東京高等師範学校(撃剣師範)時代
明治31年(1898年)まで東京高等師範学校で学生達に撃剣を教える撃剣師範を務めた藤田五郎は50歳を過ぎても学生達に鬼神丸国重(愛刀)を用いて自らの得意技である左片手平突きなど死線を乗り越えて来た数々の持ち技を披露した。学生からは、新選組時代の一教官と呼ばれていた。五郎もこれにはまんざらでもない様子で、どこか懐かしさを覚えており、「藤田教官と呼べ。」と言っても学生達は聞かなかった。
「一教官はこの剣技を何処で身につけたのですか?」
「元々は山口一刀流と無外流がベースになっている。」
「聞いた事の無い流派ですね?」
「まぁ、メジャーな流派ではなかったが左利きの私にはしっくり来ていたよ。」
「わずか20歳で、新選組の撃剣師範をしておられたと聞きますが本当ですか?」
「本当だが、私よりも凄腕の撃剣師範はいたよ?」
「沖田総司や永倉新八ですよね?」
「あぁ、彼等も凄腕だったが局長の近藤さんや副長の土方さんも凄腕の剣士だったよ?」
「新選組ってリアルに凄い所だったんですね?」
「仲間割れして斬った凄腕の剣士達もいたがな。」
「芹沢鴨、山南敬助、伊東甲子太郎…。」
「君、詳しいね?」
「はい。将来は社会科の教師になって後世の人間に新選組と言う勇敢な侍達がいた事を教えたいのであります。」
「物好きだね。でもそれは嬉しい事だね。」
「でも悪い事もしたんだよ?局中法度と言って脱走したら切腹とか、薩摩や長州の侍よりも身内の脱走者を斬った方が多いとも言われているんだよ?」
「そうでもしなきゃ一枚岩で薩摩や長州に対抗出来なかったし、中には間者と言ったスパイも隠れていたからね。こればかりは時代の流れですな。」
「実際会津藩が降伏するまでは、一教官は戦いをやめなかったじゃないですか?」
「諦めの悪い男達だっただけだよ?」
「土方さんなんて蝦夷(北海道)まで転戦したからね。最後まで皆必死に生きていたのは確かだね。」
「一教官?どうやったら強くなれますか?」
「君達の場合武ではなく文を極めるべきでは?」
「つまり、もっと勉学に励めと言う事ですか?」
「そうだ。君達はこれからの日本を担う子供達に教鞭をとるのだからな。正しい事を正しく伝える。それが君達の正義何じゃないかな?」
「僕達の正義ですか…?」
「そうだ。君達の正義は知だ。」




