第一話 苛立ち
暗闇の中にアスタロトの姿がはっきりと浮んでいた。
その傍らには玉座に座っているサタナエルの姿もある。
アスタロトは背中の槍を手にし、前方に立つルシフェルに猛然と襲い掛かって来た。
ルシフェルは突き出された槍を躱そうとするが、体が全く動かない。
アスタロトの槍が肩を、腕を、足を、腰を突き刺しても指一本動かす事が出来ない。
玉座に座り悠然と見物するサタナエルは、高らかに哄笑する。
成す術なく屈辱と血に塗れ、倒れる事さえ許されず、その胸に大きな風穴が開けられた。
薄れ行く意識の中、目映い光が辺りを包み、アスタロトとサタナエルの姿は光の中に消えて行った。
霞むルシフェルの目が視界に捉えたのは、傍らに立つゴブリンが、両手で握っている斧を振り上げている姿だった。
「せぇの!!」
ゴブリンは斧をルシフェルに向けて勢い良く振り下ろした。
ルシフェルは慌てて横転してこれを躱した。
斧は激しい音を立てて床に突き刺さる。
「何をする!」
ルシフェルは勢い良く立ち上がり、ゴブリンに詰め寄ろうとしたが、立ち止まり、訝しげに辺りを見廻す。
「ここは……?」
鉄格子が張られた小さな窓があるだけは他に何もない殺風景な小部屋は、どうやら牢獄の様だとは分かる。
「ここは何処だ? 何処なのだ!」
思わず荒げた声に、床に刺さった斧を引き抜こうとしていたゴブリンは、驚いた勢いで斧が抜け、派手に後ろに倒れてしまった。
激しく打った背中をさすりつつ、体を起こしてゆっくりと立ち上がる。
「驚かすんじゃねぇよ。せっかく枷を取ってやっていたのによぉ」
ルシフェルの両足首と右の手首にあった枷は外され、ゴブリンの足元に転がっている。
更に体全体に包帯のような物が巻かれていた。
「ここは何処だ? 貴様は誰だ? 一体どうなっておる?」
先程より声は抑え気味ながら畳みかけて訊く。
「それに答えるのは俺の仕事じゃねぇ。取り敢えずあと一つ、その枷を外させてくれねぇか? それが俺の仕事だ」
「それが仕事だと? 嘘を吐くでないわ。ここはどう見ても牢獄ではないか。大方その斧で我を殺しに来たのであろう」
「困った奴だな」
ゴブリンは頭を掻く。
「確かにここは牢獄だが、それは適当な場所がなかったからだ。それにその枷は魔剛石で作られた物だろう。だったらそいつを断ち切るには、この斧のような魔剛石で作られた刃を持つものでしか無理なんだよ。大体、殺すつもりなら枷を外す前にお前の首を真っ二つにしているぞ」
「ならば、どうなっておるのか話せ」
「だから言っただろう、それは俺の仕事じゃねぇってな。そう言う事は女王様が教えて下さるはずだ」
「女王様? 誰だ、それは?」
「分からない奴だな。知りたければその枷を外させろ。いいからそこに横になれ」
命令口調にルシフェルは苛立ちを見せるが、確かに殺そうと思えば殺せたのも事実であり、このまま押し問答しても埒が明かないと、床に横になった。
「早くしろ」
命令口調に苛立っているのはゴブリンも同じだった。
「何をもたもたしておる。早くしろと云ったのだぞ」
「一々面倒な奴だな。それじゃあ切れねぇだろう。もっと腕を伸ばせ」
変わらぬ言葉遣いにルシフェルは嫌な顔を見せるが、それ以上は何も言わず、左腕を伸ばした。
「じゃあやるぞ。動くなよ」
ゴブリンは斧を両手で持って大きく振り上げ、ルシフェルの左手首に残る枷に向けて勢い良く振り下ろした。
見事に枷に命中した刹那、甲高い音と共に斧は弾かれ、枷は綺麗に真っ二つに断ち切れた。
ルシフェルはゆっくりと体を起こし、左手を開いたり閉じたりして手首の調子を確かめてから立ち上がる。
「それでは、先程云っておった女王とか云う者の所に案内して貰おうか」
「礼ぐらいないのかよ。何を偉そ━━」
歩み寄って来たルシフェルの姿に、ゴブリンは吐き出しそうになった愚痴を飲み込んだ。
遠目にも大きい体とは分かるが、近くで見るルシフェルには、ただ大きいだけではない周りを圧倒する威圧感があった。
「どうした? 何か云いたいのではないのか?」
「い、いや、何でもねぇ。付いて来い」
命令口調は、気圧されたゴブリンのせめてもの虚勢であった。




