第55話「積み重ね」
森の奥。
朝。
サクヤは歪みの前に立っていた。
「まずは見る」
ガルドの言葉を思い出す。
拳は構えない。
ただ、目の前の歪みを見る。
輪郭。
揺れ。
黒い線。
その動き。
「……」
一時間。
二時間。
それでも動かない。
「……次」
サクヤは目を閉じる。
今度は歪みの周囲に意識を向ける。
空気。
魔力。
空間の違和感。
ガルドに言われたことを、一つずつ試していく。
だが――
何も起きない。
「……」
昼。
再び歪みを見る。
夜。
また見る。
次の日も。
その次の日も。
サクヤは同じことを繰り返した。
言われたことを忘れない。
手を抜かない。
毎日、決められたことをやる。
それでも。
「……変わらねぇ」
五日目。
サクヤは歪みを睨んでいた。
以前よりも細かく見える。
黒い線も、少しだけ鮮明になった。
だが――
それだけだった。
触れない。
掴めない。
壊せない。
「……クソ」
『真面目だなぁ』
胸の奥から声がする。
「……」
『言われたこと全部やってんじゃねぇか』
「悪いかよ」
『別に』
黒の欠片が笑う。
『ただ、真面目な奴ほど成果が出ねぇ時の顔は面白ぇな』
「……黙れ」
サクヤは歪みを見る。
拳を握る。
殴りたい。
壊したい。
でも――
ガルドは言った。
今は殴るな。
だから殴らない。
悔しくても。
何も変わらなくても。
やる。
「……もう一回」
目を閉じる。
そして観測する。
六日目。
七日目。
八日目。
成果は、ほとんどない。
それでもサクヤは続けた。
雨が降っても。
身体が重くても。
何度失敗しても。
同じことを繰り返す。
そして――
十日目。
「……」
サクヤは歪みを見つめていた。
何も変わらない。
そう思った瞬間。
ほんの僅かに。
歪みの中心にある黒い線が――
揺れた。
「……!」
一瞬だった。
見間違いかもしれない。
それでも。
サクヤは目を逸らさなかった。
「……今の」
もう一度。
同じように観測する。
何も起きない。
それでも。
サクヤの口元が僅かに動く。
「……やっとかよ」
大きな成果じゃない。
力が急に増えたわけでもない。
歪みを壊せるようになったわけでもない。
ただ――
十日間の積み重ねが、初めて小さな変化になった。
サクヤは拳を握る。
「……続ける」
その声に、迷いはなかった。
少しずつでいい。
届かなくてもいい。
いつか必ず――
壊す。
そのために。
サクヤは、また歪みと向き合った。




