第32話「残滓の名」
——黒が、蠢く。
細い糸のように。
だが、確かな“意思”を持って。
「……しぶといな」
サクヤが、低く呟く。
右手で胸を押さえる。
内側から、まだ何かが軋んでいる。
「消えろ」
踏み出す。
その瞬間。
黒が——跳ねた。
「——っ!」
空間が歪む。
遅れて、衝撃。
サクヤの頬が裂ける。
「まだ……動くか」
血を拭う。
目は、逸らさない。
黒は、笑っていた。
形もないのに。
確かに、嗤っている。
『——終わって、いない』
声が、響く。
頭の中に直接。
リンが、息を呑む。
「……なに、それ……」
サクヤは答えない。
ただ、黒を睨む。
『器が、抗うか』
『だが、それも——』
黒が、膨れ上がる。
『想定内だ』
——来る。
サクヤが、踏み込む。
「黙れ」
拳を振るう。
当たる。
だが、手応えがない。
すり抜ける。
「チッ……!」
次の瞬間。
背後。
「——ぐっ!」
叩きつけられる。
見えない一撃。
地面が砕ける。
「サクヤ!!」
リンの叫び。
だが、サクヤは立つ。
すぐに。
「……効いてる」
息が荒い。
それでも、笑う。
「なら——殺せる」
黒が、ざわめく。
『理解していないな』
声が、低くなる。
『我は——』
一瞬。
世界が、歪む。
視界が切り替わる。
——知らない景色。
崩れた都市。
黒に侵された空。
無数の影。
その中心に——“核”。
『欠片だ』
景色が戻る。
サクヤの目が、細くなる。
「……本体が、いるってか」
黒が、笑う。
『ようやく、辿り着いたな』
『貴様は——鍵だ』
リンが震える。
「鍵……?」
サクヤは、息を吐く。
「関係ねぇな」
一歩、踏み出す。
「ここで終わらせる」
黒が、歪む。
『できると思うか?』
「やる」
即答。
その瞬間。
サクヤの体から、黒が逆流する。
——取り込む。
押さえ込むんじゃない。
喰う。
「……っ!!」
激痛。
だが、止めない。
「全部……まとめて来いよ」
歯を食いしばる。
「逃がさねぇ」
黒が、暴れる。
外へ逃げようとする。
だが。
サクヤが、掴む。
内側で。
「終わりだ」
握り潰す。
——閃光。
音が消える。
次の瞬間。
黒が——消えた。
完全に。
静寂。
風だけが、通り過ぎる。
「……終わった……?」
リンが、呟く。
サクヤは、しばらく動かない。
やがて。
「……ああ」
短く、答える。
だが。
胸を押さえる手が、わずかに震えている。
(……消えてねぇな)
内側に、残る。
微かな“何か”。
完全じゃない。
だが——制御できる。
「サクヤ……!」
リンが駆け寄る。
そのまま、抱きつく。
「よかった……ほんとに……」
サクヤは、一瞬固まって。
それから。
ゆっくりと、手を上げる。
「……悪い」
ぽん、と軽く頭に触れる。
「心配かけた」
リンが泣く。
その向こうで。
「……派手にやったな」
レオの声。
かすれているが、生きている。
「死ぬかと思ったぞ……」
レイも、体を起こす。
血だらけで。
それでも、笑っている。
「……全員、生きてるな」
サクヤが、息を吐く。
肩の力が、少しだけ抜ける。
だが。
空を見上げる。
さっき見た景色が、頭に焼き付いている。
——崩れた世界。
——“核”。
——欠片。
「……終わってねぇ」
小さく、呟く。
誰にも聞こえない声で。
「ここからだ」
風が吹く。
静かな、戦いの終わり。
そして——
新しい“何か”の始まり。
第3章 完




