飛べない鳥
「ちょっ……一体どこから!?」
まさか突然背後に現れるなんて思っていなかったせいで、ユッカの声は裏返っていた。ロゼも気付いていなかったようで、びくっとしてユッカの肩の上でやんのかステップみたいな姿勢をとり、危うくずり落ちそうになる。
「どこ、と言われましても。
ほら」
ほら、と手で示されたのは言うまでもなく転移装置がある方向だ。
いや、わかる。わからなくもない。
確かにそうだろうなとは、落ち着いて考えればわかる事ではあるのだ。
だが、では一体どこから転移装置を使いこちらの転移装置にやって来たというのか。
「って、あれ? アーロスは?」
てっきりディオスの更に後ろの方に申し訳なさそうな顔でもしてそうなアーロスがいるものだとばかり思ったが、しかしディオスの周囲を見てもその姿はどこにもない。
「あぁ、彼ならもうここにはいません」
「えっ!?」
「ご安心を。無事です。彼は……一足先に故郷へ戻るために出発しました」
「え、そうなの?」
「はい。最後にユッカさんたちに挨拶をする余裕はなかったので、急ではありますが。
それでも彼は、彼を待つ者たちの元へ」
「そ、っか……ほんとに無事だね? 村の人たちと同じように死んで、それをかえったとか言ってるわけじゃないんだよね?」
「えぇ。そこはご安心を」
そう言われてしまえば、ユッカとしては信じるしかない。
助けられなくて、それをどうにかこちらに伝えないようにしている……なんて最悪の想像もしてしまったが、ディオスがわざわざそうする意味は特にないだろうという結論に至り、ユッカは「なら、いいんだ」と頷いた。
「アーロスが無事で、それで、帰るっていうのは……こっちに来る前にいたっていう地区?」
「えぇ。恐らくはそこで彼を待っている者がいるはずですので」
「じゃあ、私たちもここから他の地区に行かなくちゃね。いつまでもここにいてもどうしようもないし」
クークラによってこのルボワール地区で暮らす人たちがいなくなっている以上、情報を集める事もままならないし、そうでなくともスヴェトゥリィも恐らくは見つかりそうにない。
ここに来たのは無駄足と言ってしまえばそれまでだ。
……完全な無駄足かと言われれば、そうでもなかったけれど。
「そうですね、一先ずは一度フラワリー地区へ戻って休みませんか?」
「そうだね。その方がいいのかも」
「一応そちらにクークラがもうこの先二度と現れて悪戯する事もない、と伝えるだけ伝えておいた方がいいかと思いますし」
「あぁ、依頼は取り下げられても、情報は落としておいた方がいいかもね」
そんな風に言いながら、ユッカたちは再び転移装置の前に移動する。
そうしてフラワリー地区の町へ移動して、宿をとり――
ユッカはそこで、夢も見ないでぐっすりと眠りについた。
正直相当疲れていたので。
――話は少しばかり遡る。
ディオスとユッカが城へ戻り、そうしてユッカを先に行かせ、ディオスは再び来た道を引き返した。
引き返すといっても、既に戻る道なんてありはしないがそこは魔法を使って移動すればどうとでもなる。
そうして城から切り離されたようになっていた場所に戻れば、アーロスは未だにそこにいた。
自分には羽があるからどうとでもなる、なんて言っていたくせに、しかし彼はその場からほとんど動いていなかった。落下中という事もあり、マトモに動けないだけかもしれないがともあれどうにかしようという様子はない。
「クークラを止めるなんて言ってこのザマか……」
自嘲するような笑みを浮かべていたアーロスをディオスは見ていた。
すっかり諦めモードである。まぁ、それも無理はないとディオスは理解していた。
「そうですね、風切り羽がない以上、貴方のその羽は使い物になりませんから」
そんな風にディオスが言えば、アーロスは相当驚いたのか身体を思い切りびくりとさせて、それから振り返った。
「な、はっ!? ディオス!? お前、なんで……!?」
「そりゃ僕は魔法が使えますから」
「いや、そうじゃない。どうしてそれを……」
風切り羽が目立つものであればまだしも、別にそういうわけでもない。
だから、一目見てそうとわかる者は少ないはずで。
「何故、と言われましても。
飛べるのならもっといろんな場面で貴方は飛ぶべきだった。けれどもそれをしなかった。
しなかった、というよりはできなかったんだろうなと思いまして」
確かに羽を使って上に飛ぶような事はしていなかった。
上から降りる時に落下速度を緩やかにするのが関の山だったからだ。
だが、実際にそうやって滑空とも言えないような誤魔化しは一応していたのだ。
だから、完全に飛べないと思われるはずもない――はずだった。
そんなアーロスの考えが顔に出ていたわけではないが、それでもディオスはアーロスが飛べない事を確信していたようで、アーロスはどこか気まずそうに目を逸らした。
それはまるで悪戯を親に見咎められたこどものように。
「さて、脱出しますよ」
「そうは言ってももうあの船はないんだぞ」
「魔法で地上に戻しますので問題ありません」
こうして話している間にも、城から切り離されたここは地上へ向かって落下し続けている。
そもそもこんな風に話をしていられる余裕だって本当ならないはずだが、しかしそうはならなかった。
周辺の素材にもしかしたら、多少なりとも魔法がかけられた物が使われているのかもしれない。
だがそれを確認している暇はない。
まだ何かを言いたそうなアーロスに近づいて、ディオスは遠慮も何もなく腕を引っ掴んだ。一切の力加減を無視して掴むと、そのまま魔法を発動させる。
直後、ディオスを中心として衝撃波が走った。
まだ壊れていなかった部分もその衝撃によって壊れ、破片となって地上へ落ちていく。
「お、おいっ!? 大丈夫なのか!? 本当にこれ大丈夫なのか!?」
「なんですかこれくらいで。貴方あのまま死ぬつもりだったくせに途端に元気いっぱいになるじゃないですか」
「さっきまでは覚悟してたからなぁ!? だがこんな、助かりますよみたいな空気だされたらそりゃ期待するだろぉ!?」
「そうですか、その期待はそのまま持っていて大丈夫ですよ。ただ、まぁ」
「なんだよ!?」
「恐らくすぐにあの上にある城も崩壊すると思うので」
「マジでか!?」
「えぇ、まぁ。クークラに関しては残念ながら……といったところですが、この近辺にある転移装置まで急ぎますから、舌を噛まないようご注意ください」
「えっ!?」
魔法でふわりと浮いた状態になっていたはずが、次の瞬間重力に従うかのように一気に落下していく。
「お、おわあああああああああああ!?」
「あの、うるさいんでもう少し静かにしてもらえませんか?」
「うわあああああああああああああああ!!」
「聞いてませんね」
飛べる――というか飛べたくせにこんな落下でぴゃあぴゃあ騒ぐとか……と、ディオスは思っていたが、アーロスからすればそれどころではない。
確かに今までは飛べていた。だがもう風切り羽がないので飛べないのだ。彼にできるのはそこそこの高さから少しだけゆっくりふわっと降りるくらいであって、こんなバカみたいな高さから落下する事は勿論想定していない。
耳元で風がびゅうびゅう唸りをあげているし、自分の叫び声だってなんだか自分のものじゃないみたいだ。
ここまでの高さから落下となれば、最早ふわっと落下速度を緩やかにするくらいの誤魔化しすら通用しない。
落ちたら死ぬ。
確実に死ぬ。
さっきまでも死ぬ覚悟はできていたけれど、まるで助かるみたいにディオスが登場したものだから、そんな覚悟はもう消えてしまったというのに直後にこれだ。
いっそ気絶してしまえたらどれだけ良かった事だろう。
だが無情にもアーロスの意識は保たれたまま、最初は見えもしなかった地上がどんどん近づいてきて、それでもアーロスは気絶できなかった。
「とりあえず近場の転移装置に行きますね」
そう、ディオスは確かに言ったのだけれど、生憎とアーロスの耳にはそれは言葉というよりただの音としてしか理解できなかったのである。
そうして、彼らが歩んできた道のりとは異なる場所に存在していた転移装置の近くにふわりと着地して。
「い、生きてる……?」
「死ぬわけないでしょう」
「いやでも、あんな高さから飛び降りるとか死を覚悟するだろ普通に!」
「飛べる種族のくせに高所恐怖症か何かですか?」
「そうじゃない! けど翼があるからって俺だってあんな高さまで飛んだ事ないんだわ! ましてやあんな高さから加速度的に落下とかありえねーから!」
「そうですか、ありえましたね。初体験ですよ」
「そういうこっちゃねぇんだよなぁ!」
「なんですか、生きているのだから問題はないでしょう」
「おま……助けてもらっといてアレだがそれはちょっとどうかと思うぞ」
何を言ってもマトモに受け取ってもらえそうにない、と判断してアーロスは疲れ果てたように溜息を吐いた。恐らく人生で一番深い溜息だと言えただろう。
落下中に少しずつ移動して城の真下からはかなり離れた位置にいるので、壊れた城の欠片が地上に落ちてきても、アーロスに被害はなかった。
ただ、今まで聞いたことが無いような大きな音が連続して聞こえてきた事で身体が勝手にびくびくと跳ねてしまったけれど。
なんでこいつこんな状況で平然としてんの……?
なんて言葉をディオスに言ったところで無意味だろう。
それだけは何故だか確信できてしまった。
「恐らくは、このルボワール地区も長くはもちません」
「クークラが勝つからか?」
「いいえ。城が壊れてるようなので、クークラは負けたでしょうね」
「あいつらって凄いんだな……」
見上げたところでユッカたちの姿が見えるわけではないが、それでもアーロスは空を仰いだ。
「合流してそれから、という時間があればよかったのですが、そんな余裕は多分ないです」
「じゃあどうするんだよ。ここから他の地区に行ったとして、無事に合流できるかもわからないんじゃ……」
「あぁ、僕は合流しますが、貴方は別にこれ以上一緒にいる必要もないでしょう」
「え?」
「貴方には帰るべき故郷があります」
「え、そりゃ、そう、なのか……?」
「貴方がどこまで思い出しているかはわかりませんが、レイチェルとメリュー、その名前に少しでも心当たりがあるというのなら」
「っ!?」
「アイロニ地区を目指しなさい」
ディオスのその言葉に、アーロスは無意識に息を詰まらせた。
未だに記憶は所々靄がかかったみたいにハッキリとはしていない。
けれども、その名前はどこか懐かしい気がした。
やっぱりこいつ、俺の知り合いだったんじゃないか?
そんな風に思うも、しかしディオスに聞いたところできっと否定されるだろう。
アーロスが何かを言う前に、ディオスは転移装置を起動させる。
「生憎アイロニ地区まで直通というわけにはいかないようですが……寄り道をしないで真っすぐ目指せばそう長い時間はかからないでしょう」
「だったら、もうしばらくお前らも一緒に」
「いいえ。それは、貴方にとっても良くない。それにこちらにも目的がありますから」
そう言われてしまえば、アーロスとてごねるわけにもいかなかった。
元々アーロスはクークラの城まで案内する、というつもりで彼らと行動を共にしていたに過ぎない。そんなクークラの城は、今まさに崩壊している最中だ。
短い付き合いではあったけれど、こんな別れ方をするとは思っていなかった。
だからこそ名残惜しいと思う。
「……ど、ドロシー。
ドロシーってやつには気をつけろ。
俺が思い出した記憶の中であんたらの役に立ちそうな情報はこれだけだ」
「肝に銘じておきます」
「あ、あぁ。じゃあ、お前らも元気でな」
「えぇ、そちらも」
ディオスの声はどこまでも穏やかだった。
だから、なんていうか、まだここが安全なのではないか、という錯覚に陥ってしまう。
けれども、そんなわけはないのだ。
まるで世界が終わるかのように、大きな音が響いている。
時折地面も揺れているような気がして、アーロスはそこから逃れるように転移装置へ近づいた。
そうしてアーロスが操作した装置は、ディオスを残してアーロスを別の地区へと転移させる。
そういう意味では、別れは随分と呆気ないものだった。
「さて、それではあちらと合流するとしましょうか」
アーロスの姿が完全に消えたのを確認して、ディオスは直後に魔法を発動させていた。
そうして、当たり前のように城から脱出したユッカたちと合流したのである。




