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お前は、その意味を考えたことがないだろう―奇跡論者の現実改変記  作者: Hyman Godley
序:日本編

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仏の顔でRTAする。かるた君

幸いにも、先ほどのサイドジョブは早く終わった。

かるたは駅前の発展場へ寄り、別のジョブを探した。

人通りの多い場所から少しだけ外れた公共の空間で、制服姿の高校生が壁にもたれて立っている。その不自然さ自体が、ある種のブランドになる。


かるたはもう、それを知っていた。


金にはならないジョブを一つ終えた。みすぼらしい男とひととおり楽しい話をして、飯を奢ってもらった。

両親が仕事から戻る前に、家へ帰ることができた。

反抗期などというみすぼらしい言葉で片づけるには、隠す手つきだけがうますぎた。


まるで罪を犯した人間のように、痕跡を手早く片づける。その作業に慣れつつあることへ、かるたは腹を立てた。少しだけ達成感があることには、もっと腹が立った。

汚れた制服は、床にこんもり積まれた、洗わなければならない服の山へ紛れ込ませた。

部屋をきれいにしたいという気持ちは、目の前にある別の刺激を優先する癖に、いつも遮られていた。


九万五千円は、父が使わなくなった古い工具箱へ隠した。

ラチェットレンチが大きさ順に並ぶ、灰色の金属箱だった。十一ミリのソケットだけがなく、円い窪みへ札を丸めて押し込むと、蓋がきれいに閉じた。


青い複写用紙も、一度だけ開いた。


〈ターゲット:転移〉

〈ピッチ:中立〉

〈シンク:〉


やはり最初に見た時とは違って、三つ目の欄だけが空いていた。時間が経てば変わるかもしれないという浅い期待が消えるとともに、かるたは箱の底にある緩衝材を剥がし、その下へ用紙を入れた。


隠すために一度決めた手順なら、かるたにもできた。


札を七枚ずつ数える。輪ゴムで留める。残りを横へ置く。箱を押入れの二段目へ戻す。手前にある毛布の折り目を右へ向ける。写真を撮り、元の位置と見比べる。


答えのある一周だった。


三回繰り返すと、手だけが正確になった。

珍しく、今のところはうまくやれている。

そう思った途端、注意は別のものへ移った。

英作文は、一つ目の質問で止まったままだった。


〈Why do you want to study abroad?〉


なぜ。

そんなことを聞かれても、相手が求めているらしい答えは見つからなかった。

好奇心という理由だけで十分ではないのか。

いや、十分であるべきだ。

そういう正当化だけは、すぐに見つけられるのに。


遠いから。

家から出たいから。

父のいない場所へ行きたいから。

母の店の付箋が届かず、学校の笑い方を知らない人しかいない場所へ行きたいから。


どの理由も核心に近いようで、実際のところは自分にも分からなかった。

昔、怒られたときのことを思い出した。


「なんでこんなことしたの」


小一時間ずっと問い詰められても、かるたには「分かんない」と答えることしかできなかった。

それが原因かどうかは分からない。

ただ、真実を言っても、相手が納得できる形の理由を出せなければ、苦痛は終わらない。

それだけは直感的に学んでいた。


強いて言えば、雲になって消えたい。

穏やかな気分に包まれたまま、誰にも見つからないところへ行きたい。


しかし、英語にする前から、それは書いてはいけない答えに見えた。

やがて母が帰ってきた音がした。

父は帰ってこなかったらしい。


かるたは安心して、寝たふりをした。


翌朝、学校へ向かう途中で、母から受け取った三万円だけを指定の口座へ入れた。

九万五千円には触れなかった。

稼いだ金をすぐに使うのは怖かった。足がついたらどうしよう、などという杞憂にさいなまれていたからだった。


その日の昼休み、かるたは小田から借りた面接問答を図書室の机へ並べた。

同じ質問を十周もすれば、答えが口から出るようになるかもしれない。

小田が質問カードを読み上げた。


「Why do you want to study abroad?」


明らかに、かるたが答える番だった。


「えっと。Because I want to live where I can have fun time.」


文法を間違えていることは、自分でも分かった。

そもそも英語を口に出していること自体が恥ずかしかった。

小田は馬鹿にするでもなく、少し間を置いてから言った。


「多分、ちょっと主観的すぎるというか。それだと、結果の話になってる気がする」


小田は、的確な指摘と、傷つけない言い方の両方を探しているようだった。

かるたが相槌を打とうとするより先に、小田は続けた。


「あと、have fun timeは文法的にも変だし、面接だと遊びに行くみたいに聞こえるかも。楽しい経験をしてみたいって意味なら、好奇心って言い換えてもいいんじゃない」


至極理性的な整頓の仕方だった。

やはり地頭がよいのだろう。

そう思った直後、自分はどうして、すぐに相手と自分を比べるのだろう、と考えた。

いつもの反芻が始まりかけた。

かるたは勢いで聞き返した。


「好奇心って、なんていうの」


「Curiosity。でも、それだけだと短いし、無理に難しい単語を使わなくてもいいと思う」


小田は少し考え、鉛筆を動かした。


「たとえば、That’s because I would love to experience and learn about a different culture, and this is the best opportunity for me.とか」


きれいなアルファベットの列が、紙の上に並んだ。

それを見て、かるたは自分の字を母に「ミミズが這ったみたい」と言われたことを思い出した。


「おー。マジありがとう」


内心とは違う調子で返事をすることには慣れていた。


「うん。別に、これくらい何ともないよ」


小田は鉛筆を置かなかった。


「でも、ここからは、自分の動機がどこから来たかとか、そういう視点で書かないと。僕が代わりに書くことはできないから」


「ああ。もう、あとは自分でできるからいいよ。悪いし」


核心を突かれたときに出す声には、不慣れな怒りが混ざった。


「でも、ほとんど真っ白だし。さっきみたいなのでいいから、言ってくれたら添削ぐらいはできるよ」


「別に、空白でも結果は出るっしょ」


言ってから、青い用紙を思い出した。


小田が鉛筆を止めた。


「え。何の話」


「申請書」


嘘ではなかった。

話していないことの方が多いだけだった。

それでも、自分が意味の分からない返事をしたことは分かった。


急に恥ずかしくなった。


親切を無下にしたような気がして、早くこの場から消えたくなった。

一緒に図書室を出て教室へ戻ると、小田の後ろの席にいる佐伯が、かるたの机へ腰を預けてきた。


「留学すんの?」


「する」


「英語しゃべれんの」


「ジャパングリッシュで乗り切る!」


周囲が笑った。

かるたも笑った。


「一人だけなんだろ。小田じゃね? こいつ、去年から先生に媚びてるし」


小田は机の中を探すふりをした。

言葉を出す前に、喉が鳴った。


「ぼ、僕は、別に」


かるたはその音を真似た。


「ぼ、ぼ、僕はぁ」


笑いが大きくなった。

小田は口を閉じた。


やりすぎた。


かるたはそう思った。

思ったが、その場で謝れば、自分が悪いことになる気がした。

午後、小田の机が少し濡れていた。

小田がいない間に、かるたはティッシュで拭いた。

誰にも見られないようにやった。

だから、謝ったことにはならなかった。


その日の面接練習で、小田は練習用の質問カードを数枚減らした。

かるたは理由を訊かなかった。


英語面接は、二月十四日に行われた。


小田は、湖沼生態系と海洋環境をつなげて研究したいと答えた。

採水の方法。現地の選択授業。帰国後に進みたい大学。

言葉が途切れても、決めてきたものを一つずつ机へ置くように話した。

机の横には、透明な書類入れがあった。


黄色いヒトデ。


自己注射器。


エピペン。


小田がピーナッツアレルギーだと、かるたはそのとき初めて知った。

小田が持っていること自体は、意外ではなかった。

必要なものを、必要な場所へ入れておく人だった。


かるたは、自立したいと答えた。


「Independent from what?」


画面の向こうの面接官が訊いた。

父から、と答えれば、家へ確認が行く。

母から、と答えれば、三万円を受け取りながら何を言うのかと思われる。

学校から、と言えば、推薦する学校の前で不利になる。


「From my family.」


面接官が聞き返した。

かるたは言い直した。


「I want to see what I can do on my own.」


吉岡が日本語で確認した。


「自力で、どこまでできるか試したいということ?」


「はい。でも、これは推薦留学だから、ほとんど自力じゃないですけど」


英語教師が咳払いをした。

画面の向こうの面接官は笑った。

小田は笑わなかった。

面接の帰り、階段に黄色いものが落ちていた。


かるたが拾った。

星にも、ヒトデにも見えた。一本だけ短い。


「落とした」


小田の書類入れには、同じシールが付いていた。


「あるけど」


「じゃあ、俺のじゃない」


かるたは拾った方を、窓から入る光へ透かした。

裏の粘着剤には、青い繊維が一本付いていた。小田の書類入れと同じ色だった。


「妹がくれたの、一枚だけ」


小田が言った。

かるたは、少しだけ冗談めかして、明るく返してみることにした。


「じゃあ、繁殖した」


「気持ち悪いこと、普通に言うね」


「一枚いる?」


「いらない」


小田は歩き出した。


かるたは黄色いヒトデを財布へ入れた。


財布の内側には、まだ九万五千円の柑橘の匂いが残っていた。


その匂いが、紙の仕切り越しにヒトデへ移った。


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