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お前は、その意味を考えたことがないだろう―奇跡論者の現実改変記  作者: Hyman Godley
財団ニュージーランド支部で高校生バイト編

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世界一キモイ嘘

電話は、日本時間の午後に合わせた。

財団の端末だった。

音声だけで、相手の顔は見えない。

マッケンジーは向かいに座っている。

かるたの前には、想定問答の紙が置いてあった。

呼び出し音が三回鳴った。


『もしもし』


母だった。

昨日までと同じ声だった。


「もしもし」


『あんた身体は大丈夫なの? 昨日、薬品か何かって言われたけど』


「大丈夫」


『検査は』


「終わった」


『病院なの?』


「なんか、専門のとこ」


『なんかって何』


「俺も詳しく知らん」


『書類あるなら送って。保険使うかもしれんでしょう』


「うん」


マッケンジーが一枚目の紙へ指を置いた。

事故についてはそれ以上広げない。

ここからだった。


「あのさ」


『何』


「別の話ある」


『何。また何かあった?』


「悪い方じゃない」


『じゃあ何』


かるたは一度だけ息を吸った。


「奨学金、通った」


沈黙した。


『……何の?』


「こっちの学校の」


『あんた、そんなの応募してたの?』


「うん」


最初の嘘だった。

普通に出た。

それが少し怖かった。


『いつ』


「十一月の終わり」


『何で言わなかったの』


「どうせ無理だと思ってたから」


『誰かに勧められたの?』


「留学生の担当の人」


『いくら出るの』


やっぱり、そこだった。

かるたは紙を見る。


「授業料と、ホームステイと、保険。あと教材とかも少し」


『一年分?』


「二年」


『二年?』


母の声が変わった。


「卒業まで」


『高校卒業まで全部?』


「うん」


『返さなくていいの』


「いい」


『本当に?』


「本当に」


『ちょっと待って』


紙を探す音がした。


『学校名ちゃんと言って』


「ワカティプ・ハイスクール」


『それは知ってる。奨学金の方』


かるたは英語名を読んだ。

母が復唱する。

ペンで書いている。


『どれくらいの人数が取れるの』


想定問答にない。

かるたはマッケンジーを見る。

指が三本上がった。


「三人」


『学校から?』


マッケンジーが首を振った。


「この辺の留学生から」


『じゃあ結構ちゃんとしたやつじゃん』


「まあ」


『すごいじゃん』


かるたは返事をしなかった。


『え、本当にあんた取ったの?』


「だからそう言ってるじゃん」


少し笑って言えた。

母も笑った。


『何でそんな大事なこと黙ってたの』


「落ちたら恥ずいし」


そこは自分で作った嘘だった。


『作文とか書いたの?』


「書いた」


『英語で?』


「英語以外で何で書くんだよ」


『そうだけど。あんた、作文あんな嫌いだったじゃん』


「まあ」


『どんなこと書いたの』


紙を見る。

自分の名前が載った、自分では書いていない作文が置いてある。


「こっち来てからのこととか」


『何それ』


「友達できたとか、自分から人に訊けるようになったとか。あと、もう二年残って卒業まで行きたいとか」


『面接もあった?』


「オンラインで」


『一人で?』


「うん」


『英語で?』


「当たり前だろ」


『ちゃんと喋れたの』


「通ったんだから喋れたんじゃない」


母が笑った。


『ほら』


「何」


『やればできるじゃん』


指先が止まった。


『あんた昔からそうなのよ。やるまでが遅いだけで、やったらちゃんとできるんだから』


「……うん」


『二年分なんてすごいじゃん。しかもホームステイまで出るんでしょう?』


「うん」


『じゃあ私、学費ほとんど出さなくていいってこと?』


「そうみたい」


『よかったじゃん』


本当に嬉しそうだった。


『行かせた甲斐あったね』


かるたは想定問答の紙の角を折った。


『正直、最初はどうなるかと思ってたよ。お父さんもあんな反対してたし、お金もかかったし』


階段が一瞬だけ浮かんだ。

母は知らないまま続けた。


『でも、やっぱり留学させたの間違ってなかったじゃん』


「……うん」


『私、あんたは環境変えた方がいいと思ってたんだよ』


紙の角をもう一度折る。


『日本にいたら、何するにも最初から無理って言うでしょう。でも向こう行って、自分で奨学金調べて、応募して、面接まで受けたんでしょう?』


「うん」


『ちゃんと変わったじゃん』


言わないでほしかった。

でも、何を、とは言えなかった。


『さすが私の子だわ』


「何それ」


笑った。

笑えてしまった。


『だって私もそうだもん。やるって決めたら早いから』


似ていない。

と思った。

その言葉も出なかった。

母は嬉しい。

それだけだった。


『でも二年なら、本当に卒業までだね』


「うん」


『そのあと大学どうするの』


「まだ知らん」


『まあ、それはこれからでいいか。せっかく二年間出してもらえるなら、その間に考えればいいし』


母の中では、もう二年後まで時間が伸びていた。

十二月十二日の帰国便は消えた。

日本の学校への復帰も消えた。

代わりに、来年と再来年が並び始める。


『ビザはどうするの』


「基金の人が手伝ってくれる」


『私のサインいるでしょう』


「いると思う」


『思うじゃなくて確認して』


「うん」


『規約送って。英語だけなら私も見るけど、日本語あるなら両方』


「分かった」


『学校からの書類も』


「うん」


『テリーさんのところは二年も大丈夫なの?』


「それはまだ確認中」


『そこ先に確認しないと駄目でしょう』


「分かってるって」


『あと、日本の学校の方。休学で二年いけるのか、それとも転校扱いにするのか』


「まだ電話しないで」


少し強く言った。


『なんで』


「正式な書類まだ全部来てないから」


一拍あった。


『じゃあ、来てからね』


「うん」


危なかった。

嘘を一つ置くと、母はその先を本当に進める。

学校へ電話する。

ビザを調べる。

書類を読む。

二年後の卒業まで計算する。

存在しなかった十一月二十七日から、本物の予定が伸びていく。


『でも、よかった』


母の声が少し小さくなった。


『最近さ、私も、留学まで行かせたの本当によかったのかなって思ってたんだよ』


かるたは黙った。


『あんた、向こう行っても課題終わらんとか言ってたし、帰ってきて日本の学校ちゃんと戻れるのかなとか』


「うん」


『でも、こういう結果出したなら、間違ってなかったね』


答えなかった。


『かるた?』


「いる」


『頑張ったね』


「……うん」


それしか出なかった。


『じゃあ書類送って。ちゃんと見るから』


「うん」


『テリーさんにもちゃんとお礼言いなさいよ』


「分かってる」


『あと、奨学金の作文、私にも送って』


かるたは顔を上げた。


マッケンジーと目が合う。


「なんで」


『読みたいから』


「別にいいじゃん」


『何書いたか気になるでしょう』


「恥ずいから嫌」


『じゃあいいけど』


引いてくれた。いとも簡単に。

そのことにも少しほっとした。


『ほんとに、よかったね』


「うん」


『じゃあまた夜連絡する』


「うん」


通話が切れた。

画面が暗くなった。

十三分ほどだった。

かるたは端末を机へ置いた。

想定問答の紙は、右下が何度も折られて柔らかくなっていた。

マッケンジーが口を開いた。


「問題は――」


「ちょっと黙って」


止まった。

かるたは額を両手で押さえた。

頭が痛いわけではない。

吐きそうでもない。

ただ、身体が妙に重かった。


「……こんな疲れる?」


マッケンジーは答えなかった。

母が目の前にいなくてよかった。

顔を見なくていい。

紙を見ても分からない。

少し返事が遅れても、通信のせいにできる。


「うん」だけでも会話は進む。


嘘は、思っていたより簡単だった。

それが嫌だった。


「さすが私の子だって」


かるたは言った。

笑おうとして、やめた。


「俺、何もしてないのにな」


マッケンジーは机の上の採択通知を見た。


「残ることを希望したのは、あなたです」


「そういうフォローいらないから」


「分かりました」


その返事にも腹が立った。


「やればできるって」


かるたは紙を指で弾いた。


「俺が頑張ったから取れたって思ってる」


マッケンジーは何も言わない。


「留学行かせた自分も正しかったって」


今度も返事はなかった。


「それが一番ムカつく」


口に出した瞬間、嫌になった。

母は喜んだだけだった。

褒めただけだった。

二年間の学費がなくなることに安心して、息子が自分で応募したと信じて、それを誇らしく思った。

それだけだ。


「……別に母さん悪くないのに」


マッケンジーは、そこで初めて口を開いた。


「はい」


「はいって言うなよ」


「では、何と言えば」


「知らん」


かるたは椅子の背へ身体を預けた。

昨日、自分は帰りたくないと言った。

今日、母は、自分が頑張ったから帰らなくてよくなったと思っている。

その間にあるものを、母は何も知らない。


黒い手も。

学校の記録も。

三基壊れたSRAも。

財団も。

小田も。

知っているのは、息子が二年間の奨学金を取ったということだけだった。


「記憶消した方が楽だったかも」


マッケンジーは否定しなかった。


「希望するなら、まだ申請はできます」


「それはいい」


すぐに答えた。

マッケンジーはそれ以上何も言わず、書類をまとめた。


「正式な奨学金受給同意書には、お母様の署名が必要です。こちらから今日中に送付します」


「本当に二年出るの?」


「出ます」


「俺が学校やめても?」


「その時点で終了します」


「留年したら?」


「二年間です」


「退学になったら?」


「終了」


「成績悪かったら?」


「最低限の在籍条件はありますが、通常の範囲なら継続します」


「俺用に作った?」


「規程を?」


「うん」


「一部は」


「やっぱ偽物じゃん」


「実在する奨学金です」


「その言い方ずるいな」


「よく言われます」


マッケンジーは立ち上がった。

かるたは机に残った作文を見た。

二年間。

卒業まで。

嘘だった。

そこだけは、本当にしてもらえるらしい。


▼▼▼


昼を過ぎると、部屋を出る許可が出た。

サイトと呼ばれていたが、大きな施設ではなかった。


廊下。

事務室。

医療室。

倉庫。

小さな休憩室。


外から見れば、工業団地にある設備会社の事務所とほとんど変わらないらしい。

窓のある休憩室へ入ると、ジェームズがいた。

シェイカーを洗っている。


「あ」


かるたを見る。


「結局、こっちいることにしたんだな」“So you’re staying, then.”


「まだ決まってないって」


「でも希望はこっちなんだろ」


「まあ」


「じゃあ、だいたいこっち」


「財団の人と同じこと言うなよ」


「俺、財団じゃないし」


「番号みたいなのついてたじゃん」


「AUXは社員番号じゃねえよ」


ジェームズはシェイカーを逆さにして水を切った。


「給料も毎月決まってねえし」


「じゃあバイト?」


「もっと悪い」


「何それ」


「地域協力者」


「なんか良い人みたいだね」


ジェームズが笑った。

かるたは冷蔵庫から水を取った。


「昨日のバナナ、食った?」


「食った」


「良かったな」


「何が」


「俺に取られなくて」


「まだ言ってんの」


ジェームズは椅子へ座った。

今日はTシャツだった。

襟元が広い。

首の下、鎖骨の少し上に、薄い横線が見えた。

最初は服の跡だと思った。

違った。

傷だった。

かるたが見ていると、ジェームズが自分の首へ触れた。


「これ?」


「……見てないし」


「見てたじゃん」


「ちょっとだけ」


「甲状腺」


「何が」


「ない」


「は?」


ジェームズは喉を指さした。


「俺、甲状腺ないんだよ」“No thyroid.”


「人間って、なくていいの?」


「良くはない」


ジェームズはポケットから小さな薬の容器を出した。


「だから毎朝これ」


「病気?」


「子どもの頃、がん」


軽く言った。

かるたの方が黙った。


「そんな重い顔すんなよ。取って終わったやつだから」


「何歳?」


「七」


「七?」


「たぶん。いや、八だったかな」


「自分のことだろ」


「昔すぎる」


ジェームズは首の傷を指でなぞった。


「母ちゃんは七って言う。俺は八だと思ってる」


「覚えてないの」


「病院のジュースがクソまずかったのは覚えてる」


それで話を終わらせるつもりらしかった。

かるたは水を飲んだ。


「お母さんとは一緒に住んでんの?」


「うん。基本は」


「父親は?」


「あー」


ジェームズは椅子の背へ寄りかかった。


「離婚」


「仲悪い?」


「俺と?」


「うん」


「知らん。会ってねえから」


「どんくらい」


「小学校の途中から」


「じゃあ結構じゃん」


「結構だな」


ジェームズは薬の容器をポケットへ戻した。


「母ちゃんとは普通。うるせえけど」


「何が」


「飯。薬。学校。筋トレしすぎ。帰る時間。だいたい全部」


「それ普通じゃん」


「お前んちよりはな」


かるたはジェームズを見た。

ジェームズも見る。


「……悪い」


「別に」


少し間が空いた。


「魔法のやつは?」


「奇跡論」


「それ」


「父親側らしい」


「そうなの?」


「財団に調べられた」


ジェームズは指を二本立てた。


「母ちゃん側、ゼロ。父親側には、古い記録に何人かいるらしい」


「じゃあ父親も使えんの」


「さあ」


「訊いてないの?」


「連絡先知らんし」


ジェームズは何でもないように言った。


「財団は知ってるっぽいけど、俺には見せねえんだよな」


「なんで」


「知らん。機密なんだとよ」


「自分の父親なのに?」


「財団ってそういうところなんだぜ、兄弟」


昨日、自分の記憶を消した組織だった。

反論できなかった。


「でも」


ジェームズは首の傷を指で一度こすった。


「俺がこっちの仕事始めたあと、昔の病理標本を向こうが調べ直してんだよ」


「がんの?」


「うん」


「なんで」


「それも教えてくれねえ」


笑った。


「だから、俺の親父、普通に失踪したクソ親父なのか、機密指定されたクソ親父なのか、まだ分かんない」


「どっちにしろクソなんだ」


「そこは確定」


ドアが開いた。

マイアが入ってきた。

手には紙コップが二つある。

一つをジェームズへ渡した。


「カイオは?」


ジェームズが訊いた。


「まだ医療室」


「手?」


「ほぼ戻った。でも今日は術式禁止」


「本人キレてる?」


「術式禁止って言った瞬間から、ずっと端末で式書いてる」


「禁止の意味」


「実行しなければ違反じゃないって」


ジェームズが笑った。

マイアは、かるたを見た。


「残るんだって?」


「みんな知るの早くない?」


「ここ、狭いから」


「こんな陰謀論とかで出てきそうな、ディープステートとか言われそうな組織なのに?」


「だからよ」


マイアは窓際の椅子へ座った。

かるたは少し迷ってから訊いた。


「マイアも、家系?」


「何が」


「奇跡論」


マイアは紙コップへ口をつけた。


「父親から」


「ジェームズと一緒じゃん」


「いや、兄弟よ、全然違うぜ」"No bro, She is different"


ジェームズが即座に言った。


「だって、こいつの家ガチだから」


マイアが足を伸ばし、ジェームズの椅子を蹴った。


「説明が馬鹿」


「じゃあ自分で説明してやれよ」


マイアはかるたを見る。


「父がマオリ。イウィ(iwi)はンガイ・タフ(Ngāi Tahu)」


「イウィ?」


「大きい親族集団みたいなもの。日本語でぴったりの言葉があるのかは知らない」


「部族?てきな?」


「まあ、観光客相手ならそれでも通じる」


少しだけ顔をしかめる。


「でも、奇跡論の方はNgāi Tahu全体の話じゃないから。そこ混ぜないでね」


「う、うん?」


「父のwhānauの中に、昔から変なことやってた家がある。それだけ」


「変なこと?」


「ふふ、ジェームズみたいなあほずらね」


「おい」


マイアは無視した。


「財団の古い記録だと、地域性奇跡論実践集団とか、そういう名前になってる」


「自分らでは?」


「別の呼び方がある」


「何」


「教えない」


「なんで」


「会って二日目だから」


普通に言われた。

かるたも、それ以上は訊かなかった。


「お父さんに教わったの?」


「そうね」


「小さい頃から?」


「小さい頃から教わってたものが、奇跡論だって知ったのは後」


「どういうこと」


マイアは紙コップを両手で持った。


「場所によって、していいことと悪いことがあるとか。水の近くでやる手順とか。何か持って帰るときのやり方とか。そういうの」


「魔法って感じじゃないね」


「最初から魔法として教えられてないから」


ジェームズが口を挟んだ。


「でもこいつの親父、普通に火とかぶちまけるぞ」


マイアがまた椅子を蹴った。


「お前ほんと黙れ」


「事実じゃん」


「私のかわいい説明が全部台無しになる」


かるたは少し笑った。


「財団とは仲いいの?」


マイアが今度は答えるまで少し時間を置いた。


「今は」


「今は?」


「おじいちゃんは嫌ってる」


「何かあったの?」


「昔は、向こうが勝手に持っていったものもあるし、勝手に危険って決めて使えなくした場所もある」


「財団が?」


「財団だけじゃないけどね」


マイアは肩をすくめた。


「今は協定がある。家族の道具や記録を調べるなら許可を取る。危ない案件が出たらこっちも協力する。治療とか学校とか、必要な支援は向こうが出す」


「じゃあ嫌いではない?」


「便利」


「それだけ?」


「便利は大事でしょ」


ジェームズが頷いた。


「金も出すしな!」


「お前は黙って」


「なんで俺だけ」('ω')


マイアは立ち上がった。


「クロムウェルの更新見てくる」


「まだ動いてる?」


「ゆっくり」


「カイオは?」


「だから禁止」


「俺らは?」


「待機」


ドアへ向かう。

途中で一度止まり、かるたを見た。


「あと、昨日書かせた紙、ちゃんと残ってるから」


「何の?」


「現場参加は保護条件じゃないってやつ」


「ああ」


「ジェームズが何か言っても、嫌なら嫌って言っていいから」


「俺そんな信用ない?」


ジェームズが訊いた。


「ないね」


マイアは出ていった。

ドアが閉まった。

ジェームズはしばらく黙っていた。


「……あいつ、俺のこと何だと思ってんだよ」


「地域協力者でしょ」


「お前まで言うな」


かるたは水の蓋を閉めた。


「クロムウェルって、結局何すんの」


ジェームズが少し笑った。


「気になる?」


「まあ」


「仕事する?」


「は?」


「いや、仕事って言うとマイアに殺されるな」


キョロキョロと周囲を確認する。


「見学」


「さっき遠まわしに駄目って言ってなかった?」


「遠足」


「もっと駄目そう」


「じゃあお前の能力の訓練、これなら?」


「必要…かな?」


「だろ?」


「ずるい」


ジェームズは笑った。


「どうせ自分の能力のこと勉強するなら、実物見た方が早いぞ」


「クロムウェルで?」


「たぶん。予定通りなら」


「危なくないの」


「予定通りなら、めちゃくちゃ地味」


「昨日も予定通りだった?」


ジェームズが黙った。


「……鋭いね」


「俺、昨日お前らに地面へ押しつけられてんだけど」


「カイオな」


「お前もいた」


「俺は電話してた」


「助けろよ」


「助け呼んでたんだよ」


二人で少し笑った。

ジェームズが身体を前へ出す。


「でも、マジでさ。一緒に――」


廊下の奥で、何かが落ちた。

続いて、足音。

一人ではない。

走っている。

ジェームズが振り返った。

ドアが勢いよく開いた。


マイアだった。


さっき持っていた紙コップはない。

その後ろからマッケンジーが走ってくる。

昨日から一度も崩れていなかった髪が、片側だけほどけていた。

ジェームズが立ち上がった。


「何」


マイアが息を整えるより先に言った。


「道具持って」


「何があった」


マッケンジーがドア枠へ手をついた。


「クロムウェルへ行く」


ジェームズの顔から笑いが消えた。


「今?」


「今」


「通路は?」


マイアが答えた。


「増えた」


「何本」


「分からない」


「分からないって」


マッケンジーが続けた。


「ダム側だけじゃない。町の中にも出ています」


ジェームズは椅子へ掛けていた上着を取った。


「カイオは?」


「連れていく」


「術式禁止は」


「いったん解除」


マイアはもう廊下へ戻っていた。


「急いで。今すぐクロムウェル」


三人が動く。

かるただけが、休憩室に残った。

机の上には、ジェームズが洗ったばかりのシェイカーが置かれていた。

底に、溶け残った白い粉が少しだけ残っていた。


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