もう一人の留学生
Term 3の初日、テリー家の客室が一つ増えた。
増えたのは部屋ではない。
もともと息子が使っていた二階の部屋を片づけ、別の留学生が入ることになった。
かるたが聞かされたのは、到着の三日前だった。
「ドイツから。十七歳。あなたと同じ学校よ」
テリー夫人は英語で説明しながら、廊下へ積まれていた段ボールを別の部屋へ移した。
「名前はルーカス(Lukas)」
「男?」
訊いたあとで、名前から分かるだろうと思った。
「そうよ。何か問題ある?」
「別に」
問題があるとすれば、何が問題なのか説明できなかった。
▼▼▼
ルーカス(Lukas)は、空港から帰ってきたその日に、かるたの部屋へ入ってきた。
ノックはした。
返事を待たなかった。
「ここ、Wi-Fi弱くない?」
英語で訊きながら、ベッドの端へ座った。
背が高かった。
立っていると細く見えたが、半袖のシャツから出た腕には、筋肉の線がはっきり浮いている。肩も広い。ただ、体育館前で見かける上級生のような塊ではなく、余分なものを削った身体だった。
髪は明るい茶色。
目は青というより灰色に近い。
かるたは、一度見て、見すぎたと思ってノートパソコンへ目を戻した。
「他の部屋よりは入るかな」
「マジで? じゃあ、ここで動画見てもいい?」
「自分の部屋で見れば」
「止まるんだよ」
ルーカスは既にスマートフォンを横向きにしていた。
許可を求めた形だけが残り、答えは必要としていないらしかった。
動画には、雪山を滑る人間が映った。
ルーカスは冬の間にスキーかスノーボードをしたいと言った。学校の生徒から、安く道具を借りる方法も聞いたらしい。
到着して数時間で、かるたより町の情報を持っていた。
「誰に聞いたの」
「空港で会ったフランス人。去年ここにいたって」
「空港で?」
「荷物待ってる間に」
「どうやって話しかけるの」
「普通に」
普通に。
最も再現できない説明だった。
ルーカスは動画を見終えると、自分の部屋へ戻った。
十分後、また入ってきた。
今度は上半身に何も着ていなかった。
「洗濯物、どこに出す?」
かるたは返事を忘れた。
ルーカスの腹には、薄く筋肉の境目があった。胸は大きすぎない。肩から腰へ向かって、身体の幅が狭くなる。
近い。
「かご」
やっと答えた。
「どこ?」
「下」
「サンキュー」
ルーカスは自分が裸であることを、一つの情報としても扱っていなかった。
かるたはドアが閉まってから、画面へ戻った。
何を見ていたのか分からなくなった。
好きなのか。
顔がよいから見ただけなのか。
筋肉があるからなのか。
距離が近かったから、身体が勝手に反応しただけなのか。
そもそも、ドイツ人は家の中でこの程度の格好を普通にするのか。
判断する材料がなかった。
しばらくして、ルーカスが階下から叫んだ。
「洗濯かご、二つあるけど!」
「服の方!」
「両方、服入ってる!」
かるたは説明するために部屋を出た。
考えても分からないものは、そのままになった。
夕食では、ルーカスがほとんど一人で喋った。
ドイツの学校。
乗り継ぎで荷物が一度消えたこと。
空港で知り合ったフランス人。
冬の間にスノーボードをしたいこと。
テリー夫妻は、話の途中で分からない言葉があっても止めなかった。ルーカスも、相手が全部を理解しているか確認せずに続けた。意味が抜けても会話が壊れないことを、最初から知っているようだった。
「かるたは、彼女いる?」
突然、英語で訊かれた。
「いない」
「彼氏は?」
テリー夫人がパンへバターを塗っていた。
テリー氏はテレビの音量を下げた。
誰も、質問が特別なものだという顔をしなかった。
「いない」
かるたは答えた。
ルーカスはうなずいた。
「じゃあ、自由だな」
恋人がいないことを寂しいとも、隠すべきこととも言わなかった。空いている予定が一つ増えたような言い方だった。
かるたは何か返そうとしたが、テリー夫人が明日の朝食について話し始めた。
会話はそのまま別の方向へ進んだ。
▼▼▼
学校では、ルーカスは初日から迷わなかった。
迷っていたとしても、近くの生徒へすぐに訊いた。
Termの途中から入った留学生へ、Houseや時間割を説明する担当として、上級生の女子が一人ついていた。
褐色の肌。
明るい茶色の髪。
大きな輪のピアス。
体育館前で見たことのある女子だった。
女子はルーカスの時間割を覗き込み、廊下の向こうを指した。教師へ話しかけるときも、同学年の友人へ話すときも、声の大きさが変わらない。
その近くを、例の体格のよい白人男子が通った。
スポーツバッグを肩へ掛け、誰かに呼ばれると、歩いたまま後ろへ手を上げた。
女子が何か言う。
男子は笑い、こちらを一度見た。
正確には、ルーカスを見たのだろう。
新しい留学生がいれば、見る。
かるたも初日に見られた。
それだけだった。
昼休み、ルーカスは既に別の留学生たちと座っていた。
ビー(Bea)がその方向を見て言った。
「友達作るの速いね」
「昨日来たばっかなのにね、すげえよな」
「白人の留学生は、着いた瞬間から友達いるよ」
ハナ(Hana)が英語で言った。
「空港で生成されるんだよ」
かるたが返すと、ビーが笑った。
プローイ(Ploy)は、ルーカスがかわいいと言った。
「かわいいじゃなくない?」
「じゃあ、hot」
「それは、まあ」
言ってから、自分が同意したことに気づいた。
ニチャー(Nicha)が顔を上げた。
ビーもこちらを見る。
かるたはパンを口へ入れた。
「何」
「何も」
ビーは笑っていた。
日本なら、ここから誰が好きなのか、男もありなのか、どこまでしたことがあるのか、質問が広がったかもしれない。
ビーは一度眉を上げただけで、次の話へ移った。
何も隠せなかった感じと、何も暴かれなかった感じが、同時に残った。
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ルーカスは一週間で、学校外の留学生を何人も知った。
フランス人。
ブラジル人。
中国人。
ドイツ人。
学校が違う者もいた。
ホストファミリー同士が知り合いだったり、以前の留学生から連絡先を受け継いだり、SNSで見つけたりするらしい。
金曜日の夜、ルーカスがかるたの部屋へ入ってきた。
今度はノックもしなかった。
「明日、パーティーある」
「どこで」
「クイーンズタウンの近く。たぶん」
「たぶん?」
「住所、明日送るって」
「誰の家」
「知らない」
条件だけ聞けば、閉鎖施設へ行ったときと似ていた。
知らない人。
知らない場所。
住所はあとから。
しかし、ルーカスは何も隠そうとしていなかった。スマートフォンには、複数人がくだらない画像を送り合うグループチャットが開いている。
「酒ある?」
「あると思う」
「テリーさんに言うの」
「友達の家へ行くって言う」
嘘ではない。
全部でもない。
ルーカスは、かるたの返事を待った。
“You don’t have to drink. Just come.”
来なくてもよい。
最初はそう聞こえた。
けれど、後半は来いと言っている。
飲む必要はない。ただ来ればよい。
「行く」
英語で答えた。
ルーカスは笑った。
「Good. お前、ずっと家にいるから」
「学校行ってるし」
「それは家にいないとは言わない」
何を言っているのか分からなかった。
それでも、誘われた。
翌日の予定ができた。
かるたはテリー夫人へ、ルーカスと友人の家へ行くと伝えた。
帰宅時間は分からないと書いた。
返信には、遅くなるなら連絡すること、帰れなくなったら迎えを頼むことだけが書かれていた。
許可された。
かるたは、断られる可能性を想定していた自分へ、少し遅れて気づいた。




