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答え合わせをいたしましょうか、旦那様  作者: 九葉(くずは)


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第九話 手袋を、外しました

王の前に膝をつくときに、私の十二年は、ようやく、名前を持ったのだと思う。





ロスフィールド伯爵への正式な審問は、王宮の会議室のほうで行われた。


私は、そこには、呼ばれなかった。

正確には、「呼ばなくていいように、あなたの帳面が先に働いてくれる」ように、うまく、差配がされていた。


審問の席に私の姿がないことで、傍聴の貴族たちの目の前に、「これは、捨てられた妻の私怨ではない」という一線が、はっきり引かれる。

セヴェリン様のお指図のなかに、その一線が、きちんと、あった。


ほんとうなら、私は、あの席で、アルベルト様の顔を、もう一度、見ておきたかった、のかもしれない。

でも、見なくてよかった、とも、思う。

見てしまえば、きっと、なにか、別のことを考えてしまう。


今の私は、あの男のことで、これ以上、頭のなかを使いたくなかった。


審問の様子は、翌日の午後に、マダム・コルベールが、ご自分の知り合いの筋から集めてきた話を、ひとつひとつ、私の前で、お茶請け代わりに並べてくださった。





「はじめはね、のらりくらり、だったそうよ」

マダムは、指先で、お茶の器を小さく回しながら、そうおっしゃった。

「土木業者の選定は慣例通り、と言い張っておられたそうなの。当然ね、それしか言いようがないもの」


「それは、そうでございますね」

「でも、途中から、雲行きが変わったの」

「途中から」

「宰相閣下が、机の上に、紙の束をお出しになったのよ」


私は、お茶の器を、そっと、受け皿に置いた。


「あなたの、帳面」

「はい」


マダムは、小さく、頷かれた。


「閣下はね、まず、土木業者の名前をひとつずつ、読み上げられた。それから、その業者が納めた資材の額と、領地の帳簿に載っている額との差を、同じく、ひとつずつ。そして、その差額と、同じ日に、ロスフィールド伯爵が王都のどの宿にお泊まりで、誰と会っておられたか、というところまで、ぜんぶ、言われた」

「……」

「その『誰と』の部分はね、『子爵家のグランフォルト様』と、お名前を、はっきり、出されたらしいわ」


私の手のひらに、ほんの少しだけ、湿ったものが、にじんだ気がした。


「アルベルト様は、そのあたりから、あまり、口をお開きにならなくなったそうなの」


マダムは、そう言って、ご自分の膝の上で、しわくちゃの手を、軽く、重ね直された。


「そして、あとは、あれが出たそうよ」

「あれ、と申しますと」

「血の照合魔法の、しるしね」


私は、息を、小さく、呑んだ。





貴族の養子縁組には、教会の血の照合魔法が、制度上、添えられている。

現実には、ほとんどの縁組で、これは形のうえのものに過ぎない。


ただ、「嘘の親子関係」を結んだ者の手の甲には、ごく薄く、あとから、紋様がひとつ、浮かぶ。

隠すことはできる。化粧で隠す者もいるし、手袋で隠す者もいる。


けれど、消すことは、できない、とされていた。


審問の席で、セヴェリン様は、たしか、とても淡々と、アルベルト様に、こう申し上げたのだそうだ。

「手袋を、お外し願えますでしょうか」

その一言の前後に、余計な言葉は、ひとつも、なかったと、マダムの知り合いの傍聴者は言っていたそうである。


アルベルト様は、しばらく、動かれなかった。

やがて、とても、ゆっくりと、ご自身の手袋を、一枚ずつ、外された。

手の甲には、薄く、しかし、見まがいようのない紋様が、浮かんでいた。

その紋様を、同席の教会の立会人が、ひと目見て、確認の声を上げたのだそうだ。


ただ、それだけ。

法廷の場での出来事は、本当に、それだけ、だったのだという。


怒鳴り声もなく、拳を振るうこともなく、ただ、「手袋を、お外し願えますでしょうか」という一言と、手の甲の薄い紋様だけで、十二年の嘘は、物理的に、成立しなくなった。


「……アルベルト様は、なにか、おっしゃっておられましたか」

「ひとこと、だけ」

「どのような」

「『十二年、見ていたつもりで、見ていなかった』」


マダムは、そう告げてから、そっと、目を伏せられた。


私は、お茶の器を、両手で包んだ。

器の温度が、まだ、ほんの少しだけ、残っていた。

そのことが、なぜだか、ありがたかった。


十二年、見ていたつもりで、見ていなかった。

たしかに、その通りなのだろう、と、私は、思った。

責めるつもりで思っているのではなかった。

ただ、そういう人だったのだ、あの方は、と、後ろからそっと、背中に、手を置いてやるような気持ちで、思った。





アルベルト様の爵位の剥奪、および、ご蟄居の処分は、その同じ週のうちに、正式に、発せられた。

行先は、王都からかなり離れた山間の、静かな修道院だった。


追放ではなく、蟄居。

命は取られず、衣食住は保障される。けれど、社交界に戻ることは、生涯、許されない。

もっとも、たぶん、あの方はもう、戻る気力を、持っていないはずだった。


グランフォルト子爵夫人ヴィオラ様のお名前も、ほとんど同じ時期に、社交界の名簿から、静かに、抜け落ちていった。


子爵家の本家からは、親族会議のあと、領地の植物園の敷地内に、彼女専用の、小さな家が、あてがわれたそうである。

そこから外へは、ほぼ出られないらしい。

ただ、その家には、古い本と、植物の種と、静かな昼下がりがある、と、風の便りに聞いた。

彼女にとって、それは、地獄なのか、救いなのか、私には、判じがたかった。


判じがたいまま、「そうですか」とだけ、胸のなかで呟いて、それ以上、考えないことにした。





それから、しばらくして、私のもとに、王宮からの使いの者が、一通の書状を届けに来た。


封蝋は、陛下直々のものだった。

私は、それを、書き物部屋の、いちばん日当たりのよい窓辺の机で、ゆっくりと開いた。

指先が、ほんの少しだけ、冷たかった。


書状には、こう、記されていた。


『エレノア・カートライト殿。

この度、卿が王都郊外にて営む慈善の家の働きに鑑み、王立の認可を与えるものとする。

併せて、卿を「子を持たぬ母たちの母」として、叙勲いたしたく、当宮への御出席を願うものなり』


私は、その一枚の紙の前で、しばらく、言葉を、失っていた。


「母」という言葉を、私は、一度、自分から、手放したはずだった。

リオンに真実を告げたあの夜、彼を抱きしめながら、自分がもう「お母様」でなくなる日のことを、覚悟したはずだった。


それなのに、今、紙の上で、まったく違う響きの「母」という言葉が、私のほうへ、差し出されていた。

「子を持たぬ母たちの、母」。

ずいぶん、長い肩書きだった。

長い分だけ、人ひとりが担うには、重たかった。


私は、書状を、机の上に、ゆっくりと、置いた。

置いてから、窓の外の若葉を、しばらく、見ていた。


「……承ります」


小さく、自分にだけ聞こえる声で、そう、申し上げた。

その声の相手は、陛下でも、セヴェリン様でも、なかった。

地下書庫の、『あずかりこども帳』のうしろに挟まれていた、あの、祖母の手紙のほうへ、向けた声だった。





叙勲式の朝は、ふしぎなほど、晴れていた。


マダム・コルベールが、前の日から泊まり込みで来てくださって、私の着付けを整えてくださった。

「お化粧は、濃いのは、いけないわ」と、マダムは、しわだらけの指で、そっと、頬紅の刷毛を動かされた。


「今日のあなたは、着飾る日じゃないの。あなたのままの顔で、あそこへ立つ日なのよ」


私は、鏡のなかの自分を、見た。

化粧をした、というほどの化粧ではなかった。

ただ、頬のあたりが、うっすらと、健康そうに、見えた。

まぶたの下の影も、いつもよりは、薄かった。


最近の私は、よく、眠れているのだった。

孤児院の子らの夜泣きで起こされる夜は、いくらでもあるけれど、そのぶん、自分の胸の中に、余計な夜更かしを抱え込むことが、少なくなっていた。





王宮の大広間の、玉座の前に、私は、膝をついた。


陛下は、あまり多くの言葉を、お選びにならなかった。

簡単な経歴と、孤児院の働きについて、短く言及された。

それから、剣の腹を、私の両肩に、ひとつずつ、そっと、触れさせられた。

剣の金属の、ひんやりとした重みが、ドレスの布越しに、はっきりと、肩に伝わった。


「そなたを、『子を持たぬ母たちの母』として、叙する」


陛下の声は、思っていたよりも、やわらかかった。

思っていたよりも、というのは、私がこの国の王陛下を、ずっと、遠いところにおられる厳しい方だと、頭のなかで決めつけていたからだった。


近くで拝聴すると、ふつうの、少し年を召したお父さんのような声、でもあった。

そのことが、私の肩の力を、ほんの少しだけ、抜いてくれた。


「畏れ多くも、拝命いたします」


私は、頭を下げた。

下げた頭の先に、広間の大理石の床が見えていた。

床の模様の継ぎ目のあたりに、ほんの、さっき誰かが歩いた跡の、かすかな足跡の跡があった。

こんなときに、そんなところに目が行くのも、いかにも、私らしかった。





拝命の儀礼を終えて、私が、一歩、玉座の前から退いたとき、広間の空気が、ふっと、ひとつ、揺れた。


列席の貴族たちのあいだから、ひとり、長身の黒い上着の方が、まっすぐに、歩み出てこられた。

宰相閣下、セヴェリン様だった。


広間中の視線が、その動きを、追った。

叙勲の場で、叙勲された者の前に、こうして誰かが進み出てくるということは、本来、予定されている式次第には、ない。

そのことを、並み居る貴族たちは、全員、承知していた。

承知しているからこそ、誰もが、息を、詰めた。


セヴェリン様は、私の三歩ほど手前で、立ち止まられた。


「エレノアさま」


硬い声だった。

いつもよりも、ほんの少しだけ、深い場所から、出されている声だった。


「はい」


私は、顔を上げた。

顔を上げた拍子に、鎖骨の真下のあたりが、きゅっ、と、内側から、締まった。

怖いのではなかった。寒いのでもなかった。

体のあの場所に、そういうしまり方があるのだということを、今日、生まれて初めて、私は教わった気がした。


セヴェリン様は、ご自分の両手に目を落とされた。

いつも通りに、黒い、よい仕立ての手袋を、されていた。

宰相のお立場として、公の場では、手袋を外されない、というのが、この方の、長年の習いだった。


その手袋を、セヴェリン様は、一枚、ゆっくりと、お外しになった。

もう一枚も、同じように、ゆっくりと。

外した手袋を、きちんと揃えて、ご自分のほうの側役の者の手へ、渡された。


広間中の空気が、ぴたりと、凍った。


素手の、白い手のひらを、セヴェリン様は、私のほうへ、まっすぐに、差し出された。


「あなたの、百人のお子たちの父に、──私を、選んでいただけませんでしょうか」


広間の大理石の天井のずっと上のほうで、光の粒が、きらきら、と、鳴った気がした。

気のせいだった。音は、しない。

ただ、私の耳のほうが、その瞬間だけ、とても敏感になっていた。


広間のあちこちで、小さく、貴婦人たちが息を呑む音が、ぱらぱら、と、上がった。

それから、誰かの扇の、ぱしりと開く音。

どこかで、男の貴族の、咳払いに似た、低い唸り声。


私は、セヴェリン様のお顔を、見た。

見て、それから、差し出された、素手のほうを、見た。


素手、だった。

この方は、今、広間中の人の前で、手袋を、外していらした。

それが、どういうことなのかは、誰よりも先に、私の胸のほうが、知っていた。


この方は、たぶん、冷徹、と呼ばれる種類の人として、ずっと、手袋をしてこられた方だった。

誰とも、素手で触れ合わないように。

触れないために、手袋を、ずっと、していらした方だった。

そういうふうに生きてきた理由のことを、私は、まだ、よく、知らない。

知らないけれど、その手袋を、今日、私のために、外してくださったということだけは、分かった。


分かった、と思ったら、私のなかで、何かが、ぜんぶ、いっぺんに、崩れた。

言葉が、出ない。出ない、のに、頭のなかは、やかましい。やかましい。

どうしよう、どうしよう、どうしよう、って、それだけが、ぐるぐる回っている。

十二年、私は、夫に、いちどだって、こんなふうに、言葉が出なくなったことはなかった。なかったのに、今、この広間で、私は、ちゃんとした貴族の奥方の返事を、ひとつも、組み立てられない。

ちがう。組み立てたく、ない。

組み立てて返したら、それは、さっきまでの私の返事のどれかと、同じになってしまう。

この人には、同じ返し方をしては、だめだ。

商家の娘の口も、伯爵夫人の口も、今日は、だめ、だめ、だめ、だめ、

だめなのに、じゃあ、私、今、どの口で、しゃべればいいの。


セヴェリン様の目元に、ふっと、なにか光るものが、浮かんでいた。


涙、だった。


冷徹、と呼ばれるお方の目に、私の代わりに、涙が、にじんでいた。


私は、ゆっくりと、ゆっくりと、微笑んだ。

自分でも、その微笑みが、これまでの十二年のどの微笑みとも、違っているのを、感じた。

作りものでは、なかった。

作りかたを、知らない微笑みだった。


「……お答えする前に」


ようやく、私は、声を出した。

声は、思っていたよりも、穏やかに出た。

どの口で出したのかは、もう、自分でも、わからなかった。


「まず、あなたに、覚えていただきたいことが、ございます」


「なんなりと」

「孤児院の、夜泣きの当番、でございます」


広間の貴族たちの何人かが、一瞬、意味を取り損ねた顔をした。

そのあとで、ひとり、またひとりと、かすかに、息を吐く音が、上がった。

笑ったのではない。

安堵したのでも、ない。

たぶん、彼らの多くは、「そういう返し方があるのか」と、ただ、初めて知ったのだった。


セヴェリン様のお顔の上で、目元のにじみが、もうひとつ分、濃くなった。

それから、いつもの硬い声の、いちばん底のほうから、低い、低い、ひとこと、だけ、答えが返ってきた。


「光栄でございます」


私は、差し出されていた素手のほうへ、自分の手を、そっと、伸ばした。

伸ばした自分の手のほうが、先に、ほんの少し、震えていた。


ふたつの手のひらが、重なった。

素手と、素手、だった。

あたたかかった。

あたたかい、という言葉をこれほど、まっすぐに、心のなかで使ったのは、たぶん、私の人生で、初めてだった。

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― 新着の感想 ―
一点しっくり来なかったのですが、『子を持たぬ母たちの母』だと母親を保護したり子を成せなかった母親達の母親のようなニュアンスで捉えてしまったのですが、合ってますでしょうか? 『母を持たぬ子たちの母』かと…
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