25 遠いと言うには近く
ロルドの街に着いて五日目の夜。オミナさんに連れられて、俺とミアは街の中心部へと向かっていた。
「どこまで行くんですか?」
「もうちょっと上だ」
「もうちょっと上って、もう目の前が城の敷地なんですが……」
「ま、いいからいいから」
言ってる間に大きな門の前に着く。封蝋付きの手紙を手にしたオミナさんは中に入っていくが、俺とミアは本来の招待客ではないので「ちょっと待っててくれ」と言われて門の前で待たされている。ちなみに門衛さんは軍の礼装のような格好をしており、またその腰には刀が吊り下げられている。だが固定が甘いので居合使いではなく抜刀してから戦うタイプのようだ。
あ、いや。居合出来そうな人もちらほらいるわ。その人たちの威圧感がすごい。レヴァーガ翁と同じ感じがする。こう、何もさせてもらえずに切り伏せられそうな、そんな雰囲気。だがまだ何とか勝てる。多分。心殺発動させたレヴァーガ翁に比べたら雛も同然だから。
しばらく待っているとオミナさんが衛兵さんを伴ってやって来た。奥からきた衛兵さんは門衛さんに俺たちを見ながら二三話すと、俺たちの方にやって来た。
「待たせてしまって申し訳ありません。主の許可が下りましたのでお二人の入城を許可します」
手招きするオミナさんに誘われて脇戸をくぐる。しばらく行くと、居住区と思わしき場所の一番高いところに洋館が建っていた。目的地はそこのようである。
「あそこ領主邸ですよね?」
「ああ、知ってたか」
「ってことは領主様も錬金術師か、その関係者ってことですか……」
「メレシアじゃゼーレス教信者も少ないからね。寛容さが売りの多神教の国だから。だから錬金術に関する迫害も諸外国に比べると少ないし、傾倒してる貴族もたまにいるのさ。旦那の言う通り、使えると便利だからね」
洋館の前では一人の背筋が伸びた執事と言った趣の老人が立っていた。
「オミナ様、ようこそいらっしゃいました。前の会合以来ですな」
「マイメル。久しぶり。お嬢は元気か?」
「ええ、それはもう。先日も街へ散策に行かれて凄いものを見つけたとはしゃいでおられました」
「相変わらずだな。まぁ、その好奇心が私らにとっては強みなんだが」
「ええ、全く。……そちらのお二人が飛び入りのお客人ですね。しきたりの事は?」
「伝えてある。女の方はただの付き添いだが男の方は凄いぞ。助手として活動してほしいくらいだ」
その言葉に老紳士、マイメルさんは糸のように細かった目を少しばかり開く。
「オミナ様がそこまで言われるとは。いやはや、世の中にはまだ原石が眠っているようで」
「全くだ。それよりもそろそろ中に入れてくれ。次の客が来ちまう」
「貴方方が最後でございます。では」
マイメルさんが一つ咳ばらいをする。
「我々は魔術で金を作ることが出来るか」
その問いに、三人で警句を唱える。にこやかな笑みを浮かべたマイメルさんは俺たちと一緒に館に入ると、扉を閉めて鍵をかけた。
「皆さま既にお集まりになっています。オミナ様の到着を心待ちにしておられますよ」
「主催者は一応お嬢なんだがなぁ。また立食パーティーって聞いてるが、金があるのは羨ましい限りだ」
「そう言いつつ援助を断られているのはオミナ様の方でしょうに」
洋館の中央ホールを抜け、正面の扉を開くと中ではパーティーが開かれていた。皆思い思いの場所で歓談していたり食事を楽しんでいる。身なりは多種多様。和装洋装、着飾っている人もいれば乞食の様な人もいる。中には仮面を着けてフードまで被っている怪しい様相の者まで。
「お? 仮面卿がいるとは珍しい。ちょっと挨拶してくるわ。適当に食っててくれ。ミア嬢の方はそろそろ我慢の限界だろ?」
隣を見ると、俺の腕をがっちりホールドしているミアが料理の数々に目移りしている。俺はオミナさんに一言断るとミアを連れて食事の方へ。皿を取り、料理の数々を楽しむ。立食パーティーということもあって料理のサイズは小さいものが多い。ハンバーグらしきものや肉団子、海藻サラダ、パスタに加え、握り寿司らしきものや天ぷらなどもあり統一感がまるでない。
「ミア、食べるのを止めはしませんけど生系を食べるときは俺に一度見せて下さい。寄生虫の有無くらいは分かるんで」
この国では生食して当たったら運が悪かったという認識なのである。危険度は出来るだけ下げたい。
「分かった」と言いながら常識の範囲内でミアは料理を楽しんで行く。
ミアは基本大食いだがTPOは弁えられる子なのだ。偉い。
俺はパスタとサラダを少し頂いてワインを片手に料理に舌鼓を打つミアを眺める。すると、いつの間にか人に取り囲まれていた。
「オミナ氏と一緒に来られた方ですな」
「ええ。と言っても数日前に知り合ったばかりですが」
「ほう、それはそれは。総代が連れてくると言うことはそれなりの知識人か実力者なのでしょう。ご専門は何を?」
「あー、オミナさんから錬金術師として認めては貰ったのですが自分自身自覚がなく。専門と言われてもよく分からないんです」
そう言うと周囲がざわっとなる。
「……総代が認めた?」
「ええ。暁の錬金術師、四十八代目総代のオミナが認めると……」
ざわつきがオミナさんの所まで届く。一瞬開けた視界の先のオミナさんはやれやれと頭を振ると俺の方へとやってくる。
「旦那。早速絡まれてんな」
「オミナさんのここでのネームバリューのせいだと思うんですけど」
「そこは許してくれ。私も好きで総代やってるんじゃないんでね」
「というかオミナさん、もとい、総代が錬金術師として認めるって何か意味があるんですか? そう言えば余興の準備もさせられましたけど」
「ん? 言ってなかったか。武術で言うとこの免許皆伝だよ」
「えー」
そんな大事とは知らなかった。というか先に言ってよ。このざわつきも納得だわ。
「私の客人の腕前は後で見て頂くのでお楽しみに。それまではどうか普段通りに。この通り、客人は新参なのでこういう場に慣れていませんから」
オミナさんはそう言ってくれるものの周囲からの好奇の視線は収まらない。そんな中、人混みを割るようにやってくる人物がいた。
「何事ですの?」
「ああ、お嬢。さっき言ってた客人が早速絡まれてたから助け舟を出してたところだ」
「そうでしたの。それは災難……あら?」
その顔には見覚えがあった。着飾っている上に化粧もしているため最初のイメージより大人びているが、確かに知っている顔。その証拠に、首から下げられた幾何学模様が入ったペンダントと胸に煌めくブローチは俺の作品で。
「あなた……」
「お昼ぶりですね、お嬢様?」
そこに居たのは、連日俺の店に通い詰めてなんとか俺の作品の出所を探ろうとしてきた貴族の女性だった。
「早い段階で領主の娘とバレていたとはいえ、お嬢様は止めて下さいまし。特に、ここでは身分など関係ありませんから。というか貴方、御同業でしたの?」
「私はしがない商人ですよ。ちょっと特殊な、ね」
俺は金属製のゴブレットを軽く掲げる。その仕草に、彼女は自分のゴブレットをチンと合わせてきた。
「今日の出会いに」と女性が微笑む。
「教授。お客人には別室を用意した方がいいかしら?」
「そうだな。ここにいる連中も興味津々だろうから、ちょっと逃げさせてやった方がいいかもしれん。頼めるか?」
ホストでもある女性に連れられてミアと共に二階の一室へ。
「この部屋に飲み物と食事を。三人分お願いしますわ」
「畏まりました」とメイドさんが下がる。
上座を勧められたので猫脚のソファーに腰かける。対面には女性が座った。しばらく相手をしてくれるらしい。
「教授に呼ばれたということは、これ、貴方が作っていらしたんですのね」
そう言って女性は首から下げたペンダントを弄ぶ。
「そういえば名乗っていませんでしたわ。私はナザキ領主ミネル・ヒノエが娘、サキ・ヒノエと申します。以後お見知りおきを」
「オミナさんから基本名乗らないのが今日の会合の暗黙の了解と聞いてたのですが」
「教授がそんなことを? よっぽど気に入られてますのね」
「というと?」
「この場で名乗るのは顔つなぎの意味合いが強いんですの。我々暁は相互不干渉が基本ですから。名乗るなというのは手元に置いてい置きたいと言う意思の表れに違いありませんわ」
別にオミナさんの傘下ではないのだが。いや、この場にいる人から見ればそう映るのか。
「向こうで名乗られたら俺も名乗った方がいいですか?」
「その辺は御随意に。暁にも秘密主義の方は居られますから。例えば……、ああ、仮面を着けた御仁がいらっしゃったでしょう? 彼、いや、彼女かもしれませんけど、あの方は一度も名乗られたことがありませんね。研究成果を出されているので、その見た目から皆さんから仮面卿と呼ばれていらっしゃいますけど」
サキ嬢がそう言い終えると同時に部屋に飲み物と料理が運ばれてくる。さっきは気づかなかったが飲み物は俺とミアは酒、サキ嬢は果実水だ。
「お酒は飲まれないのですか?」
俺の言葉にサキ嬢は少し不機嫌そう。
「私、まだ未成年ですわよ」
俺は吹きそうになったワインを寸でのところで堪える。
「成人前ですか。身長もあり大人びて見えたのでつい。申し訳ない」
店で見た時は大正ロマン風だったが今はドレス姿。ぱっくり空いた胸元には深い谷間が覗いている。成人前にしては随分立派なものをお持ちだ。
「これでも老け顔なのはちょっと気にしてますの。まぁ、知らない方には子ども扱いされないのでたまに便利に使ってもいますけれど。母は若々しいので余計に気になりますわ……」
「それ、お母様も昔は老け顔だったとか言っておられませんでしたか?」
「なぜご存じなのですか? お父様が二十の時にまだ十二歳だった母に同年代だと思って求婚したのは家族内だけでの笑い話ですのに」
あー、ということは幼い時の老け顔とある程度の所で実年齢と見た目年齢が逆転するのは遺伝だな。なんと羨ましい体質。世の中の女性が聞いたら嫉妬するぞ。というか俺も嫉妬する。こないだレヴァーガ翁に老け込んだと言われたばかりだから。
「そのうちお母様と同じように見た目の年齢を実年齢が追い越して羨ましがられますよ。多分、母方の御婆様か御爺様も同じ体質でしょうし」
「確かにおじい様は皺が多くなるまで母と兄妹のように思われていたらしいですが、何故それも分るんですの?」
「生き物の身体には設計図があるんですよ。それは両親から子に半分ずづ受け継がれます。サキさんの悩まれている老け顔体質は確実に母方の御爺様から受け継いだ形質です。お母様が幼少期にサキさんと同じ悩みを持たれていて、今は若々しいのであれば貴方もきっとその特徴を受け継いでいるはずです」
中学校くらいまではまだほぼ毎日登校できていたから顕性潜性の形質の話くらいわかる。三代同じ形質ということはおそらく顕性の形質だろう。そういえば先生が優性劣性とよく言い間違えていたな。昔はそう言ったらしい。
「多分サキさんのお子さんも同じ悩みを持つと思いますよ」
「私の子供も……。貴方は預言者か何かですの?」
「いいえ。知識に基づく推察です」
異世界の知識だけど。
そう言えばミアが静かだと思ったら勝手に俺の分まで食事を食べていた。サキ嬢の分には一切手を付けていない辺りが勝手知ったるという感じである。
「ミア、足りてます?」
「……大丈夫」
「本音を仰っていただいて構いませんわ」
「ごめんなさい。シグルド。ここの料理、美味しいんだけど食べた気がしない」
だと思った。
「すいません。自前の食事を出しても構いませんか?」
「ええ、構いませんわ」
許可が出たので俺は炊き立ての白米が入った土鍋を取り出す。その上にキャベツらしき野菜の千切りを山盛り乗せてさらにまだアツアツのチキンカツを三枚オン。こっちで見つけた粉もの用ソースに赤味噌を足したソースを即席で作ってチキンカツの上にたっぷりとかけ、土鍋ごと箸とともにミアに寄こす。
「味噌カツ丼です」
「やったー! いやー、ご飯出るって言うから晩御飯軽めにしてたのがアダになったよ」
「下でも食べてらしたと思うのですが……。晩御飯を食べて、パーティーの食事を食べて、まだその量が入るんですの……?」
サキ嬢が思いっきり引いている。俺は慣れているのもあって何とも思わないが、一般から考えたら異常だよな、ミアの腹は。
「まだこの倍は入るよ?」
「ええぇ……?」
「ミア、それで我慢しといてください。それ食べきったら七分目くらいでしょう」
「ふぁーい」
ミアはガツガツと土鍋まるまるの味噌カツ丼を掻き込む。
「失礼ですが、この姿はあまり商人の奥方には見えませんわね」
「一応現役冒険者ですから」
「ああ、それなら納得ですわ。……そう言えば、名乗っては下さらないのですか?」
「え、俺たちの名前知ってますよね?」
「ええ。存じ上げています。ですが、この場では私、貴方に交友関係を拒絶されている状態ですの」
「そういうものですか」
「そういうものですの」
しばし沈黙、いや、ミアがキャベツとカツを咀嚼するザクザクという音が響く。
「名乗っては下さらないのですか?」
「やっぱり名乗らなきゃ駄目ですか」
「無理強いは致しませんが、私は仲良くしたいですわ」
そう言ってにっこりと微笑むサキ嬢。その笑みに負けて俺は息を吐きだす。
「シグルドと申します。以後お見知りおきを」
「ええ。よろしくお願いいたしますわ、シグルド様。……そういえば」と笑みをたたえたままのサキ嬢の目がすっと細くなる。
「シグルド様はかの御仁と同じお名前をお持ちなのですね」
「誰の事です?」
「あぁ、まあ、市井の方々にまでは名は知られていませんものね。……リフリス帝国最後の皇帝。どんな方法かわかりませんが濃緑色に色付けされた魔装機兵を駆り、対ライクロイック連合艦隊を一人で撃滅せしめた悪鬼。シグルド・フェイスレス。……シグルド様と同じ名前ですわね?」
俺の背筋をつぅと冷汗が流れ落ちていく。ミアは食事の手を止めて、いや、食べ終わったから箸をおいて俺の顔を見ている。俺は口に付けていたゴブレットを離すと、それを静かにテーブルに置いた。
「噂には聞いていましたが……。私と同じ名前だったとは」
「ええ、すごい偶然もあったものです。大陸の反対側に、同じ名前で年のころも同じくらいの男性が二人もいるなんて。ねぇ? そうそう。かの御仁はミスリル冒険者でもあるとか。金獅子というパーティーに所属されているそうですよ。メンバーは彼の他に同じくミスリルの不沈、ラッシュ。あとはリューグ。イリス。そして、ミア。奥様と同じ名前ですわね。本当にすごい偶然」
俺はゴブレットに向けていた視線を上げる。そしてサキ嬢の細めた目の奥に宿る光を見て察する。そこに宿るのは、果てしない憎悪。
「そういえば、魔装機兵自体シグルド・フェイスレスが広めたそうですわね。商業ギルドに登録までして。私も確認させていただきましたが、いいお値段しますよね、アレ。収益はいくらくらいになったんでしょう?」
「さぁ、見当もつきませんね。私も商人の端くれ。興味はありますが、あんな国を相手にした大商いなど幾何の金貨が動くのやら」
俺は再びゴブレットを持ち上げて乾いた唇を湿らせる。
今回の件に関しては逃げきれないか。
一瞬とじた目を開けると、サキ嬢は唇の端を強く噛んでいた。そこにうっすらと血が滲む。
「シグルド様。シグルドという名の冒険者も、商人も、この世に一人しかいませんの。二日もあればギルドが調べて教えてくれますので。……あなたは、シグルド・フェイスレス。私の、兄の仇ですわ」
「兄の…………仇………………?」
「ええ。私の兄は魔装機兵の騎乗兵としてあの海戦に参加していました。私は貴方が憎い。兄を奪ったあなたが憎い。ですがあなたが、私の目を通して見たあなたが、どうしても悪鬼には見えないのです」
唇からつぅっと血を流すサキ嬢。だがそんなことは余所に、ミアの手のぬくもりも感じられないくらいに俺の心は激しく動揺していた。
仇。その言葉が、直接向けられた憎しみと怒りが、俺の意識を蝕んで行く。
それはそうだ。俺は多くの人を殺した。その人たちにも家族が居て、愛する人がいて。だがそんなことは無視して、いや、考えることすらなく俺はその命の灯を刈り取って来たのだ。彼女が俺に向ける憎悪は正当な権利。ここで罵倒されようと、刃を向けられようと、俺に受け止める以外の選択肢は無い。
だが死ねない。大義があるとか大層な理由ではなく、死ぬのが怖いと言う至極自分勝手な理由によって。
俺は足元にゲートの準備だけしておく。だがそれは、ノックの音に破られた。
「お嬢、入っていいか?」
「……ええ。どうぞ」
「そろそろ研究発表の時間だから呼びに……ってどうしたお嬢? 旦那も、具合でも悪いのか?」
口元を隠したサキ嬢と動揺を隠せていない俺にオミナさんは声をかける。
「何でもありませんの。シグルド様、この話はまた後で。逃げないでいただけると嬉しいですわ。教授、私は少し体調が優れないので研究発表は欠席させて頂きます。申し訳ありません」
「いや、それはいいんだが。というか旦那の方は行けるか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
俺は精神安定を即座にかけ、何とか取り繕った笑顔を張り付けて席を立った。
先のパーティー会場に作られた壇上で、仮面の人物が話をしている。
「下痢や傷の化膿を起こす小さな生き物の存在は以前参加させていただいた時にも示唆したことですが、今回私は、偶然ですが、その生き物たちの育成中に混入してしまったカビの一種がその生き物たちの成長を阻むことを突き止めました。これにより、化膿によって起こる呪い傷の治療が可能なのではないかと考え、現在新たに研究を始めています。私からは以上です」
男の様な、女の様な、判別の付かない声音でその人物はそう締めくくる。
拍手の後ちらほらと手が上がり、当てられた人物が質問をして壇上の人物が質問に答える。
「では、続いて最後の方の発表となります。お願いしたします」
「んじゃ、ちょっと行ってくるわ」と司会の人の呼びかけに応じてオミナさんが壇上へと進み出る。
「んじゃ、トリを務めさせてもらう。私の発表は前の続きだ」
オミナさんの研究発表は海水や汚染水を飲用可能にする研究に関するものである。今までろ過や蒸留、専門となる分離の魔術など、物理的魔術的問わず考えうる方法は色々試したそうだ。
「最後に残していた蒸留法だが、これは前も言った通り魔術で出した水と同じように味が悪い。なんで置いといたんだが、完全に飲用可能な、つまりは飲んでも腹を下さない水を採取することが出来た」
オミナさんがそう言うと各所から「おぉ」と感嘆の声が上がる。
「ウシュベのように樽に入れておくか茶にすればマシかと思ったが、だがしかし普通の水より腐るのが早かった。これは問題点の一つだな。そして一番大きな問題点なんだが、飲み続けると体調が悪くなる。これについてはまだ研究中だ。だが食事である程度改善できることが分かっているので後は現地で研究を続けて行こうと思う。以上だ」
拍手とともに手が上がる。
「現地でということは、この地を離れられるのですか?」
「ああ。皆には悪いが故郷に帰らせてもらう。国境が封鎖されない限り会合には顔を出すから安心してくれ」
「分離の魔術ではやはり海水などから塩を取り除くのは不可能なのでしょうか」
「それに関しては糸口を見つけている。今後に期待してくれ」
質疑応答が繰り返される。すべてが終わったところで、オミナさんはパンと手を叩いた。
「さて諸君。今回も有意義な会合だった。今回私は幸運にも新たな仲間との知己を得られたため、皆にも彼の実力見てもらおうと思う」
目配せされたので俺はオミナさんの元に向かう。
「ここからはちょっとした余興だ。よく見たいものは近くへ」
ぞろぞろと人が寄ってくる。俺は隣に大量の土塊を取り出すと、二酸化ケイ素の抽出作業に入る。行うのはオミナさんにも見せた俺の宝飾品の制作過程。ただし規模は桁違いに大きい。作ったのは一メートル四方のガラスキューブ。亜鉛と銅から真鍮を作り出しながら、その真鍮線でこの洋館の外観をガラスキューブの中に描いていく。洋館の外観を作るにあたってはソナーを利用させてもらった。
「できました」
俺は巨大なガラスキューブをペシペシと叩く。余興と聞いていたのに会場の反応が薄かったので、スベったかな? と思いながら会場の方に視線を向けて見ると、全員が目を見開いて固まっていた。
どういう反応ですか、コレ。
「見ての通り彼はただの土塊からガラスを作ることが出来る。これは分離と変化に該当するだろう。真鍮を作る過程は混合になる。彼が言うには変化ではないそうだ。彼はこの技術を用いて模造品ではあるが宝飾品を作って生計を立てている。錬金術師としてではないが、錬金術を利用して成功している一例として紹介しておきたい。そして彼の分離だが、本来白砂から作られるガラスをただの土塊から作り出した。これが先の私の発表で出た質問の答えである糸口だ。質問をしたいのは山々だろうが、彼は上手く答えられないだろうから無しにしてくれ。もちろん私も答えられない。理解の範疇を越えているからな。この場にお嬢はいないが、この作品はお嬢の家に寄贈される予定だ。……でいいんだよな?」
「ええ。作った手前、手元にあってもしょうがありませんから」
「ということだ。良い余興を提供してくれた彼に拍手を」
まばらに拍手が聞こえる。だが拍手の音よりもひそひそ声のほうが大きい。
指示されたので横にはける。オミナさんが「彼の作品を見たいものは近くで見て構わない」と事前の取り決めの通り言うと、ワァッと人が群がって来た。
うわぁ。横にはけてなかったら飲み込まれてた。というか視線が。突き刺さる。猛獣の檻に放り込まれた気分だ。
「旦那、お疲れさん。……思ってたのより随分デカいんだが?」
「いや、ちっちゃいと見えないと思って……」
「魔術を行使する過程を見せたかったからモノは小さいのでも良かったんだよ。見て見ろ。美術商やってる奴らが目の色変えてるぞ。いや、余興に出てもらった趣旨は達成できたから文句はないんだけどさぁ」
そう言ってオミナさんは頭をガリガリとかく。
「ちなみにあれ、いくらくらいで作れるんだ?」
「原価ゼロですよ。ガラスはその辺の土からいくらでも作れますし、ダンジョンに潜れば金属類も簡単に手に入るんで」
ダンジョンの床や壁はその辺の土と同じくケイ素化合物が五割、四割が金属類、一割が有機物である。ただしその四割の金属類に利用価値のある金属がふんだんに含まれているので、たまに秘密基地近くのダンジョンに籠っている俺にはさして貴重なものではない。
「ああ、嫁さん冒険者だもんな。銅と亜鉛のインゴットでもでるダンジョンがあるのか?」
「いえ、その辺の壁から」
「は?」
「いや、ダンジョンの壁やら床やら天井をほじくり返して分離にかけると金属類を抽出できるんですよ。あれ知ると金物屋でインゴット買うのが馬鹿らしくなります。まぁ、危険物質も出るんですけど」
興が乗って調べた結果、この世界ではまだ利用価値のない放射性元素までごく微量だが含まれていたのが分かったのは大分前の事である。それに関しては細心の注意を払って間違っても濃縮しないようにしている上に、そうしてできた残りかすはダンジョンに埋め戻している。魔力が作用するのかダンジョンに廃棄物を埋めておくと元の組成に戻るのだ。取り込まれると言った方が正しいか。ダンジョンの恒常性を信じて実験してみた結果である。
いや、便利でいいね、ダンジョンは。最近は廃棄物処理場としても活躍しているし。でもこの辺見ると物理法則超越してるんだよなぁ。ダンジョンコアが核分裂や核融合を誘発させて新たに原子を作り出しているんだろうか。でもそうだとしたら入った瞬間放射線被爆で大変なことになる。実に不思議だ。
「旦那。それ、他では絶ッ対に言うなよ」
「アッ、ハイ」
金獅子の皆とアルベーヌ領でのダンジョンアタックの時に出会ったジャックさん、チェスターさんは知ってるんだよなぁ。まぁ、みんな言わないか。その事実を覚えてそうな人は常識人だし。
話をしたそうな目線を向けられながらオミナさんと並んで立っていると、マイメルさんがやってくる。
「お客様、お嬢様が部屋でお待ちです」
「んあ? お嬢が呼び出すなんて珍しい。というか体調悪いって言ってたよな、さっき。マイメル、私も顔だけ出していいか?」
「お呼びされたのはお客様御一人ですが、お客様が許された方は同行を認めるようにと伺っております」
二人の視線が俺に向く。これからされるのは、今回の旅で俺の隠していることに関する話だ。調べられてしまうのは仕方ないが、進んで知られるのは避けたい。だが単純に心配をしているオミナさんを連れて行かないのも不審がられる一因となるだろうか。
……ホントに顔だけ見てもらって帰ってもらおう。
俺はミアとオミナさんを伴ってマイメルさんについていく。通されたのはさっきの部屋だった。
「お嬢様、お客様をお連れしました」
「入って」
マイメルさんが扉を開けてくれる。サキ嬢は、同じところに座っていた。ずっとここに居たのだろうか。
「マイメル、ありがとう。シグルド様と大事な話があるから、みんな下がって頂戴」
「分かりました」そうマイメルさんが言い、部屋の中に控えていたメイドさんたちとともに退出する。
扉が閉まる。部屋の中に残されたのは、四人。
早くオミナさんには帰ってもらおう。
「教授も来たということは、彼女もあなたがライクロイックのシグルド・フェイスレス卿と知っていたのですわね?」
「あ? ライクロイック? シグルド……フェイスレス? え、旦那って貴族か⁉」
目論見、失敗。ラッシュさんならもっと上手くやるんだろうなぁ。
「……私、もしかしてやっちゃいましたでしょうか?」
「ええ、盛大にやらかしてくれました。オミナさんはサキさんが体調悪いって言ってたから帰る前に見舞いに来ただけですよ」
「ああ。言いましたわね、そんなこと。確かに教授は来てくださいますわね。なんだかんだと面倒見がいい方ですから」
この言い方……。まさかわざとオミナさんを巻き込んだのか? 一体何の目的があって?
「わざとですか」
「そんなまさか。まさか同国ですら虐殺者と恐れられるウォーハウンドが若干十三歳の子供に謀られたりはしないでしょう?」
俺はジト目でサキ嬢を見ながらミアと共に席に着く。オミナさんはサキ嬢の隣に座った。仕方が無いので巻き込まれて居心地が悪そうなオミナさんに俺の素性を吐く。
「冗談だろ? 旦那がミスリル級冒険者で? 国家間のパワーバランスを傾けちまうような軍事力を持っていて? おまけにひとたび戦闘が始まると逃げる敵も見境なく皆殺しにする虐殺者だと? この弱そうな旦那が? 言っちゃなんだが、馬車が一緒だった隻腕の兄ちゃんのほうが強そうだぞ?」
「言いたいことは分かりますけど、事実です。これ、証拠」
俺は久々に蒼く輝くギルド証を人に見せる。
「マジか」
「単純な格闘戦ならミアの方が強いですけどね」
「……マジか。人外のミスリルより強いって、ミア嬢どんだけ強いんだよ」
「でも本気装備のシグルドは誰もとめられ……いや、おじいちゃんなら止めれるか。銃弾掴み取ってたし。あ、でもあの時衰弱弾は使ってなかったっけ?」
「避けられて終わりですよ。跳弾させるにしても当たった時点で付与は切れますし」
実はゴム弾なら跳弾させて当てることもできるし、さらにその銃弾を弾いて閉所での弾幕を張ることも可能だ。だが普段そんな必要は無いし、必要な相手には避けられるという全くの無駄技術である。できるとカッコイイ。ただそれだけ。
「そのおじいちゃんも何者だよ」
「レヴァーガ・ハイピスト翁です」
俺の答えにオミナさんが口をつけていた茶を噴く。
「けほっ、けほっ。ミア嬢、仮にもこの国の先々代国王をおじいちゃん呼ばわりって」
「前に偶然知り合ってねー」
「ええ。ご縁がありまして」
「あー、まぁ確かにフランクな爺さんだって噂は聞くな。にしても旦那が、ねぇ?」
「教授。忌憚のない意見をお聞かせくださいまし。あなたの目から見た彼がどのような人間か」
「つっても、私も出会って二十日かそこらだぞ?」
「でもパルパから乗合でロルドまで一緒に来られたんでしょう? 旅路ともなれば多少人間性は見えますわ」
片眼だけ空けてオミナさんを見るサキ嬢。その視線と言葉を受けてオミナさんはガリガリと頭を掻く。
「つってもなぁ……。ああ、押しには弱いか。旅路に重要な食料を商品でもないのに交渉されたからって少々安値で売っちまうような人だし」
一食鉄貨四枚は安かったのか。
「噂にあるような残虐性は垣間見ませんでしたの?」
「お嬢、そんな奴を私がここに呼ぶと思うか? どっちかっていうと人畜無害だ。村とかでも店番しながら子供の相手してたぐらいだしな」
「子供の相手、ですか。例えば?」
「なんかゲームしてたぞ。升目に白と黒の円盤を置いて挟んだらひっくり返す奴」
リバーシの事である。確かに子供に絡まれて鬱陶しかったから店番しながら一戦やった。店そっちのけでみんな見てたし、最終的には村で金出しあって買ってたけど。子供よりも大人の方が熱心に見ていた覚えがある。
「ああ、リバーシ。そういえばあれもシグルド様の登録製品でしたわね」
「あと、こないだは夫婦の事情を私に寸止めされて不機嫌になってたな」
「夫婦の事情……。まぁ。愛されてらっしゃるのね、奥様は」
「ああ。全く。ただあのときの目は確かに怖かった」
「うん。あの後のシグルドは怖かった」
ミアは黙ってなさい。
「それは女性を前にした殿方の正常な反応ですわ。……結局、教授から見てシグルド様はどういう人物ですの?」
「うーん……。愛妻家? 旅の途中も隙あらばイチャついてたし。間違ってもお嬢の言うような残虐非道な魔王には見えないな」
「そうですの……。けれど、シグルド様が残虐非道な行いをしたという事実は消えませんわ。御本人も認めていらっしゃいますし。それに、私の兄の仇という事実も」
「ちょっと待て、お嬢。そりゃどういう意味だ。ミルガが死んだってのは聞いたが、旦那があいつの仇だと⁉」
オミナさんは立ち上がる。今にもサキ嬢の胸倉を掴みそうな勢いだ。だがサキ嬢はどこ吹く風。視線で俺の方へオミナさんを促す。
「旦那、マジなのか」
声音には怒気が乗っている。嘘であってほしいと言う願いも。
「サキさんのお兄さんが先の海戦に参加されていたのであれば、事実です。最初に突出した一機以外は、船舶も含めて全てこの手で海に沈めて葬りましたから」
俺の言葉にオミナさんは力なくサキ嬢の隣にその腰を下ろす。頭を抱え、俯いた顔を前髪が覆い隠す。
「ミルガがその突出した……いや、あいつはそんな性格じゃない。怯えて、逃げ出そうとしたはずだ。じゃあ、ホントにあいつは、旦那に……」
ぶつぶつと呟くだけになったオミナさんの肩に手を置き、サキ嬢は俺を見る。
「兄と教授は恋仲でしたの。結婚は教授の研究がひと段落してからと」
それを俺に話してどうする気なのだろうか。精神安定をかけて耐えてはいるが、兄の仇と言われただけで、明確な憎悪を向けられただけで、どうにかなってしまいそうなのに。それに今回の件はリフリス軍殲滅戦でのデルメルの時とは違う。その憎悪を受け止める責任が俺にはあるからだ。切って捨てることは出来やしない。
「許してくれとは言いません。俺に危害を加えようとするのも構いません。そうなる前にミアと共に全力で行方を眩ませますけど」
「顔が青いですわよ」
「知り合った人の近しい人を手にかけたと知って、平然としてられるほど図太くは無いので」
「それにしては普通に受け答えしてらっしゃいますわね」
「精神操作を自分にかけて平静を装ってますから。防護無しなら恥も外聞もなく叫び散らしているところです」
そう言って茶を啜る俺をミアはじっと見ている。この部屋に入る前から、それこそ俺が仇だと伝えられた時から、彼女はずっと俺の手を握っていてくれている。それがなんとか俺を正気に保たせてくれている。
「教授、そろそろ落ち着かれましたか?」
「……あぁ。済まない。取り乱した」
オミナさんが顔を上げる。その目は虚ろで、生気を失っている。
「旦那、教えてくれ」
「何ですか」
「ミルガを、敵を殺した時、何を感じた?」
「……何も」
「何も? 無感情だったとでも言うのか?」
「同じ殺しでも、戦争だったんです。無感情に、機械的に処理しなけりゃ心が壊れます。俺が自分で自分の家を守ったんだと思わなければ、ね。事実、俺から攻め込んだ事実はリフリス簒奪の一件以外ありませんよ。言い訳になりますけど、あれもライクロイックにリフリスを攻めさせない為でしたし」
正確にはベルと同化していたのだが、そんなことは関係ない。同化していなかったとしても、俺は機械的に殲滅していただろう。
「そうか。そうだったな。攻め込んだのは対ライクロイック連合の方だった。旦那は旦那の居場所を守っただけか」
オミナさんは中空を見上げる。そのまましばらくぼーっとしていたかと思うと、おもむろに立ち上がった。
「お嬢、私、帰るわ」
「見送りを」
「いや、いい。今は独りにしてくれ」
とぼとぼと扉から出ていくオミナさんを見送る。扉は外に控えていたメイドさんが閉めてくれた。
「いつか知る時が来る事ですから。シグルド様が知らなかったとしても、互いに知ってしまう時がどうしようもない時に来るのも嫌でしょう?」
これは気を遣われたのか。自らも兄の仇だと言うのに。
「責めないのですか?」
「責めてほしいのですか?」
その言葉に俺は閉口する。
「先ほども言いましたが、私はあなたを憎みました。ですが、錬金術師として認めてもいますの。教授の話も聞いて確信いたしました。確かにシグルド様は仇ですが、あなたは悪人ではない。だから私は、あなたの手を取りましょう。同じ道にいる仲間として」
「そんなに簡単に割り切れますか?」
「あまり貴族を舐めないで下さいまし」
そう言ってサキ嬢は微笑む。先ほど血をにじませていた唇はもう治っていた。
この少女は。ほんとうによくできた子だ。年頃を考えれば俺に当たり散らしてもいいくらいだ。だがそれを飲み込んで、俺の手を取ると言う。
彼女の様な人物が次代を担ってくれるなら、嬉しいものだ。だがそれは、俺にとってまぎれもない苦痛だった。
許されたことによる苦痛。安堵とともにやってくるそれは、自己嫌悪となって後々自らを苛むことになる。
俺は紛れもなく罪を犯している。戦争の英雄も、視点を変えれば虐殺者に過ぎない。だから俺は、ダルニシアの戦線で敗走する敵兵を見逃したことを問うた時に、ライクロイックの兵士に悪感情を向けられて、心のどこかで安堵したのだ。だからこそ彼女の答えは少々堪える。俺は彼女の兄を殺したのに、それを許されてしまったから。そうしたら、俺のちっぽけな心が壊れてしまうから。だがそれはおくびにも出せない。年下の女の子に縋るなど、そんなみっともない真似は出来ようもない。
だから俺は席を立った。一刻も早くこの場を離れたくて。
「気が向いたらいつでもいらしてください。歓迎いたしますわ」
「ありがとうございます」
サキ嬢は俺たちに先立って扉を開ける。
「お客様がお帰りになります。お見送りをして差し上げて。私はここで失礼いたしますわ」
サキ嬢に見送られ、メイドさんに連れられて洋館の外に出る。
「お気をつけてお帰り下さいませ」
「ありがとうございました」
夜道をミアと二人並んで歩く。気持ち早足で。警鐘のように早く脈打つ鼓動につられるように。
ミアの手はずっと暖かい。俺の手はきっと氷のように冷たいのだろう。
宿に帰る。自分たちの部屋の隣で足が止まる。だが何ができる訳でもない。何を言えるわけでもない。自室へ入って鍵をかけ、秘密基地へ。ルーティンなので風呂には入る。だが体を温めるだけですぐに出る。ベッドに寝転がり、俺はシーツを被って膝を抱いた。ミアは何も言わずに俺の隣に潜ると、丁寧に縮こまった俺の身体を解きほぐしていつものように頭をその胸に掻き抱いた。
何も言うことは無い。ただミアの鼓動を聞く。少し駆け足の自分の鼓動を歩調を合わせるように落ち着けていく。だが眠れない。ミアの寝息も聞こえない。
これでは魔術に頼ることもできない。
「寝ないんですか?」
「シグルドが寝るまではね」
「スリープ使っていいですか?」
「だめ」
精神疾患みたいなものなんだから睡眠薬使ってもいいじゃないか。でもラッシュさんから併用禁忌にされてるんだよなぁ。魔術は便利過ぎて劇薬だから。そう言いながらたまに使ってるけど。
俺はミアを抱きしめる。耳を寄せ、一定のリズムを刻む心音をよく聞く。とくん、とくん、と優しい響きは俺を揺りかごのように包み込む。俺は軽く目を閉じると、夜中中その心地よい音を聞き続けた。
朝起きて、と言っても三十分ほどしか寝ていないが、ミアと並んで朝食を取る。俺もだいぶ復活が早くなった。そう言いつつ心の中に刺さった棘は消えてはくれないのだが。今の俺にとって許しは楔の様なものだ。何かの拍子で打たれれば、簡単にヒビが入る。
ミアと俺は揃ってから揚げの卵とじを食べている。どうせ寝れなかったからと朝早く仕込の時間から厨房にお邪魔してから揚げの卵とじを提案してみた。店主の話ではこの世界にから揚げの卵とじが無かったのは、から揚げに下味をつける文化が無くソースや醤油をかけて食べるのが一般的で、卵とじにするなら出汁を良く吸うパン粉が付いたカツの方が良いと考えられていたためだった。そこで俺は下味をつけたから揚げを提案し、そのレシピを提供することを条件に裏メニュー的に提供してもらうことに成功したのである。
やはり個人的にから揚げの卵とじはカツとじより美味い。
ミアはミアで特盛を三杯目である。仕込みの数は実験的だったため多くない。ミアのおかわり分で最後だそうだ。だが店主はほくほく顔。料理の片手間にコカトリスの肉を醤油と酒に漬け込んでいる。夜の営業から単品としても出すらしい。ちなみに店主が協力的なのは俺が手持ちのミアの好みに合わせた濃い味付けをしたから揚げを試食させたからだ。向上心のある店主でよかった。店主が知らない味付けから揚げは作れても、美味い配合の出汁は店にしかないのである。
またどっかの店に修行にいこう。いつか、この世界が平和になったら。
また店の準備にいつもの場所へ。今日は絵描きの爺さんが居なかった。
「絵描きのおじいちゃんどうしたんだろ?」
「所用でもあるんじゃないですかね?」
「こういうところに店出す人は基本それ以外にすることないはずなんだけどなぁ……」
「じゃあ、病気とか?」
「…………」
俺の言葉にミアは表情を落とす。
あの爺さんもこの世界基準で言えばそこそこ高齢だった。万が一のことを考えたのだろう。だがそれはどうしようもないことだ。魔力の質は覚えているからサーチで探すことはできる。大抵の事なら助けることができる。だがそれは俺の領分ではない。旅の中で、見捨てた命は数え切れないほどあるのだから。特に今回は目立つことは出来ない。
少々暗い表情のミアの頬をもにもにと弄びながら店番をする。しばらくするとわらわらと団体客が来た。
「ほら言った通りでしょう! ここの商品は凄いんだから!」
この声は、ロルドの門を通った時に熱心に商品の確認をしていた女性兵士か。
「いらっしゃい。今日は非番ですか?」
「えっ、覚えてくれていたんですか?」
「商人ですから。買ってくれそうな人を忘れたりしませんよ。お仲間も連れてきて頂いたようで」
女性にしては少々ごつい、というか筋肉質な体格の客数名を迎え入れる。彼女らは安値のイヤーカフや腕輪を中心に見ていく。門で俺の商品に食いついていた女性は熱心に首飾りを見ていた。金属部分を金にするか銀にするかで悩んでいるようだ。
宝飾品を売ってはいるがどんな人物にどんな物が似合うかまでは分からないので下手に口は出せない。なのできゃいきゃい言い合っているのを張り付けた笑顔のまま見守っているしかできない。
商品が売れていく。首飾りを悩んでいた女性は結局銀縁の方を選んだようだ。
商品の清算をして女性兵士の団体客を見送る。結構売れたので客がいる前で在庫を出す羽目になった。指輪はないのかと聞かれたが、生憎と置いていない。サイズの調整がその場でできるものでもなし。置いても良かったが、単純に存在を忘れていた。あと指輪にすると石がガラスだと味気ない。いっそ人工ダイヤモンドでも作ればいいのだが、そうなると今度は金属が負ける。
そういえばジルコニアとかあったな。成分は確か二酸化ジルコニウム。いや、ダイヤモンド作る方が楽だな。でもそうなると模造品という言い訳が立たなくなる。うーむ、悩ましい。ガラスに色を付けようとすると俺の技術では魔道具化するから売れないし。確か酸化した金属を混ぜれば色が付くんだっけ? 青くするには、銅でも混ぜればいいだろうか。硫酸銅水溶液とかきれいな青色してたはずだし。イカとかタコの血が青いのも血液中のヘモグロビンに含まれる鉄分が銅に置き換わっているからだったからだったはずだし。ならば鉄を混ぜれば赤くなるのか? あと緑色にするなら金か? 薄くすると緑色に見えるらしいし。
見ている人が居ないのを確認して試してみる。まずは酸化銅。きれいな青色になった。続いて酸化鉄。赤くなると思いきや、緑色になった。そこでそういえば酸化鉄は二価と三価があったなと思い出す。今使ったのは二価。三価の酸化鉄を生成して加えて見ると、これも予想に反して黄緑色になった。最後に金を混ぜてみようと思ったが、通常金は酸化しない。適当にそのまま少量を均一に混ぜてみると、きれいな赤色になった。
こうなるのか。へーぇ。
「また変なことしてる」
「まぁ、次の売り物の試作を」
「指輪無いかって聞かれたから?」
「ええ、まぁ。ただのガラスじゃいくら磨いても味気ないので、石になる部分の、色ガラスの試作を」
「確かに教会とかに色ガラスを嵌め込んだ絵はあるけどさぁ。あれ結構高いらしいよ。それにシグルドのは泡も濁りも無いし」
「……売ったらマズい感じですか」
「その辺に関しては今更だけど、色ガラスは宝石並みに扱われてるから貴族向けの商品になっちゃうよ。下手したら本物の宝石より高い時あるし」
ミアが言うには色が着くだけで値段が跳ねあがるのだそう。それに俺の作るものは色も均一で濁りや気泡、ひび割れも無いので相当な高値になると言う。
すると何か? 今売ってるのもヤバい代物なのでは?
「もっと早く言ってくださいよ」
「いや、今並んでるのは魔術も使って革新的なことしてるのに案外安値なんだな、で済むと思ったんだよ。でも色ガラスは流石にちょっと。あとヒノエ家にあげた置物はやりすぎ。あれ、飾るに飾れないと思うよ」
だからもっと早く言ってよ。止めてよ。
「そんななんで止めてくれなかったんだみたいな顔しないでよ。ああいう工作してる時のシグルド、とっても楽しそうなんだよ。止めるに止めれないって」
「そんないたずらしてる子供が可愛くて止めれないみたいなこと言われると思わなかったです」
「だから色ガラスは止めたじゃん。流石にヤバいから」
「常識を逸脱してたら止めて下さい」
「えぇ? 今更?」
そんな手遅れみたいな目で見ないで。
今日は兵士の団体さん以降冷やかし以外の客が来なかったのですこし早めに撤収。
「ちょっと寄り道して帰りましょうか」
そう言って俺はサーチを発動させる。目的の人は発見した。正確には、その残滓を。
俺とミアは南西のスラム街の方へと向かう。途中でミア狙いの暴漢に襲われたが逆にフルボッ……誠意ある謝罪を受け取ってから道端に捨てる。
「ここです」
「シグルド?」
目の前には粗末なあばら家。鍵の付いていない扉を開け、中に入る。そこには、床に散らばった画材と、胸をつかみ、もがき苦しんだ後の骸。
心臓発作だろうか。きっと今朝出ようとして、そのまま。
「おじいちゃん……」
俺は固まった爺さんの身体を奥に敷いてあったむしろの上に仰向けに寝かせ、苦しみに見開いた生気を失った瞳を閉じさせてやる。
「ミア、行きましょう」
「うん。……役場に伝えるくらいはいいよね? スラム街って言っても税金払わなきゃ追い出されるから、共同墓地には入れてもらえるだろうし」
俺は部屋を見渡す。キッチンすらない小さな部屋だ。壁に二枚の絵が飾ってあった。一枚は爺さんの絵。もう一枚は子供の書いた絵。爺さんの絵はずいぶん昔に描かれたものだ。縁はボロボロで絵も掠れているが、そこには女性と、二人の子供が描かれている。もう一枚の子供の絵は、へたくそな、だが味のあるタッチで一目で爺さんと分かる絵が描かれている。そこには「ウェルガおじいちゃんいつもごはんありがとう」とこれまたへたくそな字で書かれていた。
スラムの子からか。絵の稼ぎで食わせていたのだろう。
この場を離れようとしたが、その前に人の気配が近づいてくる。
「おい、爺さんの家に変な二人組が入っていったってホントか⁉」
「ああ、まだ中にいるはずだ。この辺の人間じゃない」
心配した近所の人が来たか。俺は仕方なしに姿を現す。
「だ、誰だ! 爺さんの家に何の用だ!」
「おい、爺さん、大丈夫か⁉ ……爺さん? ……爺さん⁉」
棍棒を手にした知り合いらしき人物が、ウェルガ爺さんの骸に駆け寄る。
「お前……、殺したのか……?」
「いえ、俺たちが来た時にはもう。入り口で亡くなられていたので、おそらく寝床であろう場所に運びました」
「お前らは?」
「旅商人です。ここ数日この方の隣で店を出していました。今日は姿が見えなかったので、ご高齢ということもあって心配になって探しに来たのですが、ああ、証拠であればこれを」
そう言って俺は額縁に入れた貰った絵を取り出すその絵を見た二人は、互いに互いを見て頷いた。
「……爺さんの絵だな。疑って悪かった」
そう言って返してもらった絵を仕舞う。俺は後の事を知り合いらしき二人に任せてウェルガ爺さんの家を出る。家の前には、サーチで分かってはいたが人だかりができていた。
「ウェルガおじいちゃんは……?」
痩せこけた母親に手を引かれた子供が俺を見上げて聞いてくる。俺は子供に目線を合わせると、その頭を撫でる。それだけで子供は何かを察したようだ。次第に目尻に涙を溜め、しくしくと泣き出した。その鳴き声が、悲しみが伝播する。
俺が第一発見者ということでスラムの数人とともに役所に報告に行くと、役所の人が一発で分かるほどウェルガ爺さんは有名人だったようだ。元はどこかの貴族のお抱え絵師だったらしい。それが流れ流れてスラムへ。金はあったそうだが、元々スラム育ちだったらしく皆と生活を共にしていたそうだ。
翌日、ウェルガ爺さんの葬儀はスラムの人間総出で行われたそうだ。この辺は遺体が水につく可能性があるので火葬が一般的。貴族でもない限り火葬場で野焼きにされるのだが、慕われていたらしく手作りの簡素な棺に入れられて葬られたそうだ。その時遺品も一緒に燃やすのが慣例らしく大切なものを入れていたらしいいつも肌身離さず持っていたバッグも燃やされたそうだが、その中からガラスキューブが出てきたと店を訪ねてきたスラムの青年が教えてくれた。
爺さん、大事にしてくれてたんだな。ありがとう。
俺は空いた隣のスペースを見やる。そこに片膝をついて絵を描く老人を幻視して俺は瞑目する。
「爺さん?」
「え?」
「い、いや、一瞬そこに爺さんが居た気がして……。気のせい、だよな。疲れてんのかな。はは。じゃあな」
そう言って事の顛末を伝えに来てくれたスラムの青年は去っていく。
首を捻る俺の裾をミアが引っ張った。
「シグルド、あたしにも見えた。片膝ついて絵を描いてるおじいちゃんの姿」
レヴァーガ翁が俺に奥さんを幻視させたあの現象か? それを俺がおこした?
俺はあの老人にそんな強い感情を持っていたのだろうか。
いや、きっと悔いたのだ。身近になった人の大切な人を手にかけたと知って、助けられた命を今までそうしてきたからと切って捨てたことを。俺なら助けられた、いや、延命にしかならないが、きっと死別にはならなかっただろうから。
……違うな。ウェルガ爺さんの死を別れと思えるくらいには言葉を交わしたからだ。俺の心に爺さんがいたからだ。
頭痛がする。
俺は気やすめに買っていた痛み止めの丸薬を噛むと、客も居なくなってきたので商売を早めに片付けて宿へと戻った。
宿に帰ると、冒険者ギルドから連絡があった。依頼を出していた護衛の件を受けてくれる冒険者が見つかったらしいのである。しかし冒険者ギルド側は困り顔。実力的には問題ないのだが、人数的に護衛依頼は厳しいと判断したが、受け手の方が俺に会わせてもらえれば納得してもらえるとの一点張りらしい。俺が拒否すれば素直に引くとも言っているそうだ。
そんなことをする人物に全く心当たりが全くない。
とりあえず受け手との顔合わせの日。俺は冒険者ギルドの受付で話を聞く。受け手の冒険者は既に二階の一室で待っているそうだ。
ん? んん? ちょっと待て。何故この人がここに居る? いや冒険者だから不思議ではないけど。
ギルド職員に連れられて移動する間、サーチで事前に相手を探ってその正体に驚愕する。
「依頼人をお連れしました。こちら、依頼人の旅商人、シグルド様。シグルド様、こちらはソロ冒険者の……」
「知ってます」とギルド職員の紹介を途中で俺は遮る。部屋の椅子に腰かけていたのは。
「よう、旦那」
オミナさんだった。




