第10話「観測された“俺”は、もう俺じゃない」
――違和感は、いつも些細なところから始まる。
「なあサクヤ、昨日の話なんだけどさ」
レオがそう言った瞬間、胸の奥がざわついた。
「昨日……?」
「ああ。ほら、訓練のあとにさ。リンの魔法のことで――」
そこで、言葉が止まる。
レオの表情が、一瞬だけ固まった。
「……あれ?」
「どうした?」
「いや……なんか、思い出せねぇ」
軽く笑ってごまかしているが、その違和感は俺の中で消えなかった。
――昨日、確かに話していた。
リンの魔法の“ズレ”について。
そして、それを俺だけが気づいていたことも。
なのに。
「レイは覚えてるか?」
「何の話だ?」
あまりにも自然な返答だった。
まるで、最初からそんな出来事は存在しなかったみたいに。
心臓の鼓動が、少しだけ速くなる。
嫌な予感がした。
「……いや、なんでもない」
そう言って話を切ったが、頭の中では疑問が渦巻いていた。
――おかしい。
昨日の記憶は、はっきりしている。
会話の内容も、空気も、全部。
なのに。
“他のやつらだけが忘れている”。
そんなこと、あるのか?
◇
その日の午後。
俺は一人で記録を確認していた。
念のために残していた、自分用のメモ。
昨日の出来事をまとめたはずのページを開く。
――だが。
「……ない」
そこには、何も書かれていなかった。
空白。
昨日、確かに書いたはずの内容が、まるごと消えている。
ページをめくる。
前の日の記録はある。
その前も、その前も。
だが、昨日だけが――
「消えてる……?」
指先が、わずかに震える。
消した覚えはない。
誰かが触った形跡もない。
なのに、“そこだけ”が抜け落ちている。
まるで。
最初から存在しなかったかのように。
「……ふざけるなよ」
思わず、低く呟いた。
胸の奥に、じわじわと広がる感覚。
これは恐怖じゃない。
もっと別の――
理解できない何かに触れてしまったような、不快な感覚。
◇
夕方。
リンとすれ違ったとき、ふと違和感を覚えた。
「……リン」
「ん? どうしたの、サクヤ」
いつも通りの声。
いつも通りの笑顔。
なのに。
「今日、魔法……使ったか?」
「え? 普通に使ったけど……どうして?」
その返答に、少しだけ間があった。
ほんの一瞬。
普通なら気づかない程度のズレ。
だが、今の俺にははっきりとわかる。
――“答えを探した間”だ。
「……いや、なんでもない」
それ以上は踏み込まなかった。
踏み込めば、何かが決定的に壊れる気がした。
リンは不思議そうな顔をしながらも、そのまま去っていく。
その背中を見ながら、確信した。
――ズレている。
この世界は、どこかおかしい。
そして。
その“ズレ”を認識しているのは、俺だけだ。
◇
夜。
一人、部屋で鏡を見ていた。
理由はわからない。
ただ、確認しなければいけない気がした。
鏡に映るのは、いつもの自分。
紫と黒が混じった髪。
見慣れた顔。
何も変わらない。
……はずなのに。
「……」
瞬間。
鏡の中の“俺”が、わずかに遅れて動いた。
「――っ」
思わず息を呑む。
今のは、錯覚か?
目を凝らす。
もう一度、ゆっくりと手を上げる。
鏡の中の自分も、同じように動く。
――今度は、ズレていない。
「……気のせい、か……?」
そう思った、そのとき。
鏡の中の“俺”が。
先に、笑った。
「――は?」
理解が追いつかない。
俺は、笑っていない。
なのに。
鏡の中の“俺”だけが、ゆっくりと口元を歪めていた。
その表情は、見たことがないものだった。
まるで。
――“俺じゃない何か”が、そこにいるみたいに。
「……誰だ、お前」
無意識に、そう呟いていた。
次の瞬間。
鏡の中の“それ”が、口を開く。
『――観測対象、確認』
背筋が凍る。
声は、確かに“俺のもの”だった。
なのに。
感情が、まったく乗っていない。
『ズレを認識。修正対象として記録』
「……っ、何を――」
言葉が、喉で止まる。
体が、動かない。
まるで見えない何かに、押さえつけられているみたいに。
視界が、わずかに歪む。
『お前は――』
一拍、間があった。
その“間”が、やけに長く感じる。
『――観測されている側だ』
その言葉が、頭の奥に突き刺さった。
瞬間。
視界が、ぶつりと途切れる。
◇
――そして。
次に目を開けたとき。
「おいサクヤ、どうした?」
そこには、いつも通りの光景があった。
レオと、レイと、リン。
何も変わらない日常。
「……いや」
ゆっくりと立ち上がる。
鼓動は、落ち着いている。
頭も、はっきりしている。
さっきの出来事も――
「……なんでもない」
そう答えながら。
自分でも気づかないうちに、呟いていた。
「ちゃんと、修正されてる」
その声は。
ほんのわずかにだけ――
“自分のものじゃなかった”。




