第9話「観測の始まり」
――違和感は、消えていなかった。
朝。
いつも通りのはずの景色が、どこか“ズレている”。
サクヤは足を止めた。
通学路。見慣れたはずの道。
けれど――何かがおかしい。
「……なんだよ、これ」
電柱の影が、わずかに歪んでいる。
風は吹いていないのに、揺れていた。
一瞬、視界が“ブレる”。
まるで現実そのものが、瞬きをしたみたいに。
「気のせい……じゃ、ないよな」
胸の奥がざわつく。
昨日の出来事が、頭をよぎる。
“ズレ”。歪み。壊れかけた世界。
そして——
自分だけが、それを見てしまったという事実。
「サクヤ?」
背後から声。
振り返ると、リンが立っていた。
「どうしたの? さっきから止まってるけど」
「いや……ちょっとな」
曖昧に答える。
説明できる気がしなかった。
いや、説明したところで——信じてもらえるかどうか。
リンは少しだけ首をかしげる。
「顔色、悪いよ?」
「そうか?」
「うん。なんか……怖い夢でも見た?」
図星だった。だが、それ以上だ。
夢じゃない。
壊れているのは——現実の方だ。
「大丈夫だって」
軽く笑ってみせる。
その瞬間。
また、“ズレた”。
リンの輪郭が、一瞬だけ揺らぐ。
ノイズのように。
「っ……!」
「え、どうしたの?」
「いや……なんでもない」
違う。
今のは、見間違いなんかじゃない。
人が、あんなふうに“ブレる”はずがない。
視線を逸らす。
見続けるのが、怖かった。
――見てはいけない。
そんな直感が、強く告げてくる。
学校へ向かう足取りが、わずかに重くなる。
周囲の音が遠い。
現実が、薄くなっていく。
まるで世界が、一枚の膜を挟んでいるみたいに。
そして——
それは、校門の前で決定的になる。
「……は?」
そこにいるはずの生徒たち。
だが、その一部が——歪んでいる。
輪郭が曖昧で、存在が不安定。
まるで映像のバグのように。
「なんだよ……これ……」
誰も気づいていない。
普通に笑い、普通に会話している。
——おかしいのは、自分なのか?
そう思った、そのとき。
「違うよ」
すぐ近くで、声がした。
振り向く。
見知らぬ少年が、そこに立っていた。
制服は同じ。だが、見覚えがない。
それどころか——“存在感”が異質だった。
「君はちゃんと見えてる」
少年は静かに微笑む。
「だから、壊れ始めた」
「……は?」
意味がわからない。
だが、その言葉は妙に現実味を帯びていた。
「この世界はね」
少年は続ける。
「観測されて初めて、成立する」
空気が凍る。
「でもさ——」
一歩、近づいてくる。
「観測しちゃいけない“もの”もあるんだよ」
サクヤは息を呑んだ。
少年の目が、こちらを捉える。
その瞬間。
世界が、ひび割れた。
ガラスのように。音もなく、現実が崩れていく。
「ようこそ」
少年は笑う。
「“観測者”の側へ」
――その瞬間。
サクヤの日常は、完全に終わった。




