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お前は、その意味を考えたことがないだろう―奇跡論者の現実改変記  作者: Hyman Godley
ニュージーランドで高校生編

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19/27

夜の方が簡単

家の持ち主が誰なのかは、最後まで分からなかった。

クイーンズタウン(Queenstown)の中心から少し離れた斜面に、湖を見下ろす大きな家があった。

玄関には靴が散らばり、リビングでは音楽が鳴っている。庭へ続くガラス戸は開け放され、冬の冷たい空気と、暖房で温められた空気が同じ部屋へ入っていた。


ルーカス(Lukas)は、到着してすぐに誰かと抱き合った。

次の相手とも抱き合った。

名前を知らない者とも、以前からの友人のように肩を組んだ。

かるたは靴をどこへ置けばよいか迷い、壁際の隙間へ押し込んだ。


誰も見ていなかった。

見られていないなら、間違えても問題にはならない。

最初の十分は、ルーカスの後ろを歩いた。

二十分後には、ルーカスがどこにいるか分からなくなった。


テーブルには、缶とボトルが並んでいた。

中身が酒なのか、ただの炭酸飲料なのか、見た目だけでは分からない。

風船を持って笑っている者がいる。

窓際では、甘いとも焦げたともつかない匂いがした。

誰かが巻いた煙草のようなものを回していた。

誰も、未成年であることを隠していなかった。

同時に、誰も年齢を確認しなかった。

かるたは、渡された缶を一口飲んだ。

苦かった。


「何これ」


英語で訊くと、相手は銘柄を言った。

聞き取れなかった。

二口目は、少し飲みやすかった。


▼▼▼


酒が入ると、英語が上手くなったわけではない。

間違いを修正する時間が短くなった。

何を言うか考え、文法を確認し、相手の反応を予想する。その途中の二つほどが抜け落ちた。


「日本には本当に自動販売機がどこにでもあるのか」

「ある」

「下着も売ってる?」

「知らない」

「アニメでは売ってた」

「アニメを資料にするな」


相手が笑う。

かるたも笑う。

話題はすぐに変わった。

自分の答えが正しかったかを、あとから検討する時間がなかった。

それが楽だった。

ルーカスが戻ってきた。

頬が赤く、髪が少し濡れている。外へ出ていたらしい。


「楽しんでる?」

「まあ」

「踊ろう」

「無理」

「できなくていい」


ルーカスはかるたの肩へ腕を回し、そのまま人の集まっている方へ引いた。

身体が近づいた。

汗と、酒と、強い制汗剤の匂いがした。

かるたの胸の内側が、場違いな速さで動いた。

音楽に合わせる方法は分からなかった。

ルーカスは気にせず、肩を揺らした。

かるたも真似した。

数秒後、ルーカスは別の男子を見つけ、同じように肩を組んだ。

特別ではなかった。

それでも、さっきまで触れていた腕の重さは残っていた。

なかったことにはならない。

それでよかった。

少しして、ルーカスと庭へ出た。

湖の向こうに町の光があり、その上へ山の黒い形が重なっていた。家の中の音楽は、ガラス戸を一枚隔てると低い振動だけになった。

ルーカスは手すりへ両腕を置いた。


「日本でも、こういうパーティーある?」

「知らない。行ったことない」

「何してたの?」

「家にいた」

「毎週?」

「だいたい」


ルーカスは驚いた顔をした。

「親、厳しい?」

母が厳しいのか。

自分が何も言わなかっただけなのか。

父がいた頃と、死んだ後と、どちらを説明するのか。


「ちょっと」


英語では、それだけになった。

ルーカスは家の中を指した。


「今はいないじゃん」


正確には、日本にいる。

しかし、ここにはいない。

それだけで、できることが増えていた。


「うん」


かるたは答えた。

ルーカスは缶をこちらへ軽く当てた。乾杯だった。

次の瞬間には、庭で誰かが叫び、ルーカスはそちらへ戻っていった。

かるたは一人で湖の光を見た。

自由とは、何かを許可されることより、許可を取る相手がその場にいないことなのかもしれなかった。


▼▼▼


庭の端で、誰かが吐いた。

周囲が一度だけ騒ぎ、すぐに別の場所へ移った。

体格のよい白人の上級生が、人の間を抜けてきた。

学校で器具を運んでいた男子だった。

制服ではない。


黒いTシャツの上から厚いジャケットを着ている。それでも胸板の形は分かった。

男子は吐いた生徒へ水を渡し、横向きに座らせた。ふざけて動画を撮ろうとした者へ、手のひらを向ける。


「やめとけ」


英語で短く言った。

怒鳴らなかった。

それでも相手はスマートフォンを下げた。

褐色の肌をした上級生の女子も来た。

女子は吐いた生徒の友人を探し、何を飲んだかを訊いた。次に、近くで撮影していた別の女子へ、投稿してよいか本人へ確認したのかと訊く。

大人ではない。

教師でもない。


しかし、こういう場で何が危険かを知っている動きだった。

かるたは、その二人を少し離れた場所から見た。

体格のよい男子が顔を上げた。

一瞬、目が合った気がした。

男子は、こちらを知っているような顔をしなかった。

すぐに、吐いた生徒へ視線を戻した。


▼▼▼


キッチンでは、背の低いブラジル人の女子が、かるたのInstagramを見ていた。

日本の写真を順番に開き、看板の写真で止まった。


「これ、家族の店?」

「母さんの」

「お父さんは?」


英語で訊かれた。

酒のせいで、考える前に答えが出た。


「死んだ」


女子は画面から顔を上げた。


「ごめん」

「別に」


日本語なら、その先に何か足したかもしれない。

事故。

今年。

仲はよくなかった。

自分のせいかもしれない。

英語では、必要な言葉を選んでいるうちに話題が動いた。

女子は、かるたがルーカスをよく見ていると言った。


「見てない」

「見てる」

「男が好きだからって、全員見るわけじゃない」


口から出た。

女子は一度だけまばたきした。


“haha, Okay fair enough.”


それから、冷蔵庫を開けた。


「水いる?」

「いる」


会話は終わった。

重大な告白をしたつもりはなかった。

それでも、日本で同じ言葉を口へ出すとしたら、相手と場所と、その後の反応を何度も考えただろう。

ここでは、冷蔵庫の扉が閉まるまでの出来事だった。

水を受け取った。

飲んだ。

誰も集まってこなかった。

世界は変わらなかった。


▼▼▼


午前一時を過ぎた頃、ルーカスはまだ帰る気がなかった。

かるたは眠くなり、テリー夫妻へ連絡した。

迎えを頼むのは二度目だった。

迷惑かもしれないと思った。

しかし、帰れなくなったら頼めと言われている。

テリー氏が来るまで、玄関近くで待った。

例の上級生の女子が、壁へ寄りかかっていた。

近くで見ると、目元に細いそばかすがある。


「帰るの?」


英語で訊かれた。


「うん」

「友達は?」

「まだいる」


女子はルーカスのいる方を見た。


「一人で帰れる?」

「迎え来る」

“Good.”


それだけ言った。

かるたの名前は訊かなかった。

テリー氏の車へ乗ると、暖房が強かった。

酒と煙の匂いが、自分の服から上がった。

怒られると思った。

テリー氏は窓を少し開けた。


「飲んだ?」


英語で訊いた。

嘘をつくほどの余裕がなかった。


「少し」

「気分は悪い?」

「大丈夫」

「水を飲んで寝なさい」


会話は、それで終わった。

家へ着くと、テリー夫人も起きていた。


「楽しかった?」

「うん」

「よかった」


彼女は台所のグラスへ水を入れた。


「明日の朝、犬は私が行くから寝てていいわ」


かるたはグラスを受け取った。


悪いことをした。

未成年で酒を飲んだ。

知らない家へ行った。

帰宅は深夜になった。


それでも、人生が終わるような話にはされなかった。


水を飲む。

眠る。

翌日、起きる。


次に同じことをするかは、そのあと決められる。

階段を上がると、ルーカスの部屋は空だった。

少しだけ寂しかった。

自分の部屋へ入り、服を脱いだ。

煙と酒の匂いが残っている。

布団へ入ると、耳の奥でまだ音楽が鳴っていた。

楽しかった。

それ以上の説明は、必要なかった。


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