第16話「境界の向こう側」
――一歩。
サクヤは、“向こう側”へ踏み込んだ。
ドクン。
胸の奥が、激しく脈打つ。
視界が、反転した。
上下も、前後も、意味を失う。
ただ――
“在る”。
それだけが、理解できた。
「……ここが」
声が、遅れて響く。
自分のものなのに、どこか遠い。
背後では。
「サクヤ!!戻れ!!」
レイの叫びが聞こえていた。
だが。
遠い。
届かない。
――いや。
“必要ない”。
今、サクヤの意識は。
完全に“こちら側”にあった。
ゆらり、と。
“それ”が動く。
形はない。
輪郭もない。
なのに、確かにそこにいる。
「……お前か」
自然と、言葉が出た。
答えはない。
だが。
視線だけが、返ってくる。
“見られている”。
理解した瞬間。
ゾワッ――
全身を、悪寒が走る。
恐怖じゃない。
拒絶でもない。
もっと原始的な。
――“格の違い”。
「……っ」
膝が、わずかに揺れる。
だが。
サクヤは、笑った。
「いいな」
ドクン。
鼓動が、さらに速くなる。
「やっと……触れられる」
手を伸ばす。
“それ”に向かって。
瞬間――
世界が、軋んだ。
ギギギ、と。
何かが悲鳴を上げる。
限界を超えている。
それでも。
サクヤは、止まらない。
「サクヤ!!」
現実側。
レイが、飛び込んでいた。
リンの魔法で“手”を押し退けながら。
「引きずり戻す!」
「無理……あれはもう……!」
リンの声が震える。
見えてしまったから。
分かってしまったから。
あれは――
“触れてはいけない領域”。
「でも……!」
レイは止まらない。
刀を振り抜く。
“手”を斬り裂き、道をこじ開ける。
サクヤの元へ――
届かせるために。
その時。
サクヤの指先が、“それ”に触れた。
――ドクン。
鼓動が、止まる。
次の瞬間。
爆発した。
「――ぁ、あああああああああああああああッ!!」
声にならない叫び。
情報が、流れ込む。
意味を持たない“理解”。
世界の“外側”。
存在の“定義”。
観測される前の“在り方”。
「――ッ!!」
脳が焼ける。
視界が白く弾ける。
それでも。
サクヤは、笑っていた。
「……足りない」
掠れた声。
「まだ……足りない……!」
その瞬間。
“それ”が、動いた。
ほんのわずかに。
触れ返した。
――現実。
ドンッ!!
衝撃が爆ぜた。
「っ!!」
レイが吹き飛ぶ。
リンの魔法がかき消される。
空間が、崩れる。
「なに……今の……!」
リンの顔が青ざめる。
違う。
さっきまでの“手”とは。
次元が違う。
「サクヤが……」
見てしまう。
立っている。
その中心に。
だが。
様子が、おかしい。
「……サクヤ?」
呼びかける。
ゆっくりと。
サクヤが、こちらを向いた。
その目は。
――何も映していなかった。
「…………ああ」
ぽつり、と。
声が落ちる。
「そうか」
一歩、踏み出す。
現実側へ。
だがその動きは、どこか歪だ。
「……こっち、だったか」
「やめて」
リンが、後ずさる。
本能が拒絶する。
「それ以上、来ないで」
サクヤは止まらない。
ドクン。
また、脈が打つ。
今度は――外に漏れるように。
空気が、震える。
「サクヤ!!正気に戻れ!!」
レイが叫ぶ。
立ち上がり、刀を構える。
仲間に向けるには重すぎる刃。
それでも。
止めなければならない。
だが。
サクヤは、静かに言った。
「……邪魔だ」
次の瞬間。
レイの身体が、弾かれた。
「がっ……!?」
触れていない。
なのに、吹き飛ばされた。
「……なに、それ……」
リンの声が震える。
理解が追いつかない。
力の質が、違う。
「サクヤ……あなた……」
その言葉は。
最後まで出なかった。
なぜなら。
サクヤが、完全に“別の何か”になりかけていると。
理解してしまったから。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
脈が、響く。
世界に。
現実に。
侵食するように。




