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お前は、その意味を考えたことがないだろう―奇跡論者の現実改変記  作者: Hyman Godley
序:日本編

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8/27

正論パンチでKO、もうやめて

警察官が帰ったあと、母は店へ泊まることを決めた。

決めたのは、児童相談所との電話を切ってからだった。

玄関には、外れた靴箱の扉が壁へ立てかけられていた。

床へ落ちた印鑑。

母の鍵。

かるたのサンダル。

二人が倒れた場所だけ、廊下の埃が服で拭われていた。

母は旅行鞄を出さずに、店で使っている灰色の工具箱へ、着替えを二組、洗面道具、携帯電話の充電器を入れた。


「三日」


母が言った。


「まず三日、私は店で寝る。朝七時と夜八時に電話する」


かるたは廊下の壁へ背中をつけていた。


「出なかったら?」

「二回かける。それでも出なかったら、児相の人へ連絡する」

「警察じゃなくて?」

「必要なら、そっちにも連絡してもらう」


母は脅す言い方をしなかった。

手順を説明する声だった。


「冷蔵庫、上から今日、明日、明後日。薬をもらったら、飲んだかどうかは連絡して」

「一人で置いといていいの」

「よくはない」


母は即答した。


「でも、私と同じ家に置くのも、いまはよくないって」


母は工具箱の蓋を閉めた。

片方の留め具が、一度では掛からなかった。

指で押し直した。


「何かあったら電話して」

「何かって」

「分からない。眠れないでも、吐いたでも、誰か来たでも」

「母さんが来たら」


母の手が止まった。


「何」

「何でもない」


母は追及しなかった。

工具箱を持ち上げ、玄関へ向かい、床に落ちていた自分の鍵を拾った。

かるたは、母が出ていくことへ安心していた。

安心している自分を見つけると、今度は母を追い出したような気がした。

どちらも嫌だった。

母が玄関の扉を開けた。


「学校には、私から連絡する」

「行くし」

「行くかどうかじゃなくて、何があったかだけ伝える」

「また勝手に?」


母は振り返り、疲れた表情を見せた。

唇の端には、警察官が撮影した傷が残っていた。


「勝手にする」


母は言った。


「もう、全部あんたの許可を取ってから動ける状態じゃない」


扉が閉まった。

鍵を掛ける音はしなかった。

母は家の鍵を持っていた。

それでも、今夜は戻ってこない。

かるたは玄関に立ったまま、外れた靴箱の扉を見た。

直そうと思えば直せそうだった。

ねじ穴は壊れていない。

父の工具箱もある。しかし直さなかった。

誰もいない家は、広くはならなかった。

音だけが遠くなった。

冷蔵庫を開けると、三つの容器が縦に並んでいた。


〈今日〉

〈明日〉

〈明後日〉


一番上の容器を取り出した。

中身は見なかった。

電子レンジへ入れ、時間を設定する前に、食べるのをやめた。

その夜は眠れなかった。

廊下を通る車の光が、カーテンの隙間から天井へ移動した。


一台。


次の一台。


光が来るまでの時間を数えた。

途中で分からなくなった。


午前四時を過ぎた頃、スマートフォンを開いた。

母からのメッセージは一つだけだった。


〈店に着いた。戸締まり確認。返信不要〉


返信不要と書いてあった。

かるたは返信しなかった。

それでも、無視したような気がした。


画面を消す。


すぐにまた点ける。


新しい通知はなかった。


朝七時、母から電話が来て、三回鳴らしてから出た。


「起きてた?」

「今起きた」


嘘を吐いていた。


「眠れた?」

「普通」

「今日、児相の人が十一時。病院は二時半」

「学校は?」

「今日は休むって伝えた」

「勝手に?」

「診察の日にしたから」

「学校ぐらい行けるって」

「じゃあ病院のあと行く?」

「その時間にはもうほとんど終わってるじゃん」


母はしばらく沈黙した。


「十一時に来るから、服着ておいて」


電話は切れた。問い詰められなかった。

そのことが、かるたには落ち着かなかった。

十一時に来た児童相談所の職員は、玄関へ入る前に、家の中へ母がいないことを確認した。

親近感の湧く、フレンドリーな声の女性だった。

名刺を置き、昨日の傷を見た。


「昨夜、お母さんから連絡はありましたか」

「一回」

「怖かったですか」

「別に」

「戻ってきてほしいですか」

「別に」

「戻ってきてほしくないですか」

「分かんない」


女は、分からないと書いた。


「お母さんと同じ家で過ごすことについて、今はどう思いますか」

「何日かなら、いない方が楽」

「何日か過ぎたら?」

「知らない」

「では、今日はそこまでにします」


理由を作らせなかった。

父の話も、知らない男の話も訊かなかった。

その二つは、別の紙にもう書かれているらしかった。

午後、病院へ行った。

母は店から直接来ていた。

待合室では、かるたから一つ空けた席に座った。

名前を呼ばれると、一緒に立った。

診察室で実直そうで手慣れた医師が訊いた。


「眠れないのは、いつからかね」

「前から」

「何時頃にお布団にはいってる?」

「十二時ぐらい」

「眠るのはどうかな?」

「三時とか。寝ない日もある」

「途中で起きますか」

「起きる」

「怖い夢とかはどうかな?」

「覚えてない」

「ふむ、では食事は取れているかな?」

「普通」


母が横で口を開きかけた。

医師が先に言った。


「本人から聞きますから、お母さんは…」


母は黙った。


「学校へ行けていますか?」

「行けてる」

「最近、休んだ日とかは」

「今日」

「それ以外では?」

「葬式とか」

「気持ちが落ち込むことはありますか」

「父さん死んだし。普通じゃないですか」

「死にたいと思うことは」


かるたは咄嗟に医師の机を見た。

黒いボールペン。

小さなカレンダー。

パソコンの横に、未開封の箱ティッシュ。


「別に」

「自分を傷つけようとしたことは」

「ない」

「いなくなりたいと思うことは」

「みんなちょっとは思うんじゃないですか」


医師は、みんなが思うとも、思わないとも言わなかった。

眠るための薬が、一週間分出た。

薬の名前は覚えなかった。


「決められた量より多く飲まないでください」

「はい」

「薬は、お母さんが管理できますか」


母が答えた。


「今、別居状態です」


一時的なものです、と付け足さなかった。

医師は少し考え、薬局で一回分ずつ袋へ分けてもらうことにした。

飲んだら空袋を残す。

夜八時の電話で確認する。

それで決まった。

問題が一つ、手順になった。

帰り道、母は前を歩いた。

駅の改札前で立ち止まり、薬の袋をかるたへ渡した。


「今日の分だけ」

「子供じゃないし」

「多く飲んだら危ないって言われたでしょ」

「多く飲まないって」

「そういうの、今は信用の話じゃないから」


母は残りを自分の鞄へ入れた。


「夜、店まで取りに来いって?」

「毎日、郵便受けへ一回分を入れる。朝、回収する」

「そこまでする?」

「する」


母はキッパリと答えた。

かるたのために考えた手順だった。

かるたには、逃げ道を一つずつ塞ぐ作業に見えた。

薬を飲んだ夜は眠れた。

朝、目を開けると、全身が布団の底へ沈んでいた。

眠ったはずなのに、身体の重さは減っていなかった。

腕を上げるのに、理由が必要だった。


学校へ行く。

トイレへ行く。

水を飲む。


どれも、身体を起こすだけの理由にはならなかった。


午前八時十二分、母から電話が来た。

出れなかった。


八時十四分。二回目。

出なかった。


八時十七分、メッセージが来た。


〈学校から連絡。まだ来ていない。九時までに返信。なければ児相へ確認する〉


かるたは、画面を伏せた。

九時を過ぎても動かなかった。

九時十一分、玄関の鍵が開くと、足早に母が入ってきた。

作業着のままで、髪は後ろで乱雑に縛られていた。

手には、空になった薬の袋を入れる透明なファイルを持っていた。


「あんた、生きてる?」


返事をしなかった。

母は部屋のカーテンを開けた。

光が入った。

かるたは布団を頭まで引き上げた。

母が布団の端を持った。


「やめて」

「朝日、浴びた方がいいって先生も言ってたでしょ」

「やめてって」


母は布団を剥がした。


「少しでいいから起きなさい。学校へ行って、友達と話すだけでも違うから」


かるたは母を見た。

怒鳴る力はなかった。

何も言わず、母の顔を見た。

母は、その目を見返した。


「その顔やめて」


かるたは表情を変えなかった。


「何」

「人を恨むみたいな目で見るの、やめなさい」


母の声が揺れた。

怒りではなかった。


「そんなことして、何になるの」


かるたは起き上がらなかった。

母は透明なファイルを胸へ抱えた。


「わたし朝からこうやって、あんたが息してるか確認するの嫌なんだけどなあ」


声が小さくなった。


「店にいても、電話に出なかったら、また何か起きてるんじゃないかって思う。私の気持ちも少しは考えてよ」


胸の中へ、重いものが一つ追加された。

母を困らせている。

母を仕事から戻している。

母を泣かせようとしている。

父を死なせた。

母を家から追い出した。

学校へも行けない。

薬を飲んでも起きられない。


何もできない。


それでも生きている。

一つずつは、事実に近かった。


並べると、死んだ方がよい理由になった。


母の目が濡れていた。

今すぐ自分の首を切れば、この会話は終わる。


そう思った。


方法まで思い浮かんだ。

台所。

父の工具箱。

カッター。

どれも、立ち上がらなければ届かなかった。


「学校行くから」


かるたは言った。


「だから、もうやめて」


母はすぐに布団を返した。


「送る?」

「いらない」

「朝ご飯は」

「いらない」

「薬の空袋」

「机」


母は机から袋を取った。

透明なファイルへ入れた。


「学校へ着いたら連絡して」

「する」


しなかった。


家を出たあと、学校とは反対方向へ歩いた。

駅前の商店街を抜けた。

店は開いていた。

母はもう戻ったのかもしれなかった。

前を通らなかった。

公園のベンチへ座った。

子どもはいなかった。

犬を連れた老人が一度通った。


午前十時二分、母から電話。


十時十五分、吉岡から電話。


十時二十三分、母からメッセージ。

〈学校に着いていない。どこにいる〉


十時三十一分。

〈返事だけして〉


十時四十六分。

〈警察に探してもらうことになる〉


通知音が鳴るたび、胸の奥が縮んだ。

音を消した。

画面が光るだけになった。

それでも、ポケットの中で何かが増えていくのが分かった。


学校へ行けない。

学校へ行けないなら、卒業できない。

卒業できないなら、留学にも行けない。

留学に行けないなら、この家に残る。

この家に残るなら、朝は母に布団を剥がされる。


父の落ちた階段を通る。

母の店の機械音を聞く。

小田が海と湖の話をする。


来年も、その次も、ここにいる。


かるたは顔を両手で覆った。

最初は涙だけだった。

次に呼吸が乱れた。

止めようとすると、喉から変な音が出た。

誰もいない公園で、身体を折り曲げた。


「もうやめたい」


声に出た。


「学校、やめたい」


何をやめれば終わるのかは分からなかった。

学校だけではなかった。


家。

留学。

母。

父。

自分。


全部を一度にやめる方法しか、思いつかなかった。

昼を過ぎるまで、公園と駅前を往復した。


午後一時四十二分、コンビニのトイレへ入った。


洗面台の鏡に、腫れた目が映った。

水で顔を洗った。

目薬を入れた。

赤みは消えなかった。

マスクを上まで引き上げた。


学校へ着いたのは、五時間目が始まる少し前だった。

職員室へ入ると、吉岡が立った。


「来たか」

「おはようございま~す」


かるたは明るく言った。

声は普通に出た。

自分でも驚いた。


「今は午後だ」

「じゃあ、こんちゃ~」


吉岡は笑わなかった。


「体調は」

「全然大丈夫っすよ」

「朝から連絡が取れなかった」

「スマホ、サイレントだったんで」

「どこにいた」

「散歩っす」

「四時間?」

「長めの」


吉岡は、かるたの顔を見た。

腫れた目。

濡れた前髪。

マスクの内側で荒れた呼吸。

全部見えているはずだった。


「教室いくか?保健室にしとくか?今日は帰るってのでもいいぞ」


吉岡は言った。


「どれにする?」

「授業」

「分かった」


それ以上は訊かなかった。


「留学については、お母さんから継続の意思があると連絡を受けている。辞退するなら、本人の署名が要る」

「しないし」

「なら、締切までに書類を揃える」

「はいはい」

「返事は一回でいい」


教室へ入ると、何人かが顔を上げた。

佐伯が言った。


「お。来た」


別の生徒が、机の中を指した。


「プリント入ってるよ」

「あんがと」


誰も父の話をしなかった。

誰も朝の話を知らなかった。

それでも、全員が少しだけ普通の速度を落としているように見えた。


かるたは自分の席へ座った。

小田は前を向いたままだった。


授業が始まって十分後、ノートの端へ小さく書いた。

〈大丈夫?〉

紙を後ろへ送った。

かるたは、その下へ書いた。

〈全然〉

小田は一度振り返った。

かるたが笑うと、前へ戻った。


その日の放課後、母は学校へ来なかった。

代わりに、学校へ電話をしていた。

家庭内で問題が起きたこと。

本人から辞退の意思は聞いていないこと。

欠席や遅刻は通常どおり評価してよいこと。

ただし、家庭事情だけを理由に、選考から外さないでほしいこと。

吉岡は、その内容をかるたへ伝えた。


「お母さんは、選考と、実際に出発させるかどうかは別だと考えている」

「何それ」

「選ばれたあとで、安全に行ける状態か判断するということだ」

「行くって言ってんじゃん」

「お前の意思だけで決まらない部分もある」

「またそれかよ」


吉岡は返事をしなかった。

三月一日。

応募締切の日。

母は朝から店にいた。

かるたが学校へ行く前に寄ると、作業台の上へ留学書類が並べられていた。


保護者署名。

診断書。

面接評価。

振込明細。

最初に母から渡された三万円。

残りの九万円。


父の死亡保険金の一部から支払われていた。

母は青い蛍光ペンで振込額を囲んだ。


「払った」


かるたは明細を見た。


「もう?」


「今日の四時まででしょ」


「落ちたらどうすんの」


「返金条件は確認した」


「そうじゃなくて」


母は日付の空いていた署名欄へ、三月一日と書いた。

二月の最初に書かれた自分の名前の横へ、二週間後の日付が入った。


「選ばれるかどうかは、学校が決める」


母は言った。


「行けるようにするところまでは、私がやる」


書類を揃え、透明な袋へ入れた。


「あとは、自分の手でつかみなさい」


かるたは、母の手を見た。

あの夜、自分の腕をつかんだ手。

唇から血を拭いた手。

父の遺影を印刷した手。

保険の請求書を書いた手。

九万円を振り込んだ手。

母は、かるたを前へ進ませようとしていた。

止まれば死ぬと思っている人間のように。

こちらがどこへ進みたいのかより、立ち止まっていること自体を恐れていた。


「何」


母が訊いた。


「別に」


「じゃあ、学校へ持っていって」


透明な袋を渡された。

かるたは受け取った。

自分の手でつかめと言われたものは、最初から母の手の中にあった。

その日以降も、学校へは毎日遅刻した。

一時間目に間に合う日はなかった。

二時間目に来る日。

昼休みに来る日。

来ない日。

授業中は机へ突っ伏して眠った。

教師に起こされると、教科書の場所だけはすぐに開いた。

何も読まなかった。

昼休みは、これまでほとんど話したことのない同級生の机へ座った。

ゲームの話。

動画の話。

コンビニの新商品。

相手の名前を正確に覚えていなくても成立する話だけをした。

小田とは必要なことしか話さなかった。


「次、移動教室」

「知ってる」

「提出、今日」

「分かってる」

「それ、昨日も言ってた」

「じゃあ今日こそ出す」


出さなかった。

学校が終わると、駅前へ行った。

アプリで会った男の部屋には、白い天井があった。

別の男の部屋には、木目の天井があった。

安いホテルの天井には、煙感知器の赤いランプがあった。

かるたは会う前にはよく喋った。


学校の話。

教師の物真似。

母の店の変な看板。


ニュージーランドでは羊が人間より多いらしいという話。

相手が笑えば、かるたも笑った。

そこにいる間だけは、普段の自分へ戻れたように見えた。


名前はユウだった。

十八歳だった。


父は生きていることもあった。

一人暮らしのこともあった。


留学へ行くことが決まっていることもあった。


言葉にした設定の中では、何にでもなれた。

話さなくなったあと、かるたは天井の鏡を見た。

何が起きているかを、自分の身体から少し遠い場所で眺めた。

終われば、服を着た。

相手の洗面所で髪を直した。

礼を言った。

金を受け取らない日もあった。

金が目的ではなかった。

一時間か二時間、自分の人生を説明しなくてよいことが目的になっていた。

母には、小田といたと言った。

最初に名前を出したのは、考える前だった。


「小田くんと?」

「うん。留学の準備」

「何時まで」

「八時ぐらい」

「電話代わって」

「もう帰ったし」


翌日、吉岡が小田へ訊いた。


「昨日、かるたと一緒だったのか」


かるたは少し離れた場所にいた。

小田は透明な書類入れを胸へ抱えた。

答える前に、喉が一度鳴った。


「と、途中までは」


吉岡は、何時までかを訊いた。


「覚えてません」


小田は答えた。

嘘だった。

放課後、図書室の前で呼び止められた。


「僕の名前を使うなら、先に言って」


小田が言った。


「使ってないって。たまたま名前が出ただけ」

「それを使ったって言うんだよ」

「悪かったって」

「悪いと思ってない言い方、やめて」

「じゃあ何て言えばいいの」

「次はやめて」


小田は、それだけいって、理由を訊かなかった。

正しいことだけを言った。かるたは、その正しさが嫌だった。

それでも、次の週にも小田の名前を使った。

今度は、母が小田の家へ確認しなかった。

代わりに、帰宅時刻を記録した。


月曜、二十二時十二分。

水曜、二十一時四十分。

金曜、帰宅なし。


冷蔵庫の横へ貼られた紙に、青いペンで書いた。

かるたが紙を剥がすと、翌日には新しい紙が貼られていた。

夜中、家を出ようとしたとき、母は起きていた。

階段下の椅子へ座っていた。

照明は点けていなかった。


「どこ行くの」


かるたは玄関で靴を履いていた。


「コンビニ」

「財布持ってるね」

「コンビニだから」

「着替えも鞄に入ってる」


かるたは答えなかった。

母は立ち上がらなかった。

玄関も塞がなかった。


「出るなら、止めない」


母は言った。


「ただ、出た時点で警察と児相へ連絡する」

「は?」

「私はもう、一人で追いかけない。腕もつかまない」

「脅してんの」

「手順を説明してる」

「コンビニ行くだけだって」

「なら、十分で戻れるでしょ」


母は携帯電話を机へ置いた。

画面には、児童相談所の担当者の番号が表示されていた。


「出る?」


かるたは玄関の扉を見た。

鍵は開いていた。

母は触れていない。

自分で開けて、自分で外へ出られる。

出れば、警察が来る。

児相へ連絡される。

知らない男のところへ行く途中で保護されるかもしれない。

母は何もしていない。

正しい手順だけを置いていた。

かるたは靴を脱いだ。


「会う約束してた人に悪いな」と思った。


相手は、かるたが十五歳だと知らなかった。知っていたかもしれなかった。

どちらでもよかった。

階段を上がり、自分の部屋へ入った。

扉を閉めた。

鍵はなかった。


鳥籠の扉は開いていた。しかし、外に出たところで、もっと大きな籠へ移されるのは明白だった。



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