第46話「歓喜の歪み」
空が、わずかに“歪んでいた”。
誰も気づかない。
戦場に立つ者たちには、その余裕すらない。
だが――
その歪みの“向こう側”。
まるで硝子の裏から覗くように、ひとつの影が戦場を見下ろしていた。
クロノだった。
「……はは」
指先で、空間をなぞる。
触れているはずのない世界に、波紋のような揺らぎが広がる。
まるでそこに“境界”があるかのように。
「はは……はははは……!」
――笑いが、止まらなかった。
その視線の先。
つい先ほどまで繰り広げられていた、圧倒的な力の痕跡。
大地は抉れ、空気は焼け、黒の残滓がまだ色濃く漂っている。
そして何より――
「使ったな……サクヤ」
愉悦に歪む瞳。
「あの力を」
黒の欠片。
自分と同じ、“こちら側”の力。
「やっとだ……やっと、ここまで来たか……!」
クロノは額を押さえ、小さく肩を震わせる。
抑えきれない歓喜が、身体の奥から溢れ出していた。
「暴走?違うな……あれは……」
一歩、踏み出す。
だが足は地に触れない。
彼は依然として、“世界の外側”に立っている。
「――選択だ」
にやり、と口元が歪む。
「一度でも頼った時点で、人間は終わりなんだよ」
優しく告げるその声は、どこまでも冷たい。
「苦しんで、抗って、拒み続けて……それでも最後は――縋る」
その光景を、彼はよく知っている。
かつての自分と、同じだからだ。
「美しいじゃないか」
うっとりと目を細める。
「受け入れろよ、サクヤ」
空間越しに、語りかけるように。
「それは“お前の力”なんだ」
逃げ場など、最初から存在しない。
光と闇。
拒絶と受容。
その狭間で揺れるほど――深く堕ちていく。
「はは……はははは……!」
再び、笑いが響く。
だがその音は、戦場には届かない。
この場所は、あまりにも遠い。
届かない場所から、ただ一方的に見下ろす。
「いいぞ……サクヤ……!」
愛おしむように、その名を呼ぶ。
「そのまま来い――」
瞳の奥に、狂気の光を宿して。
「俺と同じ場所まで」
空の歪みが、ゆっくりと閉じていく。
まるで最初から何もなかったかのように。
ただ一人、歓喜だけを残して。




