昭和幽霊と、伝えたい思い
日が暮れてしばらく時間が経った。
タケルは、家の駐車場に赤いスポーツカーを停めると、大きく伸びをしてからケーキの箱を持って車を降りる。
「あいつら、甘いもの好きだからな。奮発して高級フルーツ店のケーキ買っちゃった〜。喜ぶだろうな〜」
タケルは、目尻に皺を作りながら笑った。
「高級ケーキなんて、分かるのかな。レムは一口で食べそうだ」
タケルは独り言を呟きながら、玄関の扉を開けた。
家の中が、暗い。
「あれ?寝てんのか?」
タケルは玄関、廊下、リビングと電気を点けていく。
「ただいま〜ユー子?レム?ケーキ買ってきたぞ〜」
部屋を見渡しても、存在感のある悪魔の気配はしない。
「出かけてんのか?」
タケルは、ケーキ箱をテーブルに置くと、カーテンを閉めに窓に向かう。
ふと、ソファーの影に丸くなっている何かが視界に入った。
「うぉ!」
思わず飛び跳ねると、そこにはユー子が膝に顔を埋めて丸くなっていた。
「ユー子?……どうした?レムは?」
ユー子は、静かに肩を震わせていた。
「……何かあった?レムと喧嘩した?」
タケルは、ユー子の震える肩をそっと触れた。
ぴくりと肩が跳ねると、ユー子はゆっくりと顔をあげた。
タケルの顔を見た途端、静かになっていた感情が大きく波打った。
「うわぁ〜ん!!……ひっく、タケ……うう〜。レム……うわぁ〜ん」
ユー子は、しゃくりあげながら、子どものように大泣きすると、勢いをつけてタケルにしがみつく。
「ごふっ……」
不意打ちの動きに、ユー子の頭がタケルの鳩尾にヒットする。
タケルはそのまま、押し倒されそうになりながらも受け止めて座り込むと、落ち着くまで、ただそっとユー子の背中をさすっていた。
その身体は細く、冷たく、細かく震えていた。
「うぅ……くすん」
徐々にユー子の声は小さくなっていく。
(伝えなきゃ……タケルに……)
「……あのね……うぅ……」
伝えたいのに、言葉にしようとすると、声が震える。
喉に大きな物がつっかえて、話せない。
タケルの手が、温かく感じる。
幽体になって、感じられなくなったはずなのに。
ユー子は、少しだけ力をもらえた気がした。
「……レム、居なくなっちゃった……逃げろって……」
タケルの眉間に皺が寄る。
「逃げろ?……何かあったんだな」
タケルの声は心地よい。
それが、ユー子に落ち着きを思い出させた。
「うん……。シルクハットの気持ち悪いやつがいたの……」
少しずつ言葉を紡ぐ。
「レムは、死神って言ってた」
ユー子の言葉に、タケルは目を見開いた。
タケルの背後に、烏帽子の守護霊がすっと顔を覗かせる。
「そいつ、私の魂を取り込むって言った。死神にならないかとも言ってた。よく分からなかった。何を言っているのか……」
タケルは、烏帽子の守護霊と視線を合わせると、互いに頷く。
「……レム、逃げろっていって、そいつに飛びかかったの……」
カタカタと震え出す。
「レムに押されて、逃げたんだけど……振り返ったら、レムいっぱい怪我してた」
ぽろぽろと涙が溢れてくる。
「そいつと、もつれ合ってて、黒い穴に消えてった……二人とも……」
ユー子は、タケルのシャツを握ると大きな目から涙をこぼしながら、タケルを見つめた。
「黒い穴も消えて、レム、どっかいっちゃった!!レム、死んじゃう?私を守ったせいだ!!」
「……まずは、ユー子、お前が無事で良かった。レムだが……」
タケルの言葉が詰まる。
『黒い穴……と言いましたか?』
烏帽子の守護霊が、淡々とユー子に尋ねる。
「……うん。黒かった。闇のように……」
何を聞かれているのか、分からない。
それでもユー子は、答える事が出来た。
黒かった。間違いなく。
『それでしたら、あまり心配することはないかもしれません』
烏帽子の守護霊は、軽く握った手を顎に置いて思案する。
『死神の領域は、銀。悪魔の領域は、黒。』
常識です……と、無表情のまま告げた。
「なるほどね……」
タケルのつぶやきを聞き、ユー子はさらに混乱する。
「どういうこと?分かんない!」
少し苛立ちながら、ユー子はタケルを見つめた。
「少なくとも、レムは自分で黒い空間に死神を連れていったって事だよ。死神に連れて行かれてたら銀色の穴だった……そういう事だろ?」
タケルが烏帽子の守護霊に視線を向けると、彼はそっと頷いた。
「でも、レム、怪我してた!」
『仮にも奴は、王族の人間です。はぐれ死神よりもずっと強い』
烏帽子の守護霊は、認めざるを得ない様子で苦笑する。
『そんな奴が自分の領域に連れ込んだんですよ?死神の方がよっぽど不利です』
「……じゃあ、レムは大丈夫なの?直ぐに帰ってくる?」
『それは分かりません。悪魔の領域がどうなっているかまでは、専門外ですから』
それに……と烏帽子の守護霊は淡々と言葉を続けた。
『むしろ、奴は自分の世界に帰ったんでしょう。再び人間界に来るかは、私の存ぜぬ事です』
抑揚のない話し方は、冷たく感じた。
それでも、余計な慰めのない事実のみの言葉が、すっと心を落ち着かせた。
「……さよならも、ありがとうも言ってない……レムの馬鹿……」
ユー子は、もう泣いていなかった。
タケルは、そっとユー子の頭を撫でると立ち上がる。
「うぅ痛ててて…」
痺れた足をゆっくりと動かしながら、テーブルへ向かう。
「ユー子、ケーキ食うか?レムの分まで食べちまおう!」
「……!!ケーキ!」
ユー子の目が輝き出す。
そして、ふと思い出したかのように地面を見つめた。
(そういえば、幽体だと食べれなかった)
「レムが居ないと食べれない!レムのばかー!!」
タケルは、高級ケーキを捨てる選択肢は一切なく、一人で三つ食べることにした。
真っ黒な目を見開いて、長い髪を垂らしながら見つめるユー子の目の前で。
*****
ナオは、管理栄養士のカオリ、看護師とともに、真希の次女、由希子と話をしていた。
「母が食べられないのは、知っているんです。けど、最後に何かをしてあげたくて……」
別れの覚悟が出来ていても、いざとなると悲しみが心を支配していく。
もっと何かが出来たはずだと……。
「例えば匂いを嗅ぐ、少しだけ舐めてもらう、そういったことも出来ますよ」
ナオは、肩呼吸をしている真希の様子を見ながら、少し離れた場所で、由希子に伝えた。
「食べられないのに、近くに置くことが正解だとは思わないです。けれど、“自分のために誰かが用意してくれた”それだけでも喜ばれることはあるんです」
カオリは、これまで看取りをしてきた家族のエピソードを伝える。
口に入れるリスクについて、看護師から説明をする。
由希子は、目に涙を溜めながらも、ゆっくりと考えた。
「クリームパン……は駄目ですか?」
カオリは、優しく微笑んだ。
「良いじゃないですか。クリームパン。クリームパンなら抱えることも出来ます。手の感触で、用意してくれたと伝わりますよ」
由希子は、ぱちぱち目をはためかす。
「それでも伝わりますか?」
「えぇ……伝わっていなかったら、クリームを唇に塗りましょう。香りで伝わります」
「……今すぐ買ってきます!お母さん、まっててね!」
由希子は、小走りで居室から出ていった。
しばらくすると、息を切らせた由希子がクリームパンを真希の胸に乗せる。
看護師がそっとクリームパンの上に、真希の手を乗せた。
「お母さん、クリームパン買ってきたよ!いつも家にあったでしょ?お姉ちゃんもよく買ってきてくれてた。お母さん、クリームパン好きなんだよね?」
ずっと空虚を見つめていた真希の目に光がさす。
変わらず、呼吸は大きい。
「クリームパン……やった。クリームパンだ。優子ちゃん……」
ここでも、自分の名前が出てこない。
それでもいいと、由希子は思った。
こんな呼吸でも、笑ってる。
喜んでいる。
クリームパンを抱きしめてる。
母が喜ぶことを、この瞬間に渡せた。
それだけで、充分だった。
「優子ちゃん……喜ぶ由希ちゃん……のために買って……きた。その光景が……好きだった」
途切れ途切れのか細い声は聞き取りにくい。
それでも由希子にははっきりと聞こえていた。
「……私のため?」
由希子は、真希のそばに寄る。
「由希……ちゃん、パパに似てる……ふふ、私の……愛した人の……顔」
吸っては吐き、大きく、ゆっくりと。
止まっては吐き、止まっては吸う。
呼吸の感覚が、どんどん遠くなっていく。
「あぁ……やっと迎え……にいける」
真希は大きく息を吸い、ゆっくりと息を吐いた。
ふっ……と何かが溢れるような息は、再び吸われることは無かった。




