手も足も出ない
一体全体どうなっているというんだい!?
何もわからない――いや、一応目の前で起きた事の何もかもがわからないわけではないのだ。
ただ理解が追い付かないだけで。
ディオスが倒したルシュカの死体が動いて、そしてさっきまでいた本体ではないドロシーが溶けて。
ルシュカの死体の形が変わって、溶けたドロシーがその表面を覆い尽くして。
傷一つない姿に、それも成長したらしき姿になったルシュカが今二人の前にいて、武器を手に攻撃を仕掛けてきている。
ディオスは回避するので攻撃は任せた、と言った。
ロゼがディオスの肩に乗っているのでそう言ったにしても、だったらロゼが肩から下りて互いに攻撃を仕掛ければ良いのでは……とも思ったのだ。
しかしルシュカ――と呼ぶべきなのかもわからないが――の動きはロゼの目をもってしても速すぎた。
下手に肩から下りて攻撃と回避や防御を同時にこなせとなるととてもじゃないが無事ではいられなさそうだ。
回避しながら攻撃をするにしても、その瞬間僅かに意識が攻撃に向けば回避が疎かになりかねない。
ディオスはそんなルシュカの攻撃を常にギリギリの状態で避けているのだ。まさに紙一重。
それにもしロゼが肩から下りて攻撃に参加したとして。
ディオスを巻き込まずに攻撃できるか、となると正直とても自信がなかった。
恐らくそれはディオスも同じなのかもしれない。
ディオスがロゼを、ロゼがディオスを巻き込む攻撃を仕掛けた場合、状況は一瞬でこちら側の不利へ傾く。
不利、で済めばいいが敗北というものが訪れるかもしれないのだ。
ロゼもあえてディオスから下りて攻撃と回避とディオスを巻き込まないように……なんてあれこれ考えて行動するよりも、確かにディオスの言うようにこのまま攻撃に専念した方がマシな気がした。
気がした、とは言うもののそれも簡単な話ではないのだが。
なにせこのルシュカ、先程までのディオスによってあっさりやられた時と違い、隙がない。
最初に出会った時や一階で待ち構えていた時はまだ話をする余裕もあったし、同時に不意打ちをする隙も存在していた。
しかし今の彼女にはそんなものがない。ディオスがちょっとでも動きを止めれば一瞬で致命傷を負うかもしれない……というあまりよろしくない雰囲気すら漂っているくらいだ。
ロゼが魔法を至近距離で放っても、マトモに命中しないのである。
いや、命中してはいるのだ。いるのだが、これだけ至近距離で命中した場合一撃でかなりのダメージになるはずなのに、しかしそうならない。なっていない。
ルシュカは手にした武器で器用にロゼの魔法を弾き、逸らしている。そうしてほんの少し掠る事もあるけれど、その程度の傷は致命傷には至らない。
痛みなど知らないとばかりに強気に踏み込んでくるルシュカの攻撃はそのどれもに躊躇いもない。
ディオスが連続して回避し続けているが、回避の仕方によってはディオスの肩にいるロゼすら危うくなっていただろう。
それを踏まえた上で、ロゼに危険がこないように回避しているのだ。
荒事は苦手だって言ってたじゃないか。
そんな風に言ってやりたい気持ちはあった。
だが今言うべき事はそれではない。
そんな事を言っている暇があるのなら、少しでも早く攻撃を叩き込んでルシュカの動きを止めなければならないのだ。
今のルシュカはとてもそうは見えないが、それでも既に死んでいる身体なのだ。
多少の傷をつけたところで怯んだりもしないし、向こうも死ぬかもしれない……なんて恐怖を抱いたりはしていないようなので、ディオスの体力次第で時間が経過すればするだけこちらが不利になる。
圧縮して威力を高めた光弾を放っても素晴らしい反応速度でもって弾かれる。いくつかは掠ったようでも、既に死んでいる身であるからして、痛みに呻くだとか、動きが鈍るという事もない。
死体であるのならいっそ燃やしてしまえと思ったものの、至近距離すぎて燃やした場合そのままディオスに抱き着きでもしようものならディオスをも巻き込みかねない。
対象だけを燃やす魔法がないわけじゃない。ロゼだって普段は周囲に被害が出ないようそういった魔法を使っている。
しかし同じく魔法が扱える相手にそれをやった場合、その魔法に更に自身の魔力を纏わせて周囲へ被害を及ぼす事もある。
ルシュカが魔法の使えない存在であるのなら、ロゼが燃やしたところでディオスに飛び火しないとは思うけれど、ルシュカはこの地区で魔女呼ばわりをされているような相手だ。であれば周囲に被害を及ぼせそうな魔法であれば、躊躇う事もなくこちらを巻き込もうとするだろう。
いっそ弾き飛ばしたりできないくらい沢山の魔法でもって攻撃を仕掛ければいいのではないか。
そう思いはするものの、それに紛れてルシュカが魔法を使ってこちらに仕掛けてきた場合、ディオスが攻撃を回避し損ねるかもしれなかった。
ロゼの放った魔法だと思っていたらそれが突然動きを変えてディオスへ――なんて事になるかもしれないのだ。
大量の攻撃魔法は最悪目くらましになってしまう。
ディオスに極力被害が及ばないように、それでいてルシュカに攻撃を叩き込まなければならない。
単純ではあるけれど、ルシュカの身体能力が凄まじすぎて現状それだけの事が中々できなかった。
それでもできないなんて泣き言を言える状況で無い事もロゼは理解している。
だからひたすら手を変え品を変えるように思いつく限りの魔法をぶちかましている。
そうしてそのうちの一つの魔法が――
ルシュカの片腕を切り落とした。
これで目で追うのもやっとな攻撃も片手だけになるから、多少はどうにか――
ロゼが内心そんな風に思った矢先だった。
ルシュカの背中が突如盛り上がる。そしてそこから更に腕が生えてきたのだ。
「嘘だろぉ!?」
そう叫ぶのも無理はなかった。
しかも次の瞬間には切り落としたはずの腕が再生してルシュカは腕が四本になっているのだ。更にその手にはいずれも武器が握られている。
「くっ……」
「ディオス!?」
「問題ありません。ただ、本当に回避に専念するだけでやっとなので攻撃に手を回す事が難しく……」
「そうだよねぇ!?」
ディオスだってルシュカの腕が倍になるなんて思っていなかっただろう。
そのせいで武器の一つがディオスの頬を掠め、そこから一筋の血が流れている。
(あぁぁあぁ、どうしよう、どうしたら攻撃が通るんだ。
いや、それ以前にディオスに障壁も展開しておく? いやでもそうなると攻撃に回す手数が減るし……でもこのままだとジリ貧になるし……あぁもう!)
ごちゃごちゃ考えるよりもとにかく攻撃だ! とばかりにロゼは魔法を発動させた。
片腕を切り落とせた魔法を複数同時に発動させ、いっそ腕も足も全部切り落とす事ができれば……! という気持ちだった。そう簡単に行くはずがないとわかっていても、それでも可能性が少しでもあるのなら……と思ったのだ。
だが。
ギンッ、という重く鈍い音がして、ルシュカの身体に魔法が確かに命中したはずなのに彼女は無傷のまま。
柔く見えるはずの肌は、しかし切り裂かれる事もないまま魔法を受け止めた。
「強化されてるじゃないか!?」
「そりゃそうよ。じゃなきゃすぐに壊れちゃうでしょ」
ロゼの叫びにそう返したのはルシュカである。
しかし口調は先程のドロシーのものだろうか。
本体ではない、と言われていた身体が溶けて表面を覆った結果であるのなら、ルシュカの身体を元に彼女が新たに作り替えた、とみるべきか。
そこはもうどうでもよかった。そこを考えたところで現状を打破できるとは思えなかったし、考える時間的な余裕はない。
それよりも優先すべきは、どうやってこの状況を乗り越えるかである。
単純に腕が増えたのもあって、先程以上に攻撃の回数も速度も増したせいかディオスも回避するだけで精一杯の様子だ。それでもなお、ロゼの方に攻撃がこないようにしてくれている。そのせいでかすり傷が増えているのだが。
(うぅ、早いとこどうにかしないと……でも速すぎて魔法の発動タイミング次第では弾かれるし回避されるし、命中できる気がしないんだよなぁ……)
当てない事にはどうにもならないのだが、その段階で躓いている状況だ。
向こうのようにこちらも手数を増やす、なんて単純な話ではない。命中して効果のあった魔法は次には相手に耐性ができるようで、中途半端に当てても意味がないどころか、こちらの不利にしかならない。
決めるのならば一撃で。だがその一撃がどうにもならない。
詰んでいる。
そんな結論に辿り着いても、諦めるわけにもいかない。
状況は刻一刻とこちらにとって不利に傾きつつあるせいで、落ち着いて考える余裕すらない。
それが焦りを生み、余計に次の行動が上手くいかない。
(なんとかしなきゃ……なんとか……!)
魔物と戦った事がないわけじゃない。これはその延長だ。
そう思って、まずは相手の動きを止めようと試みる。威力のある魔法を一撃でぶちかまして決める前の、準備段階である。
だがそう思って実行した魔法は、確かにルシュカの身体を拘束するに至ったが力尽くで解除された。
「嘘だろぉ!? 魔法で解除ならまだしも力尽くはないよ!」
思わず叫ぶのも無理はなかった。
魔法で解除されたならまだしも、魔法ですらなかったのだ。
見た目はともかく中身は完全に怪物と言っていいだろう。
そんなに弱い魔法を使ったわけでもないというのにこれだ。そりゃあ化け物だの怪物だのと言いたくもなる。
動きを止めるのも駄目、一撃で仕留めるのも難しい。
この状況をどうにかできそうな魔法が思いつかない。
もしかしたらどうにかできる魔法があるかもしれないし、それをロゼが使えるかもしれないが、この魔法なら、というのが思いつかないままだ。
(うぅ、一体どうしたら……お母様ならこんな時きっとあっさりと解決しちゃうに違いないのに……!)
やはり、フラワリー地区にこもってばかりいないでもっと外に出て色々経験を積むべきだったのかもしれない。
だが母を待つ事を選んだのは他でもない自分自身だ。己の経験不足を嘆いたところで事態が解決するでもない。
「ディオス、ごめん。ボクじゃどうにもできそうにないよ……」
「そうですか。それは困りましたね」
これ以上下手に魔法をぶつけて相手の耐性を強くするだけなら、余計な攻撃を仕掛けずどうにかできそうな方法を考え、その上でそれを実行できそうな状況が来るまで待つ方がマシに思えてきた。
「ねぇディオス、今ならまだ間に合うわ。こっちにいらっしゃい」
「お断りします」
ルシュカ……いや、ドロシーが勝利を確信したからか、改めてディオスに誘いをかける。
「どうして? そうしたらここで戦う意味がなくなるのに?」
「意味はあります。むしろ戦わなくていいなんて事になるわけがない」
「えぇ……? そうかしら? 少なくとも助かるのよ? 貴方だけは」
「救いに対する感覚の違いですかね。何をもってして助かるなんて言っているのか理解に苦しむ」
ドロシーがディオスに話しかけ、ディオスもそれを無視する事なく言葉を返す。
それを聞いて、ロゼはディオスが時間を稼いでいると判断した。
攻撃の手は多少緩んでいる……ような気がする。
それなら、今、なんとかして相手の不意を突くための魔法を――
そう考えた瞬間、ルシュカの四本ある腕のうちの一つがロゼに狙いをつけて武器を繰り出す。
ディオスはそれを回避しようとしたものの、ギリギリで回避しきれそうにない。
だから咄嗟にロゼはディオスの肩から飛び降りた。
そうすればディオスは攻撃を回避しきれるし、ロゼも少なくともこの一撃に関してはなんとかなる。
油断していたわけではない。
相手が今のロゼにとって簡単に倒せるような相手ではないのだから、油断などするはずなどなかったのだ。
しかしルシュカはずっと手にした武器でもって攻撃を仕掛けてきていたから。
飛び降りて、地面に着地した直後のロゼが蹴り飛ばされる事になるなんてロゼ自身、予想すらしていなかった。
ルシュカの身体は無理な動き方をして、本当ならロゼを蹴り飛ばすのは難しかった。実際にちゃんとした生身の人であるのなら、その状態でロゼを蹴飛ばそうだなんてしたならバランスを崩しそのまま地面に転倒していたかもしれない。間接がおかしな音を立てて、本来曲がらない方向に曲がり、その上でロゼを蹴った。
「ぐぅっ……!?」
思った以上の重たい一撃にロゼは内臓を吐くんじゃないかと思ったくらいだ。
同時に猫の身体は軽すぎて、まるでボールのようにポーンと高く舞う。
「ロゼッ!?」
ロゼの耳が声のした方へ、こんな状況でも向けられる。
「ユ、ッカ……」
霞む目でどうにか声のした方を見れば、冷塔庫から出てきたユッカの姿。
あぁ、せめてこの勝敗が決まった後なら彼女が巻き込まれる事はなかったかもしれないのに……
そんな風に思って。
小さな猫の身体にはあまりに大きなダメージのせいで、ロゼは意識が遠退くのを感じていた。




