第36話「歪みは日常に滲む」
朝。
教室はいつも通り、ざわついていた。
「だからさ、絶対おかしいってあいつ!」
レオが机に身を乗り出す。
「強いのはいいとして、キスして帰るって何!?意味わかんねぇだろ!」
「そこじゃねぇだろ問題は」
レイが呆れたようにため息をつく。
「明らかに格が違った。あれは普通じゃない」
「それも分かってるけどさぁ!」
騒がしい。
くだらないやり取り。
――いつも通り。
「……」
サクヤは、何も言わない。
頬杖をついて、ぼんやり前を見ている。
(……うるせぇ)
音が遠い。
意識が、少しだけズレている。
ドクン
胸の奥が鳴る。
昨日よりも、はっきりと。
「おいサクヤ」
レイが顔を覗き込む。
「マジで平気か?顔死んでるぞ」
「……問題ねぇ」
短く返す。
その瞬間。
ざわっ
足元の影が、揺れた。
「……っ」
今度は見間違いじゃない。
黒が、濃い。
わずかに、蠢いている。
「なぁ今の――」
レオが気づきかけた、その時。
――ビキッ
窓ガラスに、亀裂が走る。
「……は?」
教室が静まり返る。
次の瞬間――
ガシャァァァン!!
ガラスが内側に弾け飛んだ。
「きゃあああっ!?」
悲鳴が上がる。
吹き込む風。
そして――
歪み。
黒く、揺らぐ“何か”が空間を押し広げるように現れる。
「なんだよ……これ……!」
レイが息を呑む。
昨日の存在とは違う。
だが、似ている。
「チッ……またかよ」
サクヤが立ち上がる。
歪みが、ゆっくりと人の形を取る。
次の瞬間――
ドンッ!!
一直線に突っ込んでくる。
速い。
だが――
一瞬、反応が遅れる。
その時。
「……遅いね」
内側から声。
わずかに笑っている。
「右」
体が、勝手に動く。
ギリギリで回避。
(……チッ)
理解している。
今のは、自分じゃない。
歪みが、すぐに追撃してくる。
速い。
さっきよりも。
「サクヤ!」
レオの叫び。
間に合わない――
その瞬間。
ドクン
強く、鳴る。
胸の奥の“黒”。
「くく……それで耐えるの?」
低く、楽しそうな声。
「……うるせぇ」
吐き捨てる。
だが。
体が、軽い。
いや――
“噛み合ってない”。
(……合わせろ)
一瞬だけ。
意識を沈める。
ドクン
視界の端が、黒く染まる。
次の瞬間――
ギィンッ!!
動きが変わる。
歪みの攻撃を、紙一重で捌く。
そのまま踏み込む。
バキィッ!!
拳が、歪みの核を貫く。
「……は?」
レイが固まる。
一撃。
さっきまで押されていた相手が、あっさり崩れる。
黒い粒子になって、消えていく。
静寂。
「……おい」
レイが低く言う。
「今の動き……」
サクヤは答えない。
自分の手を見る。
黒が、まだ薄く残っている。
ドクン
(……クソが)
馴染む。
思った以上に。
「……ふ」
内側で、小さく笑う気配。
「使えるじゃん」
「……黙ってろ」
小さく呟く。
「は?誰に言ってんだ?」
レオが怪訝な顔をする。
「……独り言だ」
短く切る。
だが。
違う。
確実に“いる”。
内側に。
「サクヤ……」
レオがじっと見る。
「お前、何か――」
「何もねぇよ」
被せるように言う。
少しだけ、強い声で。
沈黙が落ちる。
割れた窓。
ざわつく教室。
教師の慌てた声。
全部が遠い。
ドクン
また、鳴る。
胸の奥で。
まるで――
何かを待つみたいに。
サクヤは、ゆっくりと目を細めた。
「……来るなら来いよ」
誰にも聞こえない声で、吐き捨てる。
その影が、わずかに揺れた。
まるで――
笑ったみたいに。




