第48話「それぞれの道」
翌朝。
教室には、いつも通りの空気が流れていた。
教師の声。
生徒たちの話し声。
窓から差し込む朝の光。
昨日までと、何も変わらない。
――そう見えるだけだった。
サクヤは窓の外を眺めていた。
昨日の戦い。
その前の戦い。
そして――クロノ。
頭の中で、いくつもの出来事が重なっている。
「……サクヤ」
隣からレイの声。
「さっきから外ばかり見ているが、何かあるのか?」
「いや」
サクヤは短く答えた。
「……ちょっと考えてるだけだ」
その様子を、レオも見ていた。
「なんか昨日から変だぞ、お前」
「そう?」
雪もサクヤを見る。
「うん。なんか決めた顔してる」
「……鋭いな」
「昔からでしょ」
雪が少しだけ笑う。
サクヤは目を逸らした。
そして――
「放課後、話がある」
三人の表情が変わった。
「……話?」
レオが眉をひそめる。
「なんだよ、改まって」
「その時に言う」
それだけだった。
* * *
放課後。
四人は、人の少ない校舎裏に集まっていた。
夕日が校舎を赤く染めている。
しばらく誰も喋らなかった。
サクヤが口を開く。
「俺、しばらく一人で行く」
「……は?」
レオが固まる。
「いや、待て。急に何言ってんだ?」
レイもサクヤを見る。
「理由を聞こうか」
雪は何も言わない。
ただ、サクヤの目を見ていた。
サクヤはゆっくり息を吐く。
「昨日の俺じゃ、勝てなかった」
三人の顔がわずかに曇る。
「歪みを壊すって決めたのに、俺自身の力じゃ届かなかった」
拳を握る。
「だから、鍛える」
「一人で?」
レオが聞く。
「ああ」
「なんでだよ」
「……俺自身の問題だからだ」
レオが何か言おうとする。
だが、レイが止めた。
「……続けろ」
サクヤは頷く。
「黒の欠片がいる」
その言葉に、空気が変わる。
「俺の中に取り込んだあいつは、まだいる」
「そして、俺はあいつの力を使った」
サクヤは自分の手を見る。
「だったら、次は自分の力で届かなきゃいけない」
レオが腕を組む。
「つまり、俺たちといると甘えるってことか?」
「違う」
サクヤは即答した。
「お前らがいるからじゃない」
一瞬だけ、三人を見る。
「俺が、自分自身を知らなすぎるんだ」
静かな声だった。
「だから一回、一人になりたい」
レイは黙ってサクヤを見つめる。
そして、小さく息を吐いた。
「……分かった」
「レイ?」
レオが驚く。
「止めても行くんだろ?」
「……ああ」
「なら、止める意味はない」
レイはサクヤの肩を軽く叩いた。
「ただし、一つだけ」
「なんだ?」
「一人で行くことと、一人で抱え込むことは違う」
サクヤが目を細める。
「何かあったら戻ってこい」
「……分かった」
次にレオが前へ出る。
「俺も別に反対しねぇ」
大きく笑う。
「ただし――」
拳をサクヤの胸元へ軽く当てる。
「戻ってきた時、俺より弱かったら許さねぇぞ」
「……言ってろ」
サクヤも少しだけ笑った。
最後に、雪が近づいてくる。
「……あんた、本当にそれ言っていいの?」
サクヤの表情が止まる。
「……何が」
「一人で行くって」
雪はまっすぐサクヤを見る。
「昔から、あんたは一人で抱え込む癖がある」
「……」
「だから、私は心配してる」
少しだけ間を置く。
「でも――」
雪は微笑んだ。
「今のあんたなら、大丈夫な気もする」
サクヤは目を逸らした。
「……相変わらず、変なところだけ鋭いな」
「何それ」
「褒めてる」
「絶対嘘」
少しだけ、いつもの空気が戻る。
サクヤは三人を見る。
レオ。
レイ。
雪。
幼い頃から、ずっと一緒だった三人。
「……じゃあな」
「おう」
「気をつけろ」
「ちゃんと帰ってきてよ」
それぞれの声を背に。
サクヤは歩き出した。
振り返らない。
今は――前を見る。
* * *
街を抜ける。
人の気配が減っていく。
建物が少なくなる。
やがて、森へ入った。
そこは以前、歪みが確認された場所だった。
サクヤは足を止める。
「……ここならいいか」
周囲を見渡す。
何もない。
静かだ。
だが――
胸の奥が、微かに鳴った。
ドクン。
「……いるのか」
返事はない。
代わりに――
『くくっ』
小さな笑い声。
「……何がおかしい」
『一人で修行だってよ』
「……悪いか」
『別に』
黒の欠片は、どこか楽しそうだった。
『せいぜい頑張れよ』
「言われなくてもやる」
サクヤは拳を握る。
目の前。
空間が、僅かに揺れている。
小さな歪み。
まだ戦うには弱い。
だが――
「ちょうどいい」
サクヤは構える。
「まずはこいつからだ」
一歩。
踏み込む。
拳を振り抜く。
――ドンッ!
歪みが揺れる。
だが、壊れない。
「……チッ」
もう一度。
拳を叩き込む。
それでも壊れない。
黒の欠片が、くくっと笑う。
『まだまだだな』
「……うるせぇ」
サクヤは拳を下ろさない。
何度でも構える。
歪みを見る。
壊し方を探す。
力任せじゃない。
観測する。
感じる。
自分の中にあるものを理解する。
「……俺は」
拳を握る。
「歪みを壊す」
その目に迷いはない。
「だったら――」
もう一度、構える。
「壊せるようになるまでやるだけだ」
夕暮れの森に、拳を振るう音が響いた。
その姿を――
胸の奥の“黒”だけが、楽しそうに笑っていた。
――修行が、始まった。




