第八話 リリアーナ王妃
リリアーナ・ハルス・オブ・フロストハイム様は、執務机に積まれた書類に目を通していました。
貴族からの請願、官僚からの報告、後宮に関する裁可。
一つ一つは小さくとも、すべてを1人で処理しなければならず、判断を誤れば国を揺るがしかねない案件ばかり。
そんな書類をスピーディーに処理していくリリアーナ様は、疲れを微塵も見せず、淡々と署名を重ねていきます。
その姿を、執務室の一角で静かに待つ私は、いつも通りに紅茶を注ぎます。
長年の経験によって培われた技術は、いつも通りに完璧な1杯を入れました。
そして、リリアーナ様の様子を伺って、最適なタイミングでティーカップを書類と書類の合間に差し出します。
そのティーカップを無意識で受け取ったリリアーナ様は、軽く匂いを堪能した後、唇を潤しました。
いつも通りの、日常。これが王妃としての変わらぬ姿。
「……そう言えば、ヘルルト。ユリウスの様子を見に行ったそうですね。どうでしたか?」
リリアーナ様は書類に目を落としながらも、軽い雑談を私へと振りました。
しかし、その答えに私は数秒詰まってしまう。
「……問題はありませんでした。どうやら猫が書斎を住処にしていたようです」
「そうでしたか。それで……ユリウスは元気そうでしたか?」
リリアーナ様は声を詰まらせながらも、そんな質問を投げてきました。
親として、母として、息子に顔合わせすらできないのが、お辛いのでしょう。
「はい。立派に成長なさっております」
「……母として、息子の成長を見れないのは…悲しいですね」
「今は辛抱の時でございます。オルフェリア王国の情勢が安定すれば、東方の貴族たちも手を出せないでしょう。現状収束しつつありますが……」
「はぁ、そうなのよね。父上も奔走しているみたいですけど……もう数年はかかるでしょうね」
オルフェリア王国。
フロストハイム王国からアウレリオス大河を挟んで西側にある国です。
リリアーナ様は、そこの第二王女として生を受け、政略の一環としてフロストハイム王国へと嫁いで来られたのです。
「……レオニダス殿下が帰ってくる前に、情勢が安定すれば良いのですが」
私の言葉に、リリアーナ様は小さく頷かれます。
「ええ、そうね。でも、レオニダスが帰ってくる頃には、ドレイク王子が帝国に行くわ。そうなれば、東側の貴族も大人しくなるでしょう。それまでの辛抱……ね」
そこまで口にしたリリアーナ様は、静かに窓の外を見上げました。
もうすぐ冬が到来するフロストハイム王国の空は、嫌な程に満天の青空でした。
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私は、旧侍従区画の廊下を1人で歩いていました。
リリアーナ様には、『問題はありません』と嘘をついてしまいましたが、リリアーナ様とユリウス殿下をお守りするには必要なことでした。
「……」
私は、あの時のユリウス殿下の瞳。あれを忘れられません。
リリアーナ様とよく似た意志の強い青い瞳。
しかし、そこに強い理性を感じたのです。
きっと、あれは英雄と呼ばれる類の片鱗なのでしょう。
もしも、そうであるならば、私が全力でお守りするのと同時に、成長を妨げてはなりません。
ユリウス殿下が伸び伸びと成長できる環境を作るのが、今私にできる精一杯の事でございます。




