表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お前は、その意味を考えたことがないだろう―奇跡論者の現実改変記  作者: Hyman Godley
ニュージーランドで高校生編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/27

好きなことならできる

美術(Art)の教室には、授業中らしい静けさがなかった。

壁際では二人が話している。

窓際の生徒は、ノートパソコンで動画を見ながら紙を切っている。画面の端に字幕が流れ、イヤホンを片方だけ耳へ入れていた。

別の生徒は、作品を机へ広げたまま、Netflixを見ていた。


教師は注意しなかった。

何をしていてもよい、という意味ではないらしい。

期限までに作品が出ればよい。

途中で喋っていても、動画を見ていても、教師の前で真面目な顔を作らなくても、結果があれば問題にはならない。

かるたには、理想的な授業に見えた。


最初のうちは。


自分の作品は、二枚目の紙で形が決まった。

日本の道路を青。

レイク・ヘイズ周辺を橙。

二つが重なるところだけ、色を濁らせる。

単一の色で各景色を描き、混ざる部分はグラデーションのように別の景色がひらける。

道路標識は直接描かず、道路の線へ文字を混ぜることにした。


〈帰る〉

〈行く〉

〈止まる〉


英語と日本語を重ねれば、読む人によって見えるものが変わる。

構想を教師へ話すと、よいと思うと言われた。

その日は、教師が隣へ椅子を持ってきた。

細い筆へどれほど絵具を含ませるか。

紙の上で線の太さを変えるには、手首ではなく腕をどう動かすか。

青と橙をそのまま混ぜると濁りすぎるので、間へ別の色を置く方法。

教師は、かるたの筆を一度借り、紙の端へ数本の線を引いた。


真横で手が動く。

説明と結果が同時に見える。

分かった。


かるたは同じ動きを試した。

最初の線は太すぎた。

二本目は途中で切れた。

三本目で、教師の線に近づいた。


そこから授業が終わるまで、ほとんど顔を上げなかった。

道路が増えた。

色がつながった。

紙の上で、自分が考えたものが少しずつ見える形になる。

ベルが鳴ったとき、もう少し続けたいと思った。

好きなことなら、できる。

そう思った。


▼▼▼


次の授業では、教師は別の生徒につきっきりだった。

かるたは一人で続きを始めた。

前回と同じ線を引けばよい。

分かっている。

筆を水へ入れた。

絵具を出した。

紙を前へ置いた。

そこまではできた。

線を一本引く。

前回より少し太い。

直そうとすると、横の線とつながった。

乾くまで触らない方がよい。

待つ間に、色の組み合わせを調べようと思った。


ノートパソコンを開いた。


検索結果に、色彩理論を説明する動画があった。

その横に、以前見た音楽動画が表示された。

三分だけ見る。

再生した。

次に、短い動画が自動で始まった。

それが終わる頃には、最初の絵具は乾いていた。


戻ればよかった。

戻ろうと思った。


手は画面を閉じなかった。

課題をしなければならない。

分かっている。

分かっているのに、筆を持とうとすると、頭の内側へ硬いものが入ったような不快感が出た。

痛いわけではない。

眠いわけでもない。

ただ、同じ線をもう一本引くことだけが、急にものすごく遠くなる。


やれ。

一本だけ。

画面を閉じろ。


そう考えるほど、身体の中で何かが後ろへ踏ん張った。

母の声を思い出した。

あんたは一事が万事。

先延ばしにするのはやめなさい。

やれば終わることを、何でやらないの。

言われていたときは、監視されているせいで動けないと思っていた。

今は、誰も見ていない。

教師は怒らない。

好きな作品を作ってよい。

画面を閉じるかどうかも、自分で決められる。


自由だった。


だから、できない理由を外へ置けなかった。

それでも、日本にいたときのように追い詰められる感じはしなかった。

教師が来て、画面を閉じ、筆を持つまで横へ立っているわけではない。

提出できなければ、それはあとで自分へ返ってくる。

そのことを理解しながら、かるたは動画を見た。

授業が終わる十分前に、ようやく画面を閉じた。

線を二本引いた。

前回の授業では、紙の半分が進んだ。

今日は、二本だった。

教師は何も言わなかった。

それが楽で、同時に、逃げられなかった。


▼▼▼


数学では、同じ人間とは思えない日があった。

Calculusの授業で、教師が微分の問題を一つ説明した。

かるたは途中から、次に何をするか分かった。

配られた問題を解く。


一問目。

二問目。

三問目。


数字が変わっても、通る道は同じだった。

分からない単語があっても式を見ればよい。

周囲がまだ最初のページにいる間に、かるたは裏面へ進んだ。

教師が来た。


「もう終わったの?」

「うん」

「見せて」


途中式の一部が抜けていると指摘された。

答えは合っていた。

教師は次のプリントを出した。

少し難しい問題だった。

それも解けた。


「この単元、得意みたいだね」


英語で言われた。

かるたは、嬉しくない顔を作ろうとした。

口元は勝手に動いた。

その日の午後はStatisticsだった。

課題は、渡されたデータを使い、二つの変数に関係があるかを文章で説明するものだった。

散布図は作れた。

数値も出せた。

傾向も見えた。

しかし、レポートの最初の文で止まった。


〈This investigation is about...〉


その先に、何をどの順番で書けばよいのか分からない。

結論は分かる。

点が右上へ伸びている。

関係はある。

外れた値もある。

それを、指定された形式で何段落にもする必要があった。

一文書く。

消す。

別の言い方を探す。

検索する。

関係のないページを開く。

教師が後ろを通った。


「課題、進めようね」


優しい声だった。


「やってるところ」


かるたは答えた。

嘘ではない。

画面には、課題の文書が開いている。

頭の中でも、ずっと課題をやらなければと思っている。

結果だけが増えなかった。

授業の最後に、ジアハオ(Jiahao)が自分のレポートを見せた。

英文は簡単だった。

同じ意味を、少しずつ言い換えて何段落にもしている。


「これ、長くする意味ある?」


かるたが訊いた。


「先生が読める」

「グラフ見れば分かるじゃん」

「分かることを書いて、分かってるって見せるんだよ」

「無駄じゃん」

「学校はそういう場所」


ジアハオは、自分の文書へ戻った。

かるたはCalculusのプリントを開いた。

Statisticsをやらなければならない。

それでも、数式を一問だけ解いた。

すぐに答えが出た。

自分が賢いのか、怠けているのか、どちらなのか分からなかった。

両方かもしれなかった。

その答えが、一番腹立たしかった。

その夜、かるたは自分で時間割を作った。


〈Statistics 二十分〉

〈Art 三十分〉

〈休憩 十分〉


母が作る表に似ていた。

似ていることが嫌で、色を変えた。

Statisticsを青。美術を橙。休憩を緑。

自分で作ったものなら、管理ではなく計画になる気がした。

タイマーを二十分に設定した。


文書を開いた。


最初の五分は、タイトルの位置を直した。

次の三分は、散布図の大きさを変えた。

文章を書こうとすると、また頭の内側が硬くなった。

残り時間が減る表示を見る。


焦る。


焦っているのに、文は増えない。

タイマーが鳴ったとき、最初の一文は途中だった。

休憩は十分の予定だった。

動画を一本見た。

次にCalculusの問題が気になった。

解くと、すぐに正解した。

もう一問だけ解いた。

気づくと一時間経っていた。

計画表には、青と橙の欄が残っていた。

誰も破っていない。

自分で作り、自分で無視した。

母に見つかれば、だから言ったでしょうと言われただろう。

ここでは、誰も見つけなかった。

失敗は静かなまま、自分の机に残った。


▼▼▼


美術の教師は、次の確認日を伝えた。


「来週、進んだところを見せてね」


怒っていなかった。

未完成でも、次がある声だった。

かるたはスケッチブックへ日付を書いた。

書いたことで、覚えた気になった。

放課後には、ルーカス(Lukas)から週末の誘いが来ていた。

ジアハオからは、数学の問題の写真が届いた。

女子グループのチャットでは、ビー(Bea)が昼食中に撮った変な顔の写真を送っている。

通知が三つ並んだ。

以前なら、誰からも連絡がない画面を何度も開いた。

今は、開けば何かがある。

かるたは美術の確認日を、いったん頭の奥へ置いた。

来週なら、まだ時間があった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ