第64話「身体」
翌朝。
サクヤは森の中に立っていた。
「……で?」
目の前には、いくつもの岩。
そして長い坂道。
ガルドは腕を組んでいる。
「走れ」
「……それだけ?」
「ああ」
「昨日、身体を鍛えるって言ってたよな」
「だから走る」
「……」
サクヤは岩を見る。
嫌な予感しかしない。
「どれくらい?」
「倒れるまで」
「……は?」
「自分で立てなくなったら終わりだ」
サクヤはため息を吐く。
「……分かった」
走り出す。
最初は余裕だった。
森の中を駆ける。
坂を登る。
下る。
また登る。
だが――
一時間。
二時間。
足が重くなる。
「……っ、はぁ……!」
息が荒い。
それでも止まらない。
岩を持ち上げる。
歩く。
また走る。
腕が震える。
足が笑う。
「……クソ……」
『いい顔になってきたじゃねぇか』
ノクスの声。
「……黙れ」
『昨日まで魔物と戦ってた奴が、今日は岩持って走ってるぜ』
「……師匠の命令だ」
『随分と素直だな』
「うるせぇ」
岩を地面に置く。
そのまま腕立てを始める。
一回。
二回。
三回。
「……」
十回を超えた辺りで腕が震える。
それでも続ける。
「……まだ……」
さらに一回。
「……まだだ」
* * *
夕方。
サクヤは地面に倒れていた。
「……動けねぇ」
「立て」
ガルドが言う。
「……今?」
「ああ」
「無理だろ……」
「昨日も言ったな」
ガルドは淡々としている。
「身体が追いつかない、と」
サクヤは黙る。
「だから鍛える」
「……」
「立て」
サクヤは歯を食いしばる。
腕を地面につく。
身体を起こす。
「……っ」
立ち上がった。
「よし」
ガルドが構える。
「今から避けろ」
「……この状態で?」
「この状態だからだ」
サクヤは構える。
ガルドが踏み込む。
拳。
「……!」
サクヤは見る。
肩。
重心。
足。
昨日よりも――
遅い。
身体が重い。
それでも。
「……!」
身体が動いた。
――ヒュッ。
ガルドの拳が頬を掠める。
避けた。
「……!」
サクヤ自身が驚く。
昨日より遅い身体。
なのに――
避けられた。
『……ほう』
ノクスの声が響く。
『少しはマシになったな』
「……」
『昨日は見えてから動いてた』
『今日は――』
少し間を置いて。
『見えた瞬間に動いた』
サクヤはガルドを見る。
「……今の」
ガルドが頷く。
「それだ」
「……」
「身体が追いつき始めている」
サクヤは拳を握る。
まだ一回。
たった一回。
それでも――
昨日とは違う。
「……もう一回」
ガルドが構える。
「来い」
拳が飛ぶ。
サクヤは見る。
そして――
動く。
――ヒュッ。
また避けた。
今度は偶然じゃない。
ほんの少しだけ。
観測と身体が噛み合った。
『くくっ』
ノクスが笑う。
『やっと入口だな』
「……入口?」
『ああ』
サクヤは拳を握る。
「……なら、まだ先がある」
『当然だ』
サクヤはガルドを見る。
「……もっとやる」
ガルドは頷いた。
「そう言うと思っていた」
森の中に、再び風を切る音が響く。
まだ遠い。
それでも――
サクヤは初めて。
自分の「観測」が、身体に繋がり始めたことを実感していた。




