8 トラウマとトラウマ
王都ハロルドからアルベーヌ辺境伯の居城があるカーマンベルグまでは大きな都市を二つほど経由する。かかる時間は各都市間で一ヶ月程度。十日毎程度に中規模な街を挟むように街道が整備されているので補給などは問題ない。
そんな中俺たちは、王都から数えて二つ目の大きな都市、ロットルにいた。ロットル周辺は湖沼地帯であり、淡水魚やワサビに似たハーブ、サトイモのような植物、広大な土地を利用した酪農が特産となる。だが今の街は活気がなく、人々の顔も幾分か沈んで見えた。
ついでに言うとロットルはアルベーヌ辺境伯の領地の最南端であるため、辺境伯領入りは既に果たしている。
俺は今宿に居て、宿のベッドに寝転がっている。今日の宿番は俺だった。ロットルの宿の食事は酪農が盛んなだけあって黒パンのチーズがけやグラタンのような料理がおいしかった。また淡水魚も豊富でミアなどは内陸なのに魚があると少々泥臭さを指摘しながらも新鮮な魚料理に舌鼓をうっていた。
「シグルドー、お風呂あがったよー」
「今日は二日目なんでお湯の栓抜いておいてくれました?」
「抜いた抜いた。換気扇……は付けっぱなしでいいんだっけ?」
そんなことを言いながらミアは湿気た髪を振りつつ櫛を片手に寄ってくる。
「つけっぱでいいです。というかいい加減、自分で乾かしてくれませんか」
ベッドに大の字で寝ていた俺の足の間に胡坐で陣取るミアにジト目を送る。だが起き上がってドライヤーを取り出す俺も俺であった。
王都での一件以降、ミアの髪を乾かしてやるのが日常化している。最初に「教えてー」と言われてやったのが運のツキ。そのままずるずると今に至る。
俺から離れるのではなかったのか。むしろ依存度が増してるような気さえするのだが。
だが勘違いはもうしない。ミアは心の中で兄と俺を重ねているだけなのだから。
それとなく自立するように促してみるのだが、その尽くは失敗している。髪を乾かしている間に眠気に負けて同衾すること二回。街で彼氏、旦那扱いされること十数回。なおミアが腕を組んでくることが主な原因。俺の見守りと言う名の見張りがミアに交代すること数え切れず。
基本的にずっとミアと一緒にいる気がする。戦闘での連携も、最近はラッシュさんよりもミアからのスイッチで仕留める方が多い。
俺はミアの髪を乾かしてやりながらそんなことを思い出す。温風を受けて髪をなびかせるミアは気持ちよさそうだ。冷風で髪を乾かしきり、櫛を通していく。リンスのおかげもあって櫛の通りは滑らかで、髪はいっとう艶が増している。ちなみにリンスのパッチテストは全員問題なかった。もちろん俺も問題ない。イリスさんが文字通り飛び跳ねて喜んでいたのは記憶に新しく、また彼女も最近は目に見えて髪質が改善されている。
「シグルドー、いつものー」
「はいはい……」
俺は櫛をミアに返し、その艶やかな髪に指を通す。
ミアの言ういつものとは手櫛と頭皮マッサージの事だ。別にマッサージの仕方を知っているわけではないが、髪のほつれを解いてやった時に手で髪を梳いてやったのと頭に触られたのがお気に召したらしい。と言っても頭に触ったのは撫でる程度の事だ。特別なことは何もない。
ミアの頭を撫でるようにしながら髪を梳いていく。「ふみゅ~」と気の抜けた声を出すその姿は完全になでろと強請ってくる大きなネコだった。
いきなり後ろに倒れこんできたミアの重みに耐えきれず俺は体をベッドに横たえる。俺の上には重なるようにしてミアが仰向けで寝転んでいる。ミアの髪の毛が俺の鼻先を撫で、リンスの柑橘系の香りが混じったミア自身の匂いが鼻腔をくすぐる。
あぁ、クソ……、と俺は心の中で幾度目かの悪態をつく。このまま抱きしめて、想いを伝えられたらどれだけ楽か。だがその思いは伝えない。伝えられない。伝えたら、この心地よい関係は終わってしまうだろうから。いつか終わるとしても、それはできれば緩やかな終わりであってほしい。
からかわれて、からかって。兄妹のような、姉弟のような関係を続けよう。だって俺はミアの事が好きだから。恋愛は惚れた方の負けだ。だから俺は我慢せずに、この想いをひた隠しにしよう。
そんな考えが、俺の手をミアの頭に導く。しばらくミアの頭を物理的にもみほぐしていると、いつの間にやらその胸は規則正しく上下しすぅすぅと小さな寝息まで聞こえてきた。
「ミア? ミア。……駄目だ。完全に寝てる」
俺はミアの下から這いずり出る。寝ながら丸まる彼女の姿はまさしく猫人族の名を体現していた。
仕方がないと俺は丸まるミアの体を伸ばし、背中と膝裏に手を回して持ち上げた。所謂お姫様抱っこである。普通にやったら腰が逝くが、ここは魔術がある世界。身体強化でどうとでもなる上に背中におぶる手間を考えるとこっちの方が楽なのだ。
ミアは基本部屋の鍵を閉めないのでこういう時は楽だ。だがこういうことが何度あっても困るし、そもそも何度目なんだって話でもあるのだが、細かいことは置いておく。
部屋まで運んでベッドの上に寝かせる。枕元のサイドテーブルにわざわざ布を敷いて置かれた耳飾りとペンダントを見つけてうれしく思ったのは誰にも内緒だ。
俺は「おやすみ」と一声かけるとミアの部屋を後にし、宿の部屋に戻る。
明日はこの街のギルドに寄ってから街を発つ。この街にたどり着くまでも魔物の活性化の兆候が度々見られた。この先どうなるのか。震源地とされる北の山脈に何があるのか。一抹の不安を胸にしながら、俺は宿のマットレスが薄くなったベッドで眠りについた。
翌日、がしゃんがしゃんと音を立ててロットルの北門をくぐる巨人の姿があった。何を隠そう、俺である。
「やっぱり目立つよな、それ」とラッシュさんが「大きいしねー」とミアが「もう慣れた」とリューグが「認識阻害の魔術でも掛けますか?」とイリスさんが言う。
「隠蔽用装備ならありますよ」
俺の言葉に「は?」と四つの声が重なった。
「いつの間に……ってあのときか! 長距離航行ユニット? とかいうのを作ってた時に使わなかったあの羽みたいなやつ!」
ぽんと手を握った拳を掌に叩きつけながらラッシュさんが言う。
と言うかよく覚えてんな、この人。いや、流石ラッシュさんと言うべきか。
とりあえず街道を外れて広いところに行く。ロアの街の近くのように森は無いので、周りに人がいないか十分に注意して換装を行う。
銃槍を手に持ち、背部スラスターユニットに連結されている懸架パーツを格納する。そしてラッシュさんが羽のようなと称したパーツを一対スラスターユニットに接続する。見た目はちょっと短くて先が二股になっている、赤い人が乗る金色のロボットのウィングパーツ。稼働状態になると下側に出ている二股のうち、後ろ側の方が持ち上がって見た目が変わる。この辺の可変機構はいつも通りただの趣味だ。
「周りに誰も居ませんね……?」
「リューグ?」
「俺の方でも確認できない。大丈夫」
それを聞いて俺は隠蔽用装備を稼働させる。変形機構が作動し、装備が稼働状態に。
「これは……!」
目の前でイリスさんが目を剥く。皆の前では、きっと俺の存在そのものが消えていくように感じられているはずだから。
俺がこの隠蔽用装備に付けた機能を説明するとこうなる。
まず第一段階として、俺の周囲には遮音結界が張られる。だがこれはパワードスーツの出す音を消すためのものであり、通信手段は必要なので音を伝える風魔術ウィスパーを併用して聴覚と俺の発声を確保。続いてビーコンを作った時に使った魔力隠蔽と、それの応用である熱隠蔽を利用することでサーチや蛇の目と呼ばれる熱源探査魔法から逃れる。あとは光魔術の幻術と認識阻害を併用することで光学迷彩もどきを再現し、最後に歩行時の振動が出ないように飛行状態で移動すれば完全ステルスの完成だ。黙っていれば側を通っても風が吹いた程度にしか思わないだろう。
俺は完全に姿を消し、端にいるラッシュさんを掠めるようにして後ろに回り込む。そしてステルス状態を解くと、声をかける前に皆がこちらを向いた。
「いつの間に動いた……? 転移魔術による瞬間移動……じゃないよな?」
「ラッシュさんの隣を掠めましたよ。ゆっくりですけど」
「あぁ、あの変な風が吹いた感じがした時か。リューグ、イリス。魔術的な探査はどうだ?」
「サーチに反応は無かった。完全に消えて、またあらわれた」
「蛇の目でも揺らぎのようなものしか。認識阻害と合わせられると対応のしようがありません」
そんな意見が述べられる中、ミアだけがしたり顔で俺を見ている。
「シグルド、もっかい消えて、動いてみて。当ててみるから」
言われた通り姿を消し、今度は彼らの右後方五メートルの位置に立つ。声をかけることはしないが、以心伝心したのかミアが行動を開始する。ミアは目を閉じると、その場でぐるりと一周し、ぴたりと俺の方を向いた。そのままつかつかと寄ってくると、俺の目の前でぴたりと止まる。ミアは手を伸ばす。だが目算を誤ったのか、コンと俺の胸部装甲に手が当たるとちょっと驚いたように目を瞬かせた。
「何で分かったんです?」
「獣人の鼻をナメちゃいけないよ」
ミアは姿を現した俺を見て自分の鼻をトントンと指した。
「匂いか!」
「微かだけどね。でも戦闘中にされたらお手上げ。戦闘前は、野生動物や魔物には無意味かな。獣人以上に鼻が利くから」
「それは……なんの役に立つんだ?」
「盗賊と戦うなら有用じゃない?」
さすがに元のスペックを考えると過剰だろうとラッシュさんは言う。騎士に搦め手も使わず正面切って圧勝できる暗殺者みたいなもんだと。
「まぁ、元が対人用装備ですからねぇ」
大会で優勝したり次回作では大会禁止パーツになったりした実績のあるヤツだ。ただ俺の装備しているものはイメージした元パーツと違って格闘攻撃したとしても効果が途切れたりすることは無いが。もちろん効果時間も魔力が切れるまで。
「ただこれ実戦では使えませんよ」
「どうしてだ?」
「魔力を馬鹿喰いするんですよ、コレ」
そう言いながら装備を外してアイテムボックスに格納し、いつもの懸架パーツを取り付けて銃槍を格納する。
「? 魔石を付ければ解決しないか?」
別に俺たちの稼ぎなら大粒も買えない値段じゃないだろうとラッシュさんは言う。
だが彼は分かっていない。分かっていないのだ。ロマンと言うものを。
「大きな魔石なんか付けたら見た目が悪くなるじゃないですか!」
カッコよさは全てに勝る。その時キミは美しい。
そんなことを力説していると、可哀そうなものを見る目で見られた。一部優しい目で見られているのがいたたまれない。
ラッシュさんは背嚢からペンとインクと紙と木の板とメールボックスを取り出してその場に座り込んで何やら文を書きだす。
「一応聞きますけど、何してるんですか」
「キール支部長への報告だ。イリス、頼む」
ラッシュさんは書いた手紙に二枚ほどさらの紙を重ねるとイリスさんに渡す。イリスさんから返ってきた紙には、一枚目と同じものが印刷されていた。
一応この世界にも印刷技術がある。ただ活版印刷やガリ版印刷のようなものではなく、魔術的なものが一般的だ。光魔術で後ろの紙に影を投影し、火魔術でその影に焦げ跡をつけるというやり方。火光混成魔術、コピーライト。欠点は元版が薄くないと駄目なことと、一気に印刷できる上限が紙だと五枚程度なこと。そのためこの世界ではまだ大量印刷が必要な新聞などは存在しない。
受け取った同じ手紙三通をメールボックスに入れて魔力を通し、ラッシュさんは出していたものを手早く背嚢に片づける。
また帰った時にお小言言われるんだろうなぁなどと考えながら「行くぞ」と言ったラッシュさんに続く。道は平原。街道には戻らず、すこし離れた場所を進んで行く。
「ラッシュさん、反応がありました」
「方向は合ってるか?」
「ちょっとずれてます。もう少し沼地の方です。あの林の奥ですね」
今俺たちが向かっているのはオークの潜伏場所だ。ラッシュさんがロットルのギルドマスターから情報収集をした時に調査の一環として討伐を頼まれたらしい。オークは魔物の討伐難易度としては銅等級だが、集団になると銀等級になる。ゴブリンとは違い、その体躯は大きく膂力も人より高いからだ。しかし一個体で銀等級に相当するオーガよりは膂力、知恵ともに劣り、銀ランク冒険者チームでも問題ないはずなのだが、街にいた調査に向かった銀等級のパーティは戻ってこず、既に北の異変を察知していた資金力のある金ランク冒険者たちはリスクを嫌って既に南へ逃れていた。そこに俺たちが現れたのである。
林に入ってしばらく進む。しばらく行くと、風に乗って嫌な臭いと耳障りな声が聞こえてきた。隣を見れば、ミアが苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「ミア?」
「被害者の声がした! まだ正気がある!」
その言葉に俺たちは駆けだした。音を立てながら走ったものだからオークにも気づかれる。彼我の距離はもう一〇〇メートルと言ったところ。藪二つ向こう。そこが開けた空間になっており、オークがたむろしている。
俺は皆に先んじて飛び出す。一瞬で集まった視線にたじろいだが、瞬時に意識を切り替えて麻酔弾を放つ。その数十三発。周りを見るが、兆候はあってもまだ集落化はしていないようだ。
「グゥアアアァァァッ!」と後ろを向いていたオークが吠えてこちらを向いた。その腰には防具を付けた女性が半裸に剥かれて貫かれており、オークはその人を抜き取って乱暴に投げ捨てる。ずしゃっと音を立てて地面に横たわる女性。オークとその人の間には、飛び散ったオークの体液が点々と繋がっている。
オークはまだ低位の魔物。麻酔弾は効くはずだった。だがそのオークに効いた様子はない。他のオークも既に睡眠から回復しだしており、明らかに耐性を持っていることが分かる。
俺はマガジンを麻酔弾から衰弱弾へと素早く変更する。一応麻痺弾もあるが、基本的には睡眠と同じレベルの魔術のため効果は薄いだろう。ちなみに麻痺魔術は殺傷能力がある。全身の筋肉が麻痺を起こすのだ。心臓麻痺や呼吸困難で物の数秒で死に至る
「奥の一体はやります!」
衰弱弾を撃ちつつ群れのリーダーらしきさっき女性を嬲り者にしていた一体に狙いを定めて突撃する。一閃。それで終わるはずだった。
「なっ」
ガキンと鳴った金属音。俺の銃槍が、鈍い光を放つ金属塊で根元から弾かれていた。オークの手に握られたのは、作りの甘い鋳造剣。その小巨人族よりも大きな手にぴったりと収まるように作られたそれは明らかに人間の作ではない。周囲に視線を走らせると、簡易の炉のようなものが一瞬視界の端に映った。
ここのオークは鍛冶技術を習得している。少なくとも、目の前のこいつは戦うための術を考えるだけの知能がある!
俺は弾かれた勢いのまま半回転。回し蹴りを放つが、オークの持つ大剣で受け止められてしまう。それを身体強化を乗せた膂力で押し切る。
大剣を持ったオークが吹っ飛ぶ。俺はそれを追いかけながら、バレルロールで背面飛行して皆が対応している他のオークに衰弱弾を撃っておく。
飛ばしたオークに追いつき、また一閃。今度はその厄介な大剣の破壊を狙って。しかし下から振り上げるようにして切ったその軌跡はやはり銃身部分に大剣を差し込まれることによって阻まれる。まるで俺の超速振動が付与された銃槍が、危険であると分かっているかのように。膂力でも、早さでも負けない。だが決定打に欠ける戦い。そうなるほどに、何故か低位の魔物であるはずのオークの戦い方が巧い。
かち上げたオークに苦し紛れに衰弱弾を放つ。しかしそれは体をひねったオークの大剣の腹で止められる。
「なんなんだ、コイツ……⁉」
オークの癖に戦い方がスタイリッシュすぎるだろうが!
心の中で悪態をつきながら倒す方法を考える。そんな俺の足元が、ずるりと滑った。
慌てて体制を立て直す。一瞬足元に目を向けて見れば、草の間に泥と水たまりがいくつもあるのが見えた。
俺は以前のゴブリン討伐を思い出す。月光蝶のリーシャさんが、初手で放った魔術を。
「雷槍!」
俺は左手に雷の槍を召喚し、水たまりに着地したオークに投げつける。それはひらりと躱され、オークの背後に着弾した。
「グゥッ⁉」
オークが体を痙攣させて片膝をつく。俺の雷槍はオークに躱された後直に地面に落ち、その身を感電させていた。
「セァッ‼」
電撃の加害範囲から外れていた俺は一瞬でオークと距離を詰める。振り抜いた銃槍はその首をしかと捉え、一刀両断に伏す。オークの首から噴き出す血しぶきを距離を取って避けながら皆の方を見ると、そちらの方も戦闘が終わっているようだった。
ミアとイリスさんが投げ飛ばされた女性の方へ駆けていく。
「堕胎薬を! 飲んでください!」
「他に捕まった人は⁉」
イリスさんに抱き起されながら堕胎の薬液を飲む女性が指を指し、ミアがその方向に駆けていく。冒険者らしきその女性はまだ捕まってから日が浅いらしく、布で覆われたその躰はボロボロだが胎はまだ膨らんでいない様子。堕胎薬を飲み切ったことを確認したイリスさんは女性にヒールをかけ始めた。
「あり……がとう…………」
女性は振り絞るように礼を言うと、イリスさんの腕の中でその意識を落とした。
先ほど女性が指さした方向には藪があるだけだ。だが、その藪の向こうでミアが立ち尽くしているのが見えた。そのミアが藪をかき分けてこちらに来る。その足取りは遅く、重い。
「ミア、生存者は」とラッシュさんが、聞かねばならない分かりきったことを聞く。
「そこにいるひとだけ。たしか討伐に向かった銀ランク冒険者は四人パーティーだったよね。全員見つけたよ。男の人は、半分になってた。女の子の方は、見ないであげて」
その言葉に、俺は表情を落とした。ラッシュさんとリューグは毅然としている。こういうところは冒険者としての差を見せつけられる。
「イリス、シグナルボムを」
淡々とラッシュさんが言う。イリスさんは女性を地面に横たえると、立ち上がり、片手を天に向かって突き出した。するとその手から魔力弾が放たれ天に上り、ある程度上がったところでぼんと弾けて赤色の煙と魔力の波を発した。
イリスさんがシグナルボムを放って一時間もしたころ、比較的体躯の良い馬に乗って数人がやってきた。そのうち何人かは護衛のようである。俺たちは北に向かう途中のため、街に戻る必要がないようにシグナルボム、つまるところ信号弾を放ったらギルドの職員が来るように手配しておいたのである。
「状況は、どうなりました?」
馬を降りながら職員がラッシュさんに訊ねる。
「先に討伐に出た冒険者パーティーらしき捕虜を発見。生存者一、死者三。俺たちに被害は無い。生存者は堕胎薬を飲ませてヒールをかけて今はそこで眠っている。死者は丁重に扱ってやってくれ」
ラッシュさんの言葉に職員は強く頷いた。
「オークの方は。何か異常はありましたか?」
「俺が戦ったオークは普通よりちょっと強いくらいだった。だが……シグルド」
後は説明しろと言われたので引き継ぐ。
オークの行動や知恵をつけていたらしいこと、鍛冶を行っていた形跡があることなど、全てを報告する。
「では沼地を利用して雷魔術で足を止め、止めを刺したと?」
「そうなります」
異様に強かったオークの元に案内すると、職員は軽く見分をした後俺に一礼して皆がいる方へ戻っていった。他の皆からも話を聞くらしい。
「オーク討伐の完了を確認しました。お疲れ様です。こちらが調査の完了及び討伐証明の書類になります。ロットル支部の押印があるか一応ご確認ください。金獅子はカーマンベルグ方面に向かうと聞いています。話は通っていますので、報酬の受け取りはそちらで」
後続の調査隊の到着を待つギルド職員たちに別れを告げて俺たちは街道へと戻る。だがその足取りは少々ゆっくりだ。原因は少々重くなってしまった俺の足のせい。
「シグルド。まだ二回目で辛いのは分かるが、慣れるか気にしないようにしないとお前が潰れるぞ。特に今は酔える酒もない」
「……はい」
暗く返事をする俺にラッシュさんはため息をつく。
「シグルド、一端それ脱げ。深呼吸して、魔術は使わずに、自分の力で大地を踏め」
何もしなければ何も変わらない。俺はラッシュさんの指示に従う。パワードスーツを格納し、最近無意識に使っている身体強化と知覚強化、サーチを含む探査系魔術をすべて切る。
今まで軽かった体が重力に引かれて久々に重い。感覚も膜に覆われたように薄い。だが感じていた息苦しさや頭の重さは薄れてくる。魔術の行使とは気づかないうちに脳を意外と酷使しているらしい。今は魔道具の類も持たないほうがいいだろう。
俺は久々に無防備な状態で大地を踏む。時折その足をもつれさせながら。休憩をいつもより多めに取りながらしばらく様子を見ていたラッシュさんが俺に質問を投げかけてくる。
「シグルド、答えにくかったら答えなくていいんだが、お前、いくつ魔術を常時展開してる?」
「えっと……身体強化と知覚強化、索敵にサーチ、蛇の目、聞き耳、直感、あとはオリジナルの多重認識の七つですね……」
身体強化と知覚強化は基礎能力の底上げ。サーチは大まかな索敵に。蛇の目はサーマルスコープの代わり。聞き耳は聴覚強化。直感は第六感的に認識されているが、その実は五感からの情報を総合的に分析し、自分自身に違和感を抱かせる魔術だ。自作した多重認識はそのうち製作予定のマルチロックミサイルのために編み出した魔術だが、ミスディレクションを防げるという副次効果が判明したため常用するに至っている。
指折り数えた俺の言葉にラッシュさんがその歩みを止めた。
「どうしました……?」
「お前、本格的に疲れてるな。常時展開してる魔術と言ったんだ。戦闘中に適宜使ってるやつは入れなくていい」
「えぇ。なので、さっき言った七つです。戦闘中は、そこに、魔道具の制御が入りますよ。さっきは、雷槍も使いましたけど……。感覚的に、魔法戦闘もやれないことは、無いですね」
どこかぼんやりしたままの俺をミアが支えてくれる。知覚強化も切っているためか手の感覚も少し鈍い。
押し黙ったままの皆にどうかしたのかとラッシュさんの顔に視点を合わせると、その顔が強張っていた。
リューグも、いつも表情に乏しいのにあんなに目を見開いて。あ、イリスさんは口元を両手で抑えてる。え、もしかして泣いてる?
最後にみんなどうしたんだろうとミアの顔を見ると、俺が余命宣告をされた時の母さんみたいな顔をしていた。
「ミア! 今すぐそこにシグルドを寝かせろ! イリス! お前確か医者が使う診断の魔術使えたよな⁉ シグルドにかけるんだ! 早く‼」
「え。え? えぇ?」
道の真ん中でミアに膝枕され、傍らではイリスさんが俺の頭から順に手をかざしていく。何が何やら分からないが、俺はされるがままだ。
リューグが珍しく動揺をあらわにし、ラッシュさんは神に祈っていた。
「異常ありません……。疲労は見られるものの健康体です!」
「なんなんですか、もう……」
体を起こそうとする俺をラッシュさんが物理的に止める。その顔は安堵の表情だ。
「シグルド、あのな……。いや、俺は適任じゃないな。イリス」
話を託されたイリスさんが俺に向き直り、ひとつ咳ばらいをする。
「シグルド。魔術の同時展開は多くて三つか四つが普通です。常時展開の身体強化とサーチ。魔術師ならこれに攻撃魔法が加わります。才能ある人なら二種混成魔法を使うことも可能です。でもそれは一瞬だからできることなんです。過去、今のシグルドと同じように常時展開系魔術を多く使う実験がされました。最高記録は六つと聞いています」
六つは同時展開できる人がいたのか。でも皆のこの反応はもしかして……?
「その人は、どうなったんですか?」
「……廃人になりました」
やっぱりか。だが俺の感覚ではまだまだ余裕がある。何しろさっきの七つの魔術を同時併用しながらパワードスーツの機動力を制御し、小銃の魔術機構を制御し、オートエイムを使いながらさらに思考加速を常時展開して戦闘行為を行っているのだから。それにさっきも言ったように、その状態でさらに魔術も使用できている。
脳のメモリ使用率は全力稼働で五割と言ったところ。もちろん思考加速による脳の演算性能の向上を考慮した上でだ。マージンを取っても七割までは大丈夫な感覚。魔術でいうなら雷槍クラスをあと三発ほど同時運用してギリギリと言ったところ。それでも多分鼻血が出る程度だ。
これは多分、身体強化で脳にまでその強化が及んでいるかの違いだろう。俺の脳は身体強化の影響で神経の信号伝達能力が大幅に向上している。筋細胞を強化するのと同じように、脳の神経細胞やシナプスを強化、増強するイメージができるかどうかがカギだ。これだけで使える容量はぐっと増える。確かに身体強化を使わなければ三つ四つが限界と言うのも頷けた。
ラッシュさんがまた頭を抱えないようにどう説明したものかと悩んでいると、俺の顔に雫が降ってきた。ふと見上げれば、ミアの頬を涙が伝っている。
「ミア?」
「あたし……、シグルドが、死んじゃうかと思ったぁ~!」
わぁーっと泣き出すミア。その頭を膝枕されながら腕を伸ばして撫でる。
あたりを見回すと、涙こそ流さないものの気持ちは同じだと皆の顔が言っていた。
これは包み隠さず吐いた方がいいか……。
俺は身体強化による脳の強化について、詳しく、ただしできるだけ分かりやすいように皆に教えて自分のやっていることが問題ないことを説明する。案の定、ラッシュさんは頭を抱えた。
「すると何か? 俺たちの体はその……細胞? っていうのでできていて、そのうち身体強化は筋肉を作る部分に作用してる。それを応用して頭ン中の細胞を強化してやるとお前みたいな芸当ができると?」
その言葉に俺は頷く。流石ラッシュさん。理解が早い。
「おい、イリス。何やろうとした」
「えっ? あー、そのー……うふふふふ?」
「試そうとしたろ、今! やめてくれ!」
お前に何かあったらどうする! とラッシュさんが吠える。
「身体強化の応用で止めてますっ。でもできそうですよ、魔術の多数同時展開。シグルドはメモリが増えると言っていましたが、私も限界からあと火球二つくらい増やせそうな感覚です」
イリスさんもイリスさんでいつも通り魔術及び理術に対する理解が早い。だが危険と自分で言っていたことに簡単に手を出すのは如何なものか。そういえばゲートの時も一番に動いていたか。まぁ、ことの発端である俺が言うとなんとも締まらないので言わないが、注意はラッシュさんが今まさにしているところなので大丈夫だろう。と言うかミアはそろそろ泣き止んでほしい。
ミアが泣き止むのを待って、日も暮れかけていたので早めの夕食にしようということになった。野営の準備をしなければならないのだが、俺は働くことすら禁止されている。あと監視と言う名目で、若干幼児退行を起こしかけていて使い物にならないミアは俺の右腕にくっついたままだ。
「別に死んだりしませんから、放してください」
ミア、ふるふると首を横に振る。
「どこにも行きませんから、ね?」
ミア、ふるふると首を強く横に振る。
駄目だ。信用されてねぇ……。
そうこうしているとイリスさんが料理を作り終える。俺も黒パンを配り終え、いざ食事となったのだが、ミアがまだ腕から離れない。
「完全にトラウマを刺激したな、こりゃ」
黒パンを齧りながらラッシュさんがぼやく。話によると、ミアの兄、エミールさんは俺とよく似ているようだ。容姿がと言う意味ではなく、性格やどこか抜けているところがそうらしい。そんな俺は、ミアにエミールさんの影を重ねられている。エミールさんはミアが三人と知り合う前からラッシュさんと多少交流があったらしく、ラッシュさんから「俺も似ていると思う」と言われた。エミールさんの死について語られることは無かったが、彼の死に際してミアは大いに荒れたらしい。前に聞いた、出会った時に酔っぱらってた話はどうにもそういうことのようだ。そんなミアが、問題なかったとはいえ常識的に考えれば廃人まっしぐらな行動をとっていた俺を見てどうなるかというと。
「はい、ミア。あーん」
「あー……」
俺はいつも通り若干薄味のスープをスプーンに掬ってミアの口に流し込む。
「シグルド。お前、もうちょっと使用する魔術の量減らせないのか」
「えー。戦闘能力ガタ落ちしますよ? 熱探知は切っても問題なさそうですけど、暗所での戦闘能力に直結しますし、探知系は普段使いしとかないといざという時に使い物になりませんし」
「む……ぅ」
「それになんで貧弱な俺が皆さんと一緒に行動できてると思うんですか。魔術で基礎能力や経験をバリバリに補ってるせいですよ? そうじゃなかったら既に死んでます」
俺の言葉に隣のミアがびくっと跳ねる。死という単語に反応してしまったらしい。
ミアの頭を撫でて宥めつつ小さく「あ」と開く口に食事を突っ込む。
「使ってても……問題ないんだな?」
「今まで問題なかったでしょう。まぁ、思いつくたびに徐々に増やしてたわけですけど。さっきの話を聞いて今以上の負荷をかけるのは止めようと思います」
「んー……、うーむ……」
ラッシュさんは唸る。きっと俺が七つも魔術を同時展開しているリスクと戦闘力の低下によるリスクを天秤にかけているはずだ。
「現状で無茶はしてないんだな?」
「全部使った上で感覚的には五割です。マージンを取ってもさらに上級魔術を三つ同時展開できます。魔道具は魔力の制御だけですし。マージン無視すればさらに二発程度は……」
「マージンは超えるな。絶対にだ。高名な魔術師はほぼ例外なく短命だからな。寿命を縮めるぞ」
「……はい」
「あと現状維持なら許可する。現状維持だからな? 絶対増やすなよ? あと魔術を使うのも控えろ。お前は魔術師じゃないんだから」
「はい」
俺は首肯する。寿命を縮めるというのは耳が痛かった。親よりも早く死んだ手前、現世はできれば長生きしたい。自分で死出の旅路を早める趣味は無いのだから。
だがもうすでに手遅れだったら。現状が既に命を削る行為であったとしたら。
いや、今は気にしないでおこう。
「で」とラッシュさんは俺の腕に引っ付いてるミアを指さす。
「それどうする?」
「どうって……どうすればいいんです? というか何でこんな状態に?」
「お前が無茶苦茶なことやったのが引き金だろう。エミールに雰囲気が似ていたのに加えてミアがお前とエミールを重ねていたのも致命的だったが」
「えー、俺のせいですか?」
「ミア自身の問題だが、きっかけを与えたのは確実にお前だ」
そう言って飲み干したスープの器をラッシュさんは置く。そしてちょっと足りなかったのかアイテムポーチから塩漬けの方の干し肉を取り出して食べ始める。
多分足りなかったのは量じゃなくて塩分だな。
「まぁ明日の朝には戻ると思いますよ」と回収した皿と鍋を水魔術で出した水で流しながらイリスさんが言う。
「あの頃からちょくちょく兆候は出てましたから。最近は減ってましたけど。あぁ、でもシグルドが行動を共にし始めた時はちょっとありましたね」
「そうなのか?」
「ええ。まぁとりあえずはシグルドが面倒見てればいいと思いますよ。多分ミアもその方が早く落ち着くでしょうし」
食器を洗いながらウフフと笑うイリスさん。
え、これ俺が面倒見る流れですか? 戻るまで?
そうこうしているうちにいつもの時間になる。つまりは、風呂だ。
ミアと一緒に⁉ なんてことにはならない。徐々に落ち着きをとりもどしていたミアは既にしがみ付くから裾をつまむ程度には変化しており、今はイリスさんが宥めて風呂に連れて行っている。普段野営の時はいつものテントを使うが、俺が自宅の自室で待機するように言われているのはきっとそういうことなのだろう。ちなみに自宅でミアが夜に俺の部屋に入り浸ってるのは公然の秘密というやつである。
コンコンと遠慮がちなノックがされる。「開いてますよ」と声をかけると、イリスさんと、気持ちいつも通りに戻ったミアがいた。イリスさんの髪はしっかりと乾かされて艶やかに輝いているのに対し、ミアの髪はまだ濡れている。
これは宿でのいつもの流れか。
ドライヤーと櫛を用意して足の間にミアを置く。
「いつも通りにしていいですか?」
「うん」
俺はミアの髪に温風を当てて乾かしていく。乾かし終えたら丁寧に櫛づける。出会った頃は外側に跳ねていた髪は、今はサラサラのストレートになっている。
最後に手櫛で整えながら頭を撫でる。しばらくそうしていると、ミアはおもむろに立ち上がった。今日はもういいのかな? と出しっぱなしの櫛とドライヤーをアイテムボックスに片づけると、ミアは勢いよく振り返って俺にダイブしてくる。
「ぐえっ……。がふっ、ごほっ」
身体強化を切っていたのでダメージをもろに食らう。当のミアは俺の胸元に顔を埋めて息を深く吸い込む。
「シグルドがエミィと違うのは分かってる。理解はしてるんだよ? でもどうしても重なっちゃう。ゴブリンから助けてくれた時もそう。エミィもいつも私を守ってくれた。でも、もうエミィはいないの。いないんだよ……。シグルドまでいなくならないでよ……!」
「どこにも行きませんよ。まだ死ぬ気もありません」
「でも危ないことしてたじゃん」
「あれぐらいじゃ死にませんって。今までだって問題なかったでしょ? イリスさんも健康体だって言ってましたし」
ミアの頭を撫でながら、なんで俺が慰める側に回っているんだろうと考える。元々は俺が落ち込んでいたのをどうするかみたいな話だったのに。ミアがこうなって、俺の気分の浮き沈みもうやむやになってしまった。それでよかったと言えばよかったのかもしれないが。
こうしてみると、ミアが俺をエミールさんと重ねているように、俺も創作物の中で見た甘えん坊の妹か絡み癖のある姉を相手にしている気分になってくるのだから不思議なものである。これも俺が既に金獅子の皆を家族と認識しているが故。
まぁそれも恋心と同居しつつではあるが。
「むぅ」
ミアはずいっと体をずり上げると俺と目線を合わせる。鼻先がくっつきそうな距離。そのままミアは顔を傾けると、俺の首筋に小さな八重歯を立てた。
「何してんですか……」
「はまえへふ」
口に俺の首筋を含みながらだから何を言っているか聞き取れない。
「なんですって……?」
「はぷ……。おまじない。シグルドが無茶しないように」
そのままミアは体の力を抜いた。
「テントに戻る気は?」
「ないね」
「寝たらいつもみたいにミアの自室に戻しますね」
「じゃあ寝ない」
今日はいつになく強情なようだ。それよりもミアよりも先に俺の方が落ちそうだった。微睡む瞼に、口から欠伸が漏れる。ホールドアップしたように上げた手に何かが絡まるような感覚を覚えながら、俺はそのまま眠りに落ちた。
俺の精神面の弱さとミアのエミールさんへの依存の高さが露呈してからしばらく。アルベーヌ領カーマンベルグまで最後の街から行程は半分と言ったところ。早めの昼食を終え、日は一番高いところを少し過ぎたころ。
「ん?」
常時発動している俺の探査魔術が複数の反応を捉えた。ちなみに俺は生身である。
「どうした、シグルド?」
「いや、なんか五十人ぐらいが街道の真ん中で固まってるんですけど」
「確かに……なんか見えるな。大きめの小規模隊商が立ち往生でもしてるのか? イリス、遠見の魔術使えたよな?」
そう言われてイリスさんが遠見の魔術を使用する。言われていないが俺も使う。隠れて使うのはあの一件以降魔術の使用を制限されているからだ。
全く、問題ないと言っているのに。
街道は真っすぐ繋がっている。遮るものもないので遠見の魔術を使えばよく見えるのだ。人数はやはり五十人とちょっと。だが見えているのは二十五人ほど。残りの二十五人は見えている馬車の中やその影にいるようだ。その馬車を背に囲むように冒険者らしき姿が十一名。さらにそれを取り囲むように統一感のない装備のガラの悪そうなのが二十名ほど。
これは……盗賊か?
「盗賊です!」
俺と同時に答えにたどり着いたイリスさんが声を張り上げる。駆けだそうとしたイリスさん。その肩をラッシュさんが掴む。
「先走る前に情報だ! 襲われているものは何者で、盗賊の人数と防衛戦力はいくらだ?」
「……襲われているのは小規模隊商。見える範囲で盗賊は十五人前後、防衛戦力は九!」
「勝算はあるか……。助ける。走れ!」
ラッシュさんに目配せされたので走りながらパワードスーツを装着する。前にいろいろ調整してステルス装備のままだ。換装の時間が惜しいのでそのまま走る。
「ラッシュ、情報更新。防衛戦力十一、盗賊が二十三。劣勢。早くいかないとまずい」
「シグルド! 俺を抱えて飛べ!」
俺はその言葉にラッシュさんの鎧を引き上げた。
「目ぇ回さないでくださいよ!」
飛ぶ。だがキール支部長との約束により最大出力の二割程度の出力だ。それでも一秒で五十メートルほどの速度。だが加速の負荷が違う。一瞬で最大速度まで持っていくその加速力にラッシュさんが一瞬呻く。
彼我の距離は約三キロ。
間に合うか?
速度を上げようとした俺の装甲をラッシュさんが叩く。静かに首を横に振られた。
歯噛みしながら俺は速度を維持する。たどり着いた頃には、戦闘は終わっていた。
「止まれ。冒険者だな? 二人で突っ込んでくるとはいい度胸じゃねぇか。身包み置いてくか、死ぬか。選べ」
「くっ」
俺は銃を構える。だがラッシュさんに手で制された。
「おぉっと、そこのでけぇの。動くんじゃねぇぞ? おい」
盗賊の一人が奥に行き、馬車の中から一人の若い女性を人質にして引きずって戻ってくる。そいつは人質の胸を後ろから鷲掴みにすると、その細い首にナイフを突きつけた。
「リーダー!」
「チッ。仲間か。ん? 森人族と猫人族の女、それに軽装備の弓使いに一人重装備の大男……。デカい鎧の奴は不明だが……。こいつら、金獅子か!」
「おい、それ南で名が売れてる奴らだろ。なんでこんな北の端にいるんだよ」
既に倒れている護衛たちをいたぶっていたり、積み荷を漁ろうとしていた奴らも全員集まってくる。
「おい、動くんじゃねぇぞ。女二人は武器捨ててこっちに来い」
その数、五対二十三。俺が構えたままの銃に力を籠めると、ラッシュさんから小声で指示が飛ぶ。俺は銃を下げる素振りで答えると、ステルス装備を起動させた。
ミアはショートソードを捨て、イリスさんはタリスマンを首から外して前に出る。
「へっへっへ。上玉じゃねえの」
盗賊の一人がミアの顎を持ち上げる。俺の奥歯が軋みを上げた。
「おい、一人足りなくねぇか?」
「あん? あっ、テメェ! 動くなっつってんだろ!」
盗賊の投げナイフが飛ぶ。その切っ先は気配を消して移動しようとしていたリューグの頬を掠めて後ろに飛んでいく。
その光景を見て、俺は引き金を引いた。半円状に金獅子を取り囲むように位置取っていた盗賊たちの後ろから。
実戦で初めて使われた連射モードで放たれた麻酔弾のそれは、一瞬の内に正確に盗賊たちを捉えて制圧完了する。
俺がラッシュさんから受けた指示は二つ。一つは、全力で姿を消して盗賊の後ろに移動すること。もう一つは、リューグが動くまで絶対に、何があっても動かないこと。
俺は、それを忠実に守った。仲間を信じて。
「イリス! 負傷者の手当だ! シグルド! 縄を出せ! 意識が落ちてる間に盗賊どもを縛り上げろ!」
各々が方々に駆けていく。だが俺には見えていた。睡眠がきいたふりをして弩を構えている奴がいることが。その照準が、ミアに合っていたことが。
破裂音。それは俺のパワードスーツのスラスターユニットが瞬間的な火を噴いた音。地面を音もなく裂きながら、銃槍の切っ先が盗賊の驚愕すら間に合わなかった顔を映す。
切った感触は無かった。動きを体で覚えているせいで反転した体が否応なしにそれを視界に入れる。ころころと、それは俺の足元に転がってきた。鋭いままの、弩を構えていた盗賊の顔と目が合う。
見知った造形。でも見たことない形。それは人の生首と言うやつで。
どくどくと心臓の鼓動が早まる。その光景が俺の意識を侵食する。がしゃんと音を立てて膝をつく。パワードスーツを解除する。一刻も早く新鮮な空気が吸いたかった。だがそれは逆効果で。むしろむせかえるような血の匂いがして。
そうして俺は、その事実を完全に、完璧に、理解する。
俺は、この手で、人を、…………殺した。
「おぅえっ……!」
昼食の黒パンと干し肉が口から全部出て地面にぶちまけられる。全部出して、それでも収まらない吐き気は胃液をだらだらと口の端から流し続ける。
「シグルドっ!」
「毒か⁉」
駆け寄ってきたミアがイリスさんを呼ぼうとするのを手で制す。だが言葉が紡げない。出てくるのは嗚咽と胃液と涙だけ。
徐々に冷たくなっていく手足。なんとか力を入れて立ち上がるがすぐに崩れる。今にもこちらに駆け寄ってきそうなイリスさんを目で制し作業に専念させる。ラッシュさんは分かってくれたようで、的確に指示が飛んでいる。役立たずの俺は手のひらに水を溜めてせりあがってくる胃液と一緒に飲み干す。そして飲んだ分をまた吐く。それを繰り返す。そんな俺の背を、ミアは撫で続けてくれた。
「非戦闘員は全員無事」
「護衛の方は、一人、間に合いませんでした……」
治療を終えたイリスさんが、盗賊を縛り終えたラッシュさんとリューグが、四つ這いになって浅く速い呼吸を繰り返す俺に寄ってくる。幸いなことに、えづくのだけは少し治まってくれた。
精神を安定させる闇魔術を自分に使う。だが精神を酷くかき乱されている今この時は魔術がうまく発動しない。
「イリ……さ……、せ…………あん……を……かけ……」
「イリス、スチールハートをかけてやってくれ」
絶え絶えな俺の言葉を正確に読み取ってくれたラッシュさんがイリスさんに精神安定の魔術をかけるように言う。
イリスさんの魔力が俺を包み、冷たくなった芯が温かみを帯びる。
吐瀉物にまみれた口元を手元に出した水で拭い、俺は立ち上がる。
「助かり、ました。あとは、自分で……なんとか……」
これくらいならば魔術をかけるには問題ない。精神安定ではなくより強力な精神操作をかけて精神防護にし、かかりは弱いが自分の心をがちがちに固める。それでもなお、殺人という事実は俺の精神を苛む。
「シグルド、俺の目を見ろ」
肩を掴まれて揺さぶられる。
「いいか。お前が殺らなきゃ俺たちの誰かが死んでた。そうだろ?」
俺の視線が彷徨い、ミアの顔で留まる。
「お前が守ったんだ。その事実を決して忘れるな」
俺の顔がもう一度ラッシュさんの方を向く。
「守った……」
「そうだ」
その心強い言葉に魔術のかかりが強くなる。拮抗していた感情が正常に戻っていく。
「もう大丈夫です」
首が泣き別れになった死体を見る。それを自分がやったことだとあえて認識する。何も感じないなんてことはどれだけ魔術での防護をかけようが今のところは無いが、もう取り乱すことは無い。
即席で強力な鎮静効果と精神防護の魔道具を作って首から下げる。既にかかっている魔術と合わさって一瞬完全に感情が無くなるが、自分でかけた精神防護を解いてある程度いつも通りに戻す。
「シグルド、それ、相当強力な術を使ってませんか……?」
イリスさんが引いている。
しょうがないじゃない。こうでもしないと心が壊れるんだから。一般的な地球人からしたら殺人の衝撃って相当なモノなのよ。
「ラッシュさん、この後どうします?」
「え、あ、いや。その前に、お前、大丈夫か?」
「えぇ。いつも通りですよ。多分」
「ミア、監視しといてくれ」とラッシュさんは俺にミアを付ける。
俺の大丈夫が全く信用されてない。まぁさっきの醜態を見せたことを考えたら無理もないが。
ラッシュさんが離れて隊商の責任者の所に向かう。非常事態とはいえ依頼外の護衛となる。その辺の話をまとめるのだろう。ギルドを通さない依頼は原則禁止だが、今回は盗賊の襲撃に居合わせたという緊急事態だったから規約違反には当たらない。こういう場合の報酬は金銭か隊商の場合は積み荷の供与。ラッシュさんの事だから安めの商品を適当に見繕って終了だろう。報酬の方はどうでもいいのだが、問題が一つ。
護衛の人は冒険者ギルド所属の傭兵団だったらしい。回復したらしいその代表者とラッシュさんが頭を悩ませていた。内容は、捕縛した盗賊のこと。普通なら盗賊を捕縛できた場合、最寄りの街に連れて行き引き取ってもらう。今まで出会った盗賊も殺すほど強い奴もいなかったので全員捕縛して街に連行した。だが今回は如何せん人数が多い。盗賊団とも言えるべき規模だ。一人屠っているから残りは二十二人。半分に分けて街に連れて行くとしても十一人。隊商はカーマンベルグを捨てて南に逃れようとしている一団であり、それだけの盗賊を約五日間連れて行くような余力はないらしい。一方で俺たちの方は食糧事情的にも戦力的にも全員連れていけるが、機密が多く連れて行きたくない。それで頭を悩ませているのである。
「こういう場合ってどうするんですか?」と俺はイリスさんに尋ねる。
「数を減らします。ですが……」
イリスさんはさんは俺を見て視線を逸らす。どうやら慮ってくれているらしい。ラッシュさんも俺をちらちらと見ていることを考えると同じ考えのようだ。
本当に気にする必要はないのだが。
面倒になった俺は冷静な頭で一番合理的な答えを導き出す。
とりあえず寝ている盗賊を魔術的にたたき起こす。
「盗賊さん。もう睡眠は切れてますよね?」
改めてパワードスーツを着込んだ俺に睨むような視線が刺さる。捕まってるのに気骨のある奴らだ。流石は盗賊といったところか。
「リーダーは誰ですか? その人を連れて行きます。あとは全員殺します」
その言葉に全員がこちら側の全員がドン引いた。盗賊たちは自分がリーダーだと騒ぎ立てる。俺はリーダーではなさそうな一番声のデカい奴を立たせると、銃槍でその首を薙いだ。俺の頬に飛び散った血が跳ねる。
「なっ………………」という呟きは誰が発したものだったのだろうか。
「さっきのは嘘です。選んだ人を殺します。いまあなたたちの中で一番偉い人は誰ですか?」
さっきとは打って変わり、盗賊たちは口々に一人の男を示す。俺はその示された細身の男を立たせると、隊商の方へと押しやる。
「そいつがリーダーらしいです。隊商の皆さん、そいつ一人くらいなら運べますよね?」
「あ、あぁ……」と護衛のリーダーさんが掠れた声を出した。
さて。あとは殺すか。進んで殺したくはないが、間引かなければ動けないのだから仕方がない。そもそもこの世界ではこれが一般的なようだし。
後ずさり、様々なものを垂れ流しながら慈悲を請う盗賊。俺は麻酔弾をぶっ放して逃走防止ついでに黙らせる。泣き喚いて謝るくらいなら盗賊なんてやらなきゃいいのにと思うだけで今の俺の心に慈悲なんてものは生まれない。
手近な一人を見据える。
あ。こいつ、ミアの顔に触った奴だな。まぁ、どうでもいいか。全員殺すんだし。
サクッと首を薙ぐ。噴き出す血しぶきを跨いで二人目の首を狙って銃槍を振る。
「シグルド! ストップストップ‼」
ミアが俺を後ろから羽交い絞めにする。パワードスーツを着ているせいであまり意味は無いが、獣人の膂力は流石と言ったところで動きを止められる。
「何ですかミア。どうせ間引かないと進めないんだから、とっとと殺りましょうよ。ほら、皆さんも。……って、なんですかそんな虐殺現場を見た様な顔して」
はっと我に返ったラッシュさんが俺に駆け寄ってきて肩を揺さぶる。
「いや、お前ホントに何があった⁉ さっき作った魔道具壊れてないよな⁉ 精神に異常をきたしてるんじゃないよな⁉」
「平常心ですよ? 殺さなくて済むなら辞めますけど。間引かないとどうしようもないでしょうに。それか一般に人の大量輸送の方法がありますか?」
暗にゲートは使えないでしょと問う。
「そ、それはそうなんだが……。いや、わかった。あとは俺たちがやる。お前はちょっと休め」
「そうですか? 積極的に殺したいとは微塵も思ってないんで、じゃあお言葉に甘えて」
三人目の首筋に当たっていた銃槍を盗賊の首から離す。
俺は少し離れると、パワードスーツを脱いで草の上に座る。
ラッシュさんや傭兵団の人は盗賊たちを引きずっている。街道から少し離れたところで始末するようだ。それを見て確かに街道のど真ん中で、しかも一般の人の前で死体を量産しようとしていた俺は奇行に走っていたなと反省する。もうちょっと他の人の迷惑も考えるべきだった。
ちょっと魔術のかかりすぎで感情がフラットになりすぎているのだろうか。殺しに忌避感は感じているし、積極的に殺したいなんてつゆにも思っていないが、今の状態の俺は必要ならばやむなしと思うし、何より人助けという大義名分の下に盗賊の処理は仕事という思いが強い。
ほんのちょっと試すつもりで咄嗟に作った魔道具を首から持ち上げる。その瞬間、俺を襲う強烈な罪悪感と自己嫌悪感。
殺した。殺した。殺した。殺した。殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した。
俺が、殺した。
また体が胃の中のものを出そうとする前に精神安定の魔道具を首に戻す。
駄目だな。しばらくどころか長い間お世話になりそうだ。街に着いたらタリスマンでも買うか、もっと丈夫なもので作り直そう。
盗賊に襲われた隊商を何とはなしに眺める。一般の乗り合いの人や商人らしき人は涙を流してその無事を喜びあっている。護衛に残った傭兵団の人は盗賊に負けた手前、ばつが悪そうだ。
とりあえず間に合って良かった。いや、一人は間に合わなかったのか。遺体が丁重に扱われることを祈ろう。いや、遺品を回収してここに埋められるのか。傭兵団の人の動きを見ているとそんな感じだ。
俺たちが来なければ全員盗賊の手に落ちていたのは事実である。また俺がラッシュさんと先んじて突入していなければもっと被害がでていたのも事実である。だから俺は、素直に良かったと思う。最善を尽くして、できる限り多くを救ったのだから。
俺は正しいことをした。そう思っていいはずだ。
思考は巡る。されど定まらず。そんな俺の手を誰かが取る。
「ミア。盗賊の処理は終わったんですか?」
「処理って……。シグルド、ホントに大丈夫なの?」
「? 大丈夫ですよ?」
「でも手とかこんなに冷たくなってる。顔色も悪いよ?」
心と体は繋がっているらしいが、完全に一致してはくれないらしい。体が追い付いていないのか、心が止まっているのか。……やってること的に後者か。と言うか、ミアはラッシュさんから何か言われてるな、多分。また俺が変なことにならないように見張っとけとかなんとか。
すごく辛そうな顔をしたミアが俺を膝の上に引き倒す。また膝枕状態だ。だがなぜミアは今にも涙をこぼしそうなのか。
「ミアから見て今の俺はそんなにヒドイ状態ですか」
「一人殺しただけであんなになってた人が、魔術の補助があったとしてもそんなすぐに立ち直れるわけないでしょ。無理すると壊れるよ?」
手で視界を塞がれる。俺は大人しく目を閉じた。
「ねぇ、シグルド。人は何で泣くと思う?」
「…………悲しいから?」
「そうだよ。悲しいから、整理をつけるために泣くんだよ。今のシグルドはちゃんと泣ける?」
俺は押し黙るしかなかった。だがどうしろと言うのか。正しい心のあり様に戻ったら、狂ってしまいそうだというのに。壊れてしまいそうだというのに。だが、ミアの言うことも正しい。
「じゃあどうしろと言うんですか」
「まずは心の問題を魔術に頼るのをやめよ?」
「発狂しますよ。さっき試したんで」
「それは困るなぁ。どうしよっか」
脇に手を入れられて座らされ、後ろから抱きしめられる。
「これで癒えないかな?」
ハグには鎮静効果があるとされているが、この世界の住人が知っている訳はない。偶然だろう。それか感覚的に知っているのか。
だが今の俺は癒えていくかどうか分からない。今の俺の心は痛痒を感じないのだから。
「癒えるといいですねぇ」
「なんで他人事なのさ……」
体に回された腕の力が強くなる。
でももうちょっと緩めて。物理障壁併用しないとサバ折りになるから。
俺はミアの腕をタップする。ちょっと締め付けが緩んだ。
冬場が近いからだろうか。背中がじんわりと暖かいのが有難いと言えば有難い。金獅子のメンバーには体温調節用の魔道具を配っているので薄着だろうが問題ないのだが、気分的にも寒いことは寒いのである。
「ふぁ……」
思わず欠伸が出る。何故だか非常に眠い。ミアから後ろ抱きにされて暖かいからだろうか。
少しだけ。少しだけ眠らせてもらおう。多分ちょっと慣れないことして疲れただけだから。
俺はミアの体に体重を預ける。瞼が微睡む。頭が酷く重い。
心地よいと感じる温もりに身を委ねながら、ひと時の間俺は意識を暗闇に落とした。




