遭遇したのは
快晴だったククルビタ地区とは異なり、こちらはどうやら雨が降っているようだった。
雨か……と少し憂鬱な気分になりながらも、しかしナナイはそのまま転移装置が置かれていた建物から外へ出る。その右手にはダミアンが引きずられたままだ。
――ククルビタ地区で御使いがまだ残っているかどうか、また魔物の掃討処理も同時にこなしつつ、ダミアンによって積み上げられる形となった作物も同時進行で処分していた時にダミアンの姿を目撃した。
てっきり魔法で他の地区へ逃げたものだと思っていたのにククルビタ地区に未だ潜伏していた事で、このまま放置もよろしくないと判断したナナイは速やかに進路を変更し立ち止まる事もないまま、勢いにのせてダミアンを右ストレートでぶっ飛ばした。
素直に他の地区へ逃げていればこんな目には遭わなかっただろうに。
どうしてこの地区に拘るのか、ナナイにはわからない。
わからないが、このまま放置してしまえばまた何かをしでかすのは明らかであった。
少なくともナナイの見た限り、この地区の住人は悪い存在ではない。
なので過去に彼らがダミアンに対して何かをした結果、こうなっているとは考えにくかった。
今の彼らではなく過去の――先祖に恨みを持っていた可能性もゼロではないが、だとしたら恐らくはダミアンの事だ。高らかに宣言していたように思う。
ダミアンの事をナナイは知らない。
ユッカ経由でふわっとした話を聞いただけだ。
なのでナナイの中のダミアンはちんけな小悪党、という言葉が近いだろうか。
善人ぶって騙すにしても、もうちょっと上手いやりようはあっただろうに……なんて思ったところでそれを丁寧に忠告してやるつもりはない。余計な事を教えて他に迷惑がかかる可能性を高めるつもりは流石にナナイにだってないのだ。
この時点では既にディオスがダミアンがククルビタ地区に施したという術を解除したようなので、ダミアンは何の抵抗もなくナナイにぶちのめされる一方だった。
ここで殺してしまえばよかっただろうか……けれど、こうして隠れ潜もうとしていたのであれば。
術を解除された事で、次の策を仕込んでいないとも限らない。
最悪自身の死によってこの地区に多大なる災厄を呼び込む……なんて事を仕掛けている可能性もゼロではなかった。
(そう、軽率に殺したからこそ大変な事になってしまった……)
昔の事を思い出す。
思い出してしまったが故に、だからこそナナイはダミアンを殺せなかった。
こんな奴、殺す価値もない。
そう思う事にして、殺さないという事にどうにか理由をつけようとも思っていた。
結果として他の地区――それも安全ではない場所――に捨ててくるという事になってしまったが、ナナイからすればそれでいいとさえ思っていた。
レンガ造りの建物が並ぶ路地をナナイはダミアンを引きずって歩いていく。
この時点で既にダミアンの意識は半分ほど飛んでいて、無駄に抵抗するような事もなかった。
雨が降って、服に水がしみこんでいく。
ナナイの着ている服は全てではないが防水対策がされているのでそこまででもないが、ダミアンの服はそうではなかったようで引きずっていくうちに雨水がしみ込んで重さが増した気がした。
この雨の中を出歩こうという物好きはいないようで、周囲には誰の姿も見えはしなかった。
いっそここにそのままダミアンを捨ててしまおうか。
そんな風にも思ったが、現状隣接した地区にククルビタ地区がある以上、やはりここで捨て置くのは問題しかない。
ナナイたちがやって来た転移装置とは別の転移装置を使えばククルビタ地区から離れた地区へ移動も可能だろうと思う事にして、ナナイは一先ず別の転移装置を目指す。
今しがた使った転移装置でこの地区内の他の転移装置へ移動する事も考えた。
けれどそれでもナナイは徒歩での移動を選んだ。
この地区は先程までいたククルビタ地区とは異なり治安が悪い。
今外を歩いている人は見えないが、それでもゼロではないはずだ。
どこかから新たにやってきた旅人の姿を認識し、こちらに狙いを定めるような奴がいるかもしれない。
どこかにダミアンを捨ててくる……途中で危険な状況に陥って、そこでダミアンがうっかりそんな相手に害されてしまえば。
いっそそちらの方が都合が良いのではないか、とも思うのだ。
もし何かあってもナナイはダミアンを守るつもりはない。
自分が手を下すつもりはないが、助けるつもりもないのだ。
これが仕事であるのならすぐさま殺していたかもしれないが……生憎とそうではなかったので。
そんな理由でダミアンは未だ無事であるというだけに過ぎない。
どうせならこのままダミアンを引きずって移動しているうちに、雨に濡れ体温が下がって衰弱してくれないだろうか、とも考えている。
ナナイはこの程度の雨何も問題はない。むしろ極寒の地での水泳も問題がないくらいには頑丈だ。
なので仮にダミアンを引きずって移動している途中で彼が死んでいたとしても、それはそれで問題ないと考えている。
雨に濡れた石畳の上を歩く。
そうして移動していくうちに、雨は少しだけ弱まってきた。
雨が降り出したのは突然の事だったのか、建物の下で雨宿りをしていた者もいたようでナナイの耳にはちらほらと雨以外の音も捉えるようになってきた。
さっきまでは濡れて移動したくなくても、今ならまぁ……みたいに思った者の小さな声。
そして意を決して雨の下を駆けだす者。
路地の向こう側で聞こえた音に、しかしダミアンは何の反応も示さない。
恐らく彼には聞こえていないのだろう。
聞こえていたのなら、助けを求めていたかもしれない。
もっとも、仮に助けを叫んだところで救いが来るとも思わないが。
建物越しにこちらに向けられている視線すら感じ取って、ナナイはともあれこの街から出る事を決めた。
生憎と全ての転移装置の場所を把握しているわけではないので、もしこの地区間での移動をしようとしたとしても、その先が安全かどうかはわからない。
もしかしたらこの地区を牛耳るマフィアみたいな組織の拠点に移動するかもしれないのだ。
ナナイとしてはそれでも問題はないけれど、面倒な事になるのは間違いない。
それも、先程地区間での転移装置を使わなかった理由の一つだ。
建物から向けられる視線が煩わしくなって、思わず路地裏へと移動する。
路上にゴミが捨てられていたり、横たわって眠っている人の姿が見える。
この雨の中でそこで寝ている、という状況で死んでいるのかと思ったがどうやら生きてはいるようだ。
ふと視線を向ければ眠っているそいつの皮膚はテカテカと濡れて輝いているので、水の中での生活も問題なくできる種族なのだろう。であれば、このような天候で平然と外で眠っていられるのも頷ける。
時々建物の角や落ちているゴミにダミアンが引っ掛かったりしつつも、それでもナナイは足を止めない。
だが、その足は案外簡単な理由で止まる事となった。
人の声。
誰かの話し声が聞こえたのである。
それだけなら別にナナイも気にせず移動を続けていたのだが、しかし聞こえてきた内容――というよりも、聞こえてきた名前によってナナイの足は止まる事となった。
ドズウェル。
確かにその名を耳にして、ナナイは咄嗟にその名前が聞こえた方へ意識を向けた。
距離はある。
あるけれど、今から急いでそちらに向かえばたどり着けない距離ではない。
その名を口にしたのは女だった。
まだ話を続けているようではあるけれど、しかし女の声以外は聞こえてこない。
ドズウェルと呼ばれた人物の声が聞こえれば、そいつがナナイの探している人物であるのか、それともただ名前が一緒なだけの別人なのかをすぐさま判断できただろうに、残念ながらそちらは聞こえてすらこなかった。
(落ち着くであります……)
逸る気持ちのまま動いて、もし探していた相手だった場合、勢いに任せて突っ込むような真似をするのは悪手だ。
慎重に、見定めなければならない。
無意識のうちにダミアンを掴んでいる手の力が強まった。
ダミアンを引きずる、という時点で物音を完全に絶って動く事は難しい。けれどもまだ雨は降っている。
故にそこまで大きな音を立てなければこちらが接近してもすぐに気付かれるという事もないだろう。
ダミアンを抱え上げて移動すればその限りではないが、しかし既に濡れネズミも同然となっているダミアンを抱え上げるつもりはナナイにはなかった。
なのでそのまま移動を続ける。
そうして声の主の元へ近づいてみれば、一部建物が突き出した状態になっていて雨を避けられる状態にある場所で、一人の女が立っているのが見えた。
建物の陰になっていて周囲からはあまり目立たない場所。
今は雨が降っているので話し声も普通であれば周囲に届く事もない。
(あの人が……)
けれどもナナイの耳は確かに先程ドズウェルの名を呼んだ女の声を捉えていたし、視界でも把握していた。
女はまるで夜会に参加してきたかのようなドレスを着ている。
つばの大きな帽子をかぶり、手にした何かを耳にあてて話をしている。
(通信機……いえ、魔道具のようでありますね。成程、であればドズウェルの声がこちらに届かないのも納得であります)
もしドズウェル本人の声を確認できていれば、ナナイの探している相手かどうかも即座に判別できたのに、と内心で思いながらも女の元へと近づいていく。
無関係かもしれない。
けれど、関係者かもしれない。
であれば直接本人に尋ねるのがいいだろう。
女は恰幅のよい体型をしているので、逃げ出したとしてもナナイならすぐに追いつけそうではある。
一歩、また一歩と近づいていって。
女の声が先程以上にハッキリとナナイの耳に届く。
「あぁ、このデボラ様に任せておきな。あんたのお目当ての物はちゃんと用立ててあげるからさ」
「なんだい? 疑ってるのかい。いやだ、だったら頼むんじゃないよ」
「そう。あぁそうだよ、わかっているならそれでいい」
何かの商談のようにも聞こえるそれを耳にしながら、ナナイはしっかりと女の姿を捉えていた。
帽子から少しばかり零れている髪は赤く、耳に当てていない方の手で女はその一筋の髪を指に巻き付けていた。くるくると、手持無沙汰のように。
もう片方、耳に当てている方にはナナイが先程思った通り魔道具が握られている。
顔までは見えなかった。やや俯き加減である事と、帽子によってわからないままだ。
だがそれも、もっと近づけばハッキリするだろう。
そう思ってナナイはどんどん女の方へと近づいていく。
先程聞こえてきた内容に嘘がないのであれば、女は自分の事をデボラと名乗っていた。
生憎ナナイにはその名前に覚えがない。自身の故郷を滅ぼす原因となった直接的な相手ではないが、それでも繋がっているかもしれない相手。無関係であればともかく、そうでなければ彼女の名も記憶しておくべきだろう。
「ふん、まぁ期待しないで待ってな。朗報を持ってくからさ」
そこで、会話は終わりを迎えたらしい。
耳に当てていた方の手が下ろされ、それから女は顔を上げる。
その結果、女の視界には近づいてきているナナイの姿が映し出された。
「は……」
女の目が見開かれる。
この雨の中傘も差さずに歩いている者はナナイがここに来るまでの間見かける事はなかった。雨に打たれて平気な者はいたけれど、歩き回る感じでもなかった。
だからこそ、人気の少ない場所で内密の会話をしていたのであればナナイの姿を見て驚くのもわからなくはない。聞かれて不味い内容であったなら尚の事。
けれどそんな風に思っていたナナイの予想は裏切られた。
「ダ、ダミアンちゃん!?
アンタうちのダミアンちゃんに何してくれてんのよ!?」
キィッ、とヒステリックに叫んだ女は濡れる事も躊躇わずナナイへと突進してきた。
「なんと」
まさかの知り合い。
自分の目的に至るための情報を持っているかもしれない相手が、まさか今引きずっているダミアンの知り合いであるなんて思いもよらなかった。ナナイが引きずっているのでダミアンの顔は女から見えるはずもないけれど、それでも後姿だけでそうと判別できてしまう程度には女――デボラとダミアンは親しい間柄なのだろう。
その体型に見合わない程の素早さで接近してきたデボラに、ナナイは咄嗟にダミアンを掴んでいた手を離し飛び退った。そうしなければ速度と重量ののった突進をモロに食らっていたに違いなかったからだ。
だが――
「え――」
確かに距離を取ったはずだった。しかしそれでも。
それでも次の瞬間ナナイは飛んでいた。飛び退った時のように自らの意思で跳んだのとは違う。
「なに、が……!?」
わからない。
状況を冷静に分析しようとしてもあまりにも短い時間すぎて、何が起きたのかを思い返す間もなかった。
ガァン、ともゴシャッ、とも言い切れない、衝突音と破裂音が混じったような音がして。
「あ――」
建物にぶつかったのだ、とナナイが理解したのは建物の一部を破壊し自分の身体が建物の中で倒れたのを自覚してからだ。
パラパラと壊れた建物の破片が落ちる音がする。
周囲に誰かの気配はない。つまりこの建物は幸いな事に無人である。
誰かを巻き込んだりはしていない。
いない……が。
「あぁダミアンちゃん、なんてこと!
こんなにズタボロになって。
でももう大丈夫よ、アタシに任せておけば安心だわ」
追撃はこなかった。
女――デボラはどうやらダミアンを救出する事を優先したようだ。
離れていても聞こえてくる声は、確かにダミアンを案じていた。
次いでダミアンの呻き声のようなものが聞こえてきたのは、ナナイの優れた聴覚だからだろう。
「ひっ……!?」
ただ、最後に聞こえてきたダミアンの声は。
助けられた安堵というよりは、恐怖に引きつっていた。
僅かに身を起こしてそちらを確認しようとしたナナイではあるが、どうやらデボラは魔法を使ったらしくその姿はダミアンと共に一瞬で消えていた。
あぁ魔法かと理解するのが少しばかり遅れたのは、予想以上のダメージを食らったからなのかもしれない。
正体不明の攻撃。頑丈なはずの自分が受けたダメージ。
それらも理解しようとした結果、キャパオーバーだったのか――かくん、と糸が切れた操り人形のように力が抜けて、ナナイはその場に倒れ込んだ。




