マイアとジェームズ(挿絵アリ)+ついでにかるた君の下準備
「なあ、正直、まだカイオにあれやらせるの無理じゃね?」
“Honestly, I’m not convinced Caio can handle that yet.”
ジェームズ(James)は棚から透明なシェイカーを取り出した。
底に白い粉が二杯分入る。
給水機の水を注ぎ、蓋を閉める。
一度振った。
まだ底に粉が残った。
もう一度、強く振った。
向かいの机で端末を見ていたマイア(Maia)が、喉の奥で低く唸った。
「……んー」“Mmm.”
「いや、マジで」”No, like, for real’
ジェームズはシェイカーを光へ透かした。
「カイオ単体は怖いけどさ。あのタイプ・グリーンなら、案外いい仕事するんじゃねって思ってんだよね」
“Caio on his own? Bit scary. But with that Type Green in the mix, I reckon we could actually make it work.”
マイアは画面から顔を上げた。
「ほんと、測ったみたいなタイミングよね」
“The timing’s almost too perfect.”
「おいおい。今度は陰謀論?」
“What, conspiracy theory now?”
マイアが笑った。
「なによ。ここ自体が陰謀みたいなもんじゃない」
“Please. This whole place is basically a conspiracy.”
「まあな」"True"
ジェームズはシェイカーの蓋を開け、一口飲んだ。
眉をしかめる。
「水入れすぎたわ」
「知らないわよ」
「でもさ、真面目な話としてさ」
蓋を閉じた。
「カイオに〈Karakia〉を最初から最後までやらせたら、たぶん何かクソでかい化け物作るぞ。昨日もあんな張り切ると思ってなかったし」
「そもそも、化け物を作る術式なんだけど」
「そういう意味じゃなくて」
ジェームズは空いた手で、机の上に小さな円を描いた。
「食って、増えて、出ていく。そこで終わり。それが予定だろ?」
マイアは頷いた。
「予定ではね」
クロムウェル(Cromwell)の地図が、端末に表示されていた。
現在の町。
ダム湖。
その下へ、薄い青で別の道路網が重ねられている。
かつてのクロムウェル。
ダムの完成前に存在し、その一部が水の下へ沈んだ町だった。
ただし、画面上の道路は実在した旧市街の配置と完全には一致していない。
道が一本多い。
建物も多い。
湖底に存在しないはずの交差点があり、その先は測量不能の空白へ続いている。
マイアは、その空白を指で拡大した。
「昨日の見たでしょ。カイオ、形を作るのは上手いの」
「そうだな、めちゃくちゃ上手い」
「そう、だからそこは否定してない」
河原で生まれた黒い手。
地面から伸び、かるたの手足と頭を押さえた。
ただ拘束しただけではない。
対象の位置を固定し、追跡術式を維持し、局所的な現実性の変動まで抑え込んでいた。
別々に組むなら、三つの術式になる。
カイオは途中から継ぎ足した。
準備もなく。
一人で。
「ウェーブ自体は、かなり綺麗だった」
マイアは言った。
「問題は、そのあと」
「まぁ~六機も反動吸収用オーブ飛ばしたしな」
「むしろ六個で済んだ、って言った方がいい」
河原へ持ち込んだ八基のSink。
そのうち六基が、一度の術式で飽和した。
処理しきれなかった反動は草木へ流れ、九本の木と周囲の植生を炭化させた。
炎は出なかった。
熱もほとんどなかった。
それでも、生きていたものは死んだ。
ジェームズはシェイカーを振った。
「血をSourceにしたのも悪かった?」
「血が悪いんじゃない。使い方」
マイアは自分の親指を見た。
「Naturalに近いものから、あれだけ明確な実体を一気に押し出した。変換が雑すぎる。普通なら途中で一回変換を挟むのに」
「でもそんな悠長なことしてたら、逃げられてたぞ」
「だから、結果として必要だったことと、術式として適切だったことは別」
「そうやってカイオに言った?」
「言った」
「聞いてたか?」
「聞いてた」
「理解してそうだった?」
マイアは黙った。
ジェームズが笑う。
「そこだよな」
〈Karakia〉は、財団が使っている名称だった。
分類上は召喚術。
ただし、別の場所にいる何かを呼び寄せるわけではない。
クロムウェルの異常領域へ蓄積したEVEをSourceとして、単純な構造を持つ実体をその場で形成する。
実体は周囲のEVEを吸収する。
一定量まで蓄えると分裂する。
増殖には上限があり、飽和すると発生地点から離れる。
鳥に近い姿を取ることもある。
種子や綿毛のような形になることもある。
姿そのものは重要ではない。
離れること。
EVEを運ぶこと。
そして移動先で少しずつエネルギーを放出しながら、内部へ固定された術式によって周囲の現実性と奇跡論的環境を安定させる。
クロムウェルへ溜まり続けるものを、封じ込めるだけではなく利用する。
食わせ、運ばせ、薄めて、使う。根は古典的だか高度な術式である。
「同行させる分には、カイオでいいと思うんだよ」
ジェームズが言った。
「Shaperの維持だけやらせるとか。俺らが外側組めば」
「それならね」
「メインは無理?」
「今は」
「やっぱ想像力?」
「想像力って言い方、本人の前でするなよ」
「なんで」
「面倒だから」
ジェームズはまた飲んだ。
「俺は欠けてると思うんだけどな。結果見えたら、そこまで一直線なんだよ。途中の逃がし方とか、余ったのをどう使うとか、全然考えない」
マイアは地図を閉じた。
「向こう見ずなのはそう。術式とバックラッシュの理解も浅い」
マイアは少し考えた。
「でも、自己完結するSinkをまだ作れないだけ。ウェーブそのものは才能だよ。そこはジェームズ、あんたなんかより上かもしれない」
「おい」
「形を固定する能力はね」
「後から補足されてもうれしくないぜ」
マイアは笑った。
ジェームズはシェイカーを机へ置いた。
「だったら俺らが補助すればいいじゃん」
マイアが見る。
「カイオにShaperだけやらせる。俺らで分散と再回収。最後をタイプ・グリーンに落とす」
「落とすって何」
「Sink」
マイアの顔から笑いが消えた。
ジェームズはすぐに片手を上げた。
「廃棄先って意味じゃねえよ」
「だったら言い方考えて」
「現実性の基準点。閉じる場所。あいつの周りって、こっちが術式組んだとき変に安定するだろ。昨日もカイオの固定と噛み合った瞬間だけ、波形めちゃくちゃ綺麗になってた」
「その前にあの緑、スクラントン現実錨を三基もぶっ飛ばしてるけど」
「それはあいつ側」
「同じ人間です」
「分かってるって」
ジェームズは椅子へ座った。
「でも、うまくやれば反動までKarakiaの循環へ戻せる。今までみたいに外へ捨てなくて済むかもしれない」
「うーん」
マイアは腕を組んだ。
「どうかなあ」
「お前、昨日は才能あるって言ってたじゃん」
「カイオの話」
「かるたも変なの持ってんじゃん」
「変なの、で人間を術式へ入れないで」
マイアは立ち上がる。
「そもそも昨日、本人が現場参加しなくていいって文面に入れさせたばっかなんだけど」
「参加じゃなくて見学だよ」
「財団がよく使う言い訳でしょ」
「じゃあ遠足」
「もっと悪い」
マイアは端末を持った。
「あと、そのプロテイン臭い」
「バニラだぞ、俺のバニラに謝れ」
「いやだね、クッッッサ!」
ドアが閉まった。
ジェームズは一人になった。
シェイカーを嗅いだ。
もう一口飲んだ。
「普通だろ」
誰も答えなかった。
▼▼▼
翌朝、かるたは知らない天井を見ていた。
白い。
模様がない。
目を開けた直後は、どこにいるのか分からなかった。
身体を起こそうとして、背中が痛んだ。
両手首も痛い。
そこで思い出した。
黒い手。
河原。
カイオ。
財団。
昨日の紙。
机の上に置かれていた時計は、午前九時十二分だった。
スマートフォンはない。
代わりに、紙が一枚置かれていた。
〈起床後、壁面ボタンを押してください〉
その下に、
〈朝食を希望しない場合も押してください〉
と書かれている。
押した。
三分ほどして、昨日とは別の女性職員が来た。
血圧。
体温。
手首の確認。
背中。
頭皮。
質問はいくつかあったが、河原で何をしようとしていたかは訊かれなかった。
終わると、朝食のトレーが置かれた。
トースト。
卵。
ヨーグルト。
小さな容器に入った果物。
食べている途中で、エージェント・マッケンジー(Agent Mackenzie)が来た。
昨日と同じ紺色のシャツだった。
作業用ベストは着ていない。
「眠れた?」
「たぶん」
「夜中に二回起きてる」
「じゃあ何で訊いたの」
「本人の感覚も記録するから」
マッケンジーは椅子へ座った。
紙を二枚持っていた。
一枚は英語。
もう一枚は日本語だった。
「昨日書いてもらった希望について、朝になって変更はありますか?」
「ない」
「ニュージーランドへ残りたい?」
「うん」
「学校については?」
「戻れるなら戻りたい」
「家族との連絡は」
かるたはヨーグルトの蓋を折った。
「……まだ分からん」
「分かりました」
マッケンジーは記入した。
かるたは、その手元を見ていた。
「母さん、どうなんの」
ペンが止まる。
「どう、というのは?」
「俺がこっち残るなら」
「法的な手続きについては、日本側とこちらで調整を始めています。あなたの母親でなくなるわけではありません」
「そうじゃなくて」
少し間が空いた。
「記憶」
マッケンジーは紙を裏返した。
「現時点では、お母様への追加の記憶処理は予定していません」
かるたはスプーンを止めた。
「しないの?」
「必要がない限りは」
「財団のこと知らないのに?」
「だからです」
マッケンジーは昨日の記録を確認した。
「お母様が把握しているのは、あなたが河川敷で何らかの薬剤へ曝露した可能性があり、専門施設で経過観察を受けていることだけです」
「それで済む?」
「済ませます」
「俺の学校の記録は?」
「戻します」
即答だった。
「Domesticになってるやつ?」
「はい」
「なんで」
「出生記録も、市民権の取得記録も、それに対応する移民履歴も存在しません。学校のデータベース一つだけを書き換えても、あなたを国内生として運用することはできない」
「でも学校ではそうなってたじゃん」
「学校ではね」
マッケンジーは別の紙を出した。
上部には、知らない団体の名前が印刷されている。
〈Southern Lakes Education Trust〉
その下に大きく、
〈International Student Continuation Scholarship〉
とあった。
「何これ」
「奨学金です」
「俺の?」
「そうなります」
かるたは紙を取った。
授業料。
ホームステイ費。
医療保険。
教材費。
学生ビザの申請支援。
支給期間の欄には、翌年の一月から、その次の年の十二月までの日付が入っていた。二年間。
「……二年?」
「ワカティプ・ハイスクールを卒業するまで」
「全部?」
「規定上の範囲は」
「こんな出んの?」
「出ます」
「なんで」
「財団の管理下にある教育基金だからです」
かるたは紙を裏返した。
住所がある。
電話番号がある。
登録番号もある。
「偽物?」
「団体は実在します。毎年、実際に留学生へ助成を行っています」
「俺に出すのだけ決まってる?」
「はい」
それも普通に言った。
「じゃあ、母さんには?」
「あなたが応募し、選考を通過したことにします」
「……は?」
マッケンジーはもう一冊、薄いファイルを置いた。
応募日。
学校推薦。
一次審査。
英語の作文。
オンライン面談。
採択通知。
十一月末から昨日までの記録が、順番に揃っていた。
「俺、こんなのやってないけど」
「承知しています」
「母さんに嘘つくの?」
「はい」
「記憶消すよりそれ選ぶんだ」
「お母様の記憶を変更しなくても成立するカバーストーリーですから」
かるたは作文を抜いた。
タイトルの下に、自分の名前があった。
文章を読む。
英語は上手すぎなかった。
冠詞が一か所抜けている。
同じ単語を近い位置で二回使っていた。
自分が書いたと言われたら、完全には否定できない。
「これ誰が書いたの」
「あなたが今年提出した文章を参考に、こちらで作成しました」
「きしょ」
「そうですね」
「そこ認めるんだ」
作文には、この一年で学んだことが書かれていた。
知らない環境で人へ助けを求めるようになったこと。
異なる文化の中で生活したこと。
翌年も学校へ通い、自分の進路について考えたいこと。
全部、どこかで自分が言ったことだった。
並べ方だけが違った。
「母さん、絶対これ読むよ」
「希望すれば送ります」
「絶対希望してくる」
「その可能性を想定しています」
次の紙には、日本語で質問が並んでいた。
なぜ応募したのか。
なぜ母親に相談しなかったのか。
誰から募集を教えられたのか。
面接では何を訊かれたのか。
どんな内容の作文を書いたのか。
なぜ二年間残りたいのか。
かるたは途中で読むのをやめた。
「無理なんだけど」
「練習します」
「やだ」
「では、別のカバーを用意します」
「どんな」
「お母様側の記憶を処理して、あなたの継続就学についてすでに同意済みだったことにする方法もあります」
小田が浮かんだ。
辞退届。
メッセージ。
本人の記憶。
最初からそうだったことになった十日間。
「……それはいやかも」
「では、こちらで」
マッケンジーは想定問答をかるたの前へ戻した。
「まず、なぜ応募したんですか」
「帰りたくなかったから」
「お母様へ言う内容としては?」
「学校楽しかったから」
「ほかには?」
「知らん」
「二年間残りたい理由は?」
「卒業まで行けるから」
「そのままでいいでしょう」
「これ面接?」
「練習です」
「めんどくさ」
「その感じは、少し減らした方がいいですね」
「うざ」
マッケンジーは記録用紙へ何かを書いた。
「今のも書いた?」
「書いていません」
「絶対書いたじゃん」
「次です」
一時間ほどかかった。
応募したのは十一月末。
学校の留学生担当から募集を教えられた。
母親へ言わなかったのは、どうせ通らないと思っていたから。
作文には、この一年で変わったことと、卒業までニュージーランドで勉強したい理由を書いた。
オンライン面談では、学校生活、進路、ホームステイについて訊かれた。
昨夜、採択通知が来た。
二年間。
卒業まで。
そこだけは何度確認しても変わらなかった。
財団が作った話なのに、その部分だけ、かるた自身が欲しかったものと同じだった。




