東京高等師範学校→東京女子高等師範学校時代
藤田五郎は警視庁退職時に東京高等師範学校校長の高嶺秀夫らの推挙で、明治25年(1892年)4月から東京高等師範学校附局東京博物館(現国立科学博物館史跡湯島聖堂)の看守(守衛長)に奉職した。
「またしても警護職か…。」
「お主の天職ではないか?」
「しかし、この私にいかようなツテは無いのだが…?」
「元新選組3番隊組長と言う肩書きだけでそれ以上のインパクトは無いだろう?それについ最近までは現役の警察官。需要は充分過ぎる位にある。」
「タイミング良すぎだろう。」
「今はそう言うのを天下りって言うんだ。しかし、何が不満なんだ?給与は目立って減っている訳でもない。寧ろボーナスを含めれば所得は増収。それに命の危険もこれまでのそれに比べれば非常に微々たるもの。」
「なぁ、杉村さん?我々が戦っていた幕末と言う狂った時代を知る者からすれば新時代などどうという事はないでしょうか?」
「確かにあの時代からすれば今の世は刺激が足らんのかもな。」
「高等師範学校の学生ですよ?自分の身くらい自分で守れるでしょうに?」
「まぁ確かにな。これから教育の場に立とうという人間が己の身一つ守れないとは藤田の意見も一理有る。」
「だがこの私をその職に付かさせてくれた人達の期待には応えたい。」
「そうだな。縁あって巡りあった仕事だからな。」
「今回この仕事を受けるにあたっては一つ条件を先方には飲んでもらいました。」
「条件?」
「鬼神丸国重の帯刀の是非です。」
「国重の帯刀?日本刀の帯刀は廃刀令により全面的に禁止なのはお主も分かっているはず。」
「警官時代には警棒とピストルがあったから帯刀せずとも何とかなった。しかし、今回は看守(守衛長)何かあった時に丸腰では事が重大になる可能性もある。未来ある若者の為どうにか国重の帯刀を許可して欲しいと願い出た。結果はOKだった。寧ろその剣術を学生に教えて撃剣師範になってくれと先方は言ってくださった。私は杉村さんや総司とは違って免許皆伝程の腕前はありません。」
「確かに貴様は実戦突出型の剣士だった。言うなればほぼ我流に近いものがあった。左片手平突き等はその証だろう。」
と、言う訳で鬼神丸国重の帯刀許可もおり、道場剣法は好かなかったが、久し振りに(試衛館時代)に木刀を持って積極的に学生達に教えた。




