26 オミナ
「オミナさん……」
「まぁ、立ち話もなんだ。座ってくれ」
ギルド職員立ち合いの元、俺たちとオミナさんは向き合う。
「と言ってもこの場で話すことは無いだろう。私でもいいなら引き受けたい。私は冒険者としては斥候で隠密特化だ。戦闘や危険を避けるだけなら問題ない。それに戦力的には問題ないはずだ。だろ?」
その言葉にギルド職員は不思議そうな顔をするが、一方で俺は何とも言えないぎこちない笑みを浮かべざるを得なかった。
目的が分からない。オミナさんの表情は澄んでいる。決して愛する者を殺した男を見る目ではない。だからこそ警戒する。覚悟を決めて腹を括った人の目にも見えるから。だがそこら辺の冒険者一人でなんとかなる俺達でもない。
結論として、俺は返答を保留した。保留している間はギルドは新たな請負人を探してはくれないので街を出る日にちが伸びるかもしれないが仕方がない。
宿への帰路につく。同じ宿を取っているオミナさんももちろんついてくる。
宿について、俺はオミナさんを自室へと招き入れた。扉を閉め、椅子を勧める。俺とミアはベッドに腰かける。
「どういうつもりですか」
「何がだ?」
「俺の出した護衛依頼を受けたことです」
「そのことか。何、簡単なことさ。もうしばらく旦那と旅を共にしたい、いや、協力を仰ぎたい。錬金術関連だ。他人がいるとやりにくいのもある。旦那がギルドに国境越えの護衛クエストを発注してたのは知ってたから、便乗させてもらった」
普段通りに、いや、領主邸での話が無かったかのような態度でオミナさんは軽く告げる。俺は訳が分からなくなって頭を抱えた。
「そういう話じゃないんですよ。俺はあなたの!」
「旦那、ストップ」
何故平然としてられるんだ。俺は愛する人の仇で、彼女は俺を恨んでいるはずで。
「旦那はいくつだっけか」
「……二十一です」
「なんだ。私より九つ下だったのか。もっと若いかと思ってた。私はこれでも三十年生きて、二十年は研究に費やして来たんだ。自分の感情と仕事を切って分けるなんて造作もないんだよ。年長者舐めんな。私は故郷を救いたい。だから旦那の手が要る。それだけだ」
真剣な目が俺を射貫く。舐めるなと言った時の感じがサキ嬢と似ているのは、いや、サキ嬢がオミナさんに似たのだろう。長い付き合いを感じさせる。きっと彼女の兄とも長かったはずだ。
「あなたの夢の成就に、俺の力が必要なんですね?」
「ああ。私を助けてくれ。頼む」
そう言ってオミナさんは俺に頭を下げた。
仇に頭を下げるのはどんな気分なのだろうか。それは俺の理解の範疇を越えていて、想像を絶している。だが並々ならぬ意志あってこそなのはわかる。
「……分りました。あなたにお任せします。旅の途中で俺の知識もできる限り伝えます」
それが罪滅ぼしの一部とでもなるならば。俺は喜んで協力しよう。
「シグルド。あたしはいいけど、いいの?」
「何がですか?」
「壊れちゃわない?」
隣に座ったミアが俺の手を握った手の力を強くする。砕ける寸前の俺の心を繋ぎとめるように。俺はその手を、そっと握り返す。
「大丈夫ですよ」
「何の話だ?」
「オミナさん、あたしはバカだからシグルドの持ってる知識の一割も理解できない。でもシグルドの体調や好きなこと、嫌なことは分かる。あなたに裏があるかどうかなんてわからないし、興味も無い。でも、シグルドと一緒にいることでシグルドを傷つけるつもりなら、あたしはあたしの全力であなたを排除するから」
部屋の気温が下がったような気がした。ミアが本気の殺気を漂わせている。今までは一度目があった後は俺が逃げることが出来た。だが今回の件は継続的に俺を苦しめると思って、本気でオミナさんを排除する気でいる。
ミスリルと肩を並べる実力者の威圧を受けてオミナさんが呻く。俺はミアの頭を抱き寄せると、その髪を梳くように撫でた。
「大丈夫です。大丈夫ですから。ね?」
「…………っはぁ……。旦那を害する気は毛頭ないよ。だが、ミスリルがそんなヤワか?」
「シグルドは弱いよ。戦闘力は高いけど、心は凄く弱い。今も多くの人を殺したことで苦しんでる。虐殺者なんて言われてるけど、シグルドが望んで殺しをしたことなんて一度だって無い!」
俺の腕の中でミアは吠える。今にも咬みつきそうな勢いのミアを、俺は固く抱きしめて落ち着かせる。
「もー。どうしてミアが泣くんですか」
「え? あれ、ほんとだ。なんで、泣いて……、あたし……」
ミアは俺の感情に過敏なところがある。感覚共有ともとれるそれは、密着している時に起こりやすい。
なんてことは無い。これも魔術の仕業だ。ミアは全魔術系統に適性が無いが、それは体外に上手く魔力を放てないと言うだけの話。ミアは俺限定で、その感情を読み取る魔術が発現するのだ。だから今ミアが流した涙は俺の涙。ミアは俺の代わりに泣いてくれているのである。
きっと俺は無理をしているのだろう。ミアにはそれが手に取るように分かるのだ。だから判断を俺に委ねつつ、一番に俺の身を案じてくれる。だがオミナさんの同行は俺が自分で決めたこと。贖罪になるならばと俺が勝手に決断したこと。泣き言を言う権利は俺にはない。
ミアを宥めて再度冒険者ギルドへ。依頼の受注と受諾を完了する。ギルドからは再三護衛依頼としては複数人で受けるのがセオリーだと忠告を受けたが、ギルド裏の練習場で三割くらいの力量でミアと模擬戦することで黙らせた。
「あなた方、ホントに商人ですか?」
「長いこと旅をしていれば護衛を雇えない事やその護衛が不逞の輩だったりしたこともありましたから。最低限の自衛能力は持ってますよ」と汗一つかかずに組み手をしながら答える俺に冒険者ギルドの職員は「えぇ?」と怪訝な顔をするがその辺は無視する。三割以下の力加減は逆に難しくて無理なのだ。それでもその辺の銀等級冒険者とどっこいの実力と認識されたので如何に俺たち、というか思考加速の恩恵が化物なのかと再認識する。ちなみに俺たちの様子を見ていたこの街のギルド職員に冒険者に誘われたが丁重にお断りした。
ギルドへの二重登録はどの国でも犯罪だ。ミスリルのギルド証を出すわけにもいかない。ミアの方は金ランクと証明しても良かったが、そこから金獅子、俺へとたどられるのを恐れた。
ちなみに冒険者が商人ギルドに加入することはままあることだが、商人が冒険者ギルドに加入することはよっぽどのことが無いとありえない。そのあたりはギルド員として資格の担保に必要なノルマが依頼達成か金かという違いがあるためである。商人に冒険者として依頼をこなしている暇などないのだ。
ついでに言うと今年はまだミスリルランクを担保できる依頼をまだこなせていないのでちょっとヤバい。いつもは年始めに皆で適当にこなすのだが、今年は精神的にそういう状態じゃなかった。ちょっと復活してからはすぐ旅に出たし。そういや商業ギルドからの出店依頼もすっぽかしたな。ロアの商業ギルドのギルドマスターであるラペッド支部長も訪ねてきていた覚えがあるが確か俺の生気の抜けた状態を見て帰っていったと記憶している。とても残念そうに。それはもう残念そうに。
とりあえず出発は二日後に決まった。もう店を出しても売れ無さそうだし、とりあえずゆっくりする算段でミアと予定を話し合う。
「料理は?」
「まだたっぷりと。食材もありますよ。というか乗合馬車の旅でもスープ系は作ってたので在庫はありますし。あー、強いて言うならミルクが減ってますかね? 普通に飲む上にスープにも使うんで」
「あたしのおやつは?」
「おやつありきで言われるのも釈然としませんけど、甘味もそこそこありますよ。皿に盛らなきゃ出せないものが多いですけど」
クレープとか、アイスクリームとか。そのまま食えるのは水飴くらいか。あと飴掛けラスク、パウンドケーキ、ドーナツが少々。ビスケットやクッキーもあるが、この世界基準では小麦を練って焼いたものは保存食扱いなのでおやつに入れていいか悩むところである。
「じゃあ問題ないね」
「食料は大事ですが食料以外聞かないっていうのもどうなんですか?」
「いや、だって野営装備とかはシグルドのアイテムボックスに入れっぱなしでしょ? 問題なくない?」
「いや、損耗状態とか」
「気になるようならシグルドが既に買い替えてるでしょ。直感と……多重認識だっけ? 常に発動させてるんだし」
その通りだからぐうの音も出ねぇ。
「というか三人で行くんでしょ? それにダッタルの国境の町まで一日じゃない? テント張らなくない?」
言われてみればそうか。雨が降っても空間魔術の雨よけでなんとかなるし。
「いや、それなら食料の心配もいりませんよね?」
「それはそれ、これはこれ」
そんなことを言うミアを連れてちょっと減った食材を買いに行く。帰ってきて秘密基地へ。俺はダイニングの椅子にミアを座らせてキッチンに立つ。ロルドで手に入る食材は平原地帯ということもあり目立ったものはない。強いて言うなら牛系の動物や魔物の肉が特産か。ついでに言うと平地なので農業が盛んで野菜類は多い。水源が近いので川魚もあり、沼地ではレンコンが採れる。一日行けば山があるので山の幸もあると言えばある。
そういえばからしレンコン売ってたな。試食がてら一切れ買ってミアと食べたがなかなか美味かった。
キッチンに立ったものの何を作るか悩む。正直スープ系は足りているし、いつでも作れる。作るなら面倒な揚げ物なのだが……。あ、そうだ。チキン南蛮作ろう。
前にアジフライを作った時にタルタルソースを作ったら好評だった。きっとチキン南蛮も気に入るだろう。
一瞬ラッシュさんとリューグの顔が浮かぶが無視する。この場に居ない人の事を考えても仕方がない。作り置きしておいて今度食わせれば文句も言われまい。
「ミア、晩御飯チキン南蛮……コカトリスを揚げたものに甘酸っぱいタレと前にキャスフライの時に食べたタルタルソースをかけたものと、焼き魚のどっちがいいですか? それとも宿で食べますか?」
「せっかくシグルドが作るのに宿はない」
言い切ったな。嬉しい限りである。
「焼き魚とタルタルソース……。うーん……。魚って今日買ってた奴だよね?」
「ええ。ヤマゴモリですね」
ヤマメである。ちなみにヤマゴモリはメレシア、トメーキアでの名称。諸外国では山に残るものも海に下るものもまとめて体色や特徴にトラットとついた名で呼ばれる。なのでヤマメはタイニートラットと呼ばれることが多い。ちなみに一緒に売ってたイワナはチャルと呼ばれていた。今回イワナは買っていない。高かったから。
「あれ何で子供なのにあんな高いんだろうね?」
「あれで成魚ですよ。あの種の魚は川を下って海まで行くものと川に留まるものがいるんです。最初に出した刺身は海まで行く種類ですよ」
「へーえ。……お刺身、おいしかったなぁ…………」
ミアが刺身の味を思い出してにへら顔をしている。ちなみに暁の錬金術師の集会で出ていた生魚は全て酢で処理されていたため、俺の出すような刺身は最近ご無沙汰である。
「刺身食います?」
「いいの⁉」
「いや、絶対今刺身の口してたでしょう。俺が処理しないと寄生虫の危険性はあるままなんでこっちでも生食は禁止してましたし」
「じゃあお刺身……いや、タルタルソースも捨てがたい。チキン南蛮、絶対おいしい」
「そりゃ自分で作ろうと思うくらいですから。というかミアはタルタルソース食べたいだけでしょう?」
「あれご飯にかけて食べたい」
美味いとは思うが、それは限界飯な気がする。この世界基準だと高級飯だけど。そういやマヨネーズとタルタルソースは製品登録して元リフリスの料理長に手紙で公開したことを伝えたが、今頃王宮ではマヨネーズ料理が発展しているのだろうか。
「で、結局どうするんですか。刺身か、焼き魚か、チキン南蛮か。ちなみにチキン南蛮はどのみちこれから作りますからね。今食うか、いつか食うかの違いです」
「じゃあお刺身。焼き魚は焚火でやったほうが美味しいし」
それは一理ある。
晩飯は刺身にするとして、半日浸水させて置いておいた玄米を炊く。その横でチキン南蛮を作る準備。とりあえず握りこぶし大に切ったコカトリスの胸肉を酒につけて置いておく。鍋には大量のニンジンとピーマンを炒めて酢、醤油、水飴、酒を合わせて煮立たせる。そこに水溶き片栗粉を加えてとろみをつけ、甘酢あんの完成。白身魚の素揚げにかけても美味しいので多めに作っておく。続いてタルタルソース。マヨネーズにゆで卵、みじん切りにしたタマネギ、ピクルスを加えて混ぜる。ミアが期待した目で見ていたので混ぜるのに使ったフォークに少しよそって口に突っ込んでやった。
「うまー」
肉が酒につかったのでバッター液を作り、くぐらせて小麦粉をはたく。それを油でからりと揚げる。揚げる。揚げ続ける。
三十皿分くらいあるから足りる、ハズ。少なくともミアの二食分には……足りるだろうか?
晩飯の時間も近いので続いて刺身の準備をする。今日はカツオだ。魔術で急速解凍して切り身を刺身にしていく。
ミアは……魚好きだからもっと食べるな。もう一個解凍しておこう。
プリッとした赤身を切っていく。港町で揚がった鮮度の良いものをストックしているため、きれいな身は実に美味そうだ。それだけに綺麗に切れない自分の腕が恨めしい。刺身は見た目でも楽しむ芸術品だと言うのに。
端のひとかけを口に入れる。さっぱりとしているが味が強い。これはきっと米酒が進む。
一人ニヤつきながら刺身を切っていると、後ろからそーっと伸びてくる手。その手の甲をぺチンと叩く。
「あうち」
「お行儀悪いですよ」
「シグルドは食べてたじゃん」
見られていたか。
「俺は味見です。ミアは味見じゃ済まないでしょう」
俺の言葉にミアはぐっと詰まる。その証拠に、伸ばした手は一切れどころか皿ごと刺身を持っていこうとしていた。
「ちょっと早いですけど食べますか、夕食」
「食べるー」
刺身の乗った大皿をテーブルに置いて米と味噌汁をよそう。箸休めは漬物とニンジンの胡麻和え。味噌汁は貝の赤だしだ。小皿に醤油を入れ、別の小皿に擂ったワサビを盛る。
いや待て。塩でもいいな。確かどこかに……あったあった。
アイテムボックスからいつか買っていた藻塩を取り出してこれも小皿に盛る。ミアは多分醤油の方が好きだから後で聞こう。
あとは日本酒だな。
「ミアも飲みます? トメーキア酒」
「飲む」
そう言えば料理本に熱燗のやり方も描いてあったな。試してみよう。えーっとなになに。日本酒を入れた徳利を沸騰したあと火を止めた湯で三分くらい湯煎すればいいのか。
「何してんのさ?」
「いや、熱燗ってのを試してみようと思って」
「アツカン?」
「トメーキア酒を温めるんですよ」
「ホットワインみたいなもの?」
「スパイスを入れたりはしないのでちょっと違います。ただ温めただけですけど、常温で飲むのとはまた違った味わいみたいですよ」
言ってる間に熱燗が完成。徳利を布で拭いてテーブルに置く。猪口を二つ出して熱燗を注ぐ。
「いただきましょうか」
「いただきます」
ミアは早速カツオの刺身を一切れ。過去には行儀の悪い贅沢なてっさの食べ方みたいな取り方を覚えたての箸で器用にしていたのでいさめたことがある。続いて熱燗を一口。こくりと喉が鳴り、猪口を離した口から熱い吐息が漏れる。
「香りが、イスラの香りが……ヴァニトゥーラの刺身と抜群に合う……。美味しい」
本当に美味そうに食うやっちゃなー。
刺身、熱燗、刺身、熱燗のエンドレスループ。熱燗が無くなると思った俺は追加の分を用意する。湯煎している間に俺も塩でカツオの刺身を一切れ。そして熱燗。
あー、こうなるのか。米の香りが立って美味い。口当たりもまろやかで、だがアルコールはしっかり来る。
刺身、熱燗、時々米と味噌汁。箸休めは蛇足だったかもしれない。いや、必要だった。刺身が無くなった後、ミアが米を消費するのに。
というか刺身ばっか食うな。俺の分が無くなる。
俺は酒にあんまり強くないので熱燗は控えめに。米で刺身を頂く。こんどはワサビと醤油で。
あぁ、やっぱり美味いなぁ。
俺が刺身を十切ほど食べる頃には大皿の刺身は全てミアの腹に収まった。隣には開けた徳利が五つほど。ミアは若干顔を赤くした程度で酔った様子はない。ラッシュさんほどではないがミアも相当ザルだ。
「ごはんおかわり」
「はいはい」
差し出された丼茶碗に山盛りの玄米を盛ってやる。ミアは嬉しそうに漬物とニンジンの胡麻和えで米を掻き込んでいく。
「おかわり」
「もうありませんよ」
「え、まだ炊いてたでしょ? 白い方」
くっそ、しっかり見てやがる。
「ストック分です。旅の途中でも食べるでしょう?」
気軽に調理できない事を考えておにぎりにする予定だ。玄米にしなかったのは粘りが少なくて少しおにぎりにしにくいからである。
「後一杯だけ!」
「もー、米炊くのって結構面倒なんですからね?」
そう言いつつ俺は以前に炊いてチャーハンにでもしようと思っていた白米を取り出す。
「……冷めてる」
そりゃチャーハンにしようと思ってわざわざ冷や飯にしたからな。
文句を言いつつミアは冷や飯を漬物でもそもそ食べ始めた。
「お茶漬けにでもしますか?」
「する」
俺は差し出された丼茶碗に出汁を回しかける。ミアはアツアツの出汁の中で冷や飯を崩すと、口をつけてずるずると飲み始めた。
飲むな! 食え! と言っても仕方が無いので俺は黙ってその様子を見守る。
「ふぅ、美味しかった」
「お粗末様です」
酒を飲んだので風呂はしばらく後。その間に俺はおにぎりを作り始める。中身は種を抜いた梅干し、高菜、昆布の佃煮。ラップは無いので素手で握る。一応ウーズと呼ばれるスライム型の魔物の粘液状の身体を包んでいる外皮がラップと似た使われ方をしているそうだが、ウーズ自体も強く魔物素材であるため高価。ただし洗って使い回すことが出来る。しかし今手元にはない。ちなみにウーズの外皮は胃袋らしい。
具を入れたおにぎりを三角に握る。海苔を巻いて完成。
また後ろからそーっと伸びてきた手をぺチンと叩く。
「まだ食べる気ですか」
「あとお味噌汁があれば完璧だよね」
確かにそうだけども。強いて言うならおにぎりには豚汁だな。……いや、そうではなく。
「これは作り置きです」
そう言いながらいそいそとおにぎりを作り続けることしばらく。釜の中には中途半端に米が残った。俺はそれになにもいれず、塩だけで俵型に握って海苔で巻く。そして拗ねて膝を抱いたミアの元へ。
「はい、あーん」
「あー」
ミアが俺の指ごと俵型の小さいおにぎりを口に含む。ちゅぱちゅぱと音を立てて舐られる指が気持ちいい。
「何してんですかっ」
ちゅぽっと指を引き抜く。
「あー。塩味がして美味しいのに。どうせ洗うんでしょ。その前に舐めさせて」
手首をがしっと握られて両の手のひらを舐められる。
「やめんかばっちい!」
「おにぎり握ってた手だからばっちくない!」
「お前の行為がばっちいと言っとるんじゃい! やめろ離せー!」
「レロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロ」
その擬音を発するのはサクランボの時だけにしろ! 俺ももうチェリーじゃないぞ!
俺の手は舐め、いやしゃぶり尽くされる。なんとなく性的に襲われ尽くした後よりも汚された気分。
恐るべきは食い意地。俺はミアの唾液でべとべとになった手を洗いに行く。ミアは満足気に舌なめずりをしている。
あの野郎、全身同じ目に遭わせてやろうか。いや、喜ばすだけか。俺も全部脱がすより半脱ぎの方が好きだし。
とりあえず酒もいい感じで抜けてきたので風呂へ。
「ミア、今日は俺が洗ってあげます」
「おや、珍しい。じゃあ任せちゃおっかなー」
ミアをバスチェアに座らせて俺は石鹸を頑張って泡立てる。背中を洗い、同じくバスチェアに座った俺の膝にミアの頭を置く。
「おろろ?」
「さっき手を舐められた礼、たっぷりしてあげます」
「シグルドが黒い顔してるー⁉」
あわあわの手を仰向けになったミアの腹へ。
「うにゃぁ~‼」という叫びとともに、しばらくミアの嬌声が風呂場に響いた。
しばらく後、「ぜひゅー、ぜひゅー」と荒い息をするミアを放って俺は体と頭を洗い、湯船に体を沈める。
「ふー、極楽極楽」
ミアを弄るのも楽しかったし。腹撫での前に彼女は無力である。
復活してきたミアが立ち上がる。垂れた前髪で顔を隠し、湯船に向かってくる。
「まだ髪洗ってないでしょう。先洗ってくださいよ?」
脇に手を入れられて持ち上げられた。そのままバスチェアに座らされる。膝をむりやりこじ開けられ、その間にミアが収まる。
ぱく。
「ちょっ⁉」
先っぽを咥えられてレロレロされる。一瞬で元気になった俺は刺激に負けてミアの口で精を開放する。
「レロレロレロレロ」
「やめてやめて男は連続は無理ッ⁉」
その後しばらく、俺の嬌声が風呂場に響くことになった。
解放された俺はびっくんびっくんしながら風呂の床にへたり込む。ミアは悠々と髪を洗っていた。
「というかミア、吐きだしませんでしたよね? 全部飲んだんですか?」
「お母さんは男の人はその方が喜ぶって言ってた。え、違うの?」
「そもそもあんま体に良くないですよ……。それにマズいでしょう」
「うん。青臭いし苦い。あーでも最後の方はうっすいしょっぱいのがぴゅーって出てたね」
それは多分潮です。俺も出るとは思わんかった。だって空撃ちしても止めてくれないんだもの。
「次からはちゃんと吐き出してください。あと次はせめて二回で止めて下さい。あと休憩もください。お願いします。次があればですけど」
「次……。次かぁ……」
ミアの視線は起き上がって床に胡坐をかいた俺の股間にロックオン。ぺろりと唇の上を舌先が動く。
「今は駄目ですよ⁉ というか、え? またしてくれるんですか?」
普段は俺に弄らせるか舐めさせるかするだけで、今までミアは舐めてくれる素振りすらなかったから忌避感があるのかと思っていたが。
「咥えてるのはちょっと楽しかった。味は、胃もたれしそうだけど」
ミアが胃もたれってどんな味だよ。想像したくもないけど。
頭を洗い終えたミアが最後にシャワーでうがいをして立ち上がる。手を引かれて湯船へ。いつもの定位置に収まり、俺は後ろから抱きしめたミアの腹を撫でる。
「仰向けで撫でるのは許可取ってからにしてね」
「態勢で感度が変わるってのも変な話ですよねー……」
「あれは、なんかこう、触られたからって言うか内から何かがこみ上げてくる感じなんだよねー。触られること自体は今もちょっとくすぐったいよ? お腹の奥が熱くなるし」
「それは舐めてたからでは?」
「そうなの? ……そうかも。思い出したらここがじゅんってなった」
導かれた場所の湯はぬめりを帯びている。
「まだおっきくなる?」
「今日はもう無理ですって」
「じゃあニセモノ貸して」
「ニセモノ?」
「前にシグルドがあたしを縛った時にあたしに挿れて放置したアレ」
手を差し出されたので何に使うんだと思いながらもアイテムボックスを開いてそれを取り出して渡す。受け取ったミアは湯船から上がると、それを片手に風呂の床に足を開いて俺の方を向いてお尻をつけた。
「見ててね。元気になったらすぐかわってね」
そう言ってミアは一人遊びに興じる。結果しばらくして俺は元気になったので、玩具と交代して互いに気持ちよくなって事を終えた。
出発の日。オミナさんを先頭に、俺とミアはロルドの南門をくぐる。ミアは若干警戒モードが解けていない。
街道を国境に向けて歩いていく。左右には森林。土と緑の匂いに交じってかすかに潮の香がするのは、ここが比較的海沿いで海風が強いからだろうか。
「さすがは森。いろんな生き物がいる」
サーチには色々な生き物がかかる。食肉のコカトリスやイノシシ、野ウサギ、あと蛇。
ずるずると地を這いずる音が近づいてくる。
「旦那、何かいるのか? 隠蔽系の魔術はかけてるからじっとしてればバレないぞ」
「んー…………」
確かに襲ってくる感じの気配ではない。ただ森の中を動いているだけのようだ。だがなんとなく面白くない。
商人やってるせいで最近運動不足……ではないけれど、若干うずうずしている自分がいる。
俺はオミナさんのかけてくれた魔術に介入すると隠蔽の効果を破棄する。その途端にゆっくりと遠ざかろうとしていた気配がこちらに向かってきた。
「ちょ、旦那⁉」
「あなたは黙って見てて」
ミアがオミナさんに冷たい。どこかで態度を改めさせなければ。
ともかく森の中からその蛇が姿を現す。サイズはおなじみのブッシュサーペントよりも少し小型。だが特徴な髭は無く、体色は鮮やかな緑色。あと若干胸の辺りが平べったい。その緑色の蛇が、木の上でとぐろを巻いたと思ったらビョンと跳び上がった。重力を無視してふわりと滑空しながら俺の真上までくると、口を開けて俺を一飲みにしようと襲い掛かる。
対する俺は期待外れとばかりに冷めた目で体を逸らすと、その喉に寸勁を弱めに叩き込む。その瞬間、ベキリと嫌な音が鳴った。
「キマイラを食うこともあるって言うから期待してたのに、上からくるだけかよ。そりゃキマイラは対処できんわ」
俺の足元でその巨体を横たえているのはグリーンフライングサーペントと呼ばれる大型の蛇。フライングサーペント種は毒を持ち奇襲を得意とするそうだが、フライの魔術を使って短距離飛行するだけとは期待外れである。これなら米探しに初めてメレシアを目指した時に出会ったグレートアナコンダとかいう馬鹿でかい蛇の方が手ごたえがあった。対して差があるわけでもないが、首を折っても絞め殺しに来ようとする気概は被捕食者としての恐怖を思い出させてくれた。
それに対してこのグリーンフライングサーペントは。首の骨を折られただけで倒れるとは、魔物としての気骨が足らん。
「いや、シグルド。普通、首の骨折ったら即死だからね? あの時の大蛇が生命力異常なだけだから」
「あれ? 俺、声に出してました?」
「いや、多分イスラ探しに来た時に出会った大蛇と比べてだろうけど、なんか物足りないって顔してたから」
ミアの奴、読心術まで会得してやがる。
「フライングサーペント種って隠密に長けてて、毒も持ってるから子供でも相当危険な魔物なんだが……。現に私も旦那がおびき出すまで分からなかったし」
「この程度で隠密に長けてる? 冗談でしょ。俺のサーチに普通に引っかかってますよ」
アラン砦付近で出てきた変異体ホワイトサラマンダ―を見習え。
「旦那のサーチはどうなってるんだ。いや、流石ミスリルというべきなのか……」
オミナさんとそんな会話をしながらアイテムボックスにグリーンフライングサーペントを突っ込む。確か肉はそこそこ、皮は高値で売れたはず。あと毒腺と牙も。
とりあえずいい金になる。
金と言えば、商業ギルドにある口座。今どうなってるんだろう。見るのが怖くて最近更新してないけど。
「シグルド、お肉狩ってく? お肉」
「一日の行程で肉狩る必要も無いでしょう。それに今は売れませんし。というか売る必要もありませんし」
「ま、そうだよねぇ。お金は有り余ってるし。あたしらも自分で高いお肉食べたりしないもんねぇ」
揃って貧乏性が抜けない俺たちである。
「あー、でもランク担保にはなるか?」
直接的にはならないが、危険度の高い魔物の持ち込みでも依頼ノルマの代わりにしてもらえる。グリーンフライングサ―ペントはその思惑もあって狩ったが、確か需要の高い肉も依頼ノルマの足しにしてもらえたはず。相当数狩らないと金やミスリルの担保にはならないが、これを専門とする銀等級銅等級の冒険者もいたはずだ。
「まぁ、道すがら機会があればってことで」
そう言って俺たちはまた旅路に戻る。
「旦那、魔物はニルゼリールで捌くのか?」
ニルゼリールは隣国ダッタルの国境の砦街である。
「いいえ? 今は正体を明かせないので保存しておいて本拠地で売りますよ?」
「そうか。じゃあ無理して食料を確保して売りに行く必要はないな」
「どういうことですか?」
「いや、今は戦時中だろ? 食料を売るって言って見せれば越境や街に入るときにちょっとは心証が良くなるかと思ったんだが」
「あー……。ミア、どう思います?」
「悪い手じゃないと思う。でもどうやって売るの? 蛇でも牛でも解体はできるけど、本職と比べたらやっぱり下手だし、血抜きも必要だから時間もかかるよ? 処理してない魔物をそのまま持ってるのは商人としてはちょっと変だし」
やはりそういう評価になるか。
個人でやる以外、魔物を捌くにはどうやったって冒険者ギルドを通す必要がある。少し割増の解体料さえ払えば身分証無しで解体はしてもらえるが、あまり安易に冒険者ギルドに関わるのは避けたい。
やはり積極的に狩るのは無しだ。
しばらくして昼飯時。そろそろ国境線の辺りだが、これと言って何もない。メレシア側の門はとうに通り過ぎたし、ダッタル側の門はまだ先だ。
しばらく行くと森が切り開かれて少し広くなっていた。真ん中だけほんの一メートルほど石畳になっており、真ん中は色の違う石で線が引かれている。ついでに井戸もある。
「これ国境線な。どっちから来ても朝に出ればだいたい昼飯時にはここに着くから両国が休憩所として整備したんだ。友好の証ってやつだな」
一時休憩するとして井戸の水を汲み、百度に温めてから冷ます。煮沸より楽だが、丁度百度になるエネルギーを与えないと途端に状態変化を起こして水蒸気爆発を起こすので取り扱いには注意している。
とりあえず飲み水を確保して腰を下ろす。所々焦げ跡が残っているのは野営や調理の跡だろう。
俺は寸胴鍋を取り出す。中身はまだ暖かい味噌チャウダー。ミアにおにぎりを渡し、オミナさんは自分のアイテムボックスから黒パンを取り出していたので器とスプーンを三つ用意して鍋の中身をよそって渡す。ミアはオミナさんにも渡したことに対して少し不満気だが。
「私も貰っていいのか?」
「乗合馬車で初日に集って来た気概はどうしたんですか。いいから食ってください」
「……ありがとう」
その言葉は俺に対してか、はたまた俺の行動を止めないミアに対してか。
前者七割後者三割といったところだろうか。
「ミアも、少しは態度を改めて下さい。そんなことしてるとおかわりあげませんよ」
俺がそう言うとミアは食事を置いて俺の腕を抱き、じっと俺の目を見据える。
「……まだ無理してる」
「こればっかりは一生抱えることになるんでどうしようもないです。俺はほら、心が弱いから」
「その辺の話もしとくか?」
ミアと半分イチャついているとオミナさんがスープの具を突きながら横槍を入れてくる。
「話したって、事実は変わりませんよ」
「旦那の心の持ちようは変わるかもしれないだろ」
「…………」
俺は閉口する。イエスともノーとも言えなかった。
「気にしなくていいってのは、無理だろうな。私も正直整理はついてない。お嬢は、許したそうだな。聞いたよ。私は……、悪いが私はそう簡単に許せそうにない。ミア嬢が警戒するのも道理だ。でもな、前に言った通り旦那を害そうなんてこれっぽっちも思ってないんだ。それとこれとは話が別って言うかさ。いつか許せるようになるまで私も頑張るから」
しばらく静寂が支配する。オミナさんがスプーンで器の底を突くコツンコツンという音だけが響く。
俺は何かを言おうとして、ただ何も思いつかなくて口を噤む。沈黙を破ったのは、ミアだった。
「シグルドはさ、許してほしい訳じゃないんだよ。でも恨まれるのもシンドイの。あたしがあなたを敵視するのは今一緒に居ることがシグルドを傷つけるから。どうしようもなくシグルドの中にある罪の意識を掻き立てるから。別にあなたが嫌いで言ってる訳じゃない。でも一緒に旅をするなら、シグルドが全部のみこめるようになるまで時間を空けてほしかった」
「それは……私もできるならそうしたかったさ。でも私には時間が無いんだ」
その言葉に俺とミアは揃って首を傾げる。
「そう言えばちょくちょく丸薬食べてましたよね」
「これだろ?」
そう言って見せられたのはなんてことは無い頭痛薬だった。鎮痛効果のある植物の種をすりつぶして固めたものだ。俺も携帯しているが、大きさは市販されているものの中で一番大きく、また所持している数が尋常ではなかった。
そういえば口にする頻度も高かったように思う。……まさか。
「身の丈に合わないことはするもんじゃないってことだ。私は自分の身体の限界以上に魔術を使っちまったんだよ。研究に必要だったから後悔はしてないけど、医者が言うには頭ン中で血が溜まってるらしい。もう終いだそうだ」
「結婚する予定だったんじゃ……」
「できないよ。いつ死ぬかもわからないから、ミルガの想いだけは受け止めたんだ。愛だの恋だのする気はなかったけど、ミルガの事は気に入ってたから。真っすぐな想いってのも気持ちのいいもんだったしな。結婚だなんだって話は研究を盾にはぐらかしてたよ。そもそも身分的にミルガがちゃんと嫁さん貰った後で妾にでもなるしかないから」
俺はオミナさんに断って診断の魔術をその身にかける。ところどころで脳内出血が起こっており、血腫が大量に見つかった。
その様子を理解してぞっとする。俺も何度か頭痛を覚えている。あれが進行するとどうなるかをまじまじと見せられて、俺は恐怖する。
「旦那、分かっただろ。私には旦那を、自分さえも待ってる余裕はないんだ」
「それ、ヒノエ家の皆さんは……。……知らないですよね、その様子だと」
「ああ。ミルガが何としてでも治そうとするのが目に見えてたからな。そしたら私の研究人生も終わりだ。それだけは避けたかった。……ミルガの方が先に逝くとは思わなかったけどさ。あ、いや、旦那を責めているわけじゃないぞ?」
「分かってますよ」と言いつつ俺の心は重くなる。
オミナさんの言う通り、俺の心の持ちようは確かに変わった。悪い方にだが。それを機敏に察知したミアが眉間の皺を深くする。
「治せないんですか?」
「魔術の使用禁止と対処療法による経過観察。それで進行を留めるしかない」
俺は治せないかと意識を深くする。脳に溜まった血液を血管に戻し、血管を修復するイメージでヒールをかければ症状は改善すると思われる。だが俺でも一苦労だ。この世界の人間に理解が及ぶ範囲を超えている。だから俺は自分自身を治せない。骨折程度ならいざ知らず、こういった大掛かりな手術的な魔術の行使は、他人にしか行うことが出来ないからだ。
「治せると言ったら治しますか? 魔術の使用をやめない限り延命治療にしかなりませんけど」
「医者は無理だって言ってたが、できるのか?」
「やってみないとわかりませんが、おそらく」
オミナさんはしばし考える。何を迷う必要があるのかと思うが、俺を信用できないのでは仕方がない。
「やってくれ。いつ死んでもおかしくない身だ。この命、旦那に預ける。私にある時間が延びるなら、頼む」
食事を終え、治療を開始する。治療箇所が多いから厄介だ。一つ一つ丁寧に漏れ出た血液を血管に戻し、何度も同じことを繰り返してぼろぼろになったであろう血管を修復していく。溜まった血をいきなり血管に戻すと血圧が変動して別の所が損傷する可能性があったので大分気を遣った。
治療の間目を閉じていたオミナさんが俺の声掛けで目を開ける。
「もう済んだのか」
「ええ。頭に溜まった血を血管に戻して、血管の修復もしました。しばらくは持つと思います」
「そうか、ありがとう。これで薬が手放せるようならいいんだが」
そう言ってオミナさんは出しっぱなしだった丸薬を入れた袋をアイテムボックスに仕舞う。
「何で躊躇ったの?」
「ん?」
「なんでシグルドが治そうかって聞いた時に躊躇ったの?」
ミアが問う。
「……ミルガに遭いに行くのと天秤にかけちまった。私の研究も、もう佳境だ。それに旦那が協力してくれれば完成も見えてくる。それで全部終わった時に、私は生きてる意味を失う。新しい研究に打ち込むだけの時間も残されちゃいないだろう。死を待つだけの身が、どれだけ辛いか考えたくもない……!」
オミナさんは起こしたその身を掻き抱く。
ああ、そうか。この人も壊れそうなんだ。それでもその身に宿した使命を押して、愛する人を亡くした恐怖と戦っているんだ。
俺は立ちあがる。二人の手も引いて立ち上がらせる。
「行きましょう。できた時間は有効に使わないと。それにそろそろ行かないと、ニルゼリールの街に着くのが深夜になっちゃいますよ」
オミナさんは強い。その強さを見習わなければ。
俺は自ら築き上げた屍の山の上に立っている。それを自覚しよう。それを後悔するのは簡単だ。だがそんなことをしているようでは、俺は弱いままだ。
前を見よう。俺にはまだ隣に立ってくれる人がいるのだから。
道すがら遭遇した獲物を片手間で狩りつつダッタルの国境門へ。オミナさんの隠密を発動させたままだったので突然現れた俺たちに衛兵さんが驚いていたが、そのおかげでさして疑問を持たれずに三人旅でのダッタル入りは成った。
森はこの辺りから途切れている。木々が少なくなり、草がまばらに生えている荒れ地が続いているようだ。オミナさんが言うにはダッタルには砂漠が広がると言う。そのせいか空気もメレシアに比べて少し乾燥しているように思えた。
日が暮れる。薄闇の中に魔力灯の光とニルゼリールの門が見えた。
「やはり日が暮れましたか」
「すまない。私が要らん話をしたせいだ」
「しょうがないよ、あの状態で突然死なれても困るし。ね、シグルド」
ミアの態度は昼以降軟化している。おそらく俺が前向きになったからだ。
門の入り口で止められてギルド証の提示を求められる。
「護衛の冒険者一人と商人の夫婦ね。しかしロルドから一日とはいえよく護衛一人で来ようと思ったな」
「彼女は隠密特化なので。それに俺たちもそれなりに戦えますし」
そういう俺に対して門衛さんは俺とミアの姿を上から下までじろじろ見る。
「武器は持ってない様だが、暗器の類じゃないだろうな?」
「はは。暗器なんて扱いの難しいもの持ってませんよ。妻は無手での徒手格闘、私は多少の格闘と魔術が主ですので」
「戦える商人ってのも少なくはないが随分自信があるんだな」などと疑われながらも調べられたりはしない。他人からの不可侵領域であるアイテムボックスがある限り調べても無駄だからだ。ちなみに商売の種である宝飾品は見せたが男連中だったので興味なし。とりあえず多少の警戒はされながらも街に入れてもらうことに成功する。
「国境線の街の入場審査ってってどこもあんな感じですよねー」
感じが悪いと言うか厳重というか。とりあえず外様に優しくない。当たり前と言えば当たり前だが。
「冒険者ギルドのギルド証見せると黙るか騒ぐかするまでがセットだよね」
「国防の最前線だからな。兵士たちもそこを任されてるって言う責任があるんだろう」
「とりあえず宿を探しましょう。いや、その前に冒険者ギルドでオミナさんの依頼完了報告か」
門まで戻って門衛さんにギルドの場所を聞いて向かう。依頼書に達成のサインをしてオミナさんがギルドから出てくるのを待つ。
「待たせた」
「じゃあ、ミア。お願いします」
「おっけー」
相も変わらず宿探しはミアの鼻が頼り。ミアは俺の作った飯の方がいいらしいが、俺としては旅先の飯屋で飯を食うのは旅の醍醐味だと思う。
「ここ……かなぁ?」
「なんか煮え切りませんね」
「なんかどこも独特なにおいがしてるんだよね」
「そうですか?」
おれも店の前で鼻をヒクつかせてみるが特に嫌な臭いはしない。むしろ食欲をそそるいい匂いだ。
とりあえず入店。宿をとり、併設されている食事処へ。すでに出来上がっている客が多い。
「おすすめをください。ミアとオミナさんはどうします?」
「私は旦那と同じでいいよ」
「あたしはお肉メインで。とりあえず三人前。お酒も適当に」
ウエイターに金貨一枚渡して席に座る。
「オミナさんはダッタル出身ですよね。こっちは何が有名なんですか?」
「飯の話だよな?」
「ええ」
「こっちじゃトゲトゲって言われてる植物だな。砂漠が多いって言ったろ? 砂漠に生える植物なんだよ」
砂漠でトゲトゲ……。サボテンか? 食用となるとウチワサボテンぐらいしか思いつかないが。あと一般にサボテンはこの世界でカクトースと言われてたはず。
話しているうちに料理が運ばれてくる。
「トゲトゲとランナータークの卵炒めが二つとトゲトゲとランナータークのステーキ三つおまちどぉ。酒はトゲトゲ酒だ。ごゆっくり」
ウエイターがにやりとした笑みを浮かべて去っていく。その笑みに代金をちょろまかされたかと確認してみるが問題ない。
「あー、そうきたか。外様におすすめって言われたらこれ出すよなぁ。私も忘れてたわ」
オミナさんは並べられた料理を見て苦笑いを浮かべる。
「……不味いんですか?」
「いや、味はいいんだよ、味は。ちゃんと処理されてるだろうし香辛料もきいてるからな。ただ、まぁ……。とりあえず食ってみな。分かるから。酒の方はトメーキアのオラカラみたいなもんだと思えばいい。味は全然違うけどな」
俺はトゲトゲ酒の匂いを嗅ぐ。アルコールの匂いが強いところを見ると蒸留酒で酒精が強いから気を付けろということか。
フォークとナイフを手に俺が食べるのを待っているオミナさんを横目に俺とミアは同時に食事に手を付ける。
俺の頼んだ卵炒めはハーブがとてもきいている。風味としてジビエ特有の臭みが感じられるからそのためだろう。味としては鳥を使ったチャンプルーに近い。トゲトゲと思わしき物体は半生らしく、シャキシャキしてるがところどころとろみがある食感。匂いは少し青臭く、味は少し酸味がある。
ミアも似たような感想を抱いたことを目線で確認する。だが俺もミアも二口目にいけない。不味いのではない。噛んでも噛んでも口の中の肉が細かくならないのだ。
仕方なく俺は肉の塊を飲み込む。ミアはいつもの感じで大切りにしているのでなんとかして噛みちぎったようだ。
「ミア嬢……。ランナーターク噛みちぎるってどんな顎してんだよ」
「そんなことよりなんですかこのかったい肉」
「この辺で一般に食われてる鶏肉。コカトリスの生息地が無いからさ。普通は嚙み切れないからナイフで小さく切ってから食べるんだよ。切るのも一苦労だけど。んで、しばらく味わったら飲み込む」
そう言いながら一口サイズの肉をさらに細かく切って食べるオミナさんを真似して俺も食べる。肉が固くて噛み切れない以外には特に問題ない。独特で癖のある味だが美味しい方だ。トゲトゲ酒は唇を湿らせて舐めてみたところ、やはり結構度数が高い。だが口に含むと独特な香りとすっきりとした甘みと酸味が美味しい。
どちらかというと食後酒として飲んだ方が良さそうだ。容器も小さめの木製ゴブレットで出て来たし。果実酒っぽいから炭酸で割っても美味しそう。
俺はウエイターを呼び止めてトゲトゲ酒を瓶で注文する。また自前の料理を出して良いか確認を取る。
「お客さん。暗黙の了解ってのは知ってんだろ?」
「もちろん。商人なので交渉の仕方も知ってますよ」
俺はウエイターに銅貨を一枚そっと握らせる。
「もう一声。あとできれば鉄貨でくれ」
「あなた意外とがめついですね」
俺は銅貨を回収して鉄貨を十五枚渡す。
「よし。俺たちは何も見てないってことでいいな。オヤジには伝えとくぜ。あと砂漠の人間は欲深いんだよ、商人さん」
そう言ったウエイターはすぐにトゲトゲ酒の瓶を持ってきてくれた。俺は炭酸の瓶とガラス製のジョッキを三つ取り出すと氷を入れ、トゲトゲ酒の炭酸割を作って二人に渡す。もちろん俺も飲む。甘みはあるがさっぱりしているので炭酸と相まってすっきり感が増す。料理のハーブが強いこともあって口の中がリセットされて美味しい。
ミアはさして気にした様子もなくトゲトゲ酒の炭酸割りを片手にステーキをパクつく。オミナさんは三つのジョッキを見比べて感嘆のため息をついた。
「これも旦那が作ったんだろ?」
「ええ。欲に負けて」
「欲?」
「飲み物の容器って基本木製でしょう? 店で出てくるような常温のエールならいいんですけど、冷たいものを飲むときはガラス製の方がより冷たく感じて美味しいんですよ。金属製の容器もありますけど、あれは中毒が怖いですし」
陶器性もあるが意外と高い上に一番割れやすいので使いたくない。
「中毒って……。金属製の食器は富の象徴だぞ?」
「銀ならいいんですよ、銀なら。でも中流階級だと鉛が主流でしょう? 最悪死にますよ」
「マジか。いやマジか。それが本当なら世の中の常識がひっくり返るぞ?」
「シグルドの言ってることは多分本当だよ」とミアが口をもきゅもきゅさせながら口を挟む。口の中のものをトゲトゲ酒の炭酸割りで流し込むと、ガラスジョッキをどんとテーブルに置いた。
というかもう三皿分のステーキが無くなってる。いつの間に食ったんだ。
「旦那は……。どこでそんな知識を手に入れてくるんだ。有史以前の古代文明の知識とでも言うつもりか?」
「古代文明とかあるんですか?」
なにそれ興味ある。
「あれ、旦那は知らないのか? 巨人の竜退治の逸話とか。世界の王たる古竜ありて、北の地に巨人あり、ってやつ」
「それ神話じゃないの?」
ミアの言う通り俺もその話は神話だと認識している。ラッシュさんの盾に彫ったレリーフのモデルだ。
「いや、あれを含めて神話の半分は実話だと言われてる。有史で最も古い記録がトメーキア建国の二六〇三年前だが、それ以前に大陸全土を支配した大国があったらしい。そこで生まれたのが我らが錬金術だ。巨人の竜退治は、その古代文明の終焉の際にあった出来事だと言われている」
「へーぇ。じゃあ昔は巨人が世界を支配していた訳ですか。……そう言えば小巨人族って種族もいましたね。彼らの祖先でしょうか?」
そういえばライクロイック王都の解体職、ミルドレットさん以外にはまだ会ったことが無い。
「いや、あの引きこもりの民族じゃないよ。神話に出てくるどんな話にも、アレ以外巨人の話はない。そもそも小巨人族が支配していたならその逸話自体巨人とは言われないだろうし、もっと世界各地にいるはずだ。間違ってもベルベストの奥地に引きこもって竜の民を自称しないだろう。それに……」
「それに?」
「ああ、いや。その巨人は家よりもデカかったって話だ。鋼の肉体って詩にもあるから、異常発達したギガンテスって説が今んとこ有力だな。だが不思議なのは空を飛び魔術を使ったって話も一説にはあることだ。そんなギガンテスがいてたまるかっての」
そう言ってオミナさんはジョッキの中身を豪快に飲む。
空飛んで魔術を使うギガンテス。いないとは言い切れないんだよなぁ。アラン砦付近のダンジョンの変異体の例があるから。
「ぶふっ。けっほ、ごほ」
「ちょ、大丈夫ですか」
いきなりトゲトゲ酒の炭酸割りを噴き出したオミナさんに声をかける。
「いや、ちょっと咽ただけだ。というか何だこれ? 舌と喉が痛い」
あ、そういやこの人さっきジョッキ煽ってたわ。炭酸をそんな飲みかたしたら咽るに決まってる。
「すいません。炭酸って言って刺激が強いんですよ。ゆっくり飲んでください。慣れたらミアみたいにゴクゴク行けるんで。……人にもよりますけど」
「けぷ」
「ただああやってゲップが出ます」
しかしミア、君はなんで炭酸一気飲みしてそんな可愛らしいゲップで済むんだい?
「シグルド、おかわり」
「はいはい」
ミアのジョッキにおかわりを注ぐ。その間にミアは蛇肉の串焼きを五人前注文していた。ランナータークの肉はお気に召さなかったらしい。かく言う俺もランナータークの肉の噛み応えに満腹感を刺激されてもうお腹いっぱい。不味くはなかったが、好んで食べたいというものでもない。
臭いのはどうとでもなるが固いのがいただけない。肉を買ってミートハンマ―で……。処理する必要はないな。これしか食べるものが無いならやるが、他に食べるものがあるならわざわざやる必要性を感じない。蛇肉は普通にあるようだし。
ミアから蛇肉の串焼きを一本貰って食べさせてもらう。ネギまみたいに火の通ったトゲトゲが肉の間に挟まっている。完全に火が通るとトゲトゲはとろみと甘みが強くなっている。
うん。ランナータークの肉が微妙なだけだな。蛇肉とトゲトゲの串焼きは普通に美味い。
「蛇の肉があるのになんでランナータークの肉置いてるんでしょう?」
「まぁ、郷土料理だからとしか……。捕まえるのが大変だから昔は強さの証として食われてたんだよ。と言ってもランナータークじゃなくて魔物化したコメットタークの方だけど」
「そのコメットタークの方は美味しいんですか?」
「魔物化してるから味は上らしい。でも固いのは変わらないって聞くな」
「そうですか……」
ランナーターク、どんな生き物なんだろう。とりあえず異常に筋肉が発達しているのは分かる。筋肉モリモリマッチョメンな鳥を想像してみるが、多分、いや絶対違う。
ミアの食事が終わるのを待って宿の部屋へ。訳あって三人で一つの部屋を取った。
「さてオミナさん。講義の時間としましょうか」
「よろしく頼む」
遮音結界を張った部屋で、オミナさんは俺に頭を下げる。
俺が教えるのは科学だ。主にオミナさんの研究に関する分離の魔術。その利用と考え方。あとは根本的な水の確保の仕方と、すこしばかりの栄養学。
「さて、まずは基礎的なことからいきましょうか」
俺はガラスのグラスに魔術で水を入れる。水に塩を多めに投入して飽和水溶液を作る。グラスの底には、溶け残った塩。オミナさんに舐めてもらって塩水であることを確認してもらう。
「分離の魔術では溶け残った塩を取り除くことが精いっぱいで、塩水から塩を取り除くことはできない。そうですね?」
「ああ。それが今の私たちの限界だ」
俺は分離の魔術を発動する。塩、つまり主成分を塩化ナトリウムとするこの物質は電解質であり、水溶液中にイオンとして存在している。イオンは原子が電子をやり取りして電気的性質を持ったもの。これは水を蒸発させれば再び元の物質として析出する。
俺の手には塩の結晶。透明な立方体を俺は手のひらで転がす。
「舐めてみて下さい」
「これは……、普通の水だ。手に持ってるそれは、塩の塊か?」
「ええ。見えてるものを取り除けるのは分離する対象物が見えているからです。水に溶けている物質を、見たままではなく溶けていてもそこにあると理解できれば簡単に分離できます」
「溶けている物質を理解するって言っても、分離の魔術は認識した対象を取り除く魔術だ。見た目で分からないものをどうやったらいいもんか……」
「まず目で見た物を信じないことです。俺たちの目はよく見えているようで、モノの本質は見えていません。例えばこの塩の結晶、ひとつの塊に見えますよね?」
「見えるな」
「じゃあこれをこうします」
俺は塩の結晶を二つに割る。さらに二つ二つとどんどん割っていく。俺の手のひらには、大小さまざまな塩の結晶が並ぶ。一番小さいのは最初に入れた塩の粒と同じくらいになった。
「さて、この塩の結晶をもっと小さくするにはどうすればいいでしょうか」
「えっと、物理的には叩いて砕くかすり鉢で砕く……か? 魔術でやってもそう変わらんだろうし」
「そうですね。それであってます。じゃあ、その小さくした一粒はもうそれ以上細かくできないのでしょうか?」
「それは……。どうなんだ?」とオミナさんが答えに困窮する。この辺りがこの世界の人間の理解の限界だろうか。
「答えは、できる、です。最終的に一つ一つは目に見えない小さな粒になります」
化学式はNaClで表されるから文系の人には勘違いされやすいが、面心立方格子構造を取る塩化ナトリウムの最も小さい一辺はナトリウムイオン一つと塩化物イオン二つ分。長さにして〇.五六四ナノメートルらしい。
「具体的には髪の毛の太さの百分の一くらいの大きさですね」
「そんなに小さくなるのか⁉」
「ええ。人の手じゃ作れませんけど。ともかくこの塩と同じように、世界中の全てのものは小さな小さな粒からできています。もちろん、俺たちの身体も。まずそれを理解しましょう。いや、理解すると言うよりかは識ると言うべきですね。で、さっきの塩水の話に戻しますけど、溶けて見えないだけで塩の粒は水の中に均一に漂っています。もちろん水も小さな粒ですよ。それが理解できれば、透明な塩水の中に溶けている塩が見えてくるはずです」
俺は細かくした塩の塊をグラスに戻してまた溶かす。
そう。グラスの中の水に溶けている物質があることを俺は識っている。だからそれを水から選り分けて取り出せる。逆に言えば、水溶液を水と溶質として認識しているからこそ水だけをより分けてその他の物質を取り出せるのだ。この世界にはその概念が無い。まずそれを識ってもらう。
「小さな粒……ねぇ?」
俺が促したので半信半疑でオミナさんが科学知識を頭に浮かべながら分離の魔術を発動する。手の中には、塩の山。
俺はグラスの中の水を舐める。一つ頷くと、オミナさんにも勧める。グラスの中の水を舐めたオミナさんは、目を瞠って俺を見る。
「できた……」
「簡単でしょ? じゃあ今度は二つのものを同時に取り出してみましょうか」
俺はオミナさんの手に乗った塩をグラスに戻す。さらにアイテムボックスから壷を取り出し、中の白い粉末を水に投入する。
「旦那、それまさか白砂糖じゃ……」
「ご名答」
「そんな高級品をたかが講義に使うのか……」
オミナさんが呆然としている。砂糖が高級品なのは当たり前だが、その中でも今使用した白砂糖は最高級品に分類される。だが俺にとっては最低ランクの砂糖さえ手に入ればさして貴重なものではない。分離の魔術でショ糖を抽出すれば済む話だからだ。これを使ったのは単純な話、水溶液に色と言う余分なものを着けたくなかったからである。
「砂糖と塩を順番に取り除けばいいのか?」
「いいえ、同時に取り除きます」
「いやいや、それぞれ取り除くものを認識しなきゃ分離の魔術は使えないだろ。それは各一種類ずつが基本だ。連続詠唱でって意味じゃないだろ? 常時展開系魔術以外は魔術の並列使用はできないし」
「ん? 魔術の並列使用はできますよ? でなければ混成魔術に説明がつかないじゃないですか」
「は? 混成魔術に説明って、混成魔術はそういうもんだろ。やろうとしたことが結果的に二属性三属性複合になったっていうだけで……」
認識の齟齬があるな。やって見せた方が早いか。
俺は右手に水球を作り出し、左手に雷を纏わせる。
「旦那⁉」
「ね、できるでしょう? まあ、やらないほうがいいですけど。正確には出来ないんじゃなくてやっちゃマズいんですよねー」
攻撃系魔術は特に制御に神経を使うので、脳の強化を入れてなかった場合並列使用のやりすぎは廃人まっしぐらなのである。
「まぁ、これはいいんですよ、これは。今回の事に関係ないので。ちゃんと一回の魔術の行使で分離してもらいます」
「んなもんどうやって……いや待て。発想の逆転か? 塩水の塩を認識出来たら塩が分離できた、ということは水の方を認識してそれ以外すべてを分離すればいける……?」
「頭の回転が速い人は助かります」
オミナさんが試す。結果それは成功し、オミナさんの手には塩と砂糖の混ざった山が出来上がった。俺はその山の中から砂糖だけをより分けて壷に戻す。オミナさんの手に残った塩も容器に戻してもらった。
「つまり今のを使えば何が混ざってるかわからん海水や汚水から水だけを抽出できるわけだ」
「そうなります。でもこの方法で作った水は魔術で作った水や蒸留水と同じように、飲み続けると健康被害が出ます」
「そうなのか?」
「魔術で作った水は味気ないですよね」
「ああ。湧き水なんかと比べるとマズイな」
「水は無味無臭と思われがちですが、実際はちゃんと味があるんですよ。それを決定づけているのが水に含まれる不純物。俺の知識ではミネラルと言われるものです。魔術で生み出した水も、蒸留水も、分離で綺麗にした水も、全て純粋に水という物質だけで構成されているので不純物が全くない状態なわけですね」
「それが問題なのか」
「ええ。ミネラル、具体的にはナトリウムとかカリウムとかマグネシウムとかがありますけど、これらが人体に摂取されないと体調が悪くなります。取りすぎも良くはありませんが、全くとらないと言うのも問題なんです」
「じゃああれか。私が研究発表の時に言ってた体調不良は栄養不足の一種ってことか」
「そうなります。記憶が正しければ海水がほとんど必要なミネラル分を網羅しているはずなんですけど、たしかマグネシウムがやたらと多いんですよね」
にがりの苦みの元だったはず。
「その……まぐねしうむ? ってのが多いと何かマズいのか?」
「健康な人なら若干下痢になるくらいですけど、単純に苦いです」
「それは……嫌だな。うーん、なんとかならないものか……」
「そんなに気にしなくてもいいと思いますよ」
「なんで?」と俺の呑気な発言にオミナさんは不思議そうな顔をする。
「だって自分で言ってたじゃないですか。水魔術の使い手がいれば問題ないって。魔術で生み出した水もミネラル不足なんですよ?」
「あっ、そうか。ということは別の要因で、食事で補えてるんだな?」
「おそらく。多分この辺の主な食材はトゲトゲでしょう? あれ、諸外国ではカクトースって言われてたりしません?」
「……そういえばメレシアではトゲトゲで通じなかったな。トゲトゲは方言か。確かにトゲトゲの別名はカクトースだよ」
やっぱりか。ならどうせウチワサボテンと似た植物だろうからミネラルもたっぷり含んでいるはず。それで補えるのだろう。
「いやしかし、旦那のおかげで一気に問題が解決したな……」
「後は実地で試して下さい。あと万人が利用することを考えると水の確保は蒸留法を使った方がいいですね。魔術が使えない人も利用できますし。そういえば、カクトースがあると言うことは霧でも出るんですか?」
「よくわかったな。確かに砂漠地帯には夜霧が出るよ」
ならその霧を集められれば水不足解決の一因になるのだが。現代地球には霧の水分を集める技術があったはずだが、おそらくこの世界では作れないだろうし……。あ、そっか。魔術があるんだから魔術でなんとかすればいいや。
俺は土塊を適当な形に加工する。中に魔石を埋め込み、受け皿をセット。魔術で霧を部屋に発生させて魔道具を起動。すると部屋の霧が晴れ、魔道具の口に当たる部分からちょろちょろと水の雫がしたたり落ちた。
ちなみに水魔術で発生させる水は周りの水蒸気を集めるタイプではないことは俺の行った実験により判明している。おそらく、魔力を物質化させているものと思われるが、正直なところは不明。また単純に水を出す魔術を付与してもいいのだが、その魔道具はすでにある上に意外と高い。
「旦那ー?」
「なんです?」
「なんでさらっと魔道具作ってるんだ?」
「え、必要でしょ? 安価に水を確保する方法。とりあえずこの後にでも製品登録しますけど。あ、慈善事業じゃないんでお代はいただきますよ。お安くしておきますけど。何なら権利ごと買いますか?」
「いや、金取るのは当然だがそうじゃなくて。なんで作れるんだよ、魔道具」
「俺、あの魔装機兵の開発者ですよ?」
「乗ってたのは聞いたが造ったってのは初耳だ! え、あれ旦那が造ったのか⁉ お嬢が常軌を逸した馬鹿みたいな魔道具って言ってたぞ⁉」
俺の作は相変わらず酷い言われ様である。
「まぁ、未だ各国でも粗悪品しか作れないみたいですからねー」
悲しいことに俺のグレイハウンドと同じスペックの機体には未だまみえていない。知覚強化がされない脳では操作難度が高く、そのせいで魔術の数を減らすしかない上に組み上げられた魔術も俺のものとは解釈が異なるためだ。特に推進機構関連。作用反作用の概念が無いのだから仕方がないが。どうにも重い風を想像できないらしい。元のブラストでは軽すぎるのだ。パワードスーツくらいならいいのだが。
「商人、錬金術師、冒険者、殺戮兵器、魔道具職人。一体いくつ顔を持ってるんだ、旦那は」
「その中で自称したのは商人と冒険者だけなんですが」
特に殺戮兵器は身に覚えはありすぎるが不可抗力だと言いたい。
「はぁ。もう私の理解の範疇を越えてるよ。とりあえず必要なことは学べた。ありがとう」
「あ、終わった?」と部屋の隅で大人しくしていたミアが寄ってくる。暇つぶしの道具など何もないのでずいぶんと待たせてしまった。
ベッドに腰かけた俺の肩にミアは顎を乗せ、俺はそのミアの頭を撫でる。その姿を、オミナさんは複雑な、しかし暖かい表情で見ていた。
「すいません。人目も憚らず」
言わなければいけない言葉は本当は違う。けどそれは決して言えない。俺だけは言ってはならない。
「いいさ。旦那とミア嬢は今更だ。……そういや三人一部屋にしたが、良かったのか?」
「まぁ、錬金術関連の話もありましたし。それにこっちの方が一人当たりが安いでしょう?」
「金はあるんだろ? 意外とケチ臭いよな、旦那は。財布のひもが緩むのは飯の時くらいか? さっきもとりあえずで金貨出してたし」
「まあ、後はオミナさんを信用したってこともあります。俺たちは朝まで戻ってこないんであとよろしくお願いしますね。……ミア、今日は一旦ロアの商業ギルドに行きますよ」
「はーい。いつもの感じだとあっちは今お昼前?」
「だと思います」
何の話をしてるんだと疑問符を浮かべるオミナさんを尻目に俺はロアの自宅へゲートを開く。手にはさっき片手間に描いた霧水収集装置の仕様書を持って。
「旦那の事ではもう驚かないと思ってたが……。レヴァーガ老師の秘術まで使いこなすとはもう呆れるほかないな」
「発想さえできれば難しいもんじゃないんですけどねぇ。まぁ、とりあえずまた明日の朝に」
「ああ。旦那の言った意味がやっと分かった。遅かったら朝飯は先に食うぞ」
「どうぞ」と言い残して俺とミアはゲートに消える。ラッシュさんとイリスさんは不在のようだ。リューグは寝ている。いや、今起きた。
「おかえり」
「起こしましたか?」
「腹減った」
「食糧庫を適当に漁ってください。作り置きあるでしょう?」
「……仕方ない」
リューグは欠伸をしながら下階に降りていく。俺とミアは商業ギルドへ。無事製品登録を終え、秘密基地へ戻る。俺は空中散歩でベルのご機嫌を取り、あとはいつものように風呂に入って眠りについた。
数日後、俺たちはニルゼリールからまた乗合馬車に乗り、隣町のボーウェンに向かっていた。周りの景色は荒野。オミナさんは砂漠が広がっていると言ったが、この国の砂漠は一般的に想像される砂漠ではなく礫砂漠だったらしい。ところどころ生えている植物はサボテンが多い。形状を見るにやはりウチワサボテンだろう。乗合馬車に乗っているのは俺、ミア、オミナさんの三人だけ。護衛の冒険者は馬車の隣を歩いている。
旅路の行程は二十日ほどを予定している。また間の村を回りながらボーウェンに向かう。
それにしても何もない。地面の起伏やちょっとした茂みがあるだけで隠れるところなどないので、盗賊の襲撃とは無縁だと思われる。魔物については分からないが。
そんなことを思っているとサーチに反応がかかる。にしても異様に速度が速い。
「オミナさん」
「どうした、旦那」
「なんか異様に速い生物がこっちに向かってくるんですけど。あ、襲撃って感じじゃないです。なんか追いつ追われつみたいな感じで」
「ああ、多分ランナータークだよ。どっちだ?」
「右です」
「長いこと走ってる感じか?」
「ええ」
「じゃあ遊んでるな。面白いもんが見れるぞ」
本を読みつつ受け答えするオミナさんに言われて幌馬車から顔を覗かせると、一匹の鳥が狼の様な狐の様な動物に追われていた。捕まると思ったらひょいっと避ける。捕まると思ったらひょいっと避ける。
うん。確かにあの動きは遊んでる。というかランナータークってオオミチバシリかよ!
カートゥーンアニメの如く疾走する両者を俺は困惑した目で見送る。あれが郷土料理の正体かと。
ていうかオオミチバシリって食えるの? いや実際食ったし見た目が微妙に違うから別の生き物なんだろうけど。でもあの獣で遊ぶ、というかおちょくる動きはまさしくロードランナー。まぁ、思考加速が乗ったその目で捕らえた姿は記憶の中のオオミチバシリより足が発達していたが。そりゃあんな生き物の肉食えば固いわ。
モリモリマッチョメンの鳥、合ってた。下半身だけだけど。
もうもうと上がる土煙を見送って俺は座席に戻る。
「あれ食おうと思ったんですか、昔の人は……」
「どこにでもいるからな。この辺の猛禽系やワイバーンの餌だ」
その言葉に危うく吹きそうになる俺。
「ワイバーンいるんですか、この辺」
「ん? いるよ? 南東の山岳地帯が住処だ。というかこの辺の護衛は対ワイバーン戦に特化してることも多いぞ。だから今回の護衛も遠距離職が多いだろ? つっても追っ払うことぐらいしかしないけど」
言われてみれば盾役の近接一に魔術師四とバランスが悪かった記憶がある。
「金にはならないんですか、ワイバーンは?」
「ワイバーンで最も高値が付くのは飛膜だ。軽くて丈夫で良質な皮だからな。抗魔耐性も高いしいい防具になる。だが飛膜を傷つけずにワイバーンを倒すのは不可能に近い。単純に労力に見合わないんだよ」
その話を「へーぇ」と聞きながら俺は、ワイバーンは竜と同じ精霊種ではないんだな、などと心の中で思う。あと俺なら楽勝で狩れるなとも。暇があったら何匹か狩って仕立ててもらうのもアリかとも思う。
あ、でも今は出所聞かれるもの問題だな。やめとこう。
「そういえばオミナさんの故郷はこの辺でしたっけ」
「ああ。マイラって村だ。もう三年は帰ってないな。ニルゼリールからもボーウェンからもちょうど真ん中あたりになるから不便な村だよ。……そろそろのはずなんだけど。御者さん?」
「へい、なんでしょう? お客さん」
「そろそろマイラだと思うんだけど、あとどれくらいで着く?」
「あんた、あの村の関係者ですかい?」
「出身だ」
御者さんはオミナさんを肩越しにちらりと見ると、静かに瞑目した。
「マイラにはもう寄りませんよ」
「ちょっと待ってくれ、なんでだ」
「残念な話です。村中が変な熱病にやられちまって。一年も前になるかなぁ。乗合を営業している仲間が行った時には、もう。今は無人の家と、住民の墓場が残ってるだけです」
「そんな……。冗談だろ…………?」
オミナさんは上げていた腰を力なく落とす。
「御者さん。マイラへの道は、まだ残ってるか?」
「もう通り過ぎました。……戻ってはやれませんが、降りますかい?」
「あぁ。止めてくれ」
オミナさんの言葉に応えて馬車が止まる。オミナさんは馬車を飛び降りると、その勢いのまま轍しかない街道を駆けだした。
「ミア」
「わかった」
俺とミアも身を翻す。
「ちょっと、あんたらも降りるんですかい⁉」
「旅仲間なんで」
「今更ほっとけないしねー」
「御達者でー」と馬車を発進させた御者さんが見えなくなるまで普通に走り、見えなくなったところでギアを上げる。
「シグルド、だいぶ早くなったね」
「最近魔術の出力が上がってる気がするんですよね」
轍を頼りに街道を疾走する。しばらくするとごく薄くなった轍の跡が脇に逸れていた。その轍の跡にそってひた走る。それでもオミナさんには追い付けない。
「どんだけ足速いんだあの人……」
「たぶん魔力暴走起こしてるんだと思う。感情が高ぶったりすると起きやすいの。めったに起きないけど、起きたら魔力の出力が高まる代わりに負担がかかるから危険なんだよ」
ミアの解説に俺は内心冷汗をかく。感情の高ぶりがあったかどうかは何とも言えないが、俺が頭痛を起こしたりした時は魔力暴走を起こしていたと言っても過言ではない。
しばらく走ると村が見えてくる。村に入って奥の方、積まれて固められた石の塊とひと際大きな石碑の前で、オミナさんは膝をついていた。
「墓、か」
「うん」
俺は墓場を見渡す。積まれた石の墓石に対して大きな石碑はまだ新しさを覚える。石碑には、熱病の犠牲者二十八名がここに眠ると書かれてあった。
「オミナさん」
「旦那……。来たのか」
「そりゃ心配して来ますよ」
「……場所を移そうか」
ゆらりと立ち上がったオミナさんについていく。村の外れの方まで来て、一軒の家の前でオミナさんは立ち止まった。
彼女は鍵のかかってない扉を開ける。
「ただいま」
そう言ってオミナさんは暗い家の中に入っていく。
「かけてくれ。大したもてなしもできないが」
俺とミアはテーブルを囲うように六つある椅子に並んで座る。久々の重みを受けてか椅子がきしりと鳴った。
窓を開けて光を取り入れ、俺の対面にオミナさんが座る。
「ようこそ。我が故郷、我が家へ」
自嘲気味に、大仰に、オミナさんは言う。そして中空を見上げて言う。
「旦那。私は、何もかも失ったよ。大切なものは、ぜんぶこの手から零れ落ちちまった。私は何のために身を削ってたのか分からなくなった。元々この村の井戸が枯れ始めてたから始めた研究だった。みんなに喜んでもらいたくて。この村を救いたくて。でも病気はどうにもできない。なんで、なんでこの村だったんだ。なあ、旦那、教えてくれ。私は、これから、何のために……」
俺とオミナさんの視線が絡む。その目の奥に宿る濁りを見て俺はその口を閉じさせようとする。
「何のために、生きていればいい?」
その言葉に、オミナさんの瞳はその濁りをいっとう深くする。その表情は、この世界に絶望した人のそれで。魔力の奔流が、その身から爆ぜた。
「あ……ぐぅ……」
オミナさんが苦痛にもだえる。頭を押さえ、倒れ込む。
「シグルド!」
「わかってる!」
俺は診断の魔術をかける。だが。
「クソッ! オミナさんの魔力が邪魔で俺の魔術が弾かれる!」
まずはこの魔力の奔流をどうにかしなければ。
俺は純粋な魔力操作を行使する。これは魔術を扱う初期段階で魔力を練るときに使う技術。感覚的にやっていることなので意識してやると殊の外難しい。それも自分のものではなく、他人の、それも暴走している魔力を制御するなど。
だが、やるしかない。この人を無駄に死なせないためには。
魔力を他人から奪う。そんな魔術を組み上げる。それを使い、オミナさんの魔力を枯渇しきらない程度に根こそぎ奪う。
「これで!」
診断の魔術を再度かける。ノイズが酷いが、見えたものは俺が治した症状の再発。
いや、悪化。だがその程度ならまた治せばいい!
治療を開始する。その前にオミナさんにスリープをかけて意識を奪う。感情の高ぶりが原因ならと、思った通りそれで魔力の暴走は止まった。
何故か体が熱い。だがそんなことを気にしている場合ではない。また漏れ出た血を血管に戻し、敗れた血管を修復していく。
一通り治し終え、俺は床にへたり込む。耳に聞こえるほどの鼓動の音がうるさい。目が回る。気が付いたら、俺はベッドに寝かされていた。
「シグルド! 大丈夫⁉ 治療の後、倒れちゃって」
「オミナさんは?」
そう聞いた俺の声は掠れていた。
「向こうで寝てる。まだシグルドが気絶してから十分くらいしか経ってないよ」
ミアが木のコップに入った水を差しだしてくれる。だが、その水に俺は違和感を覚えた。
「ミア、その水は?」
「え? ああ。この村の井戸水だよ。大丈夫。ちゃんと沸かしてあるから」
俺は体を起こす。酷く体が怠かった。
「大丈夫? 熱出てるんだよ」
「熱?」
俺は自分の火照った手とミアの持ったコップを見比べる。
「ああ、分かった。その水、魔力が大量に含まれてるんだ」
「えっ?」
通常、この世界の食料飲料には多少なりとも魔力が含まれる。だが時として多量に魔力を溜め込んだものがある時がある。あるいは魔石を口にしたりであったりとか、そう言った場合、身体に異常をきたすことが報告されている。その症状は熱病のようで、数日のうちに死に至ると言う。今の俺の症状もおそらくそれだろう。早く何とかしないと不味い。
通常は魔術を連発すれば自然回復できるくらいまでになるそうだが、生憎とこうなってしまってはそれができる状況ではない。物は試しと俺は手のひらに魔力を集中させる。
魔力が多くなり過ぎた魔物はどうしているのか。それが治療のヒントだ。
魔術の根源にある魔力の物質化。純粋なそれ思い浮かべる。ぐっと手のひらを握り込む。次に手を開くと、砂粒かと思うような結晶化した魔力の塊が手の中にあった。
「それ、魔石?」
「みたいですね」
風邪が治りかけの汗が引いた後みたいな感覚を覚えながら俺はベッドに再度体を横たえた。
あれだけの魔力を結晶化させて、これだけの粒にしかならないのか。魔物ってのはどれだけ魔力を内包しているのやら。
「人間が魔石を生み出すなんて聞いたことがないんだけど」
「俺の症状を見るに急性魔力中毒ってとこですか。これを治すには魔力を消費するしかなかったんです。ただ魔術を使って消費するにはオミナさんから受け取った魔力は膨大だったので苦肉の策で魔力自体を純粋な結晶に変えました」
「普通の人間は魔力の結晶化なんて……ちょっとまって。オミナさんから受け取った? シグルドがこうなったのって、あの人を治療したから?」
「まぁ、そうなります」
「……………………今回は何も言わないことにする」
たっぷりと時間をかけてミアは文句を飲み込んだ。
「ミア、ちょっと調べましょう」
俺はだるさが引いた体を起こす。
「あ、この魔石モドキどうしよう」
「なにか持ってると問題あるの?」
「いや、持っててもポイ捨てしても特に問題は無いと思いますけど……。育つかな?」
「育つ? 育てられるの?」
「いや、結晶化のコツは掴んだんでこれを核に大きくできると思います」
試しに俺の魔力を枯渇寸前まで込めてみる。砂粒サイズだったのが極小の宝石サイズになった。
できた魔石モドキを光に透かして見る。それは普通の魔石とは異なって紅黒く脈動しており、その濁りはまるで人の心のようだと思った。
俺は魔石モドキをアイテムボックスに突っ込み、立ち上がる。若干ふらつくが問題はない。ミアを伴って村の中心へ。そこには井戸があり、ミアが水を汲んだあとが見えた。
ロープが着けられた水桶を水音のするかなり深い井戸の底に放り投げて水を汲む。汲み上げてみた水は、ミアが差し出してくれた水と同じく多量の魔力を含んでいた。
「村が亡んだ理由はこれか……」
「どういうこと?」
「たぶん慢性魔力中毒です。急性と同じく症状が発熱だけなんで、造詣が深い医者でもない限り気づきにくいんですよ」
この辺の知識はイリスさんから学んだ。この世界の病気に関する知識はある程度あるのである。ただこの魔力中毒、滅多にあるものではない。人間にも自浄作用があるのだ。さっきの俺のように無茶をやらかしたならともかく、薬物でも使わない限り慢性魔力中毒は死に至る病気ではないはずだが。
「まさか……」
俺は近くの家に押し入って薬箱を探す。あれでもないこれでもないと探し、目的のものを探り当てる。
「やっぱりか」
「根っこ?」
「古い栄養剤の材料です。こういった乾燥地帯に生えるとある植物の根なんですけど、弱った体を魔力で補うタイプなので魔力中毒症患者に使うと不味いってんでライクロイックじゃ使用禁止になったんですよ。イリスさんから最近聞いた情報ですけど。あっちじゃ高いのでそう多くは使われてなかったんですけど、こっちは材料が産地なので民間療法にも使われてたみたいですね。それが、アダになったみたいです」
俺とミアはオミナさんの家に戻る。オミナさんは既に起きてダイニングにいた。
「落ち着きましたか?」
「ああ」
「村が亡んだ理由が分かりました」
「っ⁉ ……聞かせてくれ」
俺は先ほど立てた推察を語って聞かせる。
「井戸水に魔力が含まれてた理由は?」
「それはまだ。でも井戸を引いてる地下水脈自体が汚染されてるならこの辺り一帯の地域でも被害が出るはずです」
「いや、それは分からん。この辺は広大な扇状地なんだ。海側で灌漑をするのに山の麓から長いトンネルを掘ってる。ここの井戸はその時にできた工事用の縦穴の一つなんだよ。だから上流で何かあったら、影響があるのはその下流の地域だけになる。ここの井戸に流れてる水を使ってるのはウチの村だけだから、他に影響が出てなくても不思議じゃない。魔力は灌漑用水だと作物には影響ないからな」
俺とミアは顔を見合わせる。
「作物に魔力は溜まらないんですか?」
「作物が魔力を持つことはほぼ無い。特定のそういう植物以外は魔力の吸収効率が悪いからな。垂れ流しになってても誰も気づかんだろう」
「……原因、探しに行きますか?」
「協力してくれるか?」
先ほどとは違い、強い目をしたオミナさんに俺は頷きを返した。
翌日、俺たち三人は街道を逸れて真っすぐに南東方向に向かっていた。俺はサーチで地下に流れるカナート、といっても地球のカナートに比べると随分と縦穴の間隔は広いが、それを確認しながら、馬よりもちょっと遅いくらいのスピードで走っている。一定間隔である縦穴に村から拝借してきた水桶を放り込みながら確認しつつ山脈の方へ。ちなみに流石に俺は銃を出した。安全のためである。だが一時間ほど走るとオミナさんがバテた。ヒールで治したとはいえ昨日の魔力暴走で肉体が悲鳴を上げているらしい。
「シグルド、パワードスーツ着て私たち抱えて飛んだ方が早いんじゃない? この辺もう人もいないでしょ?」
「うーん。その方がいいかもしれませんね」
ミアの提案を承諾し、俺は膝に手をついて肩で息をしているオミナさんを横目にパワードスーツを展開する。
「おわっ⁉ ……おおう。それが魔装機兵ってやつか?」
「いえ、これは違います。魔装機兵は七メートルから八メートルくらいですよ。こいつはその前段階として作ったパワードスーツです」
「ぱわーどすーつ?」
「よわっちい人型サイズの魔装機兵とでも思ってもらえれば」
多分飛べることを除いてベルの子機より弱い。
そういや作ろう作ろうと思ってエネルギー系兵器を全く作ってなかったな。まぁ、基本的には実弾至上主義だからいいっちゃいいんだけど。
俺は手に持っていたライフルを背中に懸架する。膝をついて胸の前に両腕を椅子の形になるように出し、その右腕にミアを乗せる。
「さ、オミナさんも乗ってください」
「は? 乗る? ミア嬢みたいにすればいいのか?」
俺が頷くとオミナさんがおっかなびっくり俺の腕に腰かけた。怖いのか頭を抱え込まれる。別にそれはいいのだが、カメラアイの部分に腕を巻かれると何も見えない。それを注意して俺は飛び立った。先ほど走っていたペースの三倍速くらいで景色が流れていく。
縦穴を見つけ次第調査をしつつ移動。日が暮れる頃に見つけた山に近い縦穴の側で、それは見つかった。
「動物の骨みたいですね。きれいに白骨化してます」
「この骨、若干砕けてるがワイバーンだ」
ダンジョンで出会ったフロストドラゴンよりは小さいが、人間に比べればかなり大きい体躯を俺は見分する。
「縦穴に覆いかぶさるように死んでますね。あっ、ここ見て下さい。頸椎が砕けてます。多分墜ちて首の骨を折ったんでしょうね。即死だったと思います。これだけ大きな体ならそれなりの魔石があるはずですが……、まさか」
俺は深い縦穴を覗き込む。サーチの意識を深くすれば、それはあった。自分の身体にロープを括りつけ、松明を下に向けながらミアに下ろしてもらう。途中で松明が消えたので一旦地上に戻り、フルフェイスのヘルメットを作って顔面を空間魔法で固定。これで空気が無くても問題ないので再度井戸に降りる。
そこそこの水量の水が流れるその井戸底に降り立ち、それを拾い上げようとして手を止める。
極大の魔石に、ヒビが入っていた。思わず俺の頬が引き攣る。
魔石は多量の魔力を内包している。水に魔力が含まれていたのはこのひび割れから大量に漏れ出た魔力のせいだと推測できるが、俺が警戒したのはそうではない。魔石は適切な方法で魔力を一旦抜いてから砕かないと爆発するのだ。このサイズのもの、威力は極大のエクスプロージョンにも匹敵する。
そもそもの話、そうそう割れることは無いのだが。
とりあえず空間魔術で固定。映画で見た爆発物の処理を思い出しながら俺はひび割れた魔石を拾い上げる。ロープを引きミアに合図。するすると思った以上のスピードで引き上げられる俺。姿を現した俺を見、その脇に抱えられたモノをしっかりと確認して二人が「ヒィッ」と後ずさる。
「あぁ、大丈夫です大丈夫です。空間固定してるんで爆発しても大丈夫です」
ラグビーボールの様な魔石を地面に置き、俺はヘルメットを脱ぐ。空間固定を解いて魔石から残りの魔力を抜いてクリエイトで魔石を弄り、ひび割れで真っ二つに割って二つの魔石に作り変える。魔石から抜いた魔力は自分の身に受けるしかなかったのでまたあの発熱症状が襲ってきたが、二つに分けた魔石に魔力を戻すだけなので特に問題はない。
ふぅ。これで一安心。
「……旦那は魔石の加工もできるのか」
「まぁ、なんとか」
正直ぶっつけ本番だったけど。聞きかじりの知識と思い付きでなんとかなるものである。
とりあえずゲートでマイラ村のオミナさん宅にゲートで戻る。オミナさんを通らせるのにひと悶着あったが、なんとか日が沈む前に拠点に戻ることが出来た。
ランプを灯し、三人でテーブルに着く。俺はとりあえずポトフを提供した。
「ありがとう」
「まぁ、とりあえず話は食べながら」
状況を整理する。まず村の井戸に魔力が含まれていた。それを常飲したことにより慢性魔力中毒を発症。それにより発熱が起き、風邪や疲れと勘違いした村民が民間療法で使われる生薬を服用。その結果中毒症状を悪化させ、村落が全滅。そしてその原因となった魔力を含んだ水はカナート上流の縦穴に偶然入ったワイバーンの魔石がひび割れたことによるもの。そこには人為的な物も、作為的な物も何一つない。
「ただ運が悪かったってことか……」
オミナさんの言葉には、やりきれなさがにじみ出ていた。
俺はもう一つの可能性をあえて言わない。そちらの方が現実味はあるが、事実は小説より奇なりとも言うし、言ってしまうのはアレだがこんな小さな村を狙う意味が分からない。それになによりワイバーンを屠れる実力者がどれだけいるかという話だ。オミナさんが言うには追い払うのがせいぜいだと言う話なのだから。
俺はミアにおかわりを出しつつスープを黙って啜る。
「私は、どうすればいいんだろうな」
俺はスープ皿の縁を親指でなぞる。その問いの答えを持ち合わせていなくて。
「他の所でやるんじゃ駄目なの?」
「ミア」
「そりゃ守りたかった人たちはもういないかもしんないけどさ。あなたが研究を続けてたのは、もっと多くの人のためじゃないの?」
ミアの目は濁りない。当てつけでも何でもない。ただ純粋に、ここで終わっていいのかという問い。
「ミア嬢」
「悲しみに飲まれるのは仕方ないと思う。でも立ち止まるのはいいことじゃない。目的があるならなおさら。あなたは、ちゃんと泣いた?」
「……涙なんて、砂漠の人間はとうに枯れてるよ」
「それでも、泣けない訳じゃない」
「…………」
「助けたかった人達が、いるんでしょ?」
ぽたりと、テーブルに雫が落ちた。
「……。エリス……、ミナ……、トール……、ばあちゃん……、ノーリット……、エイト……、ガイズ……、マリエル……、ビィズ……、マイト……、レーゼル、カイト、パック、ノインス、ドート、モイレ…………、…………ミルガ……」
その瞳は真っすぐ対面の俺の方に向けられている。だがその瞳には俺は映っていない。きっとその目は助けたかった誰かを幻視して。
「みんな、みんな居なくなっちまった。死んでいった! 私を置いて! みんな! あぁ……っ、……ぁあぁぁ…………ぁぁぁぁぁぁあああああああ‼」
彼女の慟哭が人のいなくなった村の夜闇に吸い込まれていく。俺とミアは、オミナさんの肩に手を置いてから、黙って席を立った。
翌日、隣の家を間借りして眠りについた俺とミアが起きてみるとオミナさんの反応が墓場の方にあった。俺たちは並んでオミナさんの元に向かう。彼女は、石碑の前に立っていた。シャツの袖を捲り、ズボンの裾を濡らし、その足元には空の水桶と数本の水筒が転がっている。
「旦那、ミア嬢。おはよう」
泣きはらした赤い目。がらがらの声。だがその声音と表情は清々しく、晴れ晴れとしていた。
「おはようございます」
「迷いは晴れた?」
「お陰様で。とりあえず、砂漠の水問題だけは意地でもなんとかしてやるよ」
「そうしてください。そうじゃないと、俺がせっかくあなたを治した意味がなくなるんで」
「言ってくれるじゃないか。でも、その通りだ」
そう言ってオミナさんは声を上げて笑う。それは俺が初めて聞いた彼女の笑い声で、初めて俺たちの前で見せた笑顔だった。




