昭和幽霊は、羨ましい
日本観光に来た海外悪魔は、黒猫姿でお腹をぱんぱんに膨らませて大の字で横たわっていた。
「お腹がはち切れる〜。もう動けない〜」
ヘソを天井に向けて力なく呟いた。
「……さっきまでの姿はどうした」
「あの姿じゃなきゃ、一口で食べられないんだから当たり前だろ?猫の姿になったから、タケル、運べ」
『タケル、残った清酒かければ動くんじゃないか?』
烏帽子を被った青年は、黒猫の横腹をつま先で、ちょいちょいと突く。
「や〜め〜ろ〜」
レムは、うにゃうにゃ言いながら青年を睨みつけた。
『我らもコイツだけは、祓えなくてな。懲らしめる程度しか出来んかった。また、来るとは……』
「あんなの、ただのじゃれあいだろ〜?我が輩は、悪魔だからなっ。あの程度、屁でもないわ」
どうやっているのか、レムは横を向いて前脚で頭を支えると、薄紅色の衣をまとった女性を見据える。
タケルには、休日のおじさんがテレビで野球を観戦しているようにしか見えなかった。
(ここまで準備してきたのに、ひと口……ひと口で解決って……)
タケルは、がっくりと項垂れた。
『さて、タケル。巨悪の元凶は、此奴が喰ったが食べ残しがあるぞ?まだ、お前の仕事は残っておる』
烏帽子の青年は、トンネル内を見渡した。
「……分かってますよ。さて、残飯整理としますか!」
タケルは、再び祝詞をあげる。
トンネルの壁に蠢いていた、影は音もなく静かに消滅していった。
「よし!一丁あがり!」
仕上げに手をぱんっ!と叩くと、トンネル内を澄み切った空気が通り抜けた。
仕上げに、レムに清酒をかける。
「うにゃ〜!!動物虐待だー!!愛護協会に訴えてやる〜!!」
「お前は悪魔だろ。あんな恐ろしい姿の癖して可愛こぶってんじゃねーよ!」
手足をばたつかせて抗議するレムをタケルは、ひょいっと抱えた。
「そうだろ?恐ろしいだろ?我が輩は、怖いんだぞっ!」
「あぁ、恐ろしかったさ。あんな姿を見せられたらな。もう、AI生成なんて言えないな。あれは人間も、AIにも想像出来ない」
「だろ?だろ?うへっへ〜。今日はいい気分だ」
レムは、うにゃうにゃとにやけながら、タケルの腕の中に収まると、昼寝を始めた。
「……こいつ、本当に悪魔なのか?」
『悪魔……というより、神に近い。我らも神祓いは出来ん。出来るとしたら、同格の神よ』
「……なるほどねぇ〜。ってか、お前らレムと会ってたんだな。安倍のなんちゃらって、お前、晴明だったのか?」
タケルは、目を輝かせて烏帽子を被った青年を見つめた。
(こんな、大層な方が守護につけれてる俺って凄くね?)
『……いや、此奴の勘違いだな。この姿をした者は全て安倍と認識しているらしい。晴明様と私は会ったことないし……。さては、晴明様にもご迷惑をかけたな』
青年は寝ているレムの後頭部に、デコピンをした。
「うにゃ」
レムは、少しだけ唸ってから再び眠りについた。
トンネルから出ると、ユー子と血まみれおじさん、その他諸々の幽霊たちがタケルを出迎えた。
「タケル!やったね!気持ち悪い奴の気配しない!やっつけた?」
屈託のない笑顔のユー子を見て、タケルは視線を外した。
「……こいつが、喰っちまった。俺だけだったら正直危なかったかもな」
タケルは、腕の中で眠る黒猫を見つめた。
「えっ!レム!食べちゃったの?お腹痛くなってない?」
「うにゃ……美味かったぞ。ちょっとスパイシーでな。そうだな、口直しにコーラが飲みたいぞ」
「はいはい……。あとでな」
タケルはため気混じりに、レムをひと撫ですると、ユー子に預ける。
ユー子は、レムの後頭部に鼻をつけると思いっきり息を吸った。
「ユー子、何か減る気がするからやめてくれ〜」
レムは力なく抗議したが、ユー子は辞めなかった。
「さて、お前たちも空に還る時間だ。もう、ここに縛られる必要はない。あがりたい奴は、近くにおいで」
タケルの優しい声色に、ふわふわと魂たちが集まってくる。
歌に似たタケルの祝詞が響き、きらきらと輝きながら魂は空に上がっていった。
「おっちゃん、逝かないのか?」
「にいちゃん、俺は妻に会いたいんだ……。喧嘩したまま、事故に遭ってしまって、気付いたらここにいた。妻に合わせてくれないか?一言、謝りたいんだ」
登っていった魂を遠くから眺めていたおじさんは、様子を見ながらタケルの傍に寄ってくる。
「……おっちゃん」
タケルは、哀しそうな表情をすると薄紅色の女性をちらりと見つめた。
『心得た』
すっと女性が姿を消す。
「……おっちゃん、ちょっと待ってて。今、連れてきてもらってるから」
「……連れてくる?それってどういう意味だ?」
タケルは、縋るようなおじさんの視線から逃れるように、ユー子の腕の中で眠る黒猫をみた。
すやすやと眠る猫は、悪魔でも癒される。
「あなた……ここに居たのね」
戻って来た薄紅色の女性は、小柄な老婦人と一緒にいた。
「あなたが、迎えに来てくれるって思ってたのに……もう、私のこと嫌いになっちゃったのかと思っちゃったじゃない」
老婦人は、おじさんに駆け寄る。
「……お前、裕子か?」
おじさんは、目を丸くして老婦人の頬に触れる。
「えぇ……裕子よ。あの日、喧嘩してお弁当渡さなかった。貴方がお腹を空かせたまま事故に遭ったって聞いて、どんなに悔やんだか……貴方が美味しいって言ってくれた卵焼き、作ってたのに……」
「裕子……ごめん!悪かった!全部俺が悪かったんだ!おばあちゃんになっちまって!迎えに行かなくてごめん!ここから出られなかった!」
おじさんは、涙を流しながら老婦人を抱きしめる。
「嫌いになんかなってない!ずっと……ずっと愛していた。ずっと一緒に歳を取りたかった。本当にすまなかった!」
老婦人は、そっとおじさんの背を撫でる。
「えぇ……分かっているわ。だから迎えに来たの。迎えにくるのが遅くなってごめんね。
さあ、一緒にいきましょう?」
「あぁ……行こう。話したいことがいっぱいある」
おじさんは、タケルを見据える。
「兄ちゃん、ありがとう。裕子も生きていると信じていたけど、もう死んでいたんだな。本来なら、俺が迎えにいってたのに……」
「……おっちゃん。奥さんと会えて良かったな。空に還る手伝い……してもいいか?」
「……あぁ、兄ちゃん、それと嬢ちゃん名前を教えてくれないか」
おじさんは、涙を流していたが、晴れやかな表情でタケルとユー子に問いかけた。
「タケル」
「ユー子だよっ」
「タケルくん……君はいい青年だ。人の痛みをよく知っている。たくさん苦しんだからだろう……。よく頑張ったな。ユー子ちゃん……ふふ、妻と同じ名前だな。君にもいつか、迎えが来るだろう。君は孤独じゃない……」
おじさんは、タケルとユー子の頭をそっと撫でると目を静かに閉じた。
「さぁ、タケルくん。お願いできるかな?」
「……もちろんです」
タケルは、おじさんと奥さんに笑顔を見せると静かに祝詞をあげる。
優しくてどこか哀しい歌は、きらきらと輝きながら二つの魂を包み込んだ。
烏帽子の青年も、薄紅色の女性も、優しく微笑む。
二人の魂は、優しい光になりながらタケルの周りを一周すると静かに消えていった。
ふわりと卵焼きの香りがした気がした。
「……還ったか」
タケルは、一筋の涙を流しながら空を見上げた。
「きれい……きらきらしてた」
ユー子は、レムの後頭部に顔を埋めた。
「ねぇ……タケル。私も誰か迎えに来てくれるのかな?」
レムに顔を埋めている、ユー子の表情は見えない。
「……あぁ、きっと迎えに来てくれる。その手伝いは、いつでもするよ」
「……うん、ありがとう。タケル……。タケルもレムも大好きだよ」
「ははっ。ありがとう!さぁ、パン屋に行ってクリームパンを買おう!あと、コーラだなっ」
「うん!」
「コーラ!早く飲みたいぞ!」
赤いスポーツカーは、トンネルから遠ざかっていく。
薄気味悪いトンネルは、深緑の爽やかな香りに包まれていた。
*****
介護士のナオは、真希の食事について管理栄養士のカオリに相談していた。
「伊藤真希さんなんですけど、入所まえから食べていなかったみたいで、ここに来てから更に食べていないみたいなんです。何か対策ないですかね?」
「うーん。食べにくいとか、飲み込みにくいとかと、ちょっと違う気がするよね」
カオリは、真希の食べている様子を見ながら悩むように唸った。
「たしか、お看取り対応になっていたよね。ちょっと私も介助してみるね」
カオリは、スプーンにおかずを乗せると、そっと真希の口元に運ぶ。
真希は、唇に力を入れて顔を逸らすと、カオリの腕をそっと掴んだ。
カオリの顔をじっと見つめ、静かに首を振る。
「やめて……いらない。娘を迎えにいくの」
カオリは、スプーンを食器に戻すと、お椀を手に取り、口元へ添える。
「水分だけでも、飲みましょうか?お味噌汁はいかがですか?」
真希は、一口だけ味噌汁を飲むと、うつむいてしまう。
「カオリさん、後でまた話してもいいですか?」
「もちろん。ちょっと栄養ゼリーの在庫ないか確認してくるね。あと、相談員にも娘さんと話出来ないか、聞いてくる」
「お願いします」
真希は、ずっとうつむいたまま、食事の拒否を続けていた。
(このままだと、風邪を引いただけで致命的になってしまう……)
ナオは、真希が生きること以外の何かを求めているような気がした。




