるのに対し、俺に対しては伺う姿勢。カスパル卿の立場がはっきりしたことでデルメルの顔が青ざめる。

「か、閣下。それはあまりにも……」

「貴公らにとって惨い仕打ちか? そうであろうな。だがそれを招いたのは貴公の行動と態度だ。この件はムウェル支部長にも手紙を届けよう。では我々は失礼する」

「あ、待ってください。さっきの話、受付でもう一度していただけませんか? もみ消されても厄介ですし、できれば念書も欲しいです」

「分かった。契約と信用は商人の命だと聞く。言えば念書くらいは用意してくれるだろう。全く、何をどう言えばシグルド君がこうなるのか聞いてみたいものだ」

 わなわなと肩を震わせるデルメルの横を通り過ぎて退出する。エミリーちゃんなど俺がいじめられているとでも思ったのか、エミリエさんとつないでいた手を放して俺の手を抱きしめてデルメルを睨む始末。何故か随分懐かれたと思うと同時にここまでやるつもりは無かったのでどうしてこうなった状態である。いや、念書の件でとどめは刺しただろうか。

 受付で諸々の説明をして念書を貰う。だがそれは俺の手の中ではなくカスパル卿自らが手にしていた。しかもわざわざ公開されている一階の待合でやり取りを行い、自分が代理人であることと念書も自分が保管することを公言する始末。

 ホントにどうしてこうなった?

「伯爵、よろしかったのですか? あのようなことをしていただいて」

 商業ギルドを出て馬車を待つ間、ラッシュさんがおずおずと問いかける。

「構わん。商業ギルドと事を構えることになったとしても君たちとの縁の方が私にとって魅力的だったというだけの話だよ。あとエミリー、シグルドお兄ちゃんが困っているからそろそろ離れてあげなさい」

「やっ、です! シグルドお兄ちゃんは私が守ります!」

 なぜかカスパル卿とエミリーちゃんからお兄ちゃん呼びされた挙句に俺はエミリーちゃんに守られているらしい。状況が混沌としてきた気がするが気のせいだろうか。

 馬車に乗って再び伯爵邸に戻る。そう、また伯爵邸に俺たちは向かうのである。理由は何故か。夕食に招待されたからである。馬車の中で俺はカスパル卿と一緒だ。その訳は俺の隣で俺の顔をじぃっと見上げているエミリーちゃんにある。

「随分気に入られたな」

「何かそんな要素ありましたかね?」

「子供は意外と見ているものだよ。君の言動がエミリーの中で信用足り得たのだろう」

 隣を見る。エミリーちゃんの瞳がじっと俺を見据えている。

「シグルド君、君、歳は?」

「? 十七ですけど」

「エミリーと婚約しないか?」

 カスパル卿、さらりと爆弾発言をする。エミリーちゃんは「シグルド様が私の旦那様になるのですか?」と俺の顔を見てきょとん顔だ。

「エミリーお嬢様はまだ六つですよね。流石に歳が……」

「十歳程度、貴族の政略結婚では当たり前なんだがなぁ」

「それに俺、好きな人いますし」

「ミア君かね?」

「ええ」

 俺は臆面無く答える。その答えを聞いたカスパル卿は馬車のシートに深く身を預けると「そうか」と呟いた。

「君の素直さを若いころの私に分けてほしいよ」

「奥様とは恋愛結婚だったんですか?」

「政略も絡んではいたが、私は恋愛だと思っているよ。……もう想いは伝えているのかね?」

「いえ、いろいろ事情がありまして。この想いは伝えるつもりはありません」

「ほう? 難儀なことだな。だが……そうかぁ。ラッシュ君に続いてシグルド君にも振られたかぁ」

「それ本気で言ってますか?」

「むろん本気だとも。婚姻での関係作りは貴族間では常識だよ?」

 六歳の娘の前であっけらかんと貴族の大人事情をぶっちゃけるカスパル卿。だがこの人は娘のこともしっかり考えているはず。自分の子供をおちょくることはあっても本気で嫌がることはしないし、その将来も考えているのだろう。と言うことは、少なくとも俺はカスパル卿の中で出会ったときのラッシュさんと同じ評価にのっかったのかもしれない。

「光栄です、と言っておきます」

 口元に笑みを浮かべたカスパル卿は窓の外を見る。もう屋敷に着くころだった。

 少し待って食堂へ。この世界の食事事情は一見中世のような世界観に対してその実情は十九世紀程度のレベルがある。特に顕著なのは香辛料。保冷庫と言う名の冷蔵庫があるため鮮度を保ったままの流通が可能であり、世界的に生産が試みられているため少々高いが庶民でも手が出る。なので貴族と庶民で料理のメニューにあまり差は見られない。だが一流の料理人が調理を行い、高価な食材が使われるため同じメニューでも味は大きく変わったりする。そんな料理が、俺の目の前に置かれている。

 メニューは酪農地帯だけあってクリームシチューがメイン。あとは根菜の温サラダと白パン。クリームシチューに使われている鳥のような肉も、出汁が良く利いてて脂のうま味もしっかりあるので少なくとも一般に多く流通するコカトリスレベルではない。あれは脂の多いもも肉でももうちょっとパサつく。

 だが俺は、欲を言えば白パンより黒パンの方が好きだ。あの香ばしさがいいのだ。白パンも白パンで焼きたての小麦の香りは良いのだが。

 食事も終えてしばし歓談。流石にラッシュさんがそれとなく別れの口上を述べてお暇かと思いきや、それを無視する声が一つ。

「お父様、シグルドお兄ちゃんたちは泊まっていかないのですか?」

「む? 私は構わないが、金獅子の皆も忙しいのでは?」

 皆の視線がラッシュさんに集まる。カスパル卿は俺たちが忙しいのではないかと言ったが、そんなことは無い。もうこの時間だと後は風呂に入って寝るだけだ。ムーベル山脈の調査に向かうための物資調達も必要ない程度に食料のストックもある。だから問題は無いのだ。

「特に今日はもうやることもありませんが、よろしいので?」

「来客用の寝室も空いているから構わんよ。ところでエミリー、どうしてシグルドお兄ちゃんたちに泊まって欲しいんだ?」

 お兄ちゃん呼びはもう固定ですか。カスパル卿から見て俺はイジる対象ですか。そうですか。あとミア。腹抱えながら笑いを堪えるんじゃない。

「お兄ちゃんともっとおはなしがしたいです! あとお風呂!」

 お風呂。そうエミリーちゃんが言った瞬間エリザ夫人とエミリエさんの目が鋭くなる。完全に沼に沈んでるようだ。

パッチテストも一日二日とは聞いているが短時間では三十分とかいう話も聞くのでリンスも解禁していいか。ここで入ったらどうせ流れるし。それに売りに出したらパッチテストなんていちいちやってられないし。異常が出たら即座に使用をやめるように言っておこう。

そうして夜。寝室は一人一部屋与えられ、我が家へのゲートは俺の部屋に設置されている。風呂が沸いたらまずはエリザ夫人、エミリエさん、エミリーちゃんが昼間のメイドさんを伴って入浴。その後は一番風呂を取られてちょっぴり悔しそうなイリスさん、ラッシュさん、リューグ、俺、長風呂のミアと続く。リンス初使用のエリザ夫人たちは見違えるような髪になっており、随分喜んでいた。

 俺の風呂上がりの熱が冷めてしばらくした後、ミアがゲートから出てくる。もちろん髪は水気を滴らせたままだ。伯爵家でもいつも通り、俺に髪の手入れをさせるつもりらしい。ミアは俺の足の間にお尻を入れると「ん」と俺の方を肩越しに振り向く。その手には愛用の櫛。俺はアイテムボックスからドライヤーを取り出すと、ミアの髪を乾かしにかかる。

 しばらくそうしていると、部屋をノックする音。ゲートは既に片づけているので「どうぞ」と誰何することもなく部屋に通す。入ってきたのはエミリーちゃんとゲートの存在を知っているメイドさん二人だった。

「お兄ちゃん、おはなししに来ました!」

 意気揚々と俺に向かってくるエミリーちゃん。だが手櫛で髪を梳く俺とそれを受けて気持ちよさそうに目を細めているであろうミアを見てちょっと頬をむくれさせる。

「ミア様、そこをかわってください!」

「えー、貴族のお嬢様でもそれはできないよ。ここはあたしの特等席だからね」

 俺の足の間の権利を売り渡した覚えはない。だがそんなことは関係なく無理やり俺とミアの間に割り込もうとしてくるエミリーちゃん。メイドさんに助けを求めるがエミリーちゃんの好きにさせるようだ。

 俺は足の間のミアを左足の上に乗せ、寄ってきたエミリーちゃんは右足の上に乗せる。メイドさんを見てみるが特に動かないので問題は無いらしい。そもそも成人女性と幼女を同列扱いするのはどうだという話だが気にしない。

「お兄ちゃん、見て下さい! ミユに洗ってもらって、キャシーに乾かしてもらったので綺麗になりました! 触ってみて下さい!」

 メイドさんに視線で確認を取る。エミリーちゃんの意思なので問題ないらしい。

 エミリーちゃんの髪に指を通す。もともと幼いだけあってダメージも少なく、見た目は大きく変わらないが指どおりは滑らかだ。「あたしは?」と言いながらミアがお尻をぐりぐりして催促してくるのでもう片方の手でミアの髪に指を通す。

 比べてみるとエミリーちゃんの髪はミアの髪より細いようだ。俺は二人の髪を櫛づけるように撫でていく。慣れていることもあるのか、ミアの比較すると固めな髪の手触りの方が落ち着く。

「そういえば、お嬢様は何かお話をしに来られたのでは?」

「そうでした。でも別に話があって来たのではないのです」

「と、言うと?」

「私にはお兄様がいます。お兄ちゃんよりちょっと年上で、今年からは王都でお父様の代わりにじむ? のお仕事をしています。お兄ちゃんを見てたらお兄様を思い出して寂しくなったのです」

 聞くと伯爵家は一男四女でエミリーちゃんの言うお兄様はカスパル卿の三番目の子供になるらしい。話を聞く限りお兄様はエミリーちゃんを溺愛していたようで、逆にエミリーちゃんもお兄ちゃんっ子だったようだ。しょんぼりとお兄様の話をするエミリーちゃんを、同じく俺を兄と重ねて見ているミアと重ねてしまった俺は梳くようにしていた手を二人の頭にのせて優しく撫でることにした。

「じゃあ、そのお兄様の話を聞かせてもらいましょうか」

「なら私もエミィの話を聞いてもらおうかな。お嬢様が好きそうな冒険話もあるし」

 そう言ってミアは俺の膝から降り、とんと俺を押し倒してその頭で俺の左腕を人質にとる。

風呂上がりに話すときの定番になりつつあるこのスタイル、ここでもやるのね。まぁ、別にいいけど。

ミアがそうするとエミリーちゃんも同じように倒れこんだが、身長が足りなかったのでよじよじと目線をあわせて俺の右腕を人質にとる。

 そして俺を挟んで始まる兄談義。俺は時折相槌を打ちながら話を聞く。ミアはエミリーちゃんのお兄様の話から分かる溺愛っぷりに笑い、エミリーちゃんはミアとエミールさんの冒険譚に目を輝かせる。俺は身を投げ出したまま侵食してくる眠気に委ねてゆっくりしようと思ったが、ミアとエミリーちゃんの両方から催促があったので二人の頭を撫で続ける。そして二時間も経つとエミリーちゃんの反応がだんだんと弱くなっていき、ついにはすぅすぅと寝息が聞こえてきた。

 メイドさんの一人は呼ぶまでもなくエミリーちゃんを起こさないように抱き上げると、寝転んだままの俺とミアに器用に一礼して部屋を出ていく。

「さぁ、ミアもそろそろ部屋に戻ってください」

「えー」

「えー、じゃないです」

「いいじゃん。ベッド広いし、なんか落ち着かないんだよ。あたし、狭ところの方が好きだから」

 俺とミアがやいのやいのといつもやってるような言い合いを始めると、それに待ったをかける声があった。部屋に残った方のメイドさんだった。

 というかまだ居たのか。気づかなかった。

「申し訳ありません。ミア様。これからシグルド様を旦那様の元へお連れしなければいけませんので」

 その言葉に俺たちは揃って頭に疑問符を浮かべる。

「何かありましたっけ?」

「いえ、ただ私は旦那様よりシグルド様をお連れせよとの命を受けただけですので。格好はそのままで結構です」

 そう言われれば行くしかない。家主の、それも貴族のお誘いを無視するのは流石に無礼だというのは俺でも分かる。

「じゃあ、俺は行ってくるので、ミアは部屋に戻ってください。いつもみたいに居座らないでくださいね?」

「はいはい」といいつつ動く気が無さそうなミアにジト目を送りつつメイドさんについていく。案内されたのは、位置でいえばエントランスホールの上に当たる三階の部屋。メイドさんのノックに「誰だ」とカスパル卿の誰何する声。

「シグルド様をお連れしました」

「通してくれ」

 メイドさんの手によって扉が開かれ、俺は部屋の中に通される。部屋は寝室の調度品などと比べると幾分か質素に見えた。証明が落とされ、燭台と暖炉の明かりだけの部屋に月明りが差し込む窓際には丸テーブルが置かれ、ソファが扇を描くように三つ。そのうちの左の一つは空いている。部屋の中には真ん中のソファに座る後姿のカスパル卿、ワインボトルを持ってこちらを見ているフォーグさん、右のソファにはラッシュさんがいた。メイドさんは俺を通り越してカスパル卿にいくつか言葉を伝えると、退出して扉を閉めた。

「かけてくれ」

 カスパル卿がそう言うと、フォーグさんがワインボトルを置いて左の空いている席に手を添えてどうぞと促した。

 促されるままに俺は座る。テーブルの上にはチーズとクラッカーらしきもの。三つのワイングラス。薄暗くて気づきにくかったがボトルの空き瓶が既に二つあった。

「お待たせしてしまいましたか」

「いいのだよ。こちらこそ、エミリーが世話になった」

 そう言ってワイングラスを掲げるカスパル卿。一つ空だったワイングラスには横からフォーグさんが俺の分のワインを注いでくれる。

 席に着いて分かったが、この部屋は庭園を一番綺麗に見ることができる部屋のようだ。シンメトリーに作られた庭園の常緑の青葉が月光を反射して蒼く輝いているのが幻想的だった。

「良い眺めだろう?」

「ええ、とてもきれいです」

 俺は景色を楽しみながらワインに口を付ける。酸味と渋みが強くガツンとくる感じだ。名産のチーズも勧められたので口にする。見た目はブルーチーズで、味もワインとよく合っているような気がした。気がするのは俺に味の良し悪しなど分からないからだ。結局のところ、美味しけりゃ何でもいいのである。

「基本的に我が領民しか口にしないこのチーズを躊躇なくいけるか。ラッシュ君でも一分、いや、二分は躊躇ったぞ?」

「カビの付いたチーズですよね。おいしいです」

「知っていたのかね?」

「故郷で一度見たことがあります。口にしたのは初めてですけど」

 そう言って俺はチーズとワインを楽しむ。カスパル卿はそんな俺の様子を見て楽しそうだ。

「カビと知っててよく躊躇なくいけるな、お前」

 ラフな格好のラッシュさんが頬をぴくつかせている。多分相当カスパル卿に煽られて食べたのだろう。その証拠に、開けたボトルの本数に比べてチーズの残量が多い。

 まぁ、苦手な人は大丈夫だとわかってても苦手だよね、こういうの。

「そういうラッシュさんは駄目ですか?」

「食べてはみたが風味があまり得意じゃない。伯爵には申し訳ないがクラッカーばかり頂いているよ」

「クラッカーと一緒に食べてみました?」

「私が既に勧めたよ。だが駄目だそうだ」

「じゃあ、これ使ってみます?」

 俺はアイテムボックスからデーツっぽいドライフルーツとナッツ類を取り出してテーブルに置く。

「ナッツとジュロモドキの実か。変わるのか?」

「まぁ、騙されたと思って。伯爵もどうです?」

 言った後で気づく。毒見もさせずに食べさせるのは不味い。だがそんなことは気にした様子もなくカスパル卿はその実を一つ手に取り、口の中に放り込んだ。

「随分甘いな。爺も一つどうだ?」

「いただきます。……確かに、甘うございますな。この辺りではあまり見ない果実です。もしや南部の?」

「ええ。ロアの街で旅のおやつに買い込んでいたものです」

 そんな会話の横でラッシュさんがクラッカーにチーズをのせ、ジュロモドキの実のドライフルーツと一緒に口に放り込む。

「あ、美味い……」

 続いてナッツとともにパクリ。これも口に合ったようだ。ワインのペースが上がる。カスパル卿も同じようにしてジュロモドキの実とチーズの組み合わせを実食。

「ふむ、風味が薄れるがチーズのコクはそのまま……。強い甘みが塩味と合わさって良いな。これは美味い。美味い上に風味が苦手な者も食べやすい」

「ラムケスでもいけますよ」

 ラムケスとは地球でいうところのレーズンである。

「ほう? ラムケスならこの辺りでも手に入るな。行きつけの飲み屋にもあったはずだ」

「旦那様、また抜け出して街の食事処へ?」

「い、いやな、爺。私にも時には息抜きと言うものが必要でな? 飲み友達も心配するし」

「これはまた奥様からのお説教をお願いせねばなりませぬな」

「ほっほっほ」と笑うフォーグさんと「頼むから勘弁してくれ」と泣きつくカスパル卿。他愛もない話をしながらチーズとドライフルーツの組み合わせが気に入った二人がさらにボトルを二本開けた後、カスパル卿は酔いで顔を赤らめさせながらソファに身体を深く沈めて「ふぅ」と息をついた。そもそもあまり飲んでいない俺と飲んでも変わらないラッシュさんは完全に素面だ。

 と言うか前から思っていたけどラッシュさん、酒強いな。カスパル卿に勧められるまま飲んでいたから俺が見てる限りでもボトル一本はいってるはずだが。

「酔ったな。酔い覚ましに私の話を聞いてくれないだろうか」

 少し虚ろな目でカスパル卿は話し出す。既に酔っ払いなのでこちらが了承する間もなく話は始まった。

「私には真の友と呼べる者がいないのだよ」

 カスパル卿はそういうがそんなことは無い。友人関係にある貴族はいるし、親戚関係も多い。だが貴族である自分のまま、貴族と言うしがらみを忘れて付き合える人物はいないそうだ。さっき口にしていた飲み友達とやらはカスパル卿が貴族だとは気づいていないらしい。だから自分を貴族と知って、それでもなお冗談を言い合ったり間違った時には殴り飛ばしてくれる親友が欲しかったのだと語った。過去はフォーグさんの息子、アンドレさんが弟分だったらしいが、年齢を重ねるごとに立場がそれを邪魔した。そこで彼が目を付けたのが冒険者だった。国にすら縛られない冒険者なら、自分の望みを叶えてくれる人物がいるのではないかと。ラッシュさんに目を付けていたのはそういうこともあったらしい。情勢が安定しないのは望ましいことではないが、そのおかげで俺たち金獅子がこの街に立ち寄ったのはカスパル卿にとって喜ばしいことだった。そして俺たちは出会い、そこには俺が居た。金獅子の皆が気をかけてくれ、カスパル卿自身のではないが身近な人物の願いを面倒くさそうな目をしつつもかなえてくれた俺が。

 今日カスパル卿が言った俺たちとの縁を切りたくないというのは本音なのだろう。そしてもっと気やすい関係を望んでいる。そのラインに、俺とラッシュさんは選ばれたのだと理解する。そして同時に垣間見る。この独白を続ける一人の男の孤独を。それが許されないと知りながら渇望せずにはいられない心を。

 俺はフォーグさんをちらりと見る。視線に気づいたフォーグさんは悲しい目をして首を横に振った。依頼を受ける受けないの問題では貴族の権威すら跳ね除けられる冒険者だが、それでも所詮は平民でしかない。そんな俺たちは、本当の意味でカスパル卿の願いを叶えることはできない。

いや、元貴族家系のラッシュさんならあるいはもしかするのか。だから目を付けられていたのか。一縷の望みをかけて。

言葉を紡ぎ終えたカスパル卿はほぼ閉じかけていた目を完全に閉じ、寝息を立て始めた。俺とラッシュさんは何も言わない。何も言えない。

「旦那様はお疲れのようです。お二人も長話に付き合わされてお疲れでしょう。お部屋でごゆるりとお休みください」

 そういうフォーグさんの言葉に俺たちは静かに席を立つ。カスパル卿の頬には雫なんて無かった。そういうことにしておく。

 退出する前、ラッシュさんは後ろを振り返ると最敬礼をした。それはきっと謝罪と一線を引くという意思で。それをフォーグさんは主人に代わり礼をもって返した。

 部屋の前に待機していたメイドさんに連れられてあてがわれた部屋に戻る。俺が部屋に戻ると、案の定俺の言葉を無視したミアが、俺が寝ていた辺りに顔を埋めて寝ていた。俺はミアを持ち上げてミアの部屋のベッドに放り込み、自室に戻ってベッドに入る。

 数日後からは本格的に調査に入る。この先に何が待ち受けているかはまだ分からない。

俺は一抹の不安を胸に部屋の照明を落とすと、眠れぬその身にスリープをかけた。



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