第56話「挑発」
森の中。
今日も、同じ場所。
サクヤは目の前の歪みを見つめていた。
何時間経ったのか。
分からない。
ただ、ひたすらに見る。
輪郭。
揺らぎ。
黒い線。
その動き。
「……」
変化はない。
それでも、サクヤは目を逸らさなかった。
『まだやってんのか』
胸の奥から声が響く。
「……」
無視。
『飽きねぇな』
「……」
『毎日毎日、同じもん見てよ』
無視。
『成果なんて、ほとんど出てねぇのに』
サクヤの眉が僅かに動く。
『それでも続ける』
くくっ。
『真面目だなぁ、サクヤ』
「……うるせぇ」
『お、やっと喋った』
サクヤは歯を食いしばる。
「集中してんだ。邪魔すんな」
『集中?』
ノクスが笑う。
『違うだろ』
「……何がだ」
『焦ってんだよ』
サクヤの目が止まる。
『早く強くなりたい』
『早く歪みを壊したい』
『早く、あいつらに追いつかれないくらいになりたい』
「……」
『図星か?』
「黙れ」
『くくっ』
ノクスは楽しそうだった。
『分かりやすい奴だな』
サクヤは拳を握る。
「……お前に何が分かる」
『分かるさ』
声が低くなる。
『ずっと見てたからな』
「……」
『お前が焦ってるところも』
『何度失敗しても続けてるところも』
『それでも、何も掴めなくて苛立ってるところもな』
サクヤは黙った。
否定できない。
『なぁ、サクヤ』
「……なんだ」
『いつまで“真面目な生徒”やってんだ?』
サクヤの目が細くなる。
『ガルドに言われたことを、ただ繰り返す』
『見る』
『感じる』
『考える』
『それで満足か?』
「……」
『お前が本当に欲しいのは――』
ノクスが笑う。
『そんな小さな変化じゃねぇだろ?』
サクヤは歪みを見る。
確かにそうだった。
十日間。
ようやく僅かな変化を捉えた。
それでも――
まだ壊せない。
「……当然だ」
『なら、どうする?』
「続ける」
『つまんねぇ答え』
「……」
『もっと焦れよ』
ノクスの声が楽しそうに響く。
『もっと悔しがれ』
『もっと自分の足りなさを認めろ』
『その方が――』
少し間を置いて。
『強くなれるぞ?』
サクヤはノクスの言葉を聞き流そうとした。
だが――
完全には無視できなかった。
「……お前」
『なんだ?』
「なんでそこまで俺を煽る」
ノクスが笑う。
『さぁな』
「……」
『ただ――』
声が少し低くなる。
『お前がどこまで行けるのか、見てみたいだけだ』
サクヤは黙る。
そして、歪みに向き直る。
「……なら黙って見てろ」
『嫌だね』
「……チッ」
『まだまだ煽ってやるよ』
サクヤは小さく息を吐く。
そして再び、歪みを観測する。
ノクスの声は消えない。
だが――
今度は、少しだけ違った。
サクヤはその声を無視するのではなく。
力に変えるように、歪みを見つめ続けた。




