第5話「触れてはいけないもの」
夜の訓練場。
静けさは戻っていたが、空気はどこか張り詰めていた。
「……落ち着いた?」
リンの声は、さっきよりも少しだけ柔らかい。
サクヤは、ゆっくりと息を吐いた。
「ああ……なんとか」
体の奥に残る“何か”は、まだ消えていない。
ただ、今は大人しくしているだけだ。
「完全には、消えてないよね」
「……わかるのか?」
「うん」
即答だった。
リンは、サクヤの胸のあたりをじっと見つめる。
「微かにだけど、変な感じする」
「変なって……」
「魔力じゃない」
はっきりと断言する。
その一言で、サクヤの中の違和感が確信に変わる。
やっぱり、これは普通じゃない。
「じゃあ何なんだよ」
思わず口に出る。
だがリンは、すぐには答えなかった。
少しだけ迷うように視線を落とし、そして——
「……ねえサクヤ」
「なんだ」
「これ、誰かに話した?」
「いや……話してない」
「そっか」
小さくうなずく。
その仕草が、妙に重かった。
「なら——絶対に言わないで」
空気が変わる。
「……は?」
思わず聞き返す。
冗談には聞こえなかった。
「レオにも、レイにも、誰にも」
リンの目は真剣だった。
いつもの柔らかさはない。
「なんでだよ」
当然の疑問。
隠す理由がわからない。
むしろ——
(助けてもらった方がいいだろ)
普通はそう考える。
でもリンは、首を横に振った。
「ダメ。絶対にダメ」
強い口調だった。
「それ、多分……」
一度言葉を切る。
そして、少しだけ声を落とした。
「“見つかったらまずい類”のもの」
「……は?」
意味がわからない。
見つかったらまずい?
誰に?
「どういう意味だよ、それ」
リンは周囲を見渡す。
誰もいないはずなのに、警戒するように。
そして、さらに声を潜めた。
「この国、表向きは“力の自由”ってことになってるけど」
「……ああ」
強い者が評価される世界。
それが当たり前だと思っていた。
「でもね、“例外”があるの」
その言葉に、背筋が少しだけ冷える。
「例外?」
「うん。管理される力」
空気が、重くなる。
「……なんだよそれ」
「簡単に言うとね」
リンはゆっくりと言った。
「危険すぎる力は、“持つこと自体が許されない”の」
「……」
言葉が出ない。
冗談じゃない。
そんなもの——
「あるわけ……」
「あるよ」
被せるように否定される。
「実際に、消えた人もいる」
静かな声だった。
でも、その重さは十分すぎた。
「……消えたって」
「そのままの意味」
リンは目を逸らさなかった。
「突然いなくなるの。記録も、痕跡も、全部」
風が吹く。
さっきまでとは違う、冷たい風。
「……それと、俺が関係あるって言いたいのか?」
「……わからない」
リンは正直に言った。
「でも、少なくとも“普通じゃない”」
それは否定できない。
あの力。
あの感覚。
どう考えても、まともじゃない。
「だから隠すのか」
「うん」
短い返事。
迷いはなかった。
「サクヤがどうなるか、わからないから」
その言葉は、優しさだった。
でも同時に——
現実でもあった。
「……めんどくさいことになったな」
サクヤは苦笑する。
いつものように軽く言ったつもりだった。
でも——
「うん、めんどくさいどころじゃないよ」
リンは、笑わなかった。
少しの沈黙。
遠くで、まだ人の気配が動いている。
「……とりあえず、ここ離れよう」
リンが言う。
「見つかったら説明できないでしょ」
「だな」
サクヤは立ち上がる。
足はまだ少しだけ重い。
でも、動けないほどじゃない。
歩き出す。
並んで、ゆっくりと。
「……なあ」
「なに?」
「なんで、お前そんなこと知ってるんだよ」
ふと浮かんだ疑問。
普通の知識じゃない。
リンは少しだけ黙った。
そして——
「……ちょっとだけ、家の事情」
曖昧な答え。
でも、それ以上は踏み込めない空気だった。
「そっか」
それ以上は聞かない。
聞くべきじゃないと、なんとなく思った。
「でも安心して」
リンが少しだけ笑う。
さっきより、ほんの少しだけ柔らかい表情。
「私、味方だから」
その一言は、思った以上に重かった。
サクヤは少しだけ目を見開いて——
そして、笑った。
「……頼りにしてる」
「任せて」
短いやり取り。
でも、その距離は確実に変わっていた。
そのときだった。
ドクン——
「……っ」
まただ。
小さく、でも確かに脈打つ。
さっきより弱い。
でも——
消えていない。
「まだある?」
リンがすぐに気づく。
「ああ……ちょっとだけな」
「……そっか」
リンの表情が引き締まる。
「ねえサクヤ」
「なんだ」
「それ、多分ね」
少しだけ間を置いて——
「“使うほど強くなる”タイプ」
「……は?」
最悪の一言だった。
「さっきより強くなってるでしょ?」
「……まあ」
否定できない。
二発目の方が明らかに強かった。
「だから」
リンは静かに言った。
「下手に使わない方がいい」
正論だった。
でも——
「……無理だろ」
サクヤは苦笑する。
「勝手に出るんだから」
その通りだった。
制御できていない以上、いつ暴れるかわからない。
「……だよね」
リンも同意する。
そして、少しだけ考えてから言った。
「じゃあ、逆に——」
「?」
「“使い方を覚える”しかない」
「……は?」
予想外の言葉だった。
「制御できないなら、制御できるようにする」
リンの目は真剣だった。
「その代わり、絶対にバレないように」
無茶な話だ。
でも——
それしかないのも事実だった。
「……ほんと、面倒だな」
「でしょ?」
少しだけ笑い合う。
その空気は、ほんの一瞬だけ軽くなった。
でもその裏で、
確実に何かが動き始めていた。
知らないところで。
気づかないところで。
“触れてはいけないもの”に、手を伸ばしてしまった。
その代償が何なのか——
まだ、誰も知らない。




