春休み
春休みに入る前、学校の中庭では、冬の上着を着ていない生徒が増えた。
山にはまだ雪が残っている。
日差しだけが強くなり、昼休みにはコンクリートの縁へ座れるようになった。
女子グループの人数は、日によって違った。
ビー(Bea)が部活でいない日。
ハナ(Hana)が別の友人と食べる日。
ジソ(Jisoo)とリン(Lin)がESOLの課題をしている日。
誰かが欠けても、残った者で昼食を食べた。
かるたが遅れて行くと、プローイ(Ploy)が自分の横を叩いた。
別の日には、誰も気づかなかったので、自分で空いている場所へ座った。
それでも会話は続いた。
所属とは、毎回確認されるものではないらしかった。
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休暇の最初の日、かるたは美術の材料を食卓へ広げた。
二週間あった。
一日一時間でも、十四時間。
学校の授業より長い。
十分に終わる。
紙を傷つけないよう、作品の上へ別の紙を置いた。
絵具。
筆。
スケッチブック。
必要なものは全部あった。
その日の午後、ルーカス(Lukas)が湖へ行こうと言った。
天気がよかった。
一日目から作業する必要はない。
かるたは材料をそのままにして出た。
フランクトン(Frankton)でほかの留学生と合流し、バスで町へ行った。
湖畔の芝生へ座った。
誰かが音楽を流した。
ルーカスはシャツを脱ぎ、まだ冷たい湖へ入った。
周囲が止めると、笑いながらさらに深い方へ進んだ。
かるたは入らなかった。
戻ってきたルーカスへタオルを投げた。
濡れた身体が日差しを反射した。
見た。
今度は、見たことを自分へ隠さなかった。
二日目は、前日の疲れで昼まで眠った。
午後から作品をするつもりだった。
ジアハオ(Jiahao)から、ファイブ・マイル(Five Mile)で食べようと連絡が来た。
夕方までならよいと思った。
帰宅は九時になった。
三日目は、女子グループの何人かと町で会った。
留学生だけでなく、ビーとハナもいた。
観光客向けの店を歩き、写真を撮り、誰も買わない高い土産物を見た。
ハナが日本語の看板の間違いを見つけ、かるたがさらに不自然な日本語へ直した。
笑った。
帰宅後、作品の紙を見た。
明日でよいと思った。
四日目に、ようやく筆を持った。
一時間ほど進んだ。
前回の続きが分からなくなり、色を少し変えた。
変更した部分に合わせるため、既に完成していた線も塗り直した。
二時間使い、全体の進み具合はほとんど変わらなかった。
それでも作業はした。
やっていないわけではない。
五日目には、別のパーティーがあった。
六日目は寝た。
七日目に、Statisticsのレポートを開いた。
美術より先に、そちらを終わらせるべきだと思った。
一段落書いた。
途中で、Calculusの問題を解いた。
一問だけのつもりが、プリントを一枚終えた。
正解した。
その達成感で、今日は十分に何かをした気がした。
休暇の途中、女子グループの何人かと湖畔へ行った日があった。
ビーが敷物を持ってきた。ニチャーはホストマザーの料理を容器ごと持ち、プローイはまたパンと菓子だけだった。ハナは途中で買ったコーヒーを全員へ回した。
風が強く、紙皿が何度も飛びそうになった。
誰かが押さえる。
別の者が食べる。
話題は、試験、ホストファミリー、恋人、帰国後に何をするかへ次々に変わった。
かるたは全部を理解してはいなかった。
それでも、自分が笑う場所は分かった。
プローイがルーカスについて訊いた。
「同じ家で、何もないの?」
「何が」
「何か」
「何もない」
「残念」
「何でお前が残念なんだよ」
ビーが、かるたの肩へ顎を乗せる真似をし、全員が笑った。
恥ずかしかった。
嫌ではなかった。
日本でなら、笑われた側から抜けるために、誰かをもっと強くからかったかもしれない。ここでは、笑われたまま座っていられた。
午後、全員で写真を撮った。
湖。
山。
風で乱れた髪。
目を閉じた顔。
何枚も撮り、どれが一番よいか選んだ。
その日の夜、写真へ小田の「いいね」は付かなかった。
母からも反応はなかった。
代わりに、ビーたちから同じ写真が別々の加工で送られてきた。
今いる場所の人間だけで、一日が完成した。
休暇は、毎日違うことができた。
誰と会うか。
どこへ行くか。
何時に帰るか。
家にいるか。
何もしないか。
全部、自分で決められた。
楽しかった。
作品だけが、食卓の端で乾いていった。
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休暇の最後の夜、かるたは徹夜した。
残っていた道路の線を引く。
文字を入れる。
色を重ねる。
朝三時を過ぎると、眠気より焦りの方が強くなった。
身体が軽くなった。
次に何をするかが、急に分かる。
迷っていた配置も決められた。
もっと早く、この状態になればよかった。
そう思った。
朝六時、作品の一枚目はほぼ完成した。
二枚目は半分。
三枚目は下描きだけだった。
課題には、複数の作品を提出するよう書かれていた。
一枚目だけなら、悪くない。
むしろ、かなりよいと思った。
学校へ持っていくと、教師は最初の作品を長く見た。
「色がよくなったね」
英語で言った。
かるたは少し笑った。
教師は二枚目を見た。
次に、三枚目を見た。
「これは、まだ終わっていないね」
「今日、続ける」
「今日だけでは、全部は難しいと思う」
「できる」
咄嗟に答えた。
教師は否定しなかった。
「できるところまでやってみて。ただ、この基準は、完成した作品が必要だから」
責める声ではなかった。
事実を説明しているだけだった。
その日の授業で、かるたは二枚目を進めた。
教師が別の生徒へ技法を教えている間、動画を開かなかった。
頭の中は不快だった。
同じ線を引く。
乾かす。
また引く。
面白くない部分を、面白くなるところまで続ける。
ベルが鳴った。
終わらなかった。
放課後も残った。
二枚目は完成に近づいた。
三枚目は、ほとんど変わらなかった。
数日後、教師から、取得できるクレジットが一部減る可能性を伝えられた。
アイデアはよい。
一枚目もよい。
しかし、必要な数が完成していない。
かるたは、最初に恥ずかしいとは思わなかった。
腹が立った。
ここまで考えた。
教師にも褒められた。
作品の意味なら説明できる。
何となく同じ物を何枚も描いた生徒より、自分の方が面白い。
それなのに、終わっていないという理由で評価されない。
終わっていない。
その理由だけで。
しかし、それ以外に、どう評価すればよいのかも分からなかった。
教師は邪魔をしなかった。
題材も自由だった。
家にも材料があった。
時間もあった。
母はいなかった。
誰も怒鳴らなかった。
できなかった理由を探すと、最後に自分が残った。
そのことが、悔しかった。
以前のように、どうせ自分は駄目なのだとは思わなかった。
できるはずだった。
だから、自分を許せなかった。
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帰りのバスで、Year 9の少年が、かるたの指を見た。
青と橙の絵具が、爪の周りへ残っている。
“Art?”「美術?」
"yea" 「うん」
“how did it go? good?”「どうだった?」
"I failed it" 「失敗した」
少年は少し考えた。
“You can fail art?” 「美術って落とせるんだ」
"yea, it seems like so"「俺も今日知った」
少年は笑わなかった。
何か言おうとして、口を閉じた。
その代わり、かるたの鞄から出ていた紙の端を内側へ押し込んだ。
折れないようにしたらしい。
停留所で降りると、母からメッセージが来ていた。
〈帰国便、十二月十二日で確定。学校にも復帰予定を連絡しました〉
十二月十二日。
数字になった。
まだ二か月以上ある。
そう考えた。
同時に、二か月しかないとも思った。
家へ向かう道の先で、犬がテリー氏と散歩していた。
かるたを見つけると、強く紐を引いた。
ここでの生活は、もう日常になっていた。
終わる予定だけが、あとから入ってきた。




