第七話 ヘルルト
私が生まれてから10カ月が過ぎた。
初めて部屋を脱走してから体が成長し、ハイハイ歩きから立ち上がって歩くことが出来る程までになった。
そして、魔力の方も成長した。
どうやら体の成長に合わせて魔力が安定していくようで、安定感が抜群に増したのだ。
さらに、魔力の操作が少し出来るようになり、今ではお腹あたりならば、自由自在に動かせる。
未だ、あの時の肉体強化のような事は出来ないが、十分な成長と言えよう。
他にも魔力に関して分かった事もある。
どうやら、魔力は使えば使う程、魔力総量が成長するようだ。
あのお腹が暖かく感じる魔力は、魔力の放出に付随するモノであるらしい。
湯たんぽ代わりにしていた熱をどこまで上げれるのかと言う実験をしてみたところ、私は魔力切れになったようで、気絶した。
さらに、もう一度実験してみたところ、ほんの少しだけ長く続いたように思えたのだ。
そこで、複数回の実験を行ってみたところ、魔力は使えば使う程、魔力総量が成長するようだ。
その事実に気が付いてからは、積極的に魔力を使っている。
身体的、魔力的に成長した2カ月だったが、知識の方も成長を遂げた。
この2か月ほどは夜中に抜け出しており、書斎で本を読みながら言語の学習をしていた。
そのおかげもあり、簡単な言語ならば完全に意味と発音、文字すらも読めるようになったのだ。
だけども、まだ小学生の英語並みにしか分からないのだが……。
それはさておきとして、この2か月は非常に成長したと言える。
そんな私が、今日も日課の書斎へと出かける為に、寝台から体を起こした。
体を精一杯使い、把手を乗り越えた私は、いつも通りに蝶番が鳴るドアを開けて書斎へ向かおうとしたのだが……瞬間的に体が宙に浮き、四肢がぶらりと宙を掴む。
理解するよりも早く、背中に回された手が、私の体を確かに支えていた。
柔らかくもないが、乱暴でもない。それは、慣れた手つきだ。
しかし、今はそんなことは、どうでもいい。
バレた事。それ自体に反射的に声を上げそうになるが、喉が動かない。
人間、驚きすぎると、体が固まってしまうらしい。
そんな事を理性で考えていても、体は依然として動かない。
私が完全に固まっている事など、どうでも良いと言わんばかりに、私を持ち上げた見知らぬ人は、私を寝台へと寝かせた。
そして、私が仰向けに寝かされるのと同時に、初めて私を捕まえた人物の顔が見える。
そこに居たのは、侍女……では無く、男だった。
年齢は50代ほどだろうか?白髪交じりの黒髪をオールバックになでつけ、服は黒で統一されたスーツを着ている。
私の体の上にそっと毛布を掛けてくれた手には、純白の手袋が覆っており、老紳士と言った風情だ。
そして私は、この人物を知っている。過去に数回、見た事がある。
この人物は母らしき人の傍にいた執事だ。
でも、なぜこの人物がここに居る?
母は、2カ月に1回か、それ以下のペースでしか顔を出さない。
私の事が本当に嫌いならば、顔すら見せないだろう。
だからこそ、母には会えない理由があるのは推測が出来る。
まあ、それは良い。
現状、母が居るようには思えない。
なのにも関わらず、なぜこの執事が居る?
様子を見に来た?
そんな事はありえないだろう。
私が生まれてから一度として、執事だけで私の所に来たことは無い。
で、あるならば、他に理由があるハズだ。
私は脳をフル回転させて、状況を判断しようとしていた。
だが、それは赤ちゃんにしては異質だった事だろう。
後にして思えば、泣かない、暴れない。
さらには、状況を理解しようとするような視線。
それは、明らかに異質すぎるものだった。
もしもこれが侍女たちならば騙せていたかもしれない。
だが、私を見下ろしてくる執事は、見逃してはくれないだろう。
「……」
執事は何も言わない。
だが、その鋭い目線は私の足元を見た後、開いた扉、そして奥の書斎の方へと向けられた。
その一連の動きで、私が抜け出して書斎に行っている事を、完全に気が付いている事が分かってしまった。
そこまで分かられているのならば、変な誤魔化しなど無意味だ。いや、逆効果ですらある。
だからこそ、私は執事の様子だけを静かに伺った。
「……そうですか」
執事が低く発した声。
そこには、怒気も、困惑も、驚愕すらない。ただ平坦に事実だけを口にした声だった。
そして、私は内心で、静かに歯噛みするしかない。
やはり、いつかはこうなると分かっていた。
魔力も、知識も、身体能力も、積み重ねてきたものは、確かに私を強くした。
だが、所詮は赤子だ。
見つかれば、終わり。
きっと、また退屈な日常に戻るのだろう。
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ヘルルト・クロイツは、しっかりと閉めた扉の前で静かに息を吐きました。
前々から大人しすぎる子だとは報告を受けていました。
ですが、僅か生後10カ月の子供にしては頭が良すぎます。
いや、ずっと前から違和感はありました。
リアーナ様とご一緒した時、ユリウス殿下はコチラを静かに観察しているだけでした。
それは、赤子にしてはあまりに冷静過ぎると感じたのは、勘違いでは無かったようです。
最近は周囲の動きが怪しく、中々ユリウス殿下に会えませんでした。
だからこそ、最近書斎に不審な跡があると警備の者から聞いて、来てみたのですが……私が思っていたのとは少し違ったようです。
まさか、ユリウス殿下が犯人だったとは、夢にも思っていませんでした。
しかし、どうしたものでしょうか。この事をリリアーナ様に伝えても良いモノなのでしょうか?
長年生きてきた私だが、こんな事は初めての事でどうして良いのか分かりません。
「……いや、リリアーナ様に隠し事などできませんな。どちらにせよ、夜の見張りを怠っていた侍女を罰せなければなりません」
私は、廊下に誰もいないことを確認してから、ゆっくりと歩き出します。
伝えるとしても、ユリウス殿下が不利になってしまってはいけません。
ユリウス殿下はリリアーナ様の第二子であらせられる。
だからこそ、順序を誤ってはならない。
王宮という場所では、事実そのものよりも『どこから、どう伝わるか』が重要なのです。
とりわけ今は、王妃派と側室派の緊張が限界に近い。
ここでユリウス殿下の異質性と言う爆弾を落とした場合、後宮内がどうなるのかは、私にも予想がつきません。
最悪の場合、その他にまで飛び火、なんて事を考えれば……いや、これ以上は考えても無駄です。
「今少しは、ユリウス殿下の事をリリアーナ様にも黙っておかねばなりませんね。どこから情報が洩れるか分かりません」
リリアーナ様は、自分の子でありながら、母としてではなく、王妃として『存在感の薄い王子』と言う立場を作られました。
その立場こそが、ユリウス殿下を守っていたのですが……これは……。
「もう少し……もう少しユリウス殿下が成長なさるまでは、リリアーナ様との面会も控える必要がありますな」
リリアーナ様をなだめるのは大変でしょうが……私がやるしかありません。




