「ユー子に会いたい」
重いお腹に手を添えながら、ナオは散歩をしていた。
タケルは、除霊の仕事に工事現場へと向かっていった。
『ナオちゃん、大丈夫?なんかあったら、直ぐに電話してね!』
後ろ髪を引かれるように、慌ただしくタケルは家を出たのを思い出し、ナオは静かに微笑んだ。
赤いスポーツカーは、黒いワゴン車に買い換えられ、すでにチャイルドシートが設置されている。
ベビーベッド、おしゃぶり、ブランケット。
おもちゃに、ベビーカーと、タケルはせっせと出かけ、着実に準備を進めていく。
ナオにも、クッションやらマッサージ機やら、産後クリームやら、頼んでもいないのに『これどう?』『これ良さそう!』とスマホでぽちぽちと購入していく。
おかげで、ナオの両親は何をお祝いに贈れば良いのか、頭を抱えていたので、ナオは迷わず笑顔で『現金で!』と言い放ったら、両親は複雑そうな顔をして笑っていた。
鼻歌まじりに散歩をしていたナオは、嫌な気配がしてナオは足を止めた。振り返ると重い空気が頬を撫でる。
“危ない!”
突然、ユー子の声がした。
驚いたナオは、何かに押されるよう数歩よろけると、コンクリートの塀に体を預けた。
ほんの数秒前までいたところに、コントロールを失ったバイクが、勢いよく滑ってくる。
受け身をとったドライバーには、目立った怪我は無さそうだが、バイクは横倒しになり破損していた。
(……私、轢かれてた?)
ナオはその場に、へたりと座り込む。
「大丈夫……大丈夫だよ。ごめんね、びっくりしたね」
ナオはお腹に手を当て、語りかけた。
「すっ、すいません!!お怪我はないですか?」
ドライバーは、慌てふためきながらヘルメットを脱ぎ捨てるとナオに駆け寄る。
脇腹を抑えながらドライバーは、よろけていた。
「……私は大丈夫です。あなたこそ、怪我されているんじゃないですか?」
「僕は大丈夫です!!……はっ!!妊婦さんじゃないですか、大丈夫ですか?大丈夫ですか?あぁ……本当に、本当にすいません!!今、警察と救急車呼びます!」
ドライバーは、少しだけ手こずりながらグローブを外すと、震える手でスマホを取り出すと、警察と救急車を呼んだ。
「あの……ぶつかってないですし、大丈夫ですよ」
「いえ、念のため、診てもってください!」
程なくして、先に警察が到着した。
「ドライバーから話は聞きました。接触はなかったんですね?安心しました。念のため、救急車で病院に行きますか?」
「私に怪我はありません。ドライバーさんの方が、怪我されているかも知れないです。私は、夫を呼んで自分で病院に行けます。家も近いです」
「必ず、病院に行って、お腹の赤ちゃんも見てもらって下さい。その後でいいので、署に来て事故の手続きをして下さい」
「はい……わかりました」
ドライバーはふらつきながら、ナオに近寄ると、名刺を差し出した。
「何かあれば、こちらの携帯に連絡を下さい。保険とか、それから……」
慌てるドライバーを警察が制した。
「後程、詳しく話を聞きに行きますので、あなたは救急車に乗って病院に行ってください、
「はい……お願いします」
ドライバーは警察官に頭を下げると、ナオの目をまっすぐ見つめた。
「本当に、すみませんでした」
ナオが、救急車で運ばれるドライバーを見送ると、警察官は現場検証を始めた。
「ドライバーが、『急にハンドルが効かなくなった』と話していたのですが、ブレーキ痕もないんですよね。スピードがあまり出てなかったのが幸いでした……何か変わった様子や音などありましたか?」
警察は、横倒しのバイクを見ながらナオに尋ねた。
「いえ……これといって、何もなかったです」
「そうですか……。わかりました。ご協力ありがとうございました。すぐにご主人に連絡して下さい」
「はい」
家に戻ったナオは、タケルに電話をかけ、簡単に経緯を話した。
「え!!大丈夫?今すぐ帰るから、ソファーかベッドに横になってて!!絶対安静だよ!!」
タケルは、早口で一気に話すと、返事を待たずに、ぷつりと電話を切った。
「タケルさん、慌てすぎ……」
ナオは変に冷静になっていた。
ユー子の声を聞いた気がする。
ナオはそっとお腹に手を添えた。
思い返せば、お腹が大きくなるにつれて不思議な事がよく起きた。
転びそうになっても、転ばない。
雨が降りそうになっても、降らない。
電車に乗れば、席が空いている。
診察も待たない。
何もかもが順調だった。
(……ユー子?)
結婚式の時のユー子の言葉が脳裏に浮かんだ。
『絶対に守るから!!』
「………」
ナオはソファーに横になりながら、天井を見上げた。
部屋の中は、静まりかえっている。
ユー子とレムの騒がしさが懐かしい。
「……ありがとう。ユー子……」
ばん!
がちゃがちゃ!
「くっそ……」
がちゃ!
がさごそ……
どてっ!
「痛っ……」
どたどたどた!
ばたん!
「ナオちゃん!大丈夫?!」
勢いよくリビングの扉を開けた、タケルの靴下は半分脱げ、バッグは全開になっている。
青ざめたタケルの額は、赤くなっていた。
「ふっ……ふふふ」
「ナ、ナオちゃん?」
「あははは。大丈夫よ!タケルさん、そんなに慌てて。怪我もないし、びっくりしてよろけただけだから!転んでもないし」
「ほんと?本当に怪我ない?あとから痛くなるかもしれないよ?とりあえず、病院行こう!」
タケルに促されて、ナオはかかりつけの産婦人科へ向かった。
大袈裟にナオを支え(かえってナオは歩きにくい)病院の待合室の椅子に座らせると、受付に事の経緯を早口で伝える。
あまり待たされる事なく、すぐに名前を呼ばれた。
「先生!大丈夫でしょうか?ナオは?お腹の子は?」
「旦那さん、静かにして下さい」
タケルは看護師に注意されながらも、そわそわとナオの後ろをうろつく。
診察の結果、お腹の子は元気で、ナオもかすり傷一つなかった。
「良かった〜焦ったよ〜」
タケルは、半分脱げた靴下を直しながら大きく息を吐く。
「ふふふ、見てても焦ってるって分かったよ」
ナオは、タケルの乱れた髪を直しながら笑った。
「だってー」
どっと疲れが出たのか、タケルはその場にしゃがみ込み、看護師に「そこは通路ですよ」と注意され、誤りながら、慌てて立ち上がった。
「じゃあ、帰ろうか」
ナオはタケルに笑いかける。
「うん、そうしよう。今日は、俺の特製ナポリタンでどう?」
タケルは、腕まくりをしてナオに見せつけた。
「楽しみにしてる!私、タケルさんが作ったナポリタンが世界一美味しいって思ってるんだ!」
「だろ?」
二人は車に乗り込むと、途中でコンビニに寄る。
「ナオちゃん、コーラとメロンパン?」
「うん、なんか妊娠してからコーラとメロンパンが異様に美味しく感じるんだよね。食べ過ぎないようにしてるけど」
「つわりの時も、メロンパンとコーラだけは食べれたもんな」
「うん、赤ちゃんが欲しがってるのかな?」
「それはあるかもね」
車に乗り込むと、ナオはユー子の声がした事を思い出した。
「タケルさん、バイクが滑り込んでくる前、『危ない!』って、ユー子の声がしたの。そしたら、何かに押されるようによろけたら、バイクが横切ったんだ」
ナオはお腹を摩りながら、まっすぐ前を見つめた。
「……うん、ユー子だな。なんか、あまり喋るなって言われているみたいで、口に手を当ててるよ」
「……ほんと?私、ユー子に会いたい!なんで私には視えないの?」
「うーん……なんでだろ……。えっ?あー、はいはい」
ナオは、誰かと会話しているタケルを見つめた。
「なんかね、ユー子が押さなくても、ナオちゃんの守護霊が守ってたのに、でしゃばって怒られてるらしい。だから、今はまだ会えないけど、もう少ししたら会えるって、親指立ててる」
「そうなんだ……良かった……って、ユー子怒られたんだ……ふふふ、守ってくれてありがとうね、ユー子……」
「……ユー子、泣きながら喜んでるよ。良かったな。ユー子」
二人は揃って家に戻った。
タケルは、ナオの靴と、自分の靴を揃え、ナオの手を引いて廊下を歩く。
冷蔵庫の野菜でどんなサラダを作ろうか、ごま油と塩は欠かせないな……そう思ってリビングの扉を静かに開けた。
……何か……いる!
タケルはそっとリビングを見渡す。
黒猫が、ヘソを天井へ向けて、ソファーでくつろいでいた。
ユー子、怒られながらも頑張ってます。




