強制抱き枕
一体どうしてこうなった。
ユッカの頭の中ではそんな疑問が渦巻いていた。
スクランブル交差点もかくやとばかりに混雑していた道でディオスたちとはぐれて。
どうにか来た道を引き返して探そうとしたものの、気付けば全然違う方向へ流されてしまっていた。
通学ラッシュで人ごみに慣れていないわけではないけれど、あれは目的地がハッキリしている分ぶつからないよう回避するのもまだ予想できる。しかしここではそうじゃなかった。
皆が皆行きたい方へ足を向けるせいで、どっちに避ければいいのかの判断が常々求められるのである。
シューティングゲームの弾幕を避けるやつだってある程度法則性があるというのに、生憎ここにそんな法則性はなかった。むしろ毎回ランダムで弾幕が飛び交うようなもので、さっき回避できたパターンと同じように躱そうとしたら直撃しかねない。また周囲の人も急いでいる場合だと結構な勢いでぶつかりそうになるので、それを避けるだけでユッカ的には精一杯だった。
そんな中でロゼの耳がディオスかフォリスの声を捉えたらしく、あっちにいる、と言い出しはしたものの。
あっちってどっち!? と人に囲まれた状態のユッカにしてみればさっぱりだったのだ。背の高い人が近くにいるせいであっちと言われましても……という気にしかならない。
すいません通してくださーい、なんて言って通り抜けようにも、そもそも周囲は人がごった返しているので避けてほしい人が的確に避けてくれるはずもなく。むしろ人身事故を誘発しそうな勢いすらあった。
ロゼもその状況にはすぐさま気付いた。
気付いた上で、少し離れた場所のあまり人がいないところへ誘導して、ここで待ってて、と言ってすぐさまユッカの肩からするりと下りて走っていってしまった。
ユッカとしても、ロゼなら上手い事やればすり抜けて行けるだろうと思ったから置いていかれたとは思わなかった。ユッカが立ち止まって待つ事になったのは、誰かの家の前だろうか。確かにここはあまり人が押し寄せてはこないけれど、しかしこの家の人にしてみれば不審者が家の前に……! という状況にならないかとユッカとしては少しばかり気まずい。
早くロゼが戻ってきてくれないかなぁ……なんて思いながらも、ディオスやフォリスの姿を探す。背が高い男性二人だ。近くにくれば見つかるはずである。
ところがそうあっさりと戻ってこれるようなら、そもそもユッカだって移動に苦労はしていなかった。
多分これはもうちょっと時間がかかりますねぇ……なんて訳知り顔で頷いて、ユッカは一先ず家の真正面からちょっとずれた位置に移動する事にした。移動したとはいっても、数歩分だけだ。戻ってきたロゼが見失うような事はない。
そうやって少し場所をずれたからだろうか。向かい側の家の近くに誰かがいるのが見えた。
その家の人だろうか、と思ったので一度は視線を外した。じっと見ているのも失礼だろうと思ったから。
だがしかしその家の正面というわけでもなく、どちらかと言えば裏。塀があるわけでもないためにどこまでがあの家の敷地内かを判別するのは難しいが、それでもギリ敷地と呼んで差し支えない所。木が植えられていて、木と木の枝を繋ぐように紐が括られていた。
洗濯物を干すのに使ってたりするのかな……?
なんてぼんやりと思ったが今しがた見えた誰かが洗濯物を干すためにそこにいるわけではないと悟る。
むしろ木に背を預けるようにしているので、もしかして寝てるんだろうか……? と考え直した。
いやでも、家の中で寝た方が安全なのでは……?
考えが浮かんでは即座にその考えを訂正するような事が浮かぶ。
もしかして体調不良で倒れてしまったのでは……? なんて最悪の想像が浮かぶのも時間の問題で、その考えが浮かんだ時点でユッカはおそるおそるそちらに近づいていた。
何事もなければそれでいい。
だがもし、今しがたしてしまった最悪の想像のように倒れていて早く対処しなければならない場合。助けるのがあとちょっと早ければ……みたいな展開を想像してしまえば、躊躇っている場合でもない。
そろりそろりと近づいてみると、うめき声のような声が聞こえた。
やっぱり具合が悪いのでは!?
「あの、大丈夫ですか……?」
だからユッカは学校で習った応急手当のやり方などを思い出しながら声をかけた。
こういう時身体を揺するのは頭の方に衝撃がいくかもしれないからやってはいけない、というのをかろうじて思い出したので直前でその行動はとらずに済んだ。
木に背中を預けるようにしていたその人はユッカにも少ししか見えていなかったが、回り込むように移動した事でしっかりと視認する。
赤い髪に黒い猫耳が生えている青年である。
目は閉じられているが、その目の下にはびっくりするくらい濃い隈が存在していた。
化粧でもしてそこにべったりと塗りたくりました、と言われた方が納得できるくらいの色合いである。いや、むしろ化粧というか墨を塗ったと言われても通用するくらいに酷い。
髪の毛の色は赤いけれど、耳と尻尾の色とそれから着ている服が黒いせいで黒猫みが凄かった。
時折魘されている様子で、これはこのままにしておくのも良くなさそうだ……と判断してユッカは一度彼を起こそうと試みた。
眠りを邪魔するのはよくないかもしれないが、こんな場所で寝て安眠できるとはとても思えない。場所を移動して落ち着いて眠れる場所で寝なおした方が絶対にマシだ。
そう思って更に距離を詰めていく。
「もしもーし、こんなところで寝ても疲れ取れないと思いますよー」
大声で起こすのも躊躇うので、小声で声をかける。猫耳がぴくりと反応しているので聞こえてはいるはずだ。
「助けが必要そうなら誰か呼んできましょうか?」
うぅ、とその声にうめき声が返ってくる。
誰か呼ぶにしても、ロゼが戻って来てからかなとか、医者を呼ぶにしてもまずこの町の事詳しくないからどうしたものかなとか、色々な事を思い浮かべるも熱があるかどうかくらいは確認した方がいいだろうかと思い直してそっと手を伸ばす。
その手が額に触れる直前――
「わ」
がしっと手が掴まれた。
そしてそのままぐいっと力強く引き寄せられ、ユッカはあれよあれよという間に抱きしめられてしまう。
「えっ、ちょっ!? まっ!? 起きろ起きろ寝惚けるんじゃないこのままだと私不審者じゃん!」
さっきまでは多少なりとも大声で起こすわけにもいかないし、と思っていたが形振り構っていられなくなった。もう片方の手でぺしぺしと青年の身体を叩き、はよ起きろとばかりに声を上げる。
思い切り叩く事も躊躇したので、あくまでも起こすためで身体的なダメージを負わせようという力までは出していない。ちょっと強めに揺り起こす程度の力加減だ。
その衝撃が青年の方にも伝わったのか、しっかりと閉じられていた目がゆっくりと開いていく。
髪と同じ赤い色の目がユッカを捉えた。
そこで見知らぬ誰かが至近距離にいる、となって起きてくれればよかったのだが。
「……ぐぅ」
「起・き・ろ寝なおすんじゃない!」
再び瞼が閉じていくのを見て、ユッカは先程よりも更に力を込めてあいている方の手で青年の身体を揺さぶった。怪我をしているかもしれないだとか、そういう雰囲気ではなかったのでちょっと強めに揺すったところで問題ないだろうと判断したのもある。
結果としてその衝撃が再度青年を覚醒に導いたようで、再び目が開く。
「…………」
「あのすいません、具合が悪いのかと思って声をかけただけなんで離してもらえませんかね」
至近距離で見つめてくる青年に、ユッカとしてはどうにも居た堪れないものを感じる。
悪気があるとか、そういう事はない。寝ている間に物を盗んでやろうとか、そういう風にも考えてすらいなかった。
けれども青年からすれば起きたら見知らぬ女が超絶至近距離にいるのだ。不審者を疑っても仕方のない事ではある。そうしたのは誰だよとなると青年なのだが。
じっと見つめて、少しして一度だけ瞬きをする。
その間もユッカの拘束が解かれる事はなかった。それどころか。
「えっ」
青年はユッカも驚きな速度でユッカを抱えなおすとすっくと立ちあがったのである。
「俺の……枕!」
「違いますけど!?」
そうしてなんだかとても素敵な贈り物をされたみたいな浮ついた声で叫んで、そのまま駆け出してしまった。
「あっ、ちょっと、どこ行く……あーっ、困りますお客様あーっ、私には待ち合わせをしている人がー」
どうにか止まってもらっておろしてもらおうと思っていたのに、青年は速度をどんどん上げて――人通りの多い道を行くどころかぽーんと跳躍して木の枝から家の屋根、と人の通らない場所をびゅんびゅん移動するものだから、ユッカは助けを周囲に求めるべく大声を出すべきだとはわかっていても、怖くて声にならなかった。護りの魔法があると聞いていても、だからといって高所から落とされるのは避けたい。それ故に叫べたのは木の上に飛び乗った直後までだ。
それにぽんぽん跳ぶせいで下手に口を開くと舌を噛みそうなのも声を出せない原因だった。
青年はこの町において、それなりに信頼の置かれる人物であった。
だからこそ、ユッカを連れ去っていっても目撃した者はそれを特に騒ぎにしなかったのだ。
だがそんな事を知らないユッカからすれば、突然の連れ去り事件である。
ひぇぇ、と情けない声を喉の奥から漏らしつつ舌を噛まないように注意して。
そうこうしているうちに、あっという間に町の近くに見えた城まで連れ去られてしまった。
そうして引きずり込まれた先でユッカはというと。
すぴょすぴょと健やかな寝息を立てて寝ている青年の抱き枕となっていたのである。
若い女を連れ込んで良からぬ事を……みたいな展開になっていないだけマシかもしれないが、だからといってこの状況を受け入れろと言われるのも難しい話。
城には他に人の姿が見えるでもなく、気配も感じ取れない。元々ユッカはそういった気配を察知する事に長けているわけでもないが、人がいるならもうちょっと生活音らしきものがしたっていいはずだ。
けれども無人だと言われた方がしっくりくるくらい、城は静かで。
馬鹿みたいに大きなベッドの真ん中を陣取って、ユッカは青年に抱き枕にされている。
にゃむにゃむ言い出したなこの人……と最早思考が現実逃避をするべくどうでもいい方向に向いているのも感じていた。
ついでにどうにか抜け出せないだろうかともぞもぞと動いてみたものの、結果としてがっしりとホールドされてしまった。もう駄目だ。抜け出せない。
(JKを勝手に抱き枕にするとかおまわりさんこの人です!)
そう叫べば良かったのかもしれない。
だが、思った以上に力強く抱きしめられているせいでそれも難しかった。
今現在呼吸をするくらいならどうにかなっているけれど、声を出したり身じろぎしようとするとこれまたむぎゅっと力強く抱きしめてくるからだ。
この状況の中良い事を無理にでも述べろというのなら。
単純に抱き枕にされているだけで卑猥な事をされているわけではない、という事くらいだろうか。
少なくとも現状貞操の危機はない。流石のユッカも貞操観念が死んではいないので、出会ったその日に名前も知らん男とワンナイトするような事は避けたかった。いくら相手がイケメンであろうとも、だ。
だがこの状況を良い事かと問われれば答えは勿論、否、である。
どうしたものかなぁ、ロゼ心配してるよなぁ……と思いながらも脱出もできず、挙句の果てには日が沈んだ事もあって室内はすっかり完全な暗闇である。
かといって見知らぬ青年と一緒になって寝る気もない。
なのでユッカはそろそろと手を伸ばして。
眠っている青年の猫耳の付け根部分を遠慮なく揉みしだく事にした。この刺激であわよくば起きてくれないだろうかという試みと、ついでにリアル猫耳が気になりすぎて触ってしまえというクソ度胸が融合した結果である。
ちなみに青年がその刺激によって目覚める事はなく、むしろ寝息がより健やかになっただけだった。




